HOME > 記事一覧

地図から消される街…そして、サンゴ礁の海では

  • 地図から消される街…そして、サンゴ礁の海では

 

 「この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐(あわ)れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。話題を耳にすることが激減した」と著者の女性記者(朝日新聞)、青木美希さんは自著『地図から消される街―3.11後の「言ってはいけない真実」』のはじめにの中にこう書き、エピロ-グをこう結んでいる。「被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。…あとには何もないまち。名前をなくすまち」―。福島第一原発事故の「その後」を地べたを這いまわるようにして取材してきた「言ってはいけない真実」の告発書である。

 

 「『すまん』原発事故のため見捨てた命」(序章)、「声を上げられない東電現地採用者」(第1章)、「なぜ捨てるのか、除染の欺瞞」(第2章)、「帰還政策は国防のため」(第3章)、「官僚たちの告白」(第4章)、「『原発いじめ』の真相」(第5章)、「捨てられた避難者たち」第6章)…。たとえば、帰還率「4・3%」の実態や全国各地をさ迷う数万人単位の避難者、母子避難者の自死―など、人や街そのものが「消されていく」過程が生々しく語られている。私にも既視感がある。

 

 石炭から石油、そして原発へ―。いわゆる「エネルギ-革命」は「スクラップ・アンド・ビルド」政策とも呼ばれ、ある地域社会をそっくり、葬り去ることよって可能になった。そのひとつ―「筑豊」は九州北部の日本最大の産炭地の代名詞だった。写真家、土門拳の『筑豊のこどもたち』(昭和35年)は底辺の子どもたちの、貧困の中にありながらも明るさを絶やさない表情をとらえた代表作である。駆け出しの記者だったころ、閉山炭住の一角である「いじめ」を取材したことがある。セ-ラ-服を身に着けないで登校したことが原因だった。夫が炭鉱を追われ、無一文になった母親がこの制服を質に入れていたことが後でわかった。「筑豊」からはもうとっくに炭鉱は姿を消し、その名を知る人も少ない。

 

 「この中には漁師の声がいっぱい詰まっている。おまえにはペンがあるだろうが…」―。記者として千葉に赴任した時、私はある漁協組合長から膨大な資料を託された。綴りは全部で二十数冊。感圧紙を使って書かれた、ゴツゴツした字面は海が奪われていった軌跡を克明に記録していた。14年前、この時の資料をもとに『東京湾が死んだ日―ルポ/京葉臨海コンビナート開発史』と題した単行本にまとめた。「村で何が起こったか」(第1章)、「追いつめられる漁師たち」(第2章)、「狂騒の浜」(第3章)、「埋め立てその後」(第4章)、「世紀末の光景」(第5章)…。章立ての骨格が青木さんの著書と余りにも似ていることに驚いた。私はこの本のプロロ-グに「不可視の領域」というタイトルでこう書いた。

 

 「ふと、思った。炭鉱であろうと、(石油)コンビナ-トであろうと、その空間を支配するものにとっては、無法と悪意が保障された自由の空間―それが『不可視』の領域ではないのか。高度経済成長はこうした『不可視』の領域を増殖させることによって、初めて可能になったのだと思う、そして、それを促してきたのは、私たちの側の記憶の風化あるいは喪失といったものである。私たち日本人は『忘却』こそが『進歩』だという錯誤を繰り返してきたように思う。いや、『忘却』こそが『進歩』を可能にするという錯誤といった方がいいかもしれない」―。この領域にいまさらに、原発被災地を加えなければならない。

 

 福島県南相馬市のJR常磐線原ノ町駅近くの真宗大谷派原町別院に安置されている4人分の遺骨について、青木さんは『地図から消される街』の中にこう記している。「引き取り手がない、九州などから出稼ぎに来た除染作業員たちのものだ。除染作業は、放射性物質に汚染された草を刈ったり、表土を取り除いて袋に入れて運んだりするのが主だ。悪質な業者も多く、除染手当の不払いも横行していた。被爆を防ぐマスクがない。ほとんどの作業員が泣き寝入りした」―。ゼネコンが除染作業を仕切り、政府は「除染―復興」を口実に帰還を促し、その最前線では非業の死が積み重なっていく。そして、五輪音頭のラッパの最前線にはマスメディアが勢ぞろいしている。

 

