「ニライカナイ」から「イーハトーブ」へ…震災14年と戦後80年~記憶の風化に抗いながら、この日に想うこと~「イーハトーブ“図書館戦争”」の渦中から!!??

  • 「ニライカナイ」から「イーハトーブ」へ…震災14年と戦後80年~記憶の風化に抗いながら、この日に想うこと~「イーハトーブ“図書館戦争”」の渦中から!!??

 

 「3・11」―。東日本大震災から、この日で丸14年を迎えた。あの日、壊滅的な津波被害を受けた岩手県大船渡市に今度は未曽有の山林火災が襲いかかった。消すことができない記憶として、あの大災厄の光景がまな裏に去来する。三陸沿岸の大槌町で、母親と妻、それに1人娘を津波にさらわれた照さん(白銀照男さん=享年73歳)は2022年12月に旅立った。10年以上たったその時点で、3人の行方は分かっていなかった。「もう待ちきれなくなって、照さんは自分の方から会いに行ったにちがいない」と私は無理やり、自分にそう言い聞かせた。

 

 震災14年を目前にした今月6日、福島第1原発事故をめぐって、業務上過失致死罪で強制起訴された上告審で、最高裁は「10メートルを超える津波を予測できたとは認められない」として上告を棄却し、旧経営陣の無罪が確定した。その一方で、北海道から沖縄まで県外に避難を余儀なくされている人は2月1日現在、19,673人に上っている(復興庁調べ)。「だれの責任も問われない」―この14年間とは一体、何だったのか。

 

 私はいま、沖縄・石垣島に滞在している。めっきり弱った足腰を少しでも鍛え直そうと、雪のない南の島につかの間の移住をしたというのが表向きの理由だが、実は狂奔(きょうほん)をきわめる「イーハトーブ“図書館戦争”」の戦場から一時、撤退したかったというのが本音だった。強権支配をほしいままにする敵陣のすぐかたわらに身を置いていては正直、心身の正常が保てないと思ったのである。そして、この老残の身も震災14年目のこの日、85歳の生を享受する幸運に恵まれた。

 

 私が寄宿するマンスリーマンションのすぐ目の前には真っ青なサンゴ礁の海が広がっている。時折、満艦飾のクルーズ船が行き来する。台湾や上海、香港だけでなく、オーストラリアなどから多い時には4,500人もの観光客を一度に運んでくる。滞在約2か月後の2月26日、その穏やかな海に突然、巨大な艦艇が姿を現した。米海軍のドッグ型輸送揚陸艦「サンディエゴ」(2万5千トン)と海上自衛隊の訓練支援艦「くろべ」(2,200トン)。この島への入港は初めてだった。自室からもその船影をはっきり、目撃することができた。

 

 「ニライカナイ」―。沖縄の人々は古来から「海の彼方に楽土がある」と信じ、その理想郷をこう呼んできた。その地ではいま、台湾や朝鮮半島の“有事”に備えるという名目で、軍事要塞化が急ピッチで進められている。与那国島から奄美大島に至る、いわゆる「南西シフト」である。2年前にはこの島にも陸上自衛隊石垣島駐屯地が開設された。地対艦と地対空のミサイル部隊が配備され、約560人の自衛隊員が駐屯している。そんな中、今年は戦後80年という節目の年を迎えた。

 

 県民の4人に1人が犠牲になった「沖縄戦」の激戦地では連日のように「戦禍の記憶」を後世に伝え残そうというイベントが続けられている。その一方で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題では政府の強硬姿勢はますます、むき出しになってきた。米軍基地の7割が集中する沖縄本島…ジュゴンが生息する辺野古の海では連日、軟弱地盤を改良するための土砂の投入が強行されている。その土砂の中には沖縄戦の戦火に倒れた遺骨も含まれている。「二度、殺すのか」という呪詛(じゅそ)のようなうめきが虚空をさ迷っているような気配を感じる。

 

