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「辺野古」新基地建設ノ-が多数(県民投票)…一方で、琉歌の響きが

  • 「辺野古」新基地建設ノ-が多数(県民投票)…一方で、琉歌の響きが

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、埋め立ての賛否を問う県民投票が24日実施され、3択のうち「反対」が「賛成」や「どちらでもない」を上回わり、「反対」が投票資格者総数(115万3591人、24日見込み)の4分の1に達することが確実となった。県民投票条例に基づいて、玉城(たまき)デニ-知事には結果の尊重義務が生じ、同知事は首相と米大統領に結果を通知する。

 

 沖縄で県民投票が実施されるのは、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小の賛否が問われた1996年以来、2回目。条例に基づく都道府県単位での実施はこの時が初めてで、「賛成」が投票総数の89・09%だった。私が提出した「日米地位協定」の抜本見直しの陳情に対し、花巻市議会が今回を含めた沖縄の民意にどう対応するかが注目される。

 

 

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われ、午後8時に締め切られた。琉球新報社が共同通信社、沖縄タイムス社と合同で実施した出口調査の集計結果や県が発表した投票率の推移などから、埋め立て「反対」の得票が県民投票条例で知事が「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1に当たる約29万票を上回ることが確実となった。

 県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、民主主義の手段で示された県民の意思にどう対応するかが焦点となる。1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は知事選など県内の主要選挙に加え、移設の賛否だけを直接問う県民投票で辺野古移設に反対する明確な意思を示した。

 今回の県民投票は、一橋大大学院生の元山仁士郎氏を代表とする「辺野古」県民投票の会が約9万3千筆の署名を集めて昨年9月、県に県民投票条例の直接請求を行った。県議会は昨年10月、条例案を可決したが、市議会で県民投票経費の予算案が否決された沖縄市や宜野湾市などの5市長が選択肢への不満を示すなどして予算の原案執行を拒否した。その後、全県実施の声に押された県議会が賛否2択から3択に改正した条例案を賛成多数で可決、5市長は実施に転じた。【2月24日付「琉球新報」電子版】

 

 

(写真は「辺野古」新基地建設に伴う埋め立て工事ノーを伝える琉球新報の号外=24日付「琉球新報」電子版から)

 

 

 

《追記―1》~政府、困惑。しかし、方針は変えず

 

 政府は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡る県民投票が反対過半数の結果になったものの、移設推進方針を堅持する。ただ賛成を大きく上回る反対票の重みを踏まえ、県側へのさらに丁寧な説明に努める。安倍晋三首相は、玉城デニ-知事が希望すれば週内にも会談に応じる方向で調整に入った。普天間の危険性を除去するためにも「辺野古移設以外の解決策はない」(首相周辺)として、理解を求める考えだ。政府は従来、辺野古に移設すれば普天間飛行場の基地機能が縮小され、危険性や騒音被害も大幅に減ると訴えてきた。それでも理解は広がっておらず、官邸幹部は困惑する(2月24日付「共同通信」)

 

 

《追記―2》~県民投票のこの日、陛下在位30年式典で「琉歌」

 

 天皇陛下の在位30年を祝う政府主催の式典が24日、天皇、皇后両陛下を迎え、国立劇場(東京都千代田区)で開かれた。天皇を国民統合の象徴と定める現行憲法下で初めて即位された陛下は、あと2カ月あまりで退位する。あいさつでは「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、私を継いでいく人たちが、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と将来への期待を語った。
 

 式典では、沖縄県出身の歌手の三浦大知さんが、陛下が詠んだ琉歌(りゅうか)(沖縄の歌)に皇后さまが曲をつけた「歌声の響」を独唱するなどの記念演奏があった。戦中戦後の沖縄の苦難の歴史に関心を寄せてきた両陛下は演奏を見守り、拍手を送った。約1時間の式典が終わると、陛下は笑顔で手を振り、会場を後にした【2月24日付「毎日新聞」電子版、要旨】

 

 

《追記―3》~陛下作詞、皇后作曲「歌声の響き」

 

 「歌声の響き」は天皇陛下が皇太子の頃、名護市にあるハンセン病療養所「愛楽園」を訪れた際に「だんじょかれよし」(誠にめでたいの意)という船出を祝う沖縄民謡を聞いたのがきっかけとなり、の時のことを琉歌に詠み、それをもとに皇后陛下が作曲した楽曲。歌詞は以下の通り。

 

●「だんじよかれよしの歌声の響/見送る笑顔 目にど残る」(謹訳;私たちの旅の安全を願うだんじよかれよしの歌声がひびき、見送ってくれた人々の笑顔が、いつまでの目に残っています)

 

●「だんじょかれよしの歌や湧上がたん/ゆうな咲きゆる島 肝に残て」(謹訳;私たちが立ち去ろうとすると、だんじよかれよしの歌声が湧き上がりました。ゆうなの花が、美しく咲いている島の人々のことがいつまでも心に残っています)