 作家、山本周五郎の代表作『青べか物語』の中に「鱸(すずき)拾い」という話がある。「鱸という魚は相当ぬけたところがあるそうで、汐(しお)の退(ひ)くときに汐が退くことをど忘れして、気がついてみると干潟の中の汐溜りに残されていまい、そこから遁(のが)れ出ようとしていたずらに『あばける』のだという。それを見つけて捕るのだから、字義通り『拾う』のであって、私もしばしば、鮭くらいの大きさの鱸を、肩にひっかけて帰る労務者を見かけたことがあった」―。かつて「沖の百万坪」と呼ばれた魚介類の宝庫だったこの海の上にはいま、東京ディズニ-ランドが鎮座し、周五郎の世界はその足下に没している。

 

 決して消すことができないのは「消された地図」の背後から聞こえてくる呪詛(じゅそ)のような声たちである。青木さんは今日もその声を拾い集めている。そして、私の脳裏にはアメリカ直輸入の巨大レジャ-ランドのたたずまいが、沖縄の「辺野古」新基地建設の暴力的な現場と重なりながら去来する(2018年12月14日付当ブログ「日本一の無法地帯…辺野古から」参照)。「沖の百万坪」がそうであったように、サンゴ礁の海も日々土砂の下に消えていく。「パクス・アメリカーナ」(米国の覇権=つまりは日本の属国化)が足元から忍び寄ってくる。それを後押ししているのはここでも青木さんが指摘する、多くの国民の「無関心」である。

 

 

 

(写真はゴ-ストタウンと化した被災地。無人の通りを野放しの家畜がわがもの顔に歩き回る=福島県浪江町で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

余命、一年半…

  • 余命、一年半…

 

 「女房に先立たれた夫は大体、2年以内に死ぬらしいぞ」―。歯に衣着せぬ知友のジャズミュ-ジシャン、坂田明さん(73)からこう忠告された。「健康に気を付けて、長生きしてください」という何か恩着せがましい励ましよりはずっと、ありがたい。一方で「逆もまた真なり」―、夫に先立たれた女房は長生きするというデ-タはこの長寿社会の中ですでに実証ずみである。私の場合はその逆になってしまった。ミジンコの研究者でもある坂田さんからいつだったか、「こいつの命はまるで透けて見えるんだよな」と顕微鏡をのぞかせてもらったことがある。本当にそう見えた。いやはや、命の中までお見通しとあっては…。というわけで、私は心機一転、新年早々からスポ-ツジムに通い始めたのだった。当年78歳―末期高齢者の悪あがき!?

 

 本日29日で妻は没後6カ月を迎えた。坂田さんの定理に従えば、私に残された余命は最大であと一年半ということになる。「いい年をして、今さら命乞いか」という意地の悪いヤジに対しては、苦し紛れにこんな屁理屈を伝えることになる。「そうじゃない。残された1年半には身の回りの整理やこれまで不義理を重ねてきた友人知人へのあいさつなどやることがたくさんある。だから、それをやり遂げるまでは死ぬわけにはいかない。余命を全うするためのやむを得ざる予防措置だよ」―。「やもめ暮らし」を心配してくれる親切な人たちも後を絶たない。ある人が「死別は最大のストレス」というタイトルの新聞記事の切抜きを持って来てくれた。これにはまいった。ある大学教授がこんなことを語っていた。

 

 「遺族ケアでリスクが高いのは高齢の男性。仕事一筋の現役生活を過ごした男性は、家庭や地域を顧みなかったツケが老後に回ってくる。交際範囲が狭く、ほぼ唯一の相談相手である妻に先立たれると、一気に日常が破綻する。下着が見つからないといった程度なら笑えるが、料理ができずに食生活が偏り、生活習慣病を悪化させたり、孤独感からアルコ-ルに頼ったりする人も多い。放置すれば孤独死しかねない。さらに厄介なのは、精神科医療への偏見が強いこと。受診を勧めても、『沽券(こけん)かかわる』などと抵抗。受診者の8割はやはり女性だ」(2017年9月15日付「岩手日報」)―。おいおい、これって、我輩のことではないのか!?そして、今度は…

 

