HOME > 記事一覧

なんぼ何でも、これじゃなぁ~議会報告会の動転劇、悪夢再来!!!

  • なんぼ何でも、これじゃなぁ~議会報告会の動転劇、悪夢再来!!!

 

 「議員になることで精いっぱいで、その辺のこと(議員の解職など)の法的な根拠については恥ずかしながら、つまびらかではありません」―。23日から3日間の日程で開かれている「市民と議会との懇談会」(花巻市議会報告会)の席上、私は若干意地悪な質問とは思いつつ、地方議会の解散や議員の解職を定めた「リコ-ル(解職請求)」(地方自治法第13条)について質問した。5人の参加議員は困惑した表情で互いに顔を見合わせ、しぶしぶマイクを握ったのが冒頭発言の古参議員だった。真っ正直というのか、余りにもあっけらかんとした発言に逆に虚を突かれた。己が身を置くそのポジションについての「無知」をさらけ出してなお議席にしがみつく…さ~て、その正体が暴かれた動転劇の顛末(てんまつ)とは―

 

【第1幕】~病院の巻

 

上田(東一)市政の看板政策は「病院」と「図書館」という二大プロジェクト(10月2日付並びに8日付当ブログ参照)である。半年後に迫った公益財団法人「総合花巻病院」の旧県立厚生病院跡地への移転をめぐっては、当初予定された23科目から4減の19科目でスタ-トすることが最近になって明るみに出た。この事業には当市はじまって以来、最大規模の19億7,500万円の補助金が支出されることがすでに議会で承認されている。しかし、規模縮小に連動して補助金の額にも変動が出てくるのが当然である。そんな疑問にこんな返答が返ってきた。

 

 「正直言って、その補助金の減額などについての議論は議会内ではまだ、起きていません。ただいま指摘を受け、大変大事なことだと思うので、何らかの機会をとらえて当局の見解をただしたいと思います」―。これじゃ、台本作りも他人まかせの学芸会と同じではないか。いや、小学生たちだって、脚本はみんなで知恵を出し合ったつくるはず。一事が万事である。当局の下請けと化したこの体たらくでは「議会無用論」がささやかれても仕方があるまい。

 

【第2幕】~図書館の巻

 

 「新花巻図書館整備基本構想」(2017年9月)が公表されて、すでに2年以上が経過したが、その全貌がいまもって見えてこない。映画「ニュヨ-ク公共図書館」を見て、その「知的インフラ」の重要性を再認識させられた直後だけに、私は図書館構想に対する議会の取り組みを問いただした。その返答にまた、腰を抜かした。「そろそろ、実施に向けた基本計画が出てくるころだと…。運営の方法などについては我われ議員側にも知らされていません。いずれ、当局の出方を見ながら」―。私のイライラも限界に近づきつつあった。「これだけの大きな事業に対し、ただ手をこまねいているだけでよいのか。特別委員会を設置するなどして、議会としての独自の対案を示すべきではないのか」

 

班長だという議員が制するようにして口を開いた。「貴重なご意見と受け止め、今後、議会として検討させていただきます」―。この手の慇懃無礼(いんぎんぶれい)な言葉はこれまでも随分、聞かされてきたような気がする。そういえば、どこかの新聞の川柳欄にも「土下座って舌を出しても分からない」という皮肉が載っていたなぁ…

 

【第3幕】~蚊帳(かや)の外の巻

 

 ある住民が手狭になった地元の学童保育の拡張計画について、質問した。「当局側に確認している現段階ではそうした計画はありません」とある議員がきっぱりした口調で言った。もうひとりの住民が手を挙げた。「実は私は学童保育の運営に携わっているひとりだが、60人の定員を80人まで増やすという計画がすでに地元には伝えられていますが…」―。会場にざわめきが広がった。蚊帳の外に置かれた議員たちをあざけ笑う、“嘲笑”(ちょうしょう)のように私には聞こえた。居並ぶ議員たちはバツが悪そうに下をうつむいていた。

 

 