 「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設(新基地建設)を直ちに中止し、『世界一危険』だと言われる同飛行場(普天間基地)の今後の運用の在り方について、沖縄県を除く県内外への移転が可能かどうか―国民的な議論を盛り上げることにより、民主主義と憲法に基づいて公正に解決することを求める」―。私は2019(令和元)年の花巻市議会6月定例会にこんな内容の陳情書を提出した。結果は全会一致で不採択となったが、頭の片隅には「世界平和」を願う宮沢賢治のメッセージがあった。「対岸の火事」として、ソッポを向いて良いのかという自責の念があったのかもしれない。

 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。賢治が理想郷と呼んだ、その足下で続けられてきたもうひとつの戦争―「イーハトーブ“図書館戦争”」はいま、大詰めを迎えつつある。「駅前か病院跡地か」という“立地”論争について、上田東一市長は今月6日、JR花巻駅前に新図書館を建設するという最終決定を公表した。これに先立つ議会の質疑ではこう言ってのけた。「病院跡地への立地を求める署名を精査した結果、重複や同一筆跡、県外や市外からもかなりあり、自筆での署名は半分の6,000筆程度と聞いている」

 

 市側が「多くの市民」という対話型「市民会議」の実態はどうであったか。意見集約をするためのこの会議は無作為抽出した3,500人の中から「参加を希望する」75人で構成されたはずだった。ところが、4回の会議の参加者は毎回75人を大幅に下回り、6人が一度も出席しなかったという驚くべき事実が明らかになった。さらに、個々人の意見をヒアリングシートに記述する最終回(2月15日)は何と22人も少ない53人の参加に止まった。果たして、これで「民意」が反映されたと言えるのか。市民会議のこの数字の“有意性”については結局、ひと言も触れることはなかった。「異論排除」の上田流がここでも見事に発揮されているとしか言いようがない。

 

 病院跡地への立地署名について、上田市長は「精査の結果を確認したわけでない」と言いつつも、あたかも”捏造”(ねつぞう)をほのめかすような発言を、しかも議会議場で口にした。市外在住者の署名は無効だとする物言いは余りにも次元が低すぎて、開いた口がふさがらないが、とりあえずこう反論しておこう。「図書館こそが万人に開かれた文化空間ではないか」―と。街頭署名に欠かさず参加した私は文字が苦手な高齢の親に代わって、息子さんや娘さんが署名する姿を何度も見た。この人にかかってはこれが「同一筆跡」ということになるらしい。一方では「ピンポ~ン」作戦で一軒一軒を訪ね、1人で524筆を集めた女性もいた。さらには「お母さんが駅前でも私は病院跡地よ」と目の前で図書館論争が繰り広げられるというひとこまも。これこそが真の意味での「草の根」の意見集約ではないのか。

 

 南の「ニライカナイ」と北の「イーハトーブ」…この二つの理想郷に共通するのは草の根の「民意」を鼻先で笑い飛ばすかのような権力の”横暴”である。かと思えば、海の向こうでは米国のトランプ大統領が「(パレスチナ自治区の)ガザを領有する」などという狂気を叫んでいる。「新しい帝国主義」の到来なのか。暗い時代の幕開けへの予感…「ファシズム」の亡霊が周囲に漂い始めている。

 

 「3・11」と「戦後80年」、そして「齢(よわい)85歳」…。目まぐるしい時空の変転に翻弄(ほんろう)されているうちにふと、著名な歴史家、アーノルド・トインビーの「民族滅亡」の3条件が頭をよぎった。元々は花巻城の一角に位置していた「旧新興製作所」跡地が上田”失政”のあおりを受けて、瓦礫(がれき)の荒野と化して久しい。ひよっとしたら、目の前に広がるこの無惨な風景と、旅先の沖縄で突きつけられた「戦後80年」の重い現実がトインビーを想起させるきっかけになったのかもしれない。

 

 

1.自国の歴史を忘れた民族は滅びる。
 

2.すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる。
 

3.理想を失った民族は滅びる。

 

 

 

 

 

 

(写真は民意を無視して、埋め立て工事が強行される辺野古の海=インターネット上に公開の写真から)

2025.03.11:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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