 

 

 

 

 

「日米地位協定」の抜本見直しを陳情(花巻市議会)…本日、沖縄県民投票(~追記⑮)

  • 「日米地位協定」の抜本見直しを陳情(花巻市議会)…本日、沖縄県民投票(~追記⑮)

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画(新基地建設)をめぐり、名護市辺野古の埋め立ての是非を問う県民投票の投開票日(2月24日)が1週間後に迫るのを受け、私は18日に「日米地位協定」の抜本的な見直しを求める陳情書を花巻市議会へ提出した。沖縄における米軍基地の偏在によってもたらされる犯罪の数々。その根底に横たわるのがこの協定の「治外法権性」であり、そうした事態を許しているのは私たち本土側の「無知・無関心」である。なぜ、沖縄の人たちが県民を二分するような苦渋の選択を余儀なくされなければならないのか―。まず、本土の私たちに何がやれるのか…その第一歩になればと考えている。正式に受理されれば、今月28日開会の3月定例会で審議される。以下に陳情書の全文を掲載する。

 

 

 

【件名】 日米地位協定の抜本的な見直しについて

 

【趣旨】 沖縄県に米軍基地が偏在することによって引き起こされる米軍人・軍属らの刑事事件や騒音被害などを重く受け止め、米国側に「特権」を認める日米地位協定の抜本的な見直しを求めること

 

【理由】 日米地位協定は1960(昭和35)年、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(新安保条約)の締結に伴い、従来の日米行政協定に代わって双方で合意されました。しかし、公務中に犯罪を起こした場合、米国側の裁判権が優先される(第17条)などその不平等性が以前から指摘されてきました。日本政府は「運用の改善」を主張するにとどまっていますが、最近になって、地方自治体や地方議会の間で協定の抜本的な見直しを求める声が急速に広がりつつあります。

 

 たとえば、当花巻市議会もその一員である「全国市議会議長会」(813市区議長で構成)は2016(平成28)年5月、日米地位協定の抜本的な見直しを求める要望書を採択。この前年には「全国町村議長会」(928町村議長で構成)も同じ趣旨の特別決議を採択しています。さらに、2018(平成30)年7月には「全国知事会」が抜本見直しの提言書をまとめ、日米両政府に提出しました。提言書はこの中で「米軍基地は防衛に関する(いわゆる専管)事項であることは十分認識しつつも、各自治体住民の生活に直結する重要な問題である」と指摘、その必要性を訴えています。

 

 現在、こうした動きを受け、全国の7道県36市町村で見直しを求める意見書が相次いで可決され、岩手県議会も昨年12月定例会で「本県においても本年、日米合同委員会(運用を協議する日米の実務者会議)の合意に沿わない米軍機の低空飛行訓練が実施され、県民に大きな不安を与えている」などとして、衆参両院議長や内閣総理大臣ら関係大臣に全国知事会の意向に沿う形の意見書を提出しています。

 

 この件については、2016(平成28)年6月9日付で私が紹介議員となって、同趣旨の請願書が当花巻市議会に提出された経緯があります。しかし、「趣旨には賛同できるが、外交問題は権限外」「花巻市民の公益に資する請願とはいえない」「岩手県には米軍基地はなく、その点で地位協定との接点はない」―などの理由で賛成多数で否決され、現在に至っています。

 

 沖縄県にはわずか0・6%の国土面積に米軍基地の約70%が集中しています。この基地偏重の実態は逆にいえば「国民全体の安全を担保する役割の大半が沖縄に押し付けられている」ということを意味しています。残念ながら、当花巻市議会の対応はこうした沖縄の現実に背を向けるものだと言わざるを得ません。

 

 当市は宮沢賢治の精神をまちづくりの基本にすえ、将来都市像として「イ-ハト-ブはなまき」の実現を掲げています。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という賢治のメッセ-ジや詩「雨ニモマケズ」の中で繰り返される「行ッテ」精神はそのまま、沖縄に寄り添うことの大切さを教えているのではないでしょうか。基地を一方的に押し付けられてきた沖縄の受難の歴史を「他人事」として、切り捨てるのではなく、一日も早く日米地位協定の抜本的な見直しをするよう、政府及び関係機関に意見書を提出していただきたく、ここに陳情します。

 

 

 

(辺野古の「新基地建設」現場では連日のように抗議のカヌ-船とそれを排除する作業船や海上保安部との衝突が繰り返されている=沖縄県名護市の大浦湾で、インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~目的と手段

 

 朝日新聞のコラム「日曜に想(おも)う」(2月17日付)の筆者は「人間を目的として尊重し、単なる手段として利用してはならない」という哲学者、カントの言葉を引用し、歴代の沖縄県知事の無念の思いを紹介している。

 

●「沖縄が歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除し(中略)新しい県づくりに全力を挙げる」(初代の故屋良朝苗氏)

