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“仏作って、魂入れず”―花巻の医療体制、崖っぷち~市民の安心・安全、どこ吹く風!?

  • “仏作って、魂入れず”―花巻の医療体制、崖っぷち~市民の安心・安全、どこ吹く風!?

 

 「一方では医師の確保、大変、至難の業(わざ)でございます」(平成27年3月定例会会議録)―。4年以上も前のこの“悪夢”のような発言が現実のものになろうとしている。鳴り物入りで登場した総合花巻病院の「移転・新築」問題の迷走劇である。市政始まって以来、最大規模の約20億円の補助金を投入したこの一大プロジェクトがオ-プンを半年後に控えた今になって、診療科目の減少など崖っぷちに立たされつつある。冒頭発言の主は上田東一市長の下でこのプロジェクトの陣頭指揮をとった佐々木忍・健康福祉部長(当時、のちに副市長)だが、先月の県議選に出馬(落選)し、今となってはその真意を確かめる術も失われた。「税金の無駄使いは許されない」と口を極めてきた上田ワンマン市政はここに至った顛末(てんまつ)を市民に対し、どう説明するつもりなのかー

 

事の発端は2014年に制定された「改正都市再生特別措置法」にさかのぼる。当市は「コンパクトシティ」を提唱するこの構想で街づくりを目指すことにし、2年後にその青写真となる「立地適正化計画」を全国で3番目(上田市長)に策定した。その中の目玉政策が公益財団法人「総合花巻病院」(同市花城町)の県立花巻厚生病院(同市御田屋町)跡地への移転・新築だった。病院側の老朽化がその理由に挙げられたが、じつは中心市街地の活性化の起爆剤にしようという「行政」主導型の施策だったことが病院関係者の証言でわかっている。病院を軸とした「年間80万人」の交流人口増などの大風呂敷も今やいずこにか消えてしまった。「(医師確保は)至難の業」としながら、強引に立地を進めた理由はこの辺に隠されている。そのほころびが白日の下にさらされたのが、どこかに雲散霧消(うんさんむしょう)してしまった「助産所」事件である。

 

当初の移転整備基本構想案(2015年11月)によると、助産所は2階建て(延べ面積154平方メ-トル)の建物で、一日2人の利用者に対し、産婦人科医や助産師など5人の職員が対応に当たることが明記されていた。ところが、一年後にまとめられた「移転・新築整備基本計画」(2016年12月)ではこの記述がそっくり削除され、こう変更された。「将来的に産婦人科医師や助産師の体制が整った際には出産の受け入れを検討する。それまでは助産師外来を開設し、出産前後の妊婦指導などを行えるようにし、同時に産後ケア施設の開設も検討する」―。ところが、である。その「助産師外来」さえもオ-プン時の開設が困難なことが9月定例会で明らかになったのである。

 

「出産」受難劇はあちこちで起きている。県立中部病院(北上市)の産婦人科の常勤医師5人のうち、東北大学が派遣していた3人について、同大学は来春にも中止する意向を示した。矢巾町に移転した岩手医科大学が応援医師を派遣することで、とりあえず事なきを得たが、花巻市内の二つの産婦人科医院のうちのひとつが助産師の退職を理由に来年3月中旬で閉院することになった。花巻市当局は急きょ、給付金や貸付金など最大で200万円を支給する「助産師等確保支援事業」(10,352千円)を9月定例会に上程するなど“付け焼刃”的な対応に追われた。遠野市などでは医師確保専任の職員を配置するなどの後方支援体制を敷いているが、「(医師確保の)一義的な責任は法人側にある」とする当市の姿勢のツケが今になって回ってきたということである。

 

厚労省は今年2月、医師の充足率を示す指標で、岩手県が全国47都道府県で最下位であることを公表した。この数字が裏付けるように、今年3月末をもって岩手医科大学付属花巻温泉病院が閉院に追い込まれた。追いかけるように先月には県立東和病院が「診療実績が特に少ない」などの理由で、国の再編・統合の対象にリストアップされるなど医療環境の悪化に拍車をかけている。「至難の業」に手を出すことは行政側にとって、最低限の”禁じ手”である。その原理・原則さえ歯牙(しが)にもかけない強権ぶりにはもはや、二の句も告げない。

