議会側へ「駅前立地」を正式に表明…新花巻図書館、10年越しの”悪夢”の決着へ~決定過程に不透明感!!??

  • 議会側へ「駅前立地」を正式に表明…新花巻図書館、10年越しの”悪夢”の決着へ~決定過程に不透明感!!??

 

 「多くの市民に利用され、市全体の活性化にも寄与することが期待される『花巻駅前』を新花巻図書館の建設候補地として選択し、新花巻図書館整備基本計画を策定したい」―。市側は6日開催した議員説明会で、新図書館の「駅前立地」を正式に表明した。10年以上に及んだ迷走劇にとりあえずの終止符が打たれることにはなるが、旧花巻病院跡地への立地を求める署名が1万筆を超えるなど市民を二分する中での”強行突破“は後々まで大きなしこりを残すだけではなく、上田(東一)市政の強権体質への不信感を増大させるのは必至である。

 

 対話型「市民会議」(全4回)の意見集約について、市側はこの日「アクセス」や「活性化」「安全性」「周辺環境」「駐車場」の主要な五つの選択肢のうち、駐車場を除いた四つの選択肢で駅前が評価されたとした。また、評価の内容については「駅前はバスや電車などの公共交通機関が整っており、行きやすい」、「新しい図書館ができることで駅前が活性化し、花巻の印象が良くなる」、「高齢者や学生にも利用しやすい場所が駅前である」、「観光客や花巻市民が利用しやすく、町の発展につながる」、「駅前は交番に近く、明るく夜も安心」―などを挙げている。

 

 市側によると、「市民会議」は無作為抽出した市民3,500人の中から「参加したい」と手を挙げた75人で構成された。ところが、出席者は65人(第1回)、64人(第2回)、57人(第3回)、53人(第4回)と回を追うごとに減り、出席ゼロは6人にも上った。各回ごとの出席者を全人口比(89,656人=令和6年12月末現在)で比較すると、その比率がいずれも1%にも満たないのに対し、病院跡地への立地を求める署名数(10,269人)は11・5%に上っている。さらに、世代別の構成も「若年層」(20代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、図書館の利用率が一番高い高齢者(70歳以上)はわずか6人と偏重が際立った。つまり、百年の計とも言われる図書館建設の場所がほとんど、統計学上の民意を反映したとは言えない形で決められたと言わざるを得ない。

 

 さらに例えば、「アクセス」について「明らかに駅前が良い」と答えた人が42人いた一方で、9人が「どちらでも良い」とし、「活性化」については前者が27人、後者が12人を数えるなど、この小集団の中には2択の選択をしなかった人もかなり、含まれていることが分かった。まるで、数字の“詐術”…今回の「駅前立地」という決定過程は将来へ大きな禍根を残したのではないかという不安をぬぐえない。今後、建設に至る道のりには多くの紆余曲折も予想され、予断は許されないままの強引な“見切り”発車となった。

 

 「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」の瀧成子代表は今回の決定について、こう話している。「まちのシンボルでもある文化の殿堂を作ろうとしている時、どちらでも良いなどという選択はあり得ない。また、アクセスや活性化などを尺度にするのも本末転倒。人が集まる場所へ図書館を作るのではなく、人を呼び寄せるのが図書館だと私たちは思っている。そもそも、図書館の捉えた方が違う。諦めるわけにはいかない。賢治の里にふさわしい図書館づくりを目指して、運動を続けたい」ー。「何かの終わりの始まりなのかもしれない」という思いがふいに、頭をよぎった。詳しくは以下のアドレスから。

 

 

 

 

 

 

 

(写真は橋上化と図書館建設によって、東北駅100選にも選ばれた駅周辺は一変することが懸念される。手前のポールが賢治童話「風の又三郎」をイメージした「風の鳴る林」。奥が図書館の建設場所とされるスポーツ用品店=花巻市大通りのJR花巻駅前で)

 

 

 

 

《追記》~世論調査従事者を名乗る方から「バイアスあるいは偏りばかりの意見集計」という専門的な見地からの以下のようなコメントが寄せられた。


1.無作為抽出された3,500人から参加の意思を示した75名を市民会議メンバーに選定した段階で、「サンプリングバイアス」と呼ばれる偏りが生じている。ゆえにそもそもこの75名の意見は市民を代表する意見とはなりえない。
 

2.ヒアリングシートを見ると、「回答バイアス」と呼ばれる質問項目の偏りが見られる。例えば「活性化」のような花巻駅前が有利だと一般に考えられる質問項目を先に掲げることでその後の質問項目についても同じような回答をする傾向があり、「回答バイアス」の中の「順序バイアス」と呼ばれている。数値的に見て総合花巻病院跡地の建設費用が安いことが示されているものを最後に持ってくるのも同様の「順序バイアス」である。
 

3.「どちらでもよい」というような回答は中立的尺度と呼ばれているもので、通常は「どちらともいえない」という表現が普通だが、この中立的尺度を入れると回答がこの尺度に集中する傾向が生じ、分析自体を甘いものにしてしまう恐れがある。
 

4.そもそもこの市民会議は意見の集約を図ることが目的と考えていたが、上述のような様々な偏りによって仕掛けられた小集団の意見を「集計」したものに過ぎず、意見を「集約」したとは言えない。

 

 

 

 

 

2025.03.06:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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