●「沖縄は手段あるいは政治的質草にされ、利用され続けてきた」(故大田昌秀氏)

●「われわれがどう話しても大きな力が押しつぶして、通り過ぎていく。国家の品格を信じられなくなるくらいさみしいことはない」(故翁長雄志氏)

 

 

《追記―2》~係争委、沖縄県の申し出を却下

 

 【東京】沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡る国交相による埋め立て承認撤回の執行停止処分に関し、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会(係争委)」(委員長・富越和厚公害等調整委員会顧問)は18日の第4回会合で、処分を「国の違法な関与」とした県の審査申し出を却下すると決めた。委員会は審査対象となる「国の関与」に該当しないと判断した。近く県に決定を通知する。

 

 県は昨年8月の埋め立て承認撤回に対し、沖縄防衛局が「私人の立場」で、国民の権利利益救済を目的とする行政不服審査法(行審法)に基づき国交相に執行停止を申し立てたことから、「適格性を欠く」と指摘。それにもかかわらず、国交相が執行停止を決めたことから「国の関与は違法」として、係争委に審査を申し出ていた。国は、地方自治法で執行停止処分は係争委の審査の対象とならないと訴えており、係争委の審査の対象となるかどうかが焦点となっていた。富越委員長は会合後の記者会見で、却下の理由を「沖縄県の申し出は不適法」と述べた(18日付「沖縄タイムス」電子版)

 

 

《追記―3》~闘いの原点

 

 「米兵が女子児童乱暴/3人がかりでら致」―作家の目取真俊さんは1995年9月に発生した戦慄すべき事件の第一報を伝えた地元紙の記事を自らのブログ「海鳴りの島から」(2月18日付)に転載、こう記している(要約)

 

 「辺野古新基地建設をめぐる問題は、すべてこの事件から始まった。私たちは忘れてはいけない。あの時、沖縄の大人たちは、一人の子どもを守れなかったことを恥じ、二度とこのような犠牲を生み出してはいけない、と反省し、誓ったのだ。そして、諸悪の根源である軍事基地の撤去を実現するために努力することを決意したのだ。新たな基地をどこに造るかなど、想像すらしなかった。いま私たちが県民投票をやらざるを得ないのは、23年前に起こった事件の反省を生かしきれず、あの時の決意を実現しきれなかったことの結果でもある。事件が起こった沖縄島北部東海岸に、新たな基地を造る。そういう理不尽なことを許していいのか。県民投票に行く前に、一人でも多くの人が当時の記事を読んで、辺野古新基地問題の原点に何があったかを考えてほしい」

 

 

《追記―4》~「都合のいい愛」と「暴力の構図」

 

 「政府は沖縄の声を聴く耳をもたず、多くの国民も基地問題について見て見ぬふりをしている。黙って癒しを提供してくれていればいいという意識なのでしょうか。土砂投入の日、私が辺野古でみたのは、都合のいい形で沖縄を愛そうとする、日本の暴力の構図でもあります」(2月19日付「朝日新聞」、『裸足で逃げる』などの著書がある上間陽子・琉球大学教授)。そういえば、岸政彦・龍谷大学教授も同じことを「沖縄を愛するという形で、差別している」と発言したことがある。

 

 

《追記―5》~日米地位協定の改定、国民運動に

 

 神奈川県在住の男性(82)は朝日新聞「声欄」(2月19日付)に次のような文章を寄せた(要約)。「沖縄の方々が願うのは過重な基地負担の軽減だが、その負担をさらに過酷にしているのが在日米軍に様々な特権を認める日米地位協定だ。昨年夏には全国知事会が地位協定の抜本的な見直しを提言し、公明党や国民民主党も改定案をまとめた。地位協定について関係機関に法律学者やメディア等も加えて検討協議を進めるべきだ。七十有余年の占領状態からの脱却を目指す国民運動に発展させることを、強く望むものである」

 

 

《追記―6》~公明党も改定反対から急きょ、方針転換

 

 公明党の遠山清彦衆院議員と、かわの義博参院議員(参院選予定候補=比例区)は1月に訪米し、党「沖縄21世紀委員会」の日米地位協定検討ワ-キングチーム(WT=遠山座長)がまとめた日米地位協定見直しの提言を米政府に申し入れた。公明党は2018年2月、日米地位協定に関する議論を本格化させるため、「沖縄21世紀委員会」にWTを設置。同委員会の井上義久委員長(現・副代表)は、「沖縄県民の思いを真正面から受け止めていく」「運用実態などを検証し、協定のあるべき姿を議論する」と訴えた。

 

国土面積の約0・6%しかない沖縄県には、全国の米軍専用施設面積の約70%もの広大な米軍基地がある。米軍人・軍属による事件や航空機墜落事故などが後を絶たない。日米地位協定は、公務執行中の米兵の犯罪に関する第1次裁判権を米側に与え、日本側に裁判権のある公務外の米兵の犯罪でも日本側が起訴するまで容疑者の身柄引き渡しができないと定める。米軍基地の管理権も米軍にあり、米軍機事故でも、米側の合意なしに警察は現場に入れない。こうしたことが基地に関する沖縄県民の負担感を増している。