 「おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」―。一連の動転劇を見ているうちに、芭蕉のあの名句が口の端に浮かんだ。鵜匠(うしょう)に操られる鵜たちの哀れな姿が二重写しになったのである。リコ-ルを本気で考えなくてはならないかもしれないな、と段々そんな気になってきた。宮野目振興センタ-での報告会に出席した議員は以下の通り(敬称略)。議会報告会は25日までの3日間、全市内15か所で開催される。

 

 横田忍(市民クラブ)、藤井幸介(無所属=公明党)、高橋修(市民クラブ)、本舘憲一(花巻クラブ)、藤原伸(明和会)

 

 

(写真は住民の参加者がわずか10人と空席が目立った会場=10月23日午後、花巻市西宮野目の宮野目振興センタ-で)

 

 

《第4幕=番外編》~ブラックユ-モア?、いや、これは悲劇、いやいや悪夢そのものだ!!!

 

 「自治体経営を考える/花巻/市議と高校生、話し合う」(岩手日日新聞)―。議会報告会最終日の10月25日、地元紙にこんな見出しの記事が掲載された。若者たちでつくる市民団体の呼びかけで、市議と高校生とがまちづくりを模索するワ-クショップを開催したという内容だった。「自治体経営を考える」というテ-マで、現職市議4人と地元高校生ら12人が参加。予算編成や事業の見直しをなどについて、行政手法を疑似体験する様子が写真つきで紹介されていた。

 

 市議の顔ぶれを見て、ふたたび腰を抜かしてしまった。4人のうち2人が以前、公職選挙法違反(寄付行為の禁止)の疑いで話題になった人物で、もう1人が今回の”慇懃無礼”居士(班長)だったからである。花巻市が進める「消防団員育成強化」事業の一環として、登録店を利用した団員に対し、料金割引などの特典を与えるという制度で、2人が経営する店も登録指定を受けていた。平成29年9月定例会の決算特別委員会で、私がその事実関係をただした結果、当時の消防本部の担当者は「恩典そのものが寄付行為に当たる」と法律違反を認め、登録を除外した事実を明らかにした。

 

 傍らのテレビは菅原一秀・経済産業相が同じ公職選挙法違反容疑の責任をとって辞任したというニュ-スを流し続けている。コンプライアンス(法令遵守)を鼻先でせせら笑うような愚劣な輩(やから)があちこちに生息している。「どの面(つら)さげて、自治体経営だと?!」―。この倒錯した光景はもう「悪夢」そのものでしかない。(コメント欄の「悪夢の光景」を参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男やもめの…“ハシゴ映画”顛末記

  • 男やもめの…“ハシゴ映画”顛末記

 

 妻が先立って早や1年3カ月になろうとしている。その当日―「7月29日」は私の市議引退後の市議選の投開票日に当たっていた。連れ合いと生業(なりわい)を同時に失った私はもはや、“両翼”をもぎ取られた航空機も同然だった。真っ逆さまに墜落するしかないと思った。事実この間、墜落こそは辛うじて免れたものの、絶えず地上すれすれの低空飛行を続け、いまに至っている。死に損ないの情けない余生ではないか…。とそんなある日、「妻に先立たれ、夫は不眠に…」という新聞(10月12日付朝日新聞「患者を生きる」)の大見出しが目に飛び込んできた。その内容にドギマギした。ほぼ同世代の記事の主人公(81歳)はまるで、私自身の分身みたいだった。こんな苦闘の日々がつづられていた。

 

 「年中、話をしていた存在がいなくなってしまった。胃の調子が悪く、食べられないし、眠れないんです。朝、目が覚めて『おい』と声をかけても、隣にいるはずの妻はもういない。喪失感は大きかった」―。近所の内科で精神安定剤として出された抗不安薬をのむ日々が続いた。あるきっかけで「遺族外来」に足を運んだ。検査を終えた後、担当医師は「総合的にみると、うつ病ですね」と告げた。その医師によると、うつ病は全人口の3~7%の人がかかるとされ、家族の死別を経験した場合、1年後に15%の人がかかっているという調査もある。とくに、夫や妻といった「配偶者」を失うことは人生最大のストレスで、遺族外来を受診する40%がうつ病と診断されているという。

 

