さらば、パワハラ&ワンマン市長(下)…「図書館」残酷物語よ、永遠なれ~イーハトーブの終焉(しゅうえん)!!??

  • さらば、パワハラ&ワンマン市長(下)…「図書館」残酷物語よ、永遠なれ~イーハトーブの終焉(しゅうえん)!!??

 

 上田東一市長は2014(平成26)年に初当選した際、「深沢晟雄 (ふかさわまさお )」と「新渡戸稲造」の二人の先人を尊敬する人物として、挙げていた。旧沢内村(現西和賀町)の2代目の深沢村長は昭和35(1960)年、65歳以上の医療費の無料化を実現。翌年には1歳未満の乳児の医療費を無料化し、さらに無料の対象となる高齢者の年齢を60歳まで引き下げた。そして、2年後には当時の日本の地方自治体としては初めて、乳児死亡率0%という偉業を達成した。「生命行政」を掲げる深沢村長は国や県の干渉に対して、こう喝破した。

 

 「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保証している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ」(及川和男著『村長ありき』)―。コンプライアンス(法令遵守)の重視をことあるごとに口にしながら、それに背を向け続けた「Mr.PO」とは雲泥の差である。たとえば―

 

 国への陳情要望活動で政府高官と会ったことを必要以上に議会で語ったり、立地適正化計画を全国3番目に策定して国の覚えがめでたいことを自慢気に話したり、補助金や地方交付税を国から多くもらえることを是とする国の補助金行政に誘導された財政運営に胸を張ったかと思えば、ふるさと納税の好調は他の地方公共団体の税収を収奪している現実があるのに、その金額の多寡(たか)を声高に口にするなど国の言うがままの“優等生”たらんとする「上田」市政と、住民に寄り添った「深沢」村政とは天と地ほどの対極にある。ところで、一方の新渡戸の名著『武士道』にはこんな一節がある。

 

 「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にするものに対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣』(ねいしん)すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣』(ちょうしん)すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」(奈良本辰也・訳解説)―

 

 新花巻図書館の迷走劇を見るにつけ、私は主君を「市長」、佞臣や寵臣をその取り巻きや一部の「職員」に置き換えて、この文章を読むようになっていた。市長のトップダウンをそのまま、口移しのようにオウム返しする担当部署の語り口がこの文章とピッタリ重なったからである。

 

 そしていま、「上田」主導で移転・新築が強行された総合花巻病院は新たな巨額な財政支援にもかかわらず、将来に経営不安を残したままである。他方の新図書館号はといえば民意を排除する形で、終着のJR花巻駅前にやっとこさ、到着したようである。しかし、そこにはかつて「師」と仰いだはずの二人の先人の面影はみじんもない。それどころか、恩を仇で返すような豹変ぶりである。

 

 5年余りにわたった「イーハトーブ“図書館”」の発端は元をただせば、ある意味で図書館に最も親和性のある「賢治」をその空間にどう位置付けるか。近年ますます、“賢治精神”の現代的な意義が強調される中で、賢治の一切合財を集めた「世界一の賢治図書館」を、私はひそかに夢見てきたのだった。生誕地のど真ん中で、賢治を“実験”してみたいと…

 

 今回改めて『なめとこ山の熊』をじっくり、読み直してみた。この物語は互いに弔(とむら)いを尽くし合うことによって、小十郎とクマたちとの間で初めて、“和解”が成立したことを教えているのではないか。そしてまた、その「生と死」の哲学の深淵から伝わってくるのは、「戦争」という人間同士の醜い殺し合いの無意味さへの警告のようにも感じた。「北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」…あの「雨ニモマケズ」の精神とどこかで通底していると考えるのは“深読み”すぎるだろうか。

 

 

●ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐(あらし)のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」。もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
 

●それから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた…

 

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」(花巻農学校精神歌)―。“桑っこ大学”の愛称で呼ばれた旧稗貫農学校の教師だった賢治は当時、校歌を持たなかった教え子たちのためにこの歌を作詞した。この所縁(ゆかり)の地こそが図書館の建設候補地にひとつである旧花巻病院跡地である。私にもし…という仮定が許されるなら、「マコトノクサ」のタネのひと粒が蒔かれたこの地に、賢治精神を満載した「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)をためらうことなく、建てていたはずである。花巻市民の不幸はその施工主がたまたま、そうした感性を持ち合わせない、まるで不動産業を兼務するような首長だったということであろう。

 

 午前7時、いまでは“市民歌”となった精神歌が時報代わりのチャイムとして、市庁舎から四方に流れる。「ケハシキタビノ ナカニシテ/ワレラヒカリノ ミチヲフム」…当ブログのタイトル「ヒカリノミチ通信」はその中の一節からの借用である。その内容を「ウソ」呼ばわりして憚(はばか)らなかった「Mr.PO」に対する、これが最後の返書である。

 

 

 

 

 

(写真は3選を果たし、バンザイする上田市長=2022年1月23日、花巻市内の選挙事務所で。インターネット上に公開の写真から)

2025.03.19:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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