 

WT初会合で遠山座長は、地位協定のあり方について「変えるべきところは変える」と強調。その後、5項目の提言をまとめ8月3日に政府へ申し入れた。菅義偉官房長官は「具体的提案を踏まえ努力をさらに強めたい」と答えた(2月19日付「公明新聞」電子版)

 

 

《追記―7》~共産党本部と地元議員との気の遠くなるような乖離

 

 日米地位協定の抜本見直しを求める「6・9」請願(上記「陳情書」参照)など沖縄の米軍基地問題に対し、同党所属の花巻市議(当時2人)はほとんど無知蒙昧ぶりをさらけ出してきたが、最近になって党本部との認識のギャップがますます、顕著になってきた。同じ「革新」を標榜する会派「平和環境社民クラブ」(社民党系)もまさに同類項。この問題に関心を持つ市民の間からは「イ-ハ-ト-ブ議会(花巻市議会)の七不思議」との声も。参考までに共産党本部の見解を以下に掲載する(要約)

 

 

 日米地位協定は、米軍に基地の排他的管理権を与え、日本側の立ち入り権を明記していません。これに対し、NATO(北大西洋条約機構)加盟のドイツやイタリアでは、基地への立ち入り権が明記されています。日本はあまりにも立ち遅れています。しかし、日米安保条約によって日本が米軍に「基地提供義務」を負うことと、米軍が基地を自由使用し、日本側の立ち入りも認めないということとは全く別の問題です。問われているのは、日米地位協定による日本の主権の侵害を放置していいかどうかです。

 

 日本が米国と主権国家同士の対等・平等な関係を結べず、対米従属の下に置かれていることを異常と思わない首相や外相に政治は任せられません。日米地位協定の改定は独立した主権国家として当たり前の要求です。政府に抜本改定を迫る世論と運動を大きく広げる時です(2018年11月13日付「しんぶん赤旗」)

 

 

《追記―8》~震災を経験して知った、沖縄の痛み

 

 上記「6・9」請願を提出した花巻市在住の日出忠英さん(当時74)は参考人陳述でこう述べた。「東日本大震災の際、宮城県気仙沼市で被災したが、みんなに支えられて頑張って来れたと思っている。あの震災を経験しなかったら、自分自身、沖縄の現実に目を向けることもなかったのではないか。現在は当花巻市に居を移し、(宮沢)賢治精神の大切さをかみしめている。沖縄の悲劇は他人事ではない。もう見て見ぬふりはやめたい」(2016年6月24日開催の総務常任委員会で)

 

 

《追記―9》~作家の故橋本治さんの遺言状

 

 先日亡くなった作家で活発な評論活動でも知られた橋本治さんは1996年9月8日の県民投票の前日、沖縄にいた。その時のことを雑誌に載せた評論「基地とようかん」で書き残している

 

「法的拘束力があろうとなかろうと『われわれの問題はわれわれで決める』という、そういう新しい時代がやっと始まった」と橋本さんは記した。この一文に接し、初の県民投票を前にした当時の高揚感を思い出す
那覇市のパレットくもじ前の広場だった。読谷村にあった楚辺通信施設を模した「小象のオリ」を据えて高校生らの模擬投票をやった。沖縄の将来を自らが決めるという意思表明だ
同じ広場で17日夜、若者が開いた音楽祭をのぞいた。ラップに乗せた「ニイ・テン・ニイ・ヨン県民投票に行こう 沖縄のことを考えよう」というメッセ-ジが心に響いた。新しい世代の登場を実感した。一つの変化だ
県内政党の対応は揺れた。96年の県民投票では棄権呼び掛けまで飛び出した自民党県連は今回、自主投票で臨む。「われわれの問題はわれわれで決める」という潮流から取り残されないか
国の態度も変わらない。橋本さんは「言ってみれば、『国』というものは、沖縄とアメリカが直接取り引きできないようにしているブロ-カ-なんですね」と看破した。今の政府にも当てはまる。新しい時代は始まらないのか(2月20日付「琉球新報」コラム「金口木舌」より)

 

 

《追記―10》~ジャ-ナリストの故むのたけじさんの遺言状

 

「戦後に満州から引き揚げてきた人が『日本の満州化が進んでいる』と言ったそうですが、私もその通りだと思いますね。満州は中国の東北部です。そこに日本が満州国という傀儡(かいらい)国家をつくった。その国と日本は『日満議定書』を結んだ。共同防衛の条約です。どうです。日米地位協定の日本とアメリカの関係と似ていませんか。この協定の先に、沖縄が抱えるさまざまな問題があり、アメリカの戦争に日本も参加できるように解釈する憲法問題があるわけです」(2016年7月1日付「朝日新聞」岩手版コラム「再思三考」より)

