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「韓国徴用工」裁判をめぐる異様なバッシング…『宝島』、直木賞に

  • 「韓国徴用工」裁判をめぐる異様なバッシング…『宝島』、直木賞に

 

 「明けましおめでとうございます。徴用工裁判に関する提言を『世界』最新号に書きました。お目に留まりましたら…」―。年明けの元日、奥秩父連峰の主峰・金峰山の山頂から新年のメッセ-ジが届いた。旧知の弁護士、内田雅敏さん(73)からだった。彼は弁護士として、私は取材者として「花岡」事件にともにかかわった間柄である。実は昨年12月初め、移設問題(新基地建設)で揺れる沖縄・辺野古の現場でばったり、出くわした。「ここでは新しい出会いと古い友人との再会があります」と内田さんは目を白黒させた。まさにそんな奇遇だった。目の前ではむき出しの国家暴力の横暴が繰り返されていた。その光景が二人の間に70年以上も前の記憶を呼び覚ましたようだった。

 

 太平洋戦争末期、東条内閣の「華人労務者内地移入ニ関する件」(閣議決定)によって、秋田県大館市(当時花岡町)に強制連行された中国人が過酷な労働に耐えかねて蜂起(ほうき)。劣悪な労働環境や虐待などで400人以上が死亡した。生存者・遺族は経営者の鹿島建設(当時鹿島組)を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたが、2000年11月、鹿島側が被害者救済のために5億円を拠出することで東京高裁で和解が成立した。日中共同声明(1972年)で中国側の賠償請求権は放棄されたことになっているが、この壁を乗り越えての民間同士の和解だった。「どうして、政府やマスメディアはこの先例に学ばないのか」―。二人の話題はつい1ケ月ほど前の韓国での同種の裁判に向けられた。

 

 韓国の大法院(最高裁)は2018年10月、戦時中に日本製鉄(現新日鉄住金)で強制労働させられた元徴用工の訴えを認め、賠償を命じる確定判決を下した。その後、三菱重工業に対しても同様の判決が出されたが、日本政府は「日韓請求権協定(1965年)で解決済み」と主張し、マスメディアも右ならへの”翼賛“報道に終始している。この協定で放棄されたのは国家の権利である「外交保護権」に限定されており、個人の請求権まで消滅させたものでないというのが従来の政府見解だったはずである。

 

 「強制労働問題の和解への道すじ」―取り寄せた『世界』2月号で、内田さんは「日韓関係が冷え込むなか、同じ強制労働問題に関し、参考すべき例がある。『花岡事件』の中国人被害者と加害企業の和解である」と書き、日本政府のかたくなな韓国バッシングを批判。同じ号では「花岡和解」の際の東京高裁の裁判長だった新村正人さんも手記を寄せ、当時の気持ちをこう述べていた。「日中関係について謙虚に歴史に向き合うことがまずもって日本の側に求められている、そのことを国の指導的立場にある人々にはもっと強く認識していただきたい」―。日中関係を「日韓関係」に置き換えてみる。あるいはこれに「日沖(ヤマトとウチナ-)関係」という言葉を並べてみると、もっと分かりが良い。「歴史認識」がわずか20年ほどの間にこのように逆転してしまったことに驚いてしまう。

 

 沖縄では米軍普天間基地の「辺野古」移設に反対する民意が司法判断によって、ことごとく退けられている。そして今度は隣国の大法院(最高裁)判決に干渉しようというのである。これでは「無法国家」と言われても仕方があるまい。こうした逆行にマスメデァだけでなく、国民の多くも異議を唱える様子は見られない。目に見えない“同調圧力”(村八分)が周囲に充満している。辺野古の新基地建設現場で内田さんと会って1カ月余り。埋め立て現場の陸地化は急テンポで進んでいる。

 

  「脱植民地」―。辺野古の浜には意表を突くようなのぼりがひるがえっている。そういえば、「徴用工裁判」問題も歴史をたどれば、日本による朝鮮半島の植民地化に行き着く。かつて、日本一の炭田だった筑豊のあちこちの寺にホコリをがぶった朝鮮人労働者の頭骨が放置されていた。私は当時の取材ノ-トに「この光景を忘れてはならない」と記したことを記憶している。地底(じぞこ)に絶命した坑内の炭壁には爪で刻んだとみられる朝鮮語もあった。「アイゴ-」(哀号)―。漆黒の闇からもがき苦しむ声がいまも聞こえてくるような気がする。「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる(訳文の原文では『盲目』)」―。ドイツの元大統領、ワイツゼッカ-の言葉がいまさらのようによみがえってくる。