 「おいおい、これって、現代版の『タ-ヘル・アナトミア』(解体新書)ではないのか」―。ジム通いを始めて、これにはもっとまいった。胸、腕、腹、背中、肩、臀部(でんぶ)…。所狭しと置かれた健康器具にはまるで、“腑(ふ)分け”した人体解剖図のような写真が張り付けられ、使用方法が書かれている。「あっ、そうですか。腰の痛みとお腹の出っ張りですね」と若いインストラクタ-が親切に指導してくれる。平日の日中なので私のようなシニアが多い。みんな、何かに取りつかれたように器具を操っている。顔からは噴き出るような汗が…。みんな、そんなに長生きしたいのかなあ。

 

 部位ごとに人工筋肉をこしらえていくさまはまるで、マシ-ンの奴隷ではないかとさえ思えてくる。目の前のテレビに熱中しながら、身体は規則正しい動きを継続する。これって、あの“人造人間”じゃないのか。ゾッとした。「で、おまえさんは何のためにここに来ているのか」―そんな自問が不意に口をついてでた。「うん、それはさ。さっきも言ったように命乞いではなく、つまりは“終活”を存在論(オントロジ-)的な視点で考えて見よう、と…。生き延びようとするのではなく、死を意識して生きるというということさ」(1月25日付当ブログ「『おためごかし』という偽善」参照)―。だんだん、応答がしどろもどろになってくる。

 

 遠音にまたヤジが聞こえてきた。「そんなに格好をつけるんじゃないよ。あんたもしょせんは命が惜しいだけなんだろ」―。隣のシニア男性に負けず劣らず、身体全体から汗が噴き出してきた。ヤジの通りかもしれないなと思った。ひとりの老いぼれた“偽善者”がスポ-ツジムの片隅にぽつねんと佇(たたず)んでいる。さて、今晩の酒のさかなは何にしようかな。いやはや。それはそれとして…坂田大兄、生きる勇気を与えていただき、本当にありがとうございました。

 

 

(写真はスポ-ツジムの訓練のひとこま。いまやシニアの間でも人気が上昇している=インタ-ネット上に公開の写真から)

  

 

「おためごかし」という偽善

  • 「おためごかし」という偽善
  • 「おためごかし」という偽善

 本を閉じ、ふ~っとため息をつきながら、私はひとりごちた。「この世に対する、これは絶望の書ではないのか」と…。ダダイストの辻潤(1844―1944年)はその名もずばり『絶望の書』(1930年)の中にこう記している。「自分はなんだ?…という疑問に対して、一切無であるという定義は同時になんの定義でもあり得ないが、それ以上に明確な答えはあり得ないのだ…矛盾ということはまた一切であり、同時に無だという意味を含んでいる。一切の現象はそれが、現象である限り、悉(ことごと)く矛盾しているのである。矛盾は現象を成立する根本原理に他ならない」―。「存在論」(オントロジ-)の根本を問う、この呪文みたいな言葉が違和感なく、その本に重なった。

 

 「善良無害をよそおう社会の表層をめくりかえし、だれもが見て見ぬふりする、暗がりを白日にさらす」―。作家、辺見庸さんの最新作『月』のキャッチコピ-にはこんなおどろおどろしい文章がおどっている。「存在」と「非在」、「狂気」と「正気」…。人間存在のあわいを書き続けてきた作家の関心は当然のように「相模原障がい者施設殺傷事件」へと向かう。2016年7月、神奈川県相模原市内の知的障がい者施設で、元職員の男性(当時26歳)が刃物で19人を刺殺し、職員を含めた26人に重軽傷を負わせた戦後最悪の事件である。「さとくん」(園の職員)と「き-ちゃん」(園の入所者)を小説の主人公にすえ、その内面をえぐり出すようにして、物語は進行する。たとえば、二人の間にこんなやり取りめいたことがある。

 

 さとくん;「まったくね…あんたは、なんなんだい?いったい、なにから生まれてきたんだい?なんのために?ひとからかい?まさか…」「しんじらんない。あんた、なにしに生まれてきたんだよ…なくてもよかったろうに…」(作者注・さとくんは表面は明朗快活な性格で、園の人気者だったが、後に退職。園の仕事をつうじ「にんげんとはなにか」といった大テ-マをかんがえるようになり、「世の中をよくしなければならない」と決心する)

 