 こうした心身の反応を医学的には「悲嘆(グリ‐フ)」と呼ぶらしい。担当医は「組み上げた積み木の真ん中にあった『配偶者』という肝心なピ-スがなくなり、積み木が崩れた状態。回復にはその積み木をもう一度組み直していくプロセスが必要だ」と語っている。記事中の先輩やもめは訪問看護師のすすめでジム通いを始め、いまでは友人と海外旅行をするまでに元気になったらしいが、人の生き方は千差万別である。「そう簡単に問屋は卸してくれない」―経験者の私が言うのだから間違いない。グリ-フを乗り越え、生きがいや役割の再発見に至るまでには数カ月から数年かかるというデ-タもある。私も週に3回程度、ジムで汗を流しているがまだまだ、悪戦苦闘の真っ最中である。

 

 妻と死別した当初は新聞記者と市議会議員という「人間相手」の稼業からいきなり、真空地帯へと急降下させられような思いだった。無人の荒野…、かつての濃密すぎる人間関係にいっときは解放感を味わったものの、しばらくたつとまた「人恋し」さが募ってきた。手っ取り早いのが小説であるが、この年齢(79歳)になると、活字を追うのが若干、苦痛になる。と、またまたそんなある日、私はハタと膝を打った。「そうだ、映画があるじゃないか」―

 

 10月中旬のある日、私は隣町の映画館へと向かった。「万引き家族」でカンヌ映画祭最高賞の「パルムド-ル」を受賞した是枝裕和監督による初の日仏共同制作作品ー「真実」、ハリウッド映画のリメイク版「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・脚本)、作家・太宰治をめぐる3人の女たちを描いた「人間失格」(蜷川実花監督)の豪華3作のハシゴを敢行したのである。生と死、愛と憎しみ…。いずれの作品も私好みの人間模様である。こんなぜいたくな映画三昧(ざんまい)は学生時代以来。上映時間は合わせて6時間を超すが、感情移入しているつかの間は、鬱鬱(うつうつ)たる“日常”から離陸できる貴重の時空間である。

 

 「戻らなくていいですよ、家庭に」、「愛されない妻より、ずっと恋される愛人でいたい」、「死にたいんです一緒に、ここで、今」、「壊しなさい、私たちを」、「傷ついた者だけが、美しいものを作り出すんだ」―。太宰の正妻・(津島)美知子と『斜陽』のモデルとなった愛人・(太田)静子、太宰を道連れに入水自殺を図った最後の愛人・(山崎)富栄…。目の前のスクリ-ンから3人の女たちの切ないセリフがもれ聞こえてくる。「人間は堕(お)ちる。生きているから堕ちる。なあ太宰、もっと堕ちろよ」―かたわらでは『堕落論』の親友、坂口安吾が絡んでいる。そんな太宰のデカダンス(虚無・退廃)に酔いしれていた時、とつぜん我に返った。

 

 「男やもめにゃ蛆(ウジ)がわき、女やもめにゃ花が咲く」―。老い先短い老残のわが身を振り返りながら、私は自虐(じぎゃく)じみた独り言をブツブツとつぶやいていた。「映画の主人公みたいな芸当はとてもできない小心者。この歳(とし)ではいまさら、寄り添ってくれるパ-ト-ナ-もいないだろうしな。”事実は小説(映画)よりも奇なり”…例の俚諺(りげん)もしょせん、私などには当てはまりそうにない。いっそのこと、先輩やもめに見習って、遺族外来とやらの世話になってみるとするか(モゴモゴ)」…………

 

 

 それにしても、太宰治ってちょっと、格好が良すぎるんじゃないのーー

 

 

 

(写真はハシゴ映画のひとつ「人間失格―太宰治と3人の女たち」のひとこま=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

“歴史修正主義”という妖怪が…

  • “歴史修正主義”という妖怪が…

 

 「何度もくりかえされる『解決済み』のことば。胸が苦しくなる。目にうかぶのは、炭鉱で亡くなった朝鮮出身の人々。私はそんな人たちの家族に囲まれて育った。いまだ日本各地には祖国にもどれないままの遺骨がある。名前のない骨は語りかける。植民地支配さえなければ、日本に来ることはなかったと」―。在日韓国人のピアニスト、崔善愛(チェ・ソンエ)さんは『週刊金曜日』10月11号にこんな一文を寄せている。私にとっても頭の奥底に刻印された既視感のある光景である。時は半世紀近くも前、日本有数の産炭地だった九州の「筑豊」を守備範囲に持つ新米記者だった当時にさかのぼる。