 

 

 

(写真は花岡事件を後世に伝える「中国殉難烈士慰霊之碑」=大館市の十瀬野公園で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記―1》~陸地化がすすむ辺野古「新基地建設」現場(コメント欄に写真掲載)

 

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局が埋め立てのための土砂を海域の一部に初めて投入して14日で1カ月が経過した。県は埋め立て承認撤回の効力を一時的に停止した国土交通相の決定は違法として総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出ているが、工事現場では土砂の投入が続く。

 

 県は沖縄防衛局が私人の利益救済を趣旨とする行政不服審査法に基づき国交相への執行停止を申し立てることはできないなどと主張し、執行停止の取り消しを求めている。係争委は県、国交省の意見を踏まえて2月28日までに結論を出す。辺野古反対の民意に耳を傾けず土砂を投入した政府への批判は日本国内だけでなく世界に広まっている(1月14日付「沖縄タイムス」)

 

 

《追記-2》~巨星、墜(お)つ

 

 日本古代史が専門の哲学者、梅原猛さんが12日、93歳で死去した。何度か講演などで話を聞く機会があったが、アイヌ民族へのまなざしの深さに共感したことがあった。ある時、梅原さんはこんなことを話した。「僕は洋の東西の哲学を学んできたつもりだったが、足元の大事な哲学を忘れていた。それは森羅万象に神(カムイ)を見るアイヌの哲学である。僕にはもう余り時間が残されていないので、若い人たちはぜひこの深遠な哲学と向かい合ってほしい」―。宮沢賢治の童話「なめとこやまの熊」を、アイヌに伝わる「イヨマンテ」(熊の霊送り)の儀式と重ね合わせて読解するなど大胆な発想をする巨人だった。

 

 

《追記―3》~祝!!直木賞受賞

 

 1月11日付当ブログ「“辺境”のエンタメ魂」で取り上げた真藤順丈さんの『宝島』が16日、開かれた選考会で160回直木(三十五)賞に選ばれた。読書を勧めた甲斐があった。「沖縄」を身近に感じてもらえれば…。真藤さんは1977年生まれ。2008年「地図男」で第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビュ-。同年「庵堂三兄弟の聖職」で第15回日本ホラ-小説大賞など新人賞4賞をそれぞれ別の作品で受賞。昨年は同書で第9回山田風太郎賞を受賞している。

 

 

 真藤順丈さんは「きょう1日、とてもどきどきしていたので、受賞の知らせを聞いてほっとしました。エンタ-テイメントとして、読者に響くものがあったのではないかと感じています。現実の問題について、自分なりに伝えたいと思い、この小説を書きました。青春小説なので、何かを成し遂げたくてうずうずしている人、目の前に壁を感じている人にたくさん読んでもらいたい」と話していました。

 

真藤さんの「宝島」を直木賞に選んだ理由について、選考委員の1人の林真理子さんは「平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができた」などと話しました。会見で林さんは、「1回目の投票から、真藤順丈さんの作品が圧倒的な票を取った。2次投票を行うかどうか長い論議があったが、これだけ差が付いているものに投票の必要はないという意見から、真藤さん一本でいこうという結論になった。文句なしの受賞でした」と、選考のいきさつを説明しました。

 そのうえで、受賞作となった「宝島」については、「非常に高い熱量で沖縄の強さと明るさが描かれ、どれだけつらくてもなんとかなるのではないかという、少しいいかげんな部分さえも伝わってくる。沖縄を描く小説にはこれまでも名作があったが、歴史のつらさを単に重く暗く書くのではなく、突き抜けた明るさで書いたことは、真藤さんのものすごい才能だ。私はこの明るさが、沖縄の戦後史を描くための必要なテクニックだと思う。平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができたと思う」と話しました。

 また、作者が東京出身であることについては、「マイナス評価はなく、沖縄の人の精神性や方言、風俗、路地のおばちゃんのしぐさに至るまで、よくこれだけリアリティ-を持てたなと感嘆した。一方、あまりにつらい場面でも、語り手が明るく茶々を入れる文体で描かれているため、委員の中には『沖縄の人はどう思うか』という心配もあったが、私は沖縄の人もこれを読んで感動してくれると確信している」と評価していました(1月16日付NHKウエブ)

 

 

 

 

 

“辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』

  • “辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』
  • “辺境”のエンタメ魂―今度は南の『宝島』