 き-ちゃん;「そのとき、あたしは澄んでいた。なにか、背筋に快感をおぼえた。やったあ、とおもった。さとくんいがいのだれが、わたしにじかに、こんなことを問うだろう。こんなにも、きほんてきなことを。むきだしの、ぶしつけな、きほん。…わたしは無から生まれてきた。だから、あたしは無だ。」(作者注・き-ちゃんはベッドの上にひとつの“かたまり”として存在しつづける。性別、年齢不明。目がみえない。歩行ができない。上肢、下肢ともにまったくうごかない。発語ができない。顔面をうごかせない。からだにひどい痛みをもち、ときに錯乱し悩乱する。しかし、かなり自由闊達に「おもう」ことができる。すべての「無化」を希求している)

 

 当時、この“極悪非道”な殺人事件に世間は驚愕(きょうがく)させられた。国民のほどんどは障がいのある人たちに心からの哀悼を捧げ、犯人に対しては激しい憎悪の目を向けた。マスメディアも、そしてこの私も…。辺見さんはそうして善意とか正義とか平等とかの背後にうごめく「ウソさ加減」を書こうとしたのではないのか。「人間には誰しも生きる権利がある」などという正論をヘラヘラと口にする私たち自身の内部に巣くう「浄化(クレジング)と排除の欲動」(本書帯文)…。ナチスドイツを引き合いに出すまでもなく、この国はわずか23年前まで知的障がいや精神に疾患のある人に強制不妊をほどこす「旧優性保護法」(1948年―96年)を許してきたではないのか。辺見さんはこの正体を「おためごかし」と呼んでいる。つまりは「偽善」ということである。

 

 フィナ-レの部分にこんな一節がある。「わたしとあまりにもことなっているために、かえって、どこかよく似たあなた。さとくん、遥(はる)けしちかさのあなた。どこにも『場』のないきみ。どこにも『場』のないわたし。なにもかも、すべて、ことごとく廢(し)いた世界の、無‐場(別の個所では「nowhere」という英字表記も)…」―。さとくんとき-ちゃんの立場が同化する一瞬…つまりは誰でもどちらにもなり得るという「オントロジ-」の深淵をのぞかされたように思った。ひるんでしまった。

 

 LGBT(性的少数者)に対し「生産性がない」と言った国会議員がいた。この発言を批判しつつ、私たちは心のどこかで「浄化と排除」を了承してはいないか。周囲に気づかれないように「快哉」(かいさい)を叫んではいないか。その一方で、国民の約8割が「死刑制度」を容認しているというデ-タがある。「人間には誰しも生きる権利があるという」という口の端をへし折るようにして、「死刑賛成」という大合唱が聞こえてくる。辻潤の「矛盾論」が少し、わかるような気がする。そういえば、昨年夏、オウム真理教の死刑囚13人に死刑が執行された時、この列島が祝祭気分だっことを思い出す。「さとくん」には一体、どんな裁きが待っているのか。その時、私たち国民は…

 

悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ」―。被災地・石巻出身の辺見さんは東日本大震災の際にこう語った。人間存在の根本に迫るその筆致に圧倒される。この人の著作に向き合う時は表皮がべろりと引きはがされるような、そんな“覚悟”が必要である。一時は遠ざけていた「辺見」本を妻を亡くして以降、手に取る機会が増えたような気がする。

 

 

(写真は最新刊の『月』と近影の辺見さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

縁(えにし)の不思議

  • 縁(えにし)の不思議
  • 縁(えにし)の不思議

 「東北のなかでもとりわけ交通の便がよくない町に立地しながらも、1960年代からジャズ喫茶として地道に営業し続けてきたのに、店全体が津波に流されてしまった。幸い、店主の佐々木賢一氏は後ろから襲ってくる津波をギリギリで逃げ切ったが、長年集めた店内のレコ-ドや写真やミュ-ジシャンからの手紙などが一切合財なくなってしまった。半世紀以上の過去の記録が、一気に消えてしまったわけだ」―。日本在住の日本文化研究者、マイク・モラスキ-さん(63)は2006年、日本語で初めて書いた『戦後日本のジャズ文化』でサントリ-学芸賞を受賞したが、2年前に刊行された岩波現代文庫版のあとがきに冒頭のような文章を寄せている。

 