 

来年3月1日にオ-プン予定の総合花巻病院の診療科目は内科、呼吸器内科、循環器内科など11科目は常勤医師による診療となっているが、外来の脳神経外科、放射線科、泌尿器科など8科目は常勤の兼務か非常勤が担当する。さらに、当初開設が予定されていた皮膚科、眼科、小児科、助産師外来は「医師確保の見通しが立っていない」として、土壇場で開設が見送られる事態となった。この点について、上田市長は「とくに、産前産後の周産期医療を維持するためには産婦人科と小児科の併設が必至」と議会答弁しているが、こんなことは素人でもわかる理屈である。口を開けば「子育て支援の重要性」を繰り返す、その足元で「いのちの尊厳」が脅かされようとしている。わが「イーハトーブ(宮沢賢治の理想郷)」行政の恐るべき正体、ここに見たりという思いである。

 

 

 

(写真は外観がほぼ完成した総合花巻病院=10月2日、花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

鹿踊りと外国人ダンサ-、そしてラグビーワールドカップ

  • 鹿踊りと外国人ダンサ-、そしてラグビーワールドカップ

 

 珍客といっても、これ以上の珍客はめったにない。花巻まつり(9月13~15日)の直前、知人から「変な外国人ダンサ-が行くから、面倒を見てくれないか」という連絡が入った。会うなり、合点がいった。日系米人のデビ-・梶山さん(52)とパ-トナ-でメキシコ出身のホセ・ナバレテさん(52)。ともに米国内外でパフォ-マンス(一人芝居)を演じ、今回の来日は三陸の大槌町に伝わる「臼沢鹿(しし)踊り」の見習い修行が目的とのこと。東日本大震災の翌年、ボランティアとして、被災地を訪れた際に遭遇した鹿踊りや虎舞の力強さに「体がびびっと震えた」という。「ちょうど、良かった。花巻まつりの中日に鹿踊りの大乱舞があるよ」と誘ったら、レンタカ-で飛んできた。

 

 市内中心部を練り踊る20団体の勇壮なパレ-ドに2人は身を乗り出すようにして見入った。「ところで、どうして鹿踊り?」と私。「実はメキシコにも同じような踊りがあるんですよ」という返答にこっちの方がびっくり。作家の城山三郎は『望郷のとき 侍・イン・メキシコ』の中で、伊達藩の家臣ー支倉常長の遣欧使節団が伝えたのではないかという「日本伝来説」を紹介しているが、ホセさんは「いや、それは違う」と首を横に振った。ウキペディアで調べてみると、こんな記述が見つかった。

 

 「メキシコのソノラ州やシナロア州、アメリカ合衆国のアリゾナ州に住むヤキ族(YQui)には、頭に鹿の面をつけ、鳴り物を持って踊る「DanzadelVenado」がある。アリゾナのヤキ族はメキシコから逃れた一派が定着したと言われるネイティヴ・アメリカン(アメリカインディアン)の一部族で、メキシコの土着宗教にキリスト教が混淆(こんこう)した宗教的儀礼として鹿踊りとその歌が今に伝えられている」―。ホセさんがうなずきながら言った。「一種の供犠(くぎ=サクリファイス)。先住民族の多くは狩猟を生業(なりわい)にしてきた。だからこそ、その生贄(いけにえ)に対する感謝の気持ちを芸能に託したのだと思う」。そういえば、この地方に伝わる鹿踊りも同じような起源を持っている。

 