 生まれ故郷で不遇をかこっていると思っていたら(1月7日付当ブログ「『宮沢賢治』という演繹法」参照)、賢治さん、今度はなんと基地の街・沖縄のとある路地裏に出没していた―。第160回の直木賞候補となり、第9回山田風太郎賞を受賞した真藤順丈さん(41)の最新作『宝島』の文中での思わぬ遭遇である。米国施政権下の沖縄を生きた若者たちの青春を描いたこの小説には孤児たちがたくさん登場する。米国人の血が流れる子もいる。主人公のひとりであるヤマコが読み聞かせをするシ-ンがある。

 

 「最初に選んだのはマ-ク・トウェインの『ハックルベリ-・フィンの冒険』。それから宮沢賢治の『風の又三郎』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』と読みついだ。はじめは聞くほうの集中力がつづかなかったけど、そこはさすがに古今東西の児童の心をつかんできたちいさな英雄たちの物語だ。孤児たちもいったん没入すれば、主人公に感情移入してきゃあきゃあと楽しんでくれた」―。そういえば、賢治は村の分教場に転校してきた又三郎について「赤毛の子ども」と表現し、村の子どもたちには「あいつは外国人だな」と言わせている。昭和14年、この童話が初めて築地小劇場で上演された際、又三郎役を演じたのはロシア人の血が混じる俳優の故大泉滉(あきら)さんだった。混血孤児への読み聞かせにこの童話をさりげなく並べる作者の知力に脱帽したが、読み進むうちにぶっ飛んでしまった。

 

 541ペ-ジに及ぶこの大著はサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効した1952(昭和27)年から1972(昭和47)年の本土復帰までの20年間を「リュウキュウの青」「悪霊の踊るシマ」「センカアギャ-の帰還」の3部で構成されている。米軍施設から食料や衣類、薬などを強奪する「戦果アギャ-」たちの躍動ぶりは復帰の2年前、コザ市(現沖縄市)で米軍車両や施設を焼き討ちした“コザ暴動”でクライマックスに達する。エンタメの極致を堪能しつつ、最後のペ-ジをめくった私は「これは壮大なる叙事詩ではないか」という思いを強くした。

 

 「叙事詩は辺境に宿る」-というのが私の勝手な定理である。中央集権(ヤマト)の捨て石にされた辺境にこそ、いつかは芽吹く叙事詩のタネがまかれているのではないのか。昨年秋に読む機会に恵まれた『凍てつく太陽』(葉真中顕著)はアイヌ出身の特高(警察)を主人公にすえた「北の叙事詩」だった(2018年11月9日付当ブログ「現代版『新附の民』と歴史修正主義」参照)。『宝島』の中で主人公のレイが激して口走る場面がある。

 

 「返還によって日本(ヤマトゥ)のはしっこに加えてもらうんじゃない。国家の首都の座を獲得するのさ。1972年のその瞬間からは、沖縄(ウチナ-)が国の中心になって、この島の英雄が“最高行政主席”(プライム・ミニスタ-)になるのさ。そのぐらいの条件をつけなければ遺恨は晴れない。戦争をしないことにした日本の平和がアメリカの傘下(さんか)に入ることで成立しているなら、その重要基地のほぼすべてを引き受ける地方が国政をつかさどるべきだとは思わないか。地図の片隅にある島だなんて先入観にとらわれるな、それは本土(ヤマトゥ)の人間が描いた地図なんだから」―。ここには琉球王国の時代から「ヤマト世(ゆ)」、「アメリカ世」へと受難の歴史を歩んできた悲痛な叫びが凝縮されている。

 

 沖縄出身の作家としては例えば、石垣島で育った池上永一さん(48)の『テンペスト』や『ヒストリア』などが琉球・沖縄史を舞台としたエンタメ大長編として知られている。しかし、本作の作者は生粋のヤマトンチュ(日本人=本土人)である。この一大叙事詩がこの人の手になることにも驚かされる。真藤さんは新聞などのインタビュ-でこう語っている。「沖縄の複雑な諸問題は、現在の日本が抱える最大級の難題といってもいい。批判を恐れて萎縮して、精神的に距離を置いてしまうことは、ヤマトンチュがこれまで歴史的に沖縄におこなってきた『当たらず障らず』の態度と変わらない。現在の沖縄の問題と地続きですから、その時は筆が止まりました。逃げようと思ったこともあるが、それは沖縄を『腫(は)れ物』にすることであり、無関心をよそおうことと何ら変わらないと思った」

 