 

 

《追記―11》~協定の見直しを認める意見書

 

大阪府吹田市議会は昨年12月定例会で、日米地位協定の見直しを求める意見書を可決し、内閣総理大臣など関係方面に提出した。意見書の全文は以下の通り。

 

 

 我が国には、日米安全保障条約に基づく日米地位協定によって、全国に130施設の米軍基地がある。そのうち、52施設は九州・沖縄地方に所在しており、航空機騒音、米軍人等による事件・事故、 環境問題等により、基地所在自治体に過大な負担を強いている側面 がある。日米地位協定は締結以来、一度も改定されておらず、補足協定等により運用改善が図られているものの、国内法の適用や自治体の基地立入権もない。航空法や環境法令などの国内法があるにもかかわらず、自由に訓練等ができる特権を与えている我が国は、他国と比 べても厳しい状況にある。

 

また、本年7月には、全国知事会も、日米地位協定を抜本的に見直すこと等を盛り込んだ米軍基地負担に関する提言を決議するなど、地方から改善を求める声が上がっている。よって、本市議会は政府及び国会に対し、日米地位協定を抜本的 に見直すことを強く要望する。以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

 

 

追記―12》~「逃げ出したい」

 

 「私は逃げ出したい気持ちです。市長として発議した2006年の住民投票で9割近くの人が『反対』の意思を示したのに、民意をいかせず、逆の結果を招いてしまったからです。私がやりたかったのは、国との対話です。住民投票の民意を踏まえて、こちらは住民の生活を守る観点からモノを言う。政府は、安全保障や外交を担う立場から話をする。しかし、国は対話ではなく、市庁舎建設の補助金凍結という前代未聞の手段に出ました。『アメとムチ』で、国には逆らえないという気持ちが市民に広がりました」

 

 「政府は沖縄県民投票の結果にかかわらず、辺野古の基地建設を進めるでしょう。それは民意を無視するという大きなリスクを私たちの政府が負うことを意味します。政治家がよって立つ基盤を崩してしまいかねませんが、政府はそのことに気づいていないのでしょうか」(2月21日付「朝日新聞」掲載=米軍岩国基地への空母艦載機の移駐の是非を問うた住民投票を発議した元岩国市長の井原勝介さん。要約)

 

 

《追記―13》~砂上の楼閣

 

 「地盤改良/砂杭7・7万本必要」「軟弱層/最深は水面下90㍍」―2月22日付の「朝日新聞」は一面トップで「辺野古」新基地建設をめぐる国の変更計画を大々的に報じた。沖縄県は「地盤改良自体に途方もない年数を要する」として、建設工事の中止を求めているが、国は「一般的で施工実績が豊富な工法で、対応は可能」(菅義偉官房長官)と強行突破の構えを崩していない。「普天間飛行場の危険防止のための移設」と国は言うが、危険防止を遅らせているのは一体、どっちの方なのか。

 

 

《追記―14》~違った世界の出現

 

 【東京】第160回芥川賞・直木賞(主催・日本文学振興会)の贈呈式が21日、都内のホテルで行われ、沖縄の戦後史を描いた小説「宝島」を書いた真藤順丈さん(41)に直木賞が贈られた(1月11日付当ブログ参照)。真藤さんは受賞スピ-チで、名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票に触れ「賛成か反対のいずれかに明確な声を上げてもらいたい。もし、示された民意と正反対の施策が進められてしまったとしても、(県民投票の)以前と以後では違う世界が待っていると思っている」と述べ、県民にエ-ルを送った。

 

 今後の創作活動については、米軍基地から物資を奪い「戦果アギヤ-」と呼ばれた若者たちになぞらえ、「小説が“降りてくる”のを待つのではなく、つかみ取りにいくような書き手でありたい。次世代の作家の肥やしになっていければ、こんなにうれしいことはない」と話した(2月22日付「沖縄タイムス」)

 

 

《追記―15》~異化の爆発

 

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての是非を問う県民投票について芥川賞作家の大城立裕氏(93)=那覇市=は「県民は歴史的な大成長を遂げたと感じる」との見方を示した。かつて日本へ「同化」しようともがいた時期もあった県民が「異化」に意識が変容し「政府に対し県民投票という大げんかを売るまで成長した」と語った。本土に対する劣等感から来る同化志向に対し独自のアイデンティティ-を求めるのが「異化」だとし、日本政府による構造的差別を前に、辺野古での新基地建設への抵抗運動は「異化の爆発だ」と指摘した。

 

 薩摩の侵攻、琉球処分、戦前の皇民化教育、米統治下からの日本復帰など、本土の間で同化と異化に揺れてきた県民。「大成長」を遂げた県民の今後に大城氏は注目している(2月22日付「琉球新報」)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここが変だよ、地方議員