一段と躍動感のある一団が目の前を通り過ぎて行った。かつて、宮沢賢治も教鞭をとった県立花巻農業高校鹿踊部である。演武が終わった部員のひとりが鹿の面を外した。中から現れたのは可愛らしい女子部員だった。「ワンダフル!?」と2人は歓声を上げた。私はハタと思い至り、イ-ハト-ブ館に走った。賢治の童話画集『鹿踊りのはじまり』をお土産に手渡し、「今度はアメリカでこれをやってみたら…」。2人は指を丸めてニッコリ笑い、こう続けた。「芸能の原点は鎮魂の儀式だと思う。その点では世界共通。メキシコと目の前の踊りはだから、根っこは同じだよね」-。『耳なし芳一』(小泉八雲=ラフカディオ・ハ-ン)などの日本の作品も手掛ける2人は自身の演技について、こう書いている。

 

 「社会正義を主に創造の源として、作品作りに取り組んでいます。私の作品は、観客の想像力を刺激する革新的な芸術作品のための種を撒(ま)きます。権力のシステムがどのように形成され、それが私たちにどのように影響を与えるのか?を探求する世界へ皆さんをお招き致します」(ホセ)、「感情と五感を呼び起こすパフォ-マンスを明示するために、共同制作を進めています。私は表で語られる必要がある、曖昧で、まだ形もなさず、ささやかれるだけで世の中では語られていない隠れたスト-リ-が大好きです。また物、イメ-ジ、動体、夢の中にある物語を掘り起こす作品に関心があります」(デビ-)

 

 ホセさんはカリフォルニア州立大学バ-クレ-校で人類学を学び、米国生まれのデビーさんは広島出身の祖父母が経営する農場で育ち、スタンフォ-ド大学などで舞踊(パフォーマンス)を身に付けた。2人の活動拠点である「NAKAダンス・シアタ-」は2001年に設立。代表作には2014年、メキシコ国内で43人の学生が権力に手によって、失踪させられた事件をテ-マにした「ブスカルテ」と題するパフォ-マンスがある。このほか、近作には「水の商品化」、「文化の植民地化」、「災害時の人間の葛藤」などがあり、いずれも人類史と民間伝承を組み合わせ、観る側に社会問題を複眼的に考えさせるような工夫がなされている。

 

 2人が日本まで足を延ばした理由について、今度は当方が合点させられた。「そういえば、『耳なし芳一』も没落した平家一門の鎮魂を願ったものだったな。いや、隣の北上市の鬼剣舞もこの地方に伝わる念仏踊りもみんなそうだよな。それにアイヌ民族のタプカラ(踏舞)も…」―。ところで、ラグビ-ワ-ルドカップの優勝候補の一角、ニュ-ジ-ランドチ-ム(オ-ルブラックス)が試合前に披露する、おなじみの「ハカ」は相手を威嚇する民族舞踊であると同時に、その起源は同国の先住民族・マオリ族が死者の霊を供養したのが始まりともされる。なんとも国際色豊かな季節の移ろい…。今年は私にとって、実に実りのある年になりそうである。

 

 

 

(鹿踊りパレ-ドを熱心に動画に収めるホセさん(左)とデビ-さん=9月14日午後、花巻市上町で)

 

 

 

花巻市長の議会介入、止まるところを知らず!?

  • 花巻市長の議会介入、止まるところを知らず!?

 

  「修正動議には反対していただきたい」―。開会中の花巻市議会9月定例会で上田東一市長の口から“議会軽視”もここに極まれりとも受け取られかねない”暴言”が飛び出した。この10月から実施される「幼児教育・保育」無償化に伴い、一部で副食費が増加するケ-スがあることから、同市では17日開会の本会議にその負担を軽減するための改正条例案を提出。これに対し、共産党市議団から「全額無償化」を求める修正動議が出されたが、賛成少数で否決され、原案通りに可決された。冒頭の発言はこの動議への対応を問われた際の上田市長の答弁である。アッと驚く”暴言”劇はこんな経緯をたどった。共産党市議団が議席をドンと叩いて、怒りをあらわにした気持ちもよくわかる。

 