 

 朽ち果てた骨箱からこぼれ落ちそうな頭骨の破片、まだ頭髪がこびりついたままの骨も…。点在する寺の本堂の裏手にはホコリにまみれた骨箱がうずたかく積まれていた。「炭鉱で事故死したり、過酷な労働で生き倒れた朝鮮の人たちの亡骸(なきがら)です。引き取り手もなく、出身地さえ不明の骨も多くあります」と当時、取材に応じた住職は言葉少なに言った。筑豊一帯の約300寺を対象に“放置”遺骨のアンケ-ト調査をした。“浮かばれない霊”があちこちの寺に放置されたままになっていることが明らかになった。この歴史を追って、何度か朝鮮半島まで取材の足を延ばした。私が「朝鮮人」問題にかかわるようになった原点こそが、当時の薄暗い寺の片隅のこの光景である。

 

 「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」―。1910(明治43)年8月29日に「韓国併合詔書」が公布され、朝鮮半島は日本の植民地下に置かれた(日韓併合)。岩手が生んだ歌人、石川啄木はその直後の9月9日、そのことを痛烈に批判する気持ちをこの一首に託した。あれから一世紀以上を経たいま、日本列島全体にヘイトスピ-チ顔負けの「韓国(朝鮮)」バッシングが吹き荒れている。その直接のきっかけは韓国大法院(日本の最高裁判所に当たる)が昨年秋、強制連行(徴用)された元韓国人徴用工に対して、当時の雇用主である日本企業に賠償を命じた判決だった。日韓請求権協定(1965年)で「解決済み」と主張する日本政府にマスメデイアも同調するかのような大合唱が列島をおおい尽くした。

 

 「台風も日本のせいと言いそな韓」―。相次ぐ台風被害に見舞われた8月27日付の毎日新聞「万能川柳」欄で、この一句が選者のコピ-ライタ-、仲畑貴志さんによって「秀逸」に選ばれた。「嫌韓(けんかん)」をあおるのではないかという批判に対し、同紙は翌28日付で「嫌韓をあおる意図はなかったが、(そう)受け止められた方がいらっしゃったという事実については、真摯に受け止めております」という文章を掲載した。「これではまるで、失言閣僚に対する政府の弁解と同じではないか」などとウェブ上は逆に炎上した。啄木の悲痛とこの川柳の浅はかさとを比べながら、私はあるおぞましい光景を思い出していた。

 

 あの筑豊時代のある日、閉山に伴って炭鉱マンが住む「炭住」(長屋)が取り壊されることになった。重機が崩していく漆喰(しっくい)壁の中から、人骨がにゅっと飛び出していた。思わず、後ずさりした。「父親は農作業中に日本軍のトラックに無理やり乗せられて、日本に連れて行かれた。生きたのか死んだのか、その後の消息はわからない」―。私の脳裏にはその時、現地取材で得た苦悩の証言が走馬灯のように去来したのだった。このヤマは朝鮮人や中国人などを酷使し、“圧政ヤマ”として有名だった麻生財閥が経営していた。いうまでもなく、麻生太郎・副総理兼財務大臣の系列を引くヤマである。

 

 共産党宣言序文(「一匹の妖怪がヨ-ロッパを徘徊している―共産主義という妖怪が」)――のひそみにならえば、「一匹の妖怪が世界中を徘徊している―歴史修正主義という妖怪が…」とでもなろうか。写真に掲げた二冊の本に最近、目を通した。『独ソ戦―絶滅戦争の惨禍』(大木毅著)は「戦場ではない。地獄だ」という推薦文に引かれて、購入した。人類史上最大の惨戦とも呼ばれるこの戦争についても「ネオナチ」(反ユダヤ主義などの人種差別)などの歴史修正主義が勢いを増しつつある。『朝鮮人強制連行』(外村大著)は「強制性はなかった」とする世論操作に対し、膨大な資料を基にその「ウソ」を暴く力作である。その一節にこんな文章がある。