  • ここが変だよ、地方議員

 

 「議会力は市民力、つまりは民度に比例する」―。今月5日に開かれた花巻市議会の議会報告会のあの“事件”(2月5日付「花巻市議会、生きてますか…『死んでま~す』」参照)以来、当市議会に限ってはこの法則が的中するという思いに至った。何しろ、議会活動の核心部分である「議員定数」問題について「この件は報告会にはなじまない」という市民の不規則発言を注意するどころか(ひょっとして、この市民は「サクラ」だったのではないかという疑念を私はまだ、拭い切れないでいる)、逆に同調するという逆さまをやってのけた。有権者の民度が低い分だけ、議会の質も低下する。逆もまた真なり。もはやなにおか言わんや。どっちもどっち…だから「死んでま~す」と叫んだ次第である。

 

 ところで、当ブログで紹介した川崎市議会議員の小田理恵子さん(46)には『ここが変だよ 地方議員』という著書がある。議会の第一線から見た「これは変だ」を4コマ漫画に仕立てた内容になっている。現在、2期目で無所属。「地方議会も徐々に変わってきてはいるけれど、そのスピ-ドは世間の変化に比べて遅すぎます。気がついたら外の世界と切り離されてしまっていたというのが、地方議会の現状ではないでしょうか」(2月5日付「朝日新聞」)―。こう語る小田さんは3期目の出馬はないという。長居は無用というわけで、2期8年でおさらばした私はその潔さに敬意を表し、同書を取り寄せた。一般質問を取り上げた漫画の解説にはこう書かれていた。

 

 「議会の中でも政策に明るい議員とそうでない議員が何となく分かってきてしまうのです。行政は常に議員の力量を測って対応を変えてきますので、『ダメ議員』と思われたらお終いです。相手にされなくなります。ところで、議員の中には一般質問をまったく行わない人もおります。質問は権利であって義務ではありませんが、市民から負託を受けて議員になった以上は責務だと思いますよ」―。大都市の議会にしてこうである。「推して知るべし」というべきか。当花巻市議会でもそうした「無言の行」を決め込む議員が散見される。

 

 昨年夏の改選市議選以降、市議会だより「花の風」のレイアウトが一新された。従来、一般質問については議員の個人ごとに質問と答弁の要約が掲載されていたが、現在は質問項目を教育、農業、防災、財政などのカテゴリ-ごとに分類し、当局答弁を細分化した形になっている。「広報広聴特別委員会」の面々は「市民の皆さまの評価は上々」と自画自賛だが、私は一見して「これじゃ、まるで当局のPR誌ではないか」とあきれてしまった。議員を選ぶ際、有権者はその人の政策や物の考え方、人となりなどを判断基準にする。だから、直接選挙で選ばれた議員はあくまでも会派や党派を超えてまず、「属人主義」を貫かなければならない。こんな基本も分かっていないらしい。輪切りにされた議員たちが可哀そうでもある。

 

 「議会の憲法」ともいわれる「花巻市議会基本条例」はこう規定している。「議員は、議会が言論の場であること及び合議制の機関であることを認識し、議員相互間の自由な討議を尊重しなければならない。議員は、市政全般についての課題及び市民の意見、要望等を的確に把握するとともに、自己の能力を高める不断の研さんに努め、市民の代表としての自覚を持って活動をしなければならない。議員は、議会の構成員として、市民全体の福祉の向上を目指して活動しなければならない」(第5条「議員の活動原則」)―。これが制定されて早や9年…2期8年の間、私はこの原則がきちんと実行に移される姿をみる僥倖(ぎょうこう)についぞ恵まれなかった。

 

 たまたま、この日(2月13日)の「朝日新聞」声欄に三重県に住む79歳の男性のこんな投書が載っていた。「国政も地方議会でも、最近の振る舞いは、信条も理念もない『採決マシン』に見えてならない。だからこそ、有権者も投票するだけで後は無関心の『投票マシン』であってはならないと思う。そこで私はまず、3月に地元市議会を傍聴してみようと考えた。初体験である。市政についての幅広いテーマで、市長や市幹部に疑問をぶつける一般質問の日が良い。これまでにもケーブルテレビで中継を見ていたが、議場に行けば、テレビに映らない議員の様子や傍聴席の雰囲気もわかる。1人でも傍聴者が多ければ、議員諸氏の刺激にもなろう。…政治家と有権者とのよりよい緊張関係のために、手始めに身近な議場に新風を吹き込もうではありませんか」

 

 

(写真は小田さんの4コマ漫画の一部=小田さんが公開のブログから)

 

 

 