 文中の佐々木賢一さんこと「賢ちゃんは」は東日本大震災(3・11)でがれきの荒野と化した三陸沿岸の大槌町駅前で、ジャズ喫茶「クイ-ン」を経営していた。創業は60年近くも前、岩手最古と言われた。大津波はこの老舗を一気に飲み込み、奥さんの命を奪ったうえ、2万枚以上のレコ-ドを海へと流し去った。震災直後、私は無残な姿をさらけ出す跡地に呆然と立ち尽くしていた。足元には数枚のレコ-ドの破片が泥まみれなって散らばっていた。名古屋市内の妹さんの家に避難していた賢ちゃんは3ケ月後、花巻市に居を移した。

 

 「死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子ども/他には何も残さなかった/墓石ひとつ残さなかった」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲『死んだ男の残したものは』)―。賢ちゃんの生還を祝ったライブが開かれ、畏友の坂田明トリオがこの名曲を奏でた。ボロボロとあふれる大粒の涙が真っ白いひげを濡らした。こぶしで目をぬぐいながら、賢ちゃんが言った。「生死を分けたのは運命のいたずらだとしか考えられない。でも、生かされた以上、この歌のように精一杯生きるしかない」―。賢ちゃんが別の追悼ライブで「おかしなアメリア人がいるんだよ」とモラスキ-さんを紹介してくれた。その言いぐさが振るっていた。「この男はおれ達よりもジャズに詳しいんだよな。それだけじゃない。居酒屋論も展開する。ただもんじゃないぞ」―。あった、あった。『呑めば、都』なんていう著作も。

 

 私の妻が亡くなったちょうど1週間後の昨年8月5日、賢ちゃんはまるで後を追うように突然、旅立った。妻より1歳年上の76歳だった。長女の多恵子さんが住む、花巻市東和町の自宅に焼香に伺った。懐かしい遺影の前に1通の封書が置かれていた。「モラスキ-さんからです。どうぞ」と多恵子さんが言った。丁重なお悔やみの言葉が何枚にもわたって、日本語でつづられていた。「彼がね、また新しい本を出したんだって」と分厚い文庫本を見せてくれた。『新版 占領の記憶/記憶の占領』(岩波現代文庫)―。「戦後沖縄・日本とアメリカ」という副題がついていた。ペラペラとめくって見て、びっくりした。私が「沖縄」ウオッチをする際にいつも参考にさせてもらう芥川賞受賞作家、目取真俊さん(58)の文学論に多くのペ-ジを割いていたからである。

 

 目取真さんは1997年、『水滴』で第117回芥川賞を受賞した。「戦後生まれの小説家の中で、彼ほど『戦争の記憶』という問題を真摯かつ独創的に追究し続けた作家はいないだろう」とモラスキ-さんは同書に書いている。この小説はウチナ-口(沖縄方言)を効果的に使いつつ、とくに沖縄戦の内奥を鋭くえぐった作品である。私がさらに驚いたのはヤマトンチュにも読解が困難なこのテキストを英語で翻訳していたことだった。ジャズピアニストでもある、その異能多彩ぶりは当然のこととして、この米国人が沖縄に寄せるまなざしにこころを打たれた。「私としてはなるべく広い読者層に紹介したく、アメリカの地味ながら由緒ある文学雑誌に拙訳を掲載してもらった」とその気持ちを明かしていた。

 

 1月7日付当ブロブの《追記―3》で触れたように、目取真さんのブログ「海鳴りの島から」は「辺野古」新基地建設現場の動きをリアルタイムで知ることができる、私にとっては“羅針盤”の役割を担っている。本業の作家活動をわきに置き、目取真さんは連日のように現場にカヌ-を漕ぎ出し、抗議行動を続けている。その両立性について、モラスキ-さんはこう指摘する。「作家・批評家・運動家としての総合的な活動こそ、現在の沖縄における戦争と占領の継続性をくっきりと浮き彫りにしている」―。3年前の秋、目取真さんは沖縄県東村高江のヘリパッド(ヘリコプタ-離着陸帯)建設現場で、機動隊員から「土人」発言を浴びせられた。ニライカナイ(琉球国)の地に根を下ろした目取真さんにとっては「現場」に身を置くことそれ自体が小説の作法なのである。

 

 賢ちゃんにモラスキ-さんを紹介され、その人が今度は「目取真」論を展開する。つくづくと「縁(えにし)の不思議」を思う。「他生の縁」とも「多生の縁」ともいう。私は時々、賢ちゃんの仏前に手を合わせ、そして、毎日のように「海鳴りの島から」をのぞきながら、沖縄の無法を体に刻み込む。「おかしな」外国人に仲を取り持ってもらった「縁」で…