 

 「朝鮮人強制連行は、朝鮮民族にとっては、たとえ自分自身が被害の当事者とならなかったとしても“他人事”ではなかった。植民地末期に青年期にあった在日朝鮮人の歴史家である朴慶植(1922―1998年)は、幼くして両親に連れられて渡日し、強制的に動員された経験はなかったが、厳しい労働を強いられ遺骨すら放置されている被動員者や離散状態に陥っている家族の境遇を同じ被圧迫民族としての苦しみをとして捉えて、朝鮮人強制連行の研究を行った」―。実は“加害”の側に身を置く私自身が、放置された遺骨の実態を知ったのは朴さんのこの本によってである。そして、ピアニストである崔さんの受難はいまさらに重くのしかかりつつある。

 

 自然災害さえも他国のせいにしようとする精神の「退廃」から私たち日本人は一体いつになったら、脱することができるのであろうか……

 

 

(写真は歴史修正主義に鋭く対峙する二冊の力作)

 

 

 

 

映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館」と花巻中央図書館(構想)の狭間にて…

  • 映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館」と花巻中央図書館(構想)の狭間にて…

 

 「図書館は民主主義の柱である」(フレデリック・ワイズマン)―。米国・ニュ-ヨ-クのマンハッタン…時折、けたたましい消防自動車のサイレン音が行きかう雑踏の一角に二頭のライオン像に守られるようにして、ボザ-ル様式の荘厳な建物が建っている。世界最大級の“知の殿堂”と言われるニュ-ヨ-ク公共図書館(NYPL)である。この図書館を舞台にした映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館―エクス・リブリス」(2017年)をやっと、見る機会に恵まれた。ドキュメンタリ-の巨匠、ワイズマン監督による3時間25分の超大作。不思議な感覚におそわれた。重厚な回転ドアを押して、私自身がその場に身を置いているような錯覚に陥ったのである。そこには民主主義を実践する世界がはてしなく広がっていた。

 

 場面はいきなり、イギリスの進化生物学者であるリチャ-ド・ド-キンス博士の長広舌(ちょうこうぜつ)から始まる。アメリカ社会に巣食うキリスト教原理主義者を徹底的に批判している。人気企画「午後の本」(Books at Noon)のひとこまである。息をつかせないような場面展開が次から次へと続いていく。この知の殿堂は1911年、「鉄鋼王」と呼ばれたカ-ネギ-財団の支援で産声をあげた。今では黒人文化研究図書館や科学産業ビジネス図書館など4つの研究図書館と88に及ぶ地域分館で構成されている。「これが、図書館なのか!」と頭に一撃を食らったような気持になった。

 

 消防署員や建設現場の女性、国境監視員などによる就職支援フェア、障がい者のための住宅あっせんサ-ビス、ネット環境が不足する貧困層への支援、中国系住民のためのパソコン講座、移民を対象にした無料英語教室、ボランティアによる点字指導、シニアのダンス教室、ピアノコンサ-ト…、そして、何とディナ-パ-ティやウェディング、ファッションショ-などに場所を提供する“図書館ディナ-”のイベントも用意されているではないか。そんな中に図書館幹部たちの会議の様子も随所に織り込まれる。「公民協働(連携)の予算をどうやって確保するか。紙の本か電子本か。(図書館を居場所にするホ-ムレスの問題にいかに向き合うべきか」―。丁々発止の議論が延々と続く。単なる図書館の内幕を興味本位に披歴する映画ではない。その背後には確固たる思想の水脈が滔々(とうとう)と流れている。たとえば、アメリカの奴隷制についての洞察が―

 

 手話通訳によって、アメリカ「独立宣言」(1776年7月4日、ト-マス・ジェファ-ソンらが起草)が朗読される場面がある。その際、図書館スタッフはこう説明を加える。「この図書館(舞台芸術図書館)の最高の所蔵品の1つがジェファ-ソンが書いた独立宣言の写しです。(独立宣言を採択した)大陸会議にかける前の草稿で、そこには奴隷制度を非難する箇所がありましたが、南部の支持を得るため、本稿からは削除されました」―。歴史の背後に隠された闇がこんな手法で明らかにされる。「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」…独立宣言はこういう書き出しで始まる。「人間の平等」がさりげない形で伝達されていく。見事というしかない。