 私は昨年10月21日付の当ブログで「時代を隔て、いまに結ぶ…現代の『神謡』」と題して、こう書いた。「今年の沖縄全戦没者追悼式(沖縄慰霊の日=6月23日)で朗読された平和の詩『生きる』を口ずさんでいるうちに、ふとそんな思いにとらわれた。まるで通奏低音のように、それは遠い太古からのもうひとつの詩と共鳴し合っている。最近になってそのことに心づいた。96年前、詩才を惜しまれながら19歳で世を去ったアイヌ女性、知里(ちり)幸恵が死の前年に編訳した『アイヌ神謡集』の、それが序だったということに。『私は、生きている。マントルの熱を伝える大地を踏みしめ…』。そして、相良倫子さん(浦添市立港川中学3年)の『生きる』をその上に重ねてみる。すう~っと、溶けあっていくような、そんな感じ」―。アイヌ民族に伝わる神謡(カムイユカラ)は神々がうたう叙事詩である。

 

 我流の「定理」もあながち、的外れではないと最近思うようになった。とまれ、北と南の一大「叙事詩」を一読するようお勧めしたい。

 

 

(写真は注目を集めている『宝島』と著者の真藤さん=インターネット上に公開の写真から)

 

 

「宮沢賢治」という演繹法…ホワイトハウス請願、20万筆突破。一方で「辺野古」無法

  • 「宮沢賢治」という演繹法…ホワイトハウス請願、20万筆突破。一方で「辺野古」無法

 

 「引き取り論」や国民的な議論を促す「新しい提案」(2018年12月26日付当ブログ参照)など沖縄の米軍基地に対して、本土(ヤマト)側がどう向き合うべきかという関心が一部で高まりつつあるが、大方のヤマトンチュにとっては右(保守)も左(革新)も、上(政府)も下(一般国民)も相変わらず、「知らぬが仏」を決め込んでいるようである。その点、童話作家で詩人の宮沢賢治と同郷の私は幸か不幸か、この天才にからめて取られて身動きができそうもない。かつて、私は最大限の敬意を払いつつ、この大先輩を「不世出の詐欺師」と呼んだことがある。なぜって、その呪縛(じゅばく)からいまだに逃れられないでいるのだから…

 

 そのからくりを仮に賢治流の「演繹(えんえき)法」…つまり、“三段論法”と名づけてみようと思う。賢治のセリフで一番、人口に膾炙(かいしゃ)している言葉は詩「雨ニモマケズ」と『農民芸術概論綱要』(序論)に出てくる次のメッセ-ジである。教科書などにも取り上げられ、ほぼ全国民的に受容されていると言っても過言ではない。その一部を採録してみる。

 

●「東ニ病気ノコドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ…」(「雨ニモマケズ」)

●「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要から抜粋)

 

 これらの文言をひと言でいえば、「(弱者への)寄り添いと世界平和」ということであろう。小学生でもわかる理屈である。東日本大震災の際、全世界からボランティアが被災地にかけつけた。「賢治に背中を押された」という声のなんと多かったことか。米国や英国の追悼集会で朗読されたのも「雨ニモマケズ」だった。でも、油断してはならない。イラク戦争を「正義の戦い」と言ったのは当時の米ブッシュ大統領だったし、最近では我が宰相も「(沖縄に)寄り添う」などと何とも口幅(はば)ったい。脇道にずれてしまったが、この三段論法を借用したのは実は私だった。花巻市議会の2010年12月定例会で、当時議員だった私と市長との間で次のような問答が交わされた。

 

 増子:「賢治の言葉は花巻の人間なら小学生でも知っていますし、市長自身もことあるごとにこの言葉の大切さを口にしています。これを裏返せば、沖縄に基地を押しつけている限り、わたしたち本土の人間の真の幸せも達成されないということだと思います。賢治精神の真髄は弱者や被差別少数者に寄り添うまなざし、共感のまなざしです。『イ-ハト-ブ(賢治が目指した理想郷)はなまき』の実現を標榜する本市としては、当然、こうした問題に向き合う際の視点も変ってしかるべきだと思います」

 

 市長:「賢治さんのこの言葉は戦争のない世界の到来を希(こいねが)ったもので、その意味では憲法第9条の精神にも通じると思います。たとえば、いまの現実の沖縄の武装関係(米軍基地の意)を本土のほかの自治体が受け入れるということになれば、その世界平和の精神に反することになるのではないかと思うわけです。つまり、米軍の基地またその支援をするようなことを日本国内あちこちでやるということ自体が、これは世界平和とは矛盾するのではないか、いわゆる賢治精神に矛盾するのではないかということを申し上げたわけです」