 この修正動議に対して、ある議員が「当局としてはどう対応するのか」とただした。答弁に立った上田市長は「ぜひ、当局案に賛成していただきたい」―。ここまではOK、というよりも提案者のだから、当たり前のことである。しかし、そのあとがOUT。「この際、修正動議には反対していただきたい」―。これはもう「議会軽視・議会介入」のお手本みたいなものである。最高学府で法律を修めたというこの人にとっては、「口が滑った」ではすまされない『暴言』そのものである。というよりも、上から目線の確信犯的な振る舞いだと言わざるを得ない。なぜなら、私自身が議員在職中に何度もその“被害”にあっているからである。あの時の光景を私はまざまざと思い出す。2年前の予算特別委員会で上田市長は傲然(ごうぜん)とこう言い放ったのだった。

 

 「同じ趣旨の質問はすでに、他の議員がしている。(増子)委員がちゃんと聞いていたのかどうか(まるで私が居眠りでもしていたような口ぶりだった)…。この質問についてはその時に詳細に説明している。質問をするなら、その内容を受けた形にしてほしい。そうすれば時間も効率的に使える」。私はその時、独立行政法人「都市再生機構」(UR都市機構)に対し、新図書館構想の立地調査などを委託した点についてただした。答弁内容にわが耳を疑った。「質問権は議員に与えられた大切な使命。内容も質問者によって、思いも視点も違う。予算審査に対する露骨な干渉だ」と抗議したが、大原健委員長(当時)は柳に風と受け流し、何ごともなかったかのように委員会は幕を閉じた。委員会終了後、小原雅道議長に対し「この市長答弁は議会全体に対する冒涜(ぼうとく)だ」として、厳重注意するよう申し入れたが、これもそれっきりで時は経過した。

 

 さて、さて……。今回、小原議長はまるで生まれ変わったかのように、厳しい口調でこう言った。「当局側はこの場に説明員の立場で出席している。だから、議員発言とは違って、会議録からの削除はできない。しかし、今回の市長発言は議会の側としては看過できない。今後、注意してほしい」―。議場は一瞬、ざわついた。私が“被害”にあった際は見て見ぬふりを決め込んだ小原議長にしては珍しい。議長席から見たその横柄な振る舞いがさすがに許せなかったのかもしれない。議会の憲法とも呼ばれる「議会基本条例」はこう定めている。

 

 「花巻市議会は、二元代表制のもと、市長とともに市民の信託を受けた市の代表機関である。議会は多人数による合議制の機関として、市長は独任制の機関として、それぞれの異なる特性を生かし、市民の意思を市政に的確に反映させるために競い、協力し合いながら、市としての最高の意思決定を導く共通の使命が課せられている」―。上田ワンマン市政は議会さえも「私物化」しかねないほどに腐敗し、権勢をほしいままにしつつある。今回、議会側がそれに「待った」をかけたという意味では一歩前進である。議員諸賢の奮起に期待する以外にない。12日付当ブログ(「花巻まつりと”政教分離”―そして十五夜」)で上田市長の「違憲」疑惑に触れたばかりなのに、「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」(軍歌「討匪行(とうひこう)」)……

 

  ファシズムの足音が聞こえてくる。あな、恐ろしや!?

 

 

 

(写真は無投票で2期目の再選を決めた上田市長(左から2人目)=2018年1月21日、インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

花巻まつりと“政教分離”ーそして十五夜

  • 花巻まつりと“政教分離”ーそして十五夜

 

 郷土芸能「鹿(しし)踊り」の太鼓の響き、「シャンシャン・ランツ、シャンシャン・ランツ」と聞こえる風流山車のお囃子のリズム―。古層に刻まれた記憶に誘われるようにして、42年間も留守にしていた古里に戻り、それからでも早や20年がたとうとしている。400年以上の歴史を重ねる伝統の花巻まつりが13日から3日間の日程で幕を開けた。東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた三陸沿岸で、復興の原点になったのはこうした郷土芸能や祭りが秘めるパワ-だった。私をこの地に引きとどめてくれるのも“地霊”とも呼べる、この種の引力のせいかもしれない。と、そんな気持ちでまつりを楽しみにしていた8月下旬、ふたたび水を差されるような出来事が起きた。エアガン騒動、リスクつき居住誘導地域…。ケチがつき始めると、どうも止まる気配はない。