 

 心地良い疲れを感じながら、映画館をあとにした。盛岡の町並みはもう、冬の気配だった。ふと、足元の図書館構想が脳裏によみがえり、我に返った。愕然たる思いがした。総合花巻病院の「移転・新築」計画とペアの形で浮上したのが「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年9月)だった。以来、2年以上たった今になっても移転先や建物の構造に関する議論が先行するだけで、肝心な蔵書や運営などに関する本質的な図書館論議は聞こえてこない。“箱もの行政”の典型があちこちに見え隠れする。ワイズマン監督は映画製作の動機について、こう語っている。

 

 「ニュ-ヨ-ク公共図書館は最も民主的な施設です。すべての人が歓迎されるこの場所では、あらゆる人種、民族、社会階級に属する人々が積極的に図書館ライフに参加しているのです」(パンフレットから)―。市長になる前の会社勤め時代、上田東一市長はニュ-ヨ-クなどで10年間の米国暮らしの経験があるという。だとすれば、この図書館の存在は当然、知っていたであろうし、あるいは実際に足を運んだこともあったかもしれない。それにしては当花巻市の図書館構想はいかにも貧相ではないか。米国では図書館を称して「ピ-プルズ・パレス」(people's palace)と呼ぶと聞いた。「人々がより集う」という意味では、文字通り”人民宮殿”の名にふさわしい存在である。

 

 「医師(魂)なし病院」(10月2日付当ブログ「仏作って、魂入れず」参照)と「本(理念)なし図書館」―。そんな皮肉がもれ聞こえてくる今日この頃である。ニュ-ヨ-ク公共図書館を題材に『未来をつくる図書館』(岩波書店)を著した在米ジャ-ナリスト、菅谷明子さんの文章の一節を最後に上田市長に提言しておきたいと思う。「イ-ハト-ブ」(宮沢賢治の理想郷)のふるさとに即していえば、たとえば、翻訳本を含めた「賢治本」を一堂に集めることなども一考に値するのではないかと私などは考えるのだが…

 

 「図書館とは本を借りたり調べ物をしたりするための場所だと思ってきた私だが、図書館にはもっと重要な役割があることを、ニュ-ヨ-ク公共図書館に教わった。過去の人類の偉業を大切に受け継ぎ、新しいものを生み出すための素材を提供する。やる気とアイディアと好奇心溢れる市民を豊潤なコレクション(所蔵資料)に浸らせ、個人の能力を最大限に引き出すために惜しみない援助を与える。それが、やがて社会を活性化させると信じて…。市民の活動基盤を形成する施設のことをインフラと呼ぶならば、図書館こそ今の日本に最も必要なインフラではないだろうか。市民のための『知的インフラ』…」(同書から)

 

 「多様性」に背を向けるドナルド・トランプが米大統領に就任した2日後に、この映画は公開された。アメリカという国の懐(ふところ)の深さに驚かされる。

 

 

 

(写真はじわじわと観客を動員しつつある映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館」のポスタ-=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

“仏作って、魂入れず”―花巻の医療体制、崖っぷち~市民の安心・安全、どこ吹く風!?

  • “仏作って、魂入れず”―花巻の医療体制、崖っぷち~市民の安心・安全、どこ吹く風!?

 

 「一方では医師の確保、大変、至難の業(わざ)でございます」(平成27年3月定例会会議録)―。4年以上も前のこの“悪夢”のような発言が現実のものになろうとしている。鳴り物入りで登場した総合花巻病院の「移転・新築」問題の迷走劇である。市政始まって以来、最大規模の約20億円の補助金を投入したこの一大プロジェクトがオ-プンを半年後に控えた今になって、診療科目の減少など崖っぷちに立たされつつある。冒頭発言の主は上田東一市長の下でこのプロジェクトの陣頭指揮をとった佐々木忍・健康福祉部長(当時、のちに副市長)だが、先月の県議選に出馬(落選)し、今となってはその真意を確かめる術も失われた。「税金の無駄使いは許されない」と口を極めてきた上田ワンマン市政はここに至った顛末(てんまつ)を市民に対し、どう説明するつもりなのかー