 

 この時の真逆の答弁に私は一瞬、虚を突かれる思いがした。原理的(あるいは教条主義的)には一理ある。だがしかし、そこには大きな落とし穴が仕掛けられているのではないか。「戦争は平和である」―。英国人作家、ジョ-ジ・オ-ウェルが小説『1984』の中に記したダブルスピ-チ(二重語法)の比喩を思い出したのである。この種のフェイクニュ-スはいま、至るところに転がっている。ポスト・トゥル-ス(脱真実)、オルタナティブ(もうひとつの事実)…。言葉の収奪が加速している。そして、「賢治精神」さえも沖縄へ背を向ける便法にすり替えられるというご時世である。

 

オ-ウェルはこうも言っている。「自由は屈従である」「無知は力である」―。沖縄総体に対する本土側の「無知」(=知らぬが仏)こそが沖縄に対する強権政治(安倍一強)を底支えしているというオ-ウェルの逆説に今こそ、学ばなければならない。真の意味での“詐欺師”が誰であるのか、勘(かん)の働く人ならばもう、お気づきのことだろう。市民パワ-をひとつに歴史と文化で拓く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)イ-ハト-ブはなまき」―。花巻市が掲げる将来都市像が泣いている。そろそろ、看板を塗り替えたらと思うのだが…。ちなみに30年前のこの日は昭和天皇が逝去し、翌1月8日から「平成」が始まった節目の年に当たる。

 

 

(写真は賢治の命日に奉納される郷土芸能。この日、「雨ニモマケズ」詩碑の前には賢治愛好家が全国から集まる=2017年9月21日、花巻市桜町4丁目の詩碑前で)

 

 

 

《追記ー1》~英国人ギタリストで天文学者のブライアンさんも呼応。署名締め切りは12月8日午後2時(日本時間)

 

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、県民投票が行われるまで埋め立て工事を中止することを求めるホワイトハウスの請願署名で、英ロックグル-プ、クイ-ンのギタリストで天文学者のブライアン・メイさんがSNS(会員制交流サイト)のインスタグラムとツイッタ-(短文投稿サイト)で署名への協力を呼び掛けている。自身も署名をしたとみられる。

 クイ-ンは故フレディ・マ-キュリ-さんがボ-カルを務めていたイギリスのロックグル-プで、「ボヘミアン・ラプソディ」や「ウィ-・ウィル・ロック・ユ-」など数多いヒット曲で知られている。現在、沖縄県内でも公開されているクイ-ンの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」が全国的に大ヒットしている。メイさんは映画では音楽プロデュ-サ-として関わっている。

 メイさんは署名を日本時間で7日に行ったとみられる。「緊急」と書き出し、「美しいサンゴ礁とかけがえのない生態系を保存するために」とし、署名に協力するよう求めている。ツイッターなどでは新基地建設に反対している人々が「すごい」「ありがとう」「うれしい」などの投稿をして反応。「ブライアン・メイが署名を呼びかけてる!まだ署名していない人は今すぐぜひ!」「まだ間に合う」「20万以上を目指そう」と締め切りまで署名協力の拡散を図ろうと呼び掛けている。【1月7日付「琉球新報」電子版】

 

 

《追記―2》~ホワイトハウス請願、20万筆を突破

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画を巡り、米国ホワイトハウスの請願書サイトを利用してトランプ大統領に埋め立て工事を止めるよう求める請願書に賛同する署名は、開始から1カ月の期限となる日本時間8日午後2時までに約20万筆が集まった。署名運動はホワイトハウスの請願サイト「WE the PEOPLE」で昨年12月8日から始まり、開始11日目で10万筆を超えた。請願書は辺野古移設の賛否を問う2月24日の県民投票までの工事中止を求めているが、署名が1カ月間で10万筆を超えれば、米政府は何らかの回答をすることになっている。

 呼びかけ人でハワイ在住の作曲家、ロバ-ト・カジワラさん(32)にはホワイトハウスから連絡があり、米政府から回答があるまでは署名を続けられるという。このため、期限前には20万筆にわずかに届かなかったが、その後も署名は増え続けて20万筆を突破。サイトでは5番目に多い署名となっている。 カジワラさんは毎日新聞のメ-ルでの取材に「多くの人々が辺野古を守りたいと思っている証拠だ。世界中の人々が沖縄を支援し、辺野古のサンゴ礁を救うことに関心を持っていることを証明している」とコメントした。