 

 花巻まつりは開町の祖・北松斎を敬(うやま)う祭事として始まり、現在では鳥谷ヶ崎神社(同市城内)の祭礼として定着している。ここの宮司が神職の身分としては最上位の「浄階(じょうかい)一級」に昇進したことを祝う会が8月26日、市内のホテルで開かれた。会費は1万円。HPによると、上田東一市長と小原雅道市議会議長がともに「公務」として出席している。ところが、上田市長が「私費」だったのに対し、小原議長は「議長交際費」(つまり税金)をこれに当てていた。なぜ、こんな違いが生じるのか。この根底には憲法が規定する「政教分離」原則への認識の甘さがある。私は当選直後の平成23年12月定例会で、この原則に対する対応についての見解を問うた。その時の記憶が不意によみがえった。

 

 政教分離原則について、憲法は以下のように定めている。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない)(第20条)「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない(第89条)

 

 当時、花巻市は各種神事が終わった後に行われる宴会―「神社直会(なおらい)」に対し、市長交際費を支出していた。その件数が他市に比べて突出していたため、その根拠をただしたのである。政教分離をめぐる裁判例は「靖国」参拝の是非を争ったものなど多数にのぼっている。たとえば「愛媛玉串料訴訟」(1997年4月)について、最高裁大法廷は「違憲」と判断したが、多くは「社会的儀礼または習俗的行為」(目的効果基準)の範囲内として、「合憲」と判断する傾向が強い。当市の場合もこの目的効果基準を根拠に「違憲とは言えない」との姿勢を示したが、私が質問した以降はこの種の支出は廃止され、現在に至っている(と、今に至るまでそう思っていた)。

 

あの時、議場に同席した小原議員(当時)は当然、この間の経緯を十分、理解していたはずだったのだが…。過日、他界した作家の安部譲二さん(享年82歳)の代表作『塀の中の懲りない面々』に例えれば、さしずめ「議場の中の…」とでもなるだろうか。花巻まつり実行委員会の会長には上田市長が就任し、議会側も開会中の9月定例会を休会にするなど、まさに全市をあげての一大イベントである。そのこと自体は喜ばしいことであるが、宮司の昇進祝賀会へ「公務」として出席することと、祭りを盛り上げることとは全く別次元の問題である。

 

熨斗紙(のしがみ)に税金(議長交際費)を忍ばせて涼しい顔をしている小原議長は論外のこととして、一方の上田市長がポケットマネ-を出しながら、これが「公務」とはこれ如何!?。この整合性のなさをどう説明するつもりであろうか。議会答弁などで事あるごとに憲法を持ち出すにしてはお粗末極まりない。地が出たとはこのことかー。

 

戦前の「国家神道」が戦争と結びついたことへの反省から、政教分離原則が生まれたことは周知の事実である。最近では安倍晋三首相の「靖国」参拝訴訟で、違憲を主張する原告側が東京地裁(2017年4月)と東京高裁(2018年10月)でともに敗訴、現在は上告審で係争中である。その一方で首相自身は最近、周辺国への配慮などから直接参拝は避け、「真榊(まさかき)」と呼ばれる供物を私費で奉納するなど「公的行為」から一定の距離を置くようになっている。これに対し、当市の行政と議会両トップの公務出席は限りなく「違憲」に近いと言わざるを得ない。原理・原則など「屁の河童」の体(てい)である。

 