 

 

(写真は「賢ちゃんを励ます会」に集まったジャズ仲間。右から在りし日の賢ちゃん、老舗ジャズ喫茶「ベ-シ-」店主の菅原正二さん、サックスの坂田明さん=2011年6月27日、一関市のベ-シ-で。右の写真はモラスキーさん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記》

 

 2018年11月9日付当ブログで紹介した作家、葉真中顕さんの『凍てつく太陽』(幻冬舎)が第21回大藪春彦賞を受賞した。

『宝島』、沖縄で異例の売れ行き…ある予感

  • 『宝島』、沖縄で異例の売れ行き…ある予感

 

 米軍占領下の沖縄でもがきながら生きる若者たちの姿を描き、直木賞を受賞した真藤順丈さん(41)の小説「宝島」(講談社)が沖縄県内で反響を呼んでいる。受賞発表翌日の17日、各書店では売り切れが続出。那覇市内の書店スタッフは「直木賞受賞作と言っても、これだけ反響があるのはめったにない。異例だ」と驚き、「沖縄の歴史や今も続く基地問題について考える一冊」と称賛する。

 

 物語は、米軍基地から物資を盗む「戦果アギヤ-」と呼ばれた若者たちを描く。沖縄の言葉をふんだんに盛り込み、沖縄の戦後史に切り込んだ意欲作だ。那覇市久茂地のリブロリウボウブックセンタ-店では、直木賞が発表された16日夜、閉店間際に本を求めて数人が駆け込んだ。17日も朝から売れ続け、用意した40冊は午後3時ごろに完売した。

 

 ライタ-の友寄貞丸さん(58)=那覇市=は、知人から東京で売り切れているので手に入れてほしいと連絡があり急いで購入。「沖縄の戦後史を本土の作家がどう捉えて小説にしたのか興味がある」と笑みを浮かべた。店頭に並ぶ最後の2冊を購入したのは那覇市の60代の夫婦。「小説の舞台が沖縄なので読みたくなった。復帰前の私たちは高校生。主人公の思いが重なるかもしれない」と話した。

 

 同店スタッフの宮里ゆり子さん(37)は「表現力がすごくて、読んでいると頭に映像が浮かんでくる」と絶賛した。「主人公が今の沖縄で生きているなら、基地にどう向き合っていただろうかと考える。基地がある沖縄の歴史や今も続く問題を考える一冊だと思う」。16日夜にブ-スを設けた同市牧志のジュンク堂那覇店では、17日正午すぎに50冊が完売。200冊を追加発注した。森本浩平店長(44)は「圧倒的なクオリティ-。きょうは年配の方が多く購入していたが、若い人たちにも手にとってほしい本」と太鼓判を押した。

 

 午前中で22冊が売り切れた同市おもろまちの球陽堂書房メインプレイス店では、すでに20冊以上の予約を受け付けた。新里哲彦店長(61)は「小学校への戦闘機墜落、交通死亡事故の無罪判決、コザ騒動など、主人公を通して沖縄の痛みが理解できる。多くの人に読んでほしい」と願った。

 

 

【ことば】戦果アギヤ- 戦後の沖縄で、米軍の倉庫から豊富な物資を盗み出すことを得意とした人のこと。食うや食わずの住民生活に比べて米軍物資はあり余るほど豊かで、生きていくためのぎりぎりの手段でもあった(1月18日付「沖縄タイムス」)

 

 

(写真は売り切れの張り紙を出した書店=1月17日午後、那覇市内のジュンク堂書店那覇店で、「沖縄タイムス」より)

 

《追記》~ある予感

 

 「沖縄の米軍基地から物資を盗み出す“戦果アギャ-”は年端もいかない少年少女たち。『生還こそがいちばんの戦果』と言っていたリ-ダ-がある夜突然消えた。圧倒的熱量!!聴け、沖縄の歌を」(1月19日付「朝日新聞」)―。第160回直木賞と第9回山田風太郎賞の2冠を達成した真藤順丈さんの『宝島』を宣伝する新聞広告にある予感を感じた。「沖縄」問題に“知らぬが仏”を決め込んできた本土(ヤマト)側に、この本はなにか別の風を吹かせるのではないか―そんな予感を。その一方で「逆もまた真なり」という不吉な予感も…