 署名運動はツイッターなどのソ-シャル・ネットワ-キング・サ-ビス(SNS)で拡散され、沖縄出身タレントのりゅうちぇるさんやモデルのロ-ラさんらが賛同したほか、英ロックバンド「クイ-ン」のギタリスト、ブライアン・メイさんも「沖縄のサンゴ礁の破壊を止めるための請願書に署名する最後のチャンス」と協力を呼びかけた。【1月8日付「毎日新聞」電子版】

 

《追記―3》~「辺野古」無法…刃物を振り回す海上保安官

 沖縄の辺野古新基地の埋め立て現場で、警備に当たる海上保安官が抗議するカヌ-船団のつなぎロ-プをナイフで切断するという暴挙が起きた。芥川賞作家で連日のようにカヌ-による抗議行動を続けている目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」(1月9日付)の中で、動画を含めた暴挙の光景が詳しく公開されている。私が現場を訪れた昨年12月初旬(2018年12月6日・7日付当ブロブ参照)、埋め立て用土砂を積みこむ民間の「琉球セメント」桟橋の国道沿いにはカミソリの刃を張り付けたような、通称「カミソリ鉄条網」と言われる有刺鉄線が張りめぐらされていた。本土(ヤマト)の「知らぬが仏」を良いことに辺野古の無法状態は極に達しつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕張炭坑節…だんな様

  • 夕張炭坑節…だんな様

 

 妻を欠いた初めての年末・年始も沖縄・石垣島に住む娘夫婦と孫二人の嵐のような来訪で、あっという間に過ぎ去り、わが住まいは元の静寂に戻った。余りにも不気味な静けさに思わず、テレビのスイッチを入れて驚いた。新春12時間スペシャル(1月2日)と銘打った歌謡番組から流れてきたのは往年の演歌歌手、三船和子が絶唱する「だんな様」だった。故鳥井実作詞、岡千秋作曲のコンビで、1983(昭和58)年に発売されたこの歌は空前のヒット曲になった。最終節はこう結ばれている。「明日を信じて、お前と二人/お酒のもうと、差し出すグラス/私の大事なだんな様/あなたに寄り添い、いつまでも/心やさしい女房でいたい」(3番)

 

 単なる偶然とはいえ、5ケ月ほど前に妻を失ったばかりの私にとって、「だんな様」とは何ともタイミングが良すぎるではないか。が、次の瞬間、私はかぶりを振った。「否、これはヤマに散った男たちへの挽歌ではないのか」―。新人記者時代、九州での炭鉱取材の経験を生かし、北海道に転勤した後も自称“ヤマ記者”を名乗っていた。1981(昭和56)年10月、北炭夕張新炭鉱でガス突出事故が発生、道内では戦後最大となる93人が犠牲になった。4年後の1985(昭和60)年5月、今度は三菱南大夕張炭鉱でガス爆発が起こり、62人が坑内に没した。この事故をきっかけに同鉱は5年後、閉山に追い込まれた。「だんな様」はこの二つの事故をちょうど真ん中にはさむようにして、うぶ声を上げた。

 

 夕張は豪雪地帯として知られる。振り積む雪は玄関口をふさぎ、屋根からずり落ちてきた積雪はまるで雪ふとんのように上下が合体していた。夜のとばりが下りるころ、居酒屋の灯りが雪明りのようにうっすらとあたりを照らし出す。キタキツネの足跡をたどるようにして、私たち取材班は行きつけの店に足を向け、冷え切った体を温めた。「俺家」(おれんち)という名前だった。地元紙の道新(北海道新聞)やNHK、共同通信、全国各紙の記者たちがいつも一緒だった。他に体力を維持する適当な店がなかったせいでもある。北炭事故で最後の遺体が収容されたのは163日後の翌年春だった。残っていた骨片は手の平に収まるほどに小さくなっていた。

 

 「がまんしている背中をみれば/男らしさに、涙が出ます/私の大事なだんな様…」(2番)―。しんしんと深雪が降りるある夜、店の中に「だんな様」の大合唱がこだました。同席したヤマの男たちの飲みっぷりの良さにうっとりし、板子一枚下の「地獄」から生還した時の(タバコの)一服の仕草にほれぼれしてしまう…。そんな男たちがある日突然、地底(じぞこ)に絶命する―、まるでヤケクソみたいになって、この挽歌を歌いまくっていたことを今でもまざまざと思い出す。そこには特ダネ競争にうつつを抜かす記者の姿はなく、幼児と見まごう亡骸(なきがら)にともに涙した“同志”たちが確かにいたような気がする。