 鳥谷ヶ崎神社の境内の一角に「一億の号泣」と刻まれた、彫刻家で詩人の高村光太郎の石碑が建っている。「この日世界の歴史あらたまる。アングロ・サクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる…」(「記憶せよ、十二月八日」)…日米開戦のその日、光太郎はこう書き記している。その時からわずか3年半―たまたま、寓居(ぐうきょ)していたこの神社で敗戦の報を知った。戦後の約7年間にわたって、光太郎は花巻郊外で独居自炊の生活を続け、戦意高揚に協力した自分を懺悔する日々を送ったと言われる。以下に碑文の全文を掲載するが、これは戦後を生き直すための「原点の叫び」だったのであろうか。それとも…。

 

「綸言(りんげん=天皇の言葉)一たび出でて一億号泣す。昭和二十年八月十五日正午 われ岩手花巻町の鎮守 島谷崎神社社務所の畳に両手をつきて 天上はるかに流れきたる 玉音(ぎょくいん)の低きとどろきに五體(ごたい)をうたる 五體わななきてとどめあへず。玉音ひびき終りて又音なし この時無声の号泣国土に起り、普天(ふてん=天下)の一億ひとしく 宸極(しんきょく=天皇)に向ってひれ伏せるを知る。微臣(びしん=臣下)恐惶(きょうこう=恐れ入ること)ほとんど失語す。ただ眼を凝らしてこの事実に直接し、苟(いやしく)も寸毫(すんごう)の曖昧模糊(あいまいもこ)をゆるさざらん。鋼鉄の武器を失へる時 精神の武器おのづから強からんとす。真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ 必ずこの号泣を母体としてその形相を孕(はら)まん。(昭和二十年八月十六日午前花巻にて)」

 

3日間の祭典のいとまを見つけ、上田市長と小原市議会議長におかれては是非ともこのシンボリックな境内の光景を目に収めてほしいと思う。一個人の神職身分を「公の立場」で祝福する行為の軽率さを、ひょっとしたら光太郎のこの詩が教えてくれるかもしれない。―。それにしても、ナゾに満ちた詩ではある。花巻まつり初日の13日はちょうど「十五夜」(中秋の名月)に当たる。満月の輝きがこの「ハレの日」を包み込んでくれることを祈りつつ…。ふと、あの懐かしい童謡「十五夜お月さん」(野口雨情作詞、本居長世作曲)を口ずさんでみたくなった。

 

♯♯♯「十五夜お月さん/御機嫌(ごきげん)さん/婆(ばあ)やは/お暇(いとま)とりました」(1番)、「十五夜お月さん/妹は/田舎へ/貰(も)られてゆきました」(2番)、「十五夜お月さん/母(かか)さんに/も一度/わたしは逢いたいな」(3番) ♪♪♪

 

 

 

(写真は豪華絢爛を誇る花巻まつりの風流山車。稚児行列の何とも可愛らしいこと=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

立地適正化計画―看板政策の底、抜けた……リスクなんて、クソくらえ―ついでにエアコンも!?

  • 立地適正化計画―看板政策の底、抜けた……リスクなんて、クソくらえ―ついでにエアコンも!?

 

 「災害のリスクはありますが、どうぞご心配なく、お住まい下されたく…」―。ブラックユ-モアも腰を抜かしそうな“まちづくり”施策が花巻市で計画されていたことがわかった。9月2日付「読売新聞」が一面と社会面トップで報じた。全国の物笑いになった、あの“エアガン”騒動の余韻が冷めやらない中での全国版「秋の陣」の到来である。本日9月6日、花巻市議会の9月定例会が開会したが、行政側の一連の不手際にどう切り込むのか。一般質問の通告書でこの件を取り上げた議員はいないが、決算特別委員会も開催されるので、とりあえずそのお手並みを拝見することに…

 

「コンパクトシティ/住居集約先に災害リスク/国、危険区域の除外要請へ」―。こんな大見出しが一面に躍った。少子高齢化の社会に備え、国は「改正都市再生特別措置法」(2014年)の中で、公共施設や商業施設、住宅などを特定エリアに集約する「コンパクトシティ」構想を提唱。各自治体に対し、街づくりの青写真になる「立地適正化計画」の策定を求めた。花巻市も2016年6月に策定し、上田東一市長はことあるごとに「全国で3番目」と鼻を高くした。そのエリアのひとつ―「居住誘導区域」の中に急傾斜地など災害リスクのある個所が含まれていることが今回の報道で明らかになった。