トド(海馬)を殺すな、ジュゴン(海牛)も殺すな…

  • トド(海馬)を殺すな、ジュゴン(海牛)も殺すな…
  • トド(海馬)を殺すな、ジュゴン(海牛)も殺すな…

 「トドを殺すな、トドを殺すな/俺達みんなトドだぜ/おい撃つなよ、おい撃つなよ/おいおい俺を撃つなよ/そこの人!俺を撃つなよ」―。頭蓋の底にこびりついていた、まるで咆哮(ほうこう)とでもいうべき歌と旋律が突然、目を覚ましたようだった。「あの酔いどれ歌手がまだ、健在だったのか」と年甲斐もなく目頭が熱くなった。競輪評論家で絵描きでもある「友川カズキ(かずき)」(68)である。『週刊金曜日』(2月1日号)のロングインタビュ-で数十年ぶりに再会を果たした。1976年にリリ-スした「ドトを殺すな」を、友川は東北弁を使って吠えるように歌う。北海道・羅臼の荒れ狂う海がその歌の背後から立ち上がってくる。

 

 秋田出身の友川は能代工業高校時代はバスケットボ-ルに打ち込み、その後、肉体労働を続けながら作詞・作曲を積み上げ、1970年代に衝撃的なデビュ-をした。ウイスキ-を飲みながらギタ-をつま弾く、その指先から弦が一本、一本と切れていく…こんな伝説を持つ友川の歌に出会ったのは40年近く前の北海道勤務時代。知床半島の付け根に位置する羅臼沖のオホ-ツク海には巨体を持て余すトドの群れが岩礁に寝そべっていた。漁師町の中心部に「海馬屋」を名乗る居酒屋があった。海馬、つまりトド肉を食べさせる店だった。お世辞にも美味しいとは言えなかった。片隅には何やら怪しげに「幸福を呼ぶヒゲ」と銘打ったトドのヒゲが土産用に並べてあった。トドの生首がイベント用に展示されたこともあった。

 

 「海のギャング」―。漁網などを破り、魚を食い荒らすトドは漁師たちの嫌われ者だった。1960年代、有害駆除の名目で自衛隊が出動する騒ぎに発展した。航空自衛隊のF-86戦闘機による機銃掃射、さらに陸上自衛隊の重機関砲や小銃がトドの根城―”トド島”をめがけて発射された。しかし、実際は駆除に名を借りた射撃訓練だった。当時の新聞によると、3300発の砲弾がわずか15分の間に打ち込まれたケ-スもあった。ひょっとして「とどめを刺す」の語源は、ここに由来するのではないのかとさえ思った。NHKのロ-カルニュ-スは「春の風物詩」として報道した。「役にたてば善だってさ、役にたたなきゃ悪だってさ」と友川はイントロの部分でこう叫ぶ。「トドを殺すな」は生きとし生けるものに平気で銃を向ける時代に対するプロテストソングでもあった。

 

 北の海に生息する「海馬」(トド)に対して、南の海を生きるのは「海牛」とも呼ばれる「ジュゴン」である。「ジュゴンを殺すな、俺達みんなジュゴンだぜ…」とひとり口ずさんでみる。かつて、トドが機銃掃射を浴びせられたようにいま、沖縄の「辺野古」新基地建設現場では大量の土砂がサンゴ礁の海に投入され、ジュゴンたちは行き場を失いつつある。いやすでに個体数が減っていると言われる。どうしたわけか、不意に映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明脚本・総監督)のシ-ンが二重写しになった。トドもジュゴンも、そしてゴジラも…その受難が何か既視感のある光景として、脳裏に浮かんだのである。武器を向けられているのは、実は私たち自身に対してではないのか。

 

「巨大不明生物」(シン・ゴジラ)の正体は海底に捨てられた大量の放射性廃棄物を摂取して生き返った太古の海洋生物。存亡をかけた攻防が続けられ、ついに米国が主体となった多国籍軍による熱核(ミサイル)攻撃が実行に移されることに。結局、血液凝固剤を注入することによって、シン・ゴジラを「凍結」することに成功。首都圏へのミサイル攻撃はすんでのところで回避される―。友川はこうした時代の暗部をまさに予言的に歌い、いまも歌い続けているのではないか。「自他に抗(あらが)う―表現者のハシくれとして」というタイトルのロングインタビュ-で、友川はこう語っている。

 

「だからこの国は貧相なんだよ。政治だけじゃない。この民度の低さ、あくび出るだろ、つまらなくて。オレも含めて、悶々とするのはそこなんだよ。その自覚はあるんだよ。くだらないんだよオレも。最低だもん、だから許せない。そういう社会を許してる自分も許せない。でもそういう許せない自分に対して(自分が)生意気だからつらいんだよ。創造と破壊は、過激であればあるほど破滅に向かうのは自明なの。創造と破壊は同時進行だから。ずっと寂滅(じゃくめつ)、ずっと絶望」―

 