 

 そういえば、足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した「田中正造」研究でも知られる在野の哲学者、花崎皋平(はなざきこうへい)さんも、当時住んでいた札幌からふらりとこの居酒屋に現れることがあった。その花崎さんから年賀状が届いた。「私は今年満88歳を迎えます。幸い、まだ(無病)息災ですので、反戦平和の活動と読み書きを続けたいと思っております」と記してあった。妻の別離とヤマの男たちの無念、そして、私よりも10歳年上の老哲学者からの励まし…。新年早々、「だんな様」が思わぬ縁(えにし)を紡ぎ直してくれた。

 

 作詞した鳥井は妻の死の約1か月後の昨年8月末に83歳でこの世を去った。このヒットメーカーが実は北海道生まれというのも奇縁といえば奇縁ではある。ひょっとして、この演歌は生と死のはざまに響く現代の「声明」(しょうみょう)なのかもしれないという思いがした。それにしても、「夕張」は演歌がぴったりのまちだった。

 

 

 

(写真は雪に埋もれる夕張の町並み。スト-ブは半年間、つけっぱなしである=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~「絶望の街」で終わらせない

 

 1月5日付「朝日新聞」全国版の社会面トップに、こんな見出しの記事が載った。「あの街/代替わり」と題したシリ-ズで、財政再建に苦闘する元炭都・夕張の姿を伝えていた。当ブログで言及したように、相次ぐ炭鉱災害と閉山の嵐の中で、夕張は2006年に財政破綻した。「第2の閉山」と呼ばれた。記事の中に元炭鉱マンの加藤博さん(86)が登場していた。15歳で石炭から土砂をふるい分ける「選炭」の仕事についた。最後に働いた炭鉱が閉じたのは87年。関東へ出稼ぎに出た―。「だんな様」を口にした、おそらく最後の世代だと思う。ヤマの男たちの苦楽を託したような、この演歌がいつの日かよみがえらんことを…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄から日本への…「新しい提案」

  • 沖縄から日本への…「新しい提案」

 

 「辺野古新基地建設の中止と普天間基地代替施設について国民的議論を深め、民主主義および憲法に基づき公正に解決することを求める」―。12月6日付で東京都・小金井市議会(五十嵐京子議長、定数24)から、首相並びに衆参両院議長、総務・外務・国土交通・防衛の各大臣、官房長官、沖縄担当大臣あてに、上記のような全国の地方議会で初めてとなる画期的な意見書が提出された。以下にその全文を掲載するので、まずその内容を読んでいただきたい。

 

 

 沖縄県名護市辺野古において新たな基地の建設工事が進められていることは、日本国憲法が規定する民主主義、地方自治、基本的人権、法の下の平等の各理念からして看過することのできない重大な問題だ。普天間基地の海兵隊について沖縄駐留を正当化する軍事的理由や地政学的理由が根拠薄弱であることは既に指摘されており、沖縄県議会はこれまで何回も政府に対して「在沖海兵隊を国外・県外に移転すること」を要求する決議を可決採択している。

 

 「0・6%に70%以上の米軍専用施設が集中する」という沖縄の訴えには、「8割を超える国民が日米安全保障条約を支持しておきながら、沖縄にのみその負担を強いるのは、『差別』ではないか」という問いが含まれている。名護市辺野古に新基地を建設する国内法的根拠としては、内閣による閣議決定があるのみだ。沖縄の米軍基地の不均衡な集中、本土との圧倒的格差を是正するため、沖縄県内への新たな基地建設を許すべきではなく、工事は直ちに中止すべきだ。

 

 また、普天間基地の代替地について沖縄県外・国外移転を、当事者意識を持った国民的な議論によって決定すべきだ。安全保障の問題は日本全体の問題であり、普天間基地の代替施設が国内に必要か否かは、国民全体で議論すべき問題だ。そして、国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという世論が多数を占めるのなら、民主主義および憲法の精神にのっとり、一地域への一方的な押し付けにならないよう、公正で民主的な手続きにより決定することを求めるものだ。なお、この意見書は米軍基地の国内移設を容認するものではない。

 

 よって、小金井市議会は国会および政府に対し、以下の事項による解決を強く求めるものだ。

 