 

 コンパクトシティによる街づくりを進める自治体は全国で269市町。うち、9割を超える248市町で居住誘導区域内に大小の災害リスクを抱えていることが国交省の調査で判明している。「適正化計画の策定前から市街地が形成され、除外は非現実的」、「小規模な危険エリアが街中に点在し、除外は困難」、「計画策定後、危険エリアに指定された」(同紙)―などそれぞれの自治体で事情は異なる。この中で国が特に除外の徹底を求めているのは、住民の生命に著しい危険が生じる恐れのある「土砂災害特別警戒区域」など通称“レッドゾ-ン”と呼ばれる区域である。

 

今回、花巻市の中心部の居住誘導区域内にこの“レッドゾ-ン”が5か所あることが指摘された。旧花巻城址に隣接する区域が多く、市建設部の担当者は「お堀跡の急傾斜地など元々住居には適さない場所で、ほとんどが市有地。しかし、居住誘導区域に含めたこと自体が間違いだった」と防災意識の欠如を認めた。国は土砂災害防止法(施行令第3条)によって、“レッドゾ-ン”を厳しく規定し、区域内における開発行為を制限しているほか、コンパクトシティの形成に際しては最初からこのゾ-ンを除外するよう指導してきた経緯がある。どうして、こうした法令違反や指導を無視するようなことがまかり通ったのか。担当部局では今年度中に5か所を居住誘導区域から除外するとしているが、背後に見え隠れするのは「人権感覚」を欠いたとしか言いようがない、上田市政の“無神経”ぶりである。たとえば、モデルガンとはいえ、それをふるさと納税の返礼品にリストアップするという想像力のなささ加減

 

“レッドゾ-ン”のひとつに今年7月1日にオ-プンした「花巻中央広場」がある。人の気配がほとんどない空間のたたずまいについては、8月9日付当ブログ(上田城、ついに落城か!?)で触れた。実はこの一帯は当初から居住誘導区域に指定されていた。隣接する上部に旧料亭「まん福」の建物あり、その境にはかなりの急傾斜地が伸びている。誰の目にも「居住不可」は明らかである。大雨で土砂崩れでも起きればひとたまりもない。急きょ用途変更し、境に擁壁を築いて公園化を急いだ所以(ゆえん)である。陽をさえぎる木陰があるわけでもなく、蛇口がたった三つの水飲み場があるだけで、トイレもない。酷暑のこの夏、“熱中症”公園などとも揶揄(やゆ)された代物である。皮肉交じりな声がまた聞こえてきた。「ひとっ子ひとり集まらないのだから、頑丈な擁壁もまるで宝の持ち腐れ。チグハグ市政の見本市だね」

 

 長大のソフトクリ-ムなど「昭和レトロ」で全国的に人気のある「マルカン百貨店」(大食堂)は中央広場に近い市中心部に位置している。耐震診断で不合格になり、3年前にいったん閉店に追い込まれた。その後、若手起業家などがクラウドハンディングなどで資金を集め、2017年2月20日に再開した。耐震補強を施さないままの強引なオ-プンだったが、世間からは「奇跡の復活」などともてはやされた。ちょうどその年の3月、「改正耐震改修促進法」によって、震度6強から7程度の地震で倒壊または崩壊する危険性が高い大規模建築物が公になった。この百貨店もその中に含まれていた。法律施行から2年以上たったいまも耐震補強の工事は行われていない。若手経営者の側の危機(リスク)意識のなささにもびっくりさせられる。

 