 私の妻は昨年夏に旅立った。その亡骸(なきがら)を沖縄・石垣島のサンゴ礁の海に葬った時、島生まれの小学生の二人の孫たちが言った。「おばあちゃんは死んだんじゃない。ジュゴンに生まれ変わったんだよ」。私(たち)は絶望しながらも、いや絶望しているからこそ、友川流に歌い続けなければならないのだと思う。「俺達はトドだ、俺達はジュゴンだ、沖縄の人たちはみんなジュゴンだ、そして俺達日本人はみんな(シン)ゴジラだ。俺達を殺すな!!妻も殺すな…」と―。

 

 

 (写真はウイスキ-の水割りを飲みながら演奏する友川さんと絶滅が心配されるトド。アメリカとロシアでは絶滅危惧種に指定されている=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

  

花巻市議会、生きてますか…「死んでま~す」

  • 花巻市議会、生きてますか…「死んでま~す」

 

 花巻市議会報告会(「市民と議会との懇談会」)が開かれた5日、まるで狙いを定めたようなタイミングで朝日新聞全国版の特集面に「地方議会 生きていますか」という記事が掲載された。川崎市議会議員の小田理恵子さんら3人の当事者が地方議会の危機を憂(うれ)うる内容だったが、その日の夕方、まさに目の前でそのことが現実となって現われた。私は昨年夏に引退するまでの2期8年間の議員生活の経験を踏まえた上で、今度は一市民の立場から見えてきた視点で、次の4点についての質問を用意していた。①副市長の複数性、②花巻市議会基本条例、③監査委員を兼任する議員と議長・副議長の質問権、④議員定数削減、⑤議会だより「花の風」の編集方針―いずれも市民目線でとらえた重要課題である。

 

たとえば、当市の副市長職は定数条例で「2人とする」と定められている。私の質問に対し、上田東一市長は平成29年9月の決算特別委員会で「今の副市長の仕事の分量、あるいは貢献いただいていることからすると、必要だと考えています。1人では到底無理だと思っています」と答弁している。ところが、一人体制になって1年近くが経過し、さらに今年1月末にはもう一人も退任し、「副市長ゼロ」という異常事態になっている。「市長発言からも行政執行上の停滞が懸念される。二元代表制の建前から議会側には監視義務があるのではないか」とただしたのに対し、出席議員は「当局任せで、そこまでは思いが及ばなかった」と非を認める発言をした。ハプニングは④の質問の最中に起きた。

 

「この質問はこの場にふさわしくない。あなたの質問にみんな疲れている。個人として議会側に問いただせばよい」―。答弁をさえぎる形で、ある市民が突然発言した。一瞬、頭が真っ白になった。「議員定数の問題は議会活動を支える生命線ではないのか」と口ごもっていた次の瞬間、今度はさらに信じられない出来事が現出した。司会役の大原健議員(無所属)がこの発言を「動議」として認めるとし、「何人かの参加者の方々もうなずいていた」とこれに同調する態度を見せた。これこそが永田町界隈(国会内部)でよく見かける「印象操作」ではないのか。まさか「サクラ」とは思いたくはないが、この市民の発言の真意を測りかねた。実際にそう思ったのかもしれない。そんなことよりも、私は一市民の“不規則発言”をタテに質問を封じようとする魂胆(こんたん)にうそ寒い精神の堕落を見た思いがした。腐臭が漂ってきた。「公正性を担保できない司会者の下では、いくら質問を続けてもムダだ」として、私は残余の質問をとりやめた。

 

「地方議会 生きてますか」―の中で、前出の小田議員はこう語っている。「まず、驚いたのは議員同士がほとんど議論をしないこと。都市計画や予算配分などの大きな問題について、議会の総意で対案をつくり、首長や行政に提示することはできていない。ほとんどの地方議会に、議員間で合意形成するという文化がないんですね」―。

 

質疑応答の中身について、逐一報告しようと思っていたが、その気力も萎(な)えてしまった。想像力を駆使して問答の光景を思い描いていただければ…。「議員との自由な意見交換」(開催要領)―のこれが実態だった。9年前、議会の「最高規範」として制定された「議会基本条例」は次のように規定している。「議会は、市政の監視及び評価並びに政策立案及び政策提言を行う機能が十分発揮できるよう、円滑かつ効率的な運営に努めなければならない。議会は、公正性及び透明性を確保し、市民に開かれた運営に努めなければならない。議会は、市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための運営に努めなければならない」(第4条「議会の活動原則」)―

 

お~い、「花巻市議会、生きてますか」―。「死んでま~す」という声があちこちから聞こえてくる。

 

議会報告会は2月6日も大迫交流活性化センタ―。東和図書館、石鳥谷生涯学習会館で開催される(いずれも午後6時半から)。議会の実態を知るためにも多くの市民の皆さんに足を運んでいただき、活発な意見交換を尽くすことを切に望みたい。朝日新聞はこの日もたまたま、特集を組んでいた。タイトルは「誰のための地方議会」―

 

 

 

(写真は29人の市民が参加した議会報告会=2月5日午後7時半過ぎ、花巻市花城のまなび学園で)