1、 辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、米軍普天間基地を運用停止にすること

2、 全国民が責任をもって、米軍基地が必要か否か、普天間基地の代替施設が日本国内に必要か否か当事者意識を持った国民的な議論を行うこと

3、 国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという結論になるのなら、沖縄の歴史および米軍基地の偏在に鑑み、沖縄以外の全国の全ての自治体を等しく候補地とし、民主主義および憲法の精神にのっとり、一地域への一方的な押し付けにならないよう、公正で民主的な手続きにより解決すること

 

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

 

 

 思想的によほど偏向している人を除いては、上記意見書に異議を唱える声は少ないと思う。では、なぜこんなにも「当たり前」の訴えが本土やその議会でこれまで閑却されてきたのか。その前に横たわるのが「NIMBY(ニンビ-)」(Not in my backyard=わが家の裏庭に来てもらっては困る)という、ある意味では当然の住民感情である。これを断罪するのは簡単であるが、今回の意見書はその壁に穴をあけようという新しい試みである。しかし、可決に至るまでは紆余曲折があった。

 

 9月定例会の段階で陳情に賛成した共産党市議団(4人)が意見書提出の段になると急きょ、反対に回った。陳情文の中に「(普天間基地の代替施設について)沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とする」という文言があったため、同議員団は「我が党は安保破棄・全基地撤去が基本的なテ-ゼ」と主張。一時は意見書見送りが懸念された。結局、「米軍基地の国内移設を容認するものではない」という一文を入れることで合意に達し、13対10の賛成多数で上記意見書は可決された。

 

 「沖縄に基地があるのは仕方がない」(本土の保守・無関心層)という自己正当化と、「沖縄にいらない基地は日本本土のどこにもいらない」(共産党をはじめとする革新層)―。この二つの主張は一見対立しているように見えていて、実は沖縄の基地の固定化をその根底で補い支え合っているという点では同根である。私自身、当時花巻市議だった2010年12月定例会で今回の陳情と同じような趣旨で、「普天間飛行場の訓練の一部を受け入れる考えはないか」と当局の見解をただしたことがあった。共産党市議団から意想外の反論が浴びせられた。「女性暴行など米兵による犯罪と騒音被害は想像を絶しており、花巻市民がそれを受け入れなければならない理由などない」―。”対岸の火事”を決め込む姿勢に腰を抜かしたことを覚えている。

 

 今回、陳情を提出した沖縄出身で小金井市在住の米須清真さん(30)はこう述べている。「(意見書は)国内への基地移設が前提ではなく、『本土』の人たちに自分の問題と考えてもらい、国民的議論につなげるためのものです」(10月14日付「朝日新聞」)、「小金井市の市議たちが陳情内容に真剣に向き合ってくれた結果だ。全国各地で取り組みが広がれば…」(12月7日付「琉球新報」)…。小金井市議会の対応は花巻市議会の玄関払いの扱いに比べれば、大きな第一歩といえる。

 

 「沖縄発/新しい提案」の実行委員会責任者で司法書士の安里長従さん(46)は「辺野古移設の理由は『軍事的な理由でなく、本土の理解が得られないから』という本土と沖縄の不合理な区分に問題の根本がある。差別の問題だ。…きちんと自由と権利の問題だと伝えなければならない」(12月3日付「琉球新報」)と話し、その考えをまとめた同名の著作の中では「日本への民主主義の提案です」と記している。そう、民主主義の実践を呼びかける実に素朴な訴えにもかかわらず、それに背を向け続ける本土(ヤマト)への異議申し立てでもある。私はこの問題を議会で提起した際、「不道理」という言葉をあえて使った。「『沖縄』問題のことごとくが道理に合っていない」と考えたからである。

 

 「辺野古新基地建設」の工事を県民投票(来年2月24日)まで止めるよう求めるホワイトハウスの請願サイトの署名が目標の10万筆を突破し、1月7日の期限までに20万筆を超えるのは確実な情勢になっている。日本国憲法(第16条)も国民ひとり一人に請願(陳情)権が付与されていることを定めている。民主主義を構築するための、その行使こそが大切な一歩になるはずである。

 

(写真は世界一危険な基地と呼ばれる米軍普天間飛行場。この返還の交換条件とされているのが名護市辺野古への「移設」計画である=インタ-ネット上に公開の写真から)

《注》~日本国憲法第16条

  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、 平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 

《追記》~ブログ休載のお知らせ

 妻の喪中に当たるため、年末年始をはさんだしばらくの間、当ブログを休載させていただきます。来年こそ我が「ヒカリノミチ」に新たな光明が差し込むことを願いつつ…。良いお年をお迎えください。