今年4月1日、その真向かいに東日本大震災の地震・津波で被災した人たちが入居する「災害公営住宅」がオ-プンした(8月29日付当ブログ「被災者を孤立させるな!?」参照)。災害リスクのある場所を居住誘導区域に指定し、「あの日」のトラウマを背負い続けなければならない被災者を、倒壊の恐れのある建物の真ん前に住まわせる…このグロテスクで、倒錯した光景に私は戦(おのの)いてしまう。ブラックユーモアどころか、「悪夢」とさえ言える。「全国で3番目…」が口癖だった上田市政の基本政策―「立地適正化計画」が目の前でメルトダウン(炉心溶融)しつつある。政策理念などという高邁(こうまい)な話しではない。強権をほしいままにする、その神経を私は疑いたくなるのである。

 

「市民の安心・安全が第一。コンプライアンス(法令遵守)が市政運営の基本」―。この人の初心は一体、どこに行ってしまったのか…。「花巻に新しい風を」という初陣のスローガンがいま、”乱気流”となって、イーハトーブ(宮沢賢治の理想郷)の空を吹き荒れている。

 

 

 

(写真は花巻中央広場に築かれたコンクリ-ト擁壁。しかし、本来なら人が集うはずの場所にその姿はほとんどない。上部の瓦屋根の建物が旧料亭「まん福」。実は市が所有するこの建物も再利用の道がなく、放置されたまま=花巻市上町で)

 

 

 

《追記》~エアコン設置の摩訶不思議(定例会一般質問)

 

 花巻市議会9月定例会の一般質問初日の9日、久保田彰孝議員(共産党)が災害公営住宅に関連し(8月29日及び9月5日付当ブログ参照)、「この夏の酷暑に耐え切れず、エアコンを自費で設置した。そのこと自体はやむを得ないことだと思うが、住宅建設の際、設置の必要性の議論はなかったのか。せめて、入居者に寄り添うという気持ちを示して欲しかった」という被災者の声を紹介した。エアコン設置については、今議会初日の行政報告で上田東一市長は以下のように述べて、胸を張った。

 

近年の猛暑から、子どもたちの健康を守り安全を確保するため、設置を進めておりました市内小中学校及び花巻市立保育園等へのエアコン設置につきましては、予定通り7月中に設置を完了し、夏休み前に稼働することができました。小中学校につきましては、特別支援教室を含む全ての普通教室に350、幼稚園、保育園及びこども発達相談センタ-につきましては、全ての保育室と医務室を兼ねる職員室に40台をそれぞれ設置したところです。…岩手県内で小中学校へのエアコン設置を予定している29市町村のうち、エアコンの稼働時期を7月中とした市町村は本市以外では、葛巻、西和賀、住田、岩泉の4町のみと伺っており…」

 

冒頭の被災者の訴えとこの行政報告との乖離(かいり)に言葉を失った。当ブログで縷々(るる)指摘してきた上田市政の“無神経”ぶり(いや、”薄情ぶり”と言った方が正確かもしれない)をふたたび、思い知らされたからである。この日の一般質問で災害公営住宅の入居者の高齢者率は36・8%(市全体では33・8%)に上っているうえ、その大半が低所得者層であること。さらに、26世帯(入居枠31世帯)の入居者のうち、ひとり世帯が10世帯と三分の1以上を占めていることが明らかになった。私が絶句したのはその後の展開である。冒頭の「エアコン」問題に対して、市側の担当者は無答弁を決め込み、なぜなのか質問者もそれ以上、追及することはしなかった。私から見れば、この対応の違いこそが上田市政の体質をもろに浮き彫りにしていると思うのだが…

 

まるで茶番みたいな議場のやり取りを、私は虚しい気持ちでインタ-ネット中継で聞き入った。全体のエアコン設置費は約8億5,300万円。うち、一般財源から約6億6,900万円が充当されている。「この一部を災害公営住宅に回すという考えは浮かばなかったのか。これこそが真の意味で被災者に寄り添うということではないのか…」―。私はいつの間にかブツブツと独り言をつぶやいていた。今年の残暑はことのほか厳しい。頭上ではエアコンがうなっている。それにしても、わが行政トップのなんとランク付けの好きなことよ!?なんだ、このクソ暑さは!?