 

事の発端は2014年に制定された「改正都市再生特別措置法」にさかのぼる。当市は「コンパクトシティ」を提唱するこの構想で街づくりを目指すことにし、2年後にその青写真となる「立地適正化計画」を全国で3番目(上田市長)に策定した。その中の目玉政策が公益財団法人「総合花巻病院」(同市花城町)の県立花巻厚生病院(同市御田屋町)跡地への移転・新築だった。病院側の老朽化がその理由に挙げられたが、じつは中心市街地の活性化の起爆剤にしようという「行政」主導型の施策だったことが病院関係者の証言でわかっている。病院を軸とした「年間80万人」の交流人口増などの大風呂敷も今やいずこにか消えてしまった。「(医師確保は)至難の業」としながら、強引に立地を進めた理由はこの辺に隠されている。そのほころびが白日の下にさらされたのが、どこかに雲散霧消(うんさんむしょう)してしまった「助産所」事件である。

 

当初の移転整備基本構想案(2015年11月)によると、助産所は2階建て(延べ面積154平方メ-トル)の建物で、一日2人の利用者に対し、産婦人科医や助産師など5人の職員が対応に当たることが明記されていた。ところが、一年後にまとめられた「移転・新築整備基本計画」(2016年12月)ではこの記述がそっくり削除され、こう変更された。「将来的に産婦人科医師や助産師の体制が整った際には出産の受け入れを検討する。それまでは助産師外来を開設し、出産前後の妊婦指導などを行えるようにし、同時に産後ケア施設の開設も検討する」―。ところが、である。その「助産師外来」さえもオ-プン時の開設が困難なことが9月定例会で明らかになったのである。

 

「出産」受難劇はあちこちで起きている。県立中部病院(北上市)の産婦人科の常勤医師5人のうち、東北大学が派遣していた3人について、同大学は来春にも中止する意向を示した。矢巾町に移転した岩手医科大学が応援医師を派遣することで、とりあえず事なきを得たが、花巻市内の二つの産婦人科医院のうちのひとつが助産師の退職を理由に来年3月中旬で閉院することになった。花巻市当局は急きょ、給付金や貸付金など最大で200万円を支給する「助産師等確保支援事業」(10,352千円)を9月定例会に上程するなど“付け焼刃”的な対応に追われた。遠野市などでは医師確保専任の職員を配置するなどの後方支援体制を敷いているが、「(医師確保の)一義的な責任は法人側にある」とする当市の姿勢のツケが今になって回ってきたということである。

 

厚労省は今年2月、医師の充足率を示す指標で、岩手県が全国47都道府県で最下位であることを公表した。この数字が裏付けるように、今年3月末をもって岩手医科大学付属花巻温泉病院が閉院に追い込まれた。追いかけるように先月には県立東和病院が「診療実績が特に少ない」などの理由で、国の再編・統合の対象にリストアップされるなど医療環境の悪化に拍車をかけている。「至難の業」に手を出すことは行政側にとって、最低限の”禁じ手”である。その原理・原則さえ歯牙(しが)にもかけない強権ぶりにはもはや、二の句も告げない。

 

来年3月1日にオ-プン予定の総合花巻病院の診療科目は内科、呼吸器内科、循環器内科など11科目は常勤医師による診療となっているが、外来の脳神経外科、放射線科、泌尿器科など8科目は常勤の兼務か非常勤が担当する。さらに、当初開設が予定されていた皮膚科、眼科、小児科、助産師外来は「医師確保の見通しが立っていない」として、土壇場で開設が見送られる事態となった。この点について、上田市長は「とくに、産前産後の周産期医療を維持するためには産婦人科と小児科の併設が必至」と議会答弁しているが、こんなことは素人でもわかる理屈である。口を開けば「子育て支援の重要性」を繰り返す、その足元で「いのちの尊厳」が脅かされようとしている。わが「イーハトーブ(宮沢賢治の理想郷)」行政の恐るべき正体、ここに見たりという思いである。

 

 

 

(写真は外観がほぼ完成した総合花巻病院=10月2日、花巻市御田屋町で)