「議論をたたかわせるために設けられた論争の場所」―。広辞苑などは「論壇」について、こう定義している。地元紙「岩手日報」にもそんな論争の場が設けられているが、新花巻図書館の立地問題に関する限り、採否の基準が一方に偏しているのではないかと危惧を抱いている。「駅前か病院跡地」という意見集約が大詰めを迎える中、今月5日付で投稿をしたが、一応のタイムリミットである26日までに掲載されなかったので、不採用と判断した。
さらに、2年以上も前の2022年10月10日付で新図書館問題に関する投稿をした際も結局、日の目を見ないまま現在に至っている。上掲の写真は2023年3月31日付で掲載された論壇原稿で、「駅前」立地に賛同する内容になっている。議論をたたかわせることに背を向けたとたん、そこに待ち受けるのはメディアの死…翼賛化である。以下にボツ原稿を2本採録する。読者諸賢のご判断を仰ぎたい。
●2025年1月5日付投稿原稿
「JR花巻駅前か旧総合花巻病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所をめぐって、10年越しの論争が続いているが、現在、計画が進められているJR花巻駅の橋上化(東西自由通路)と図書館とは実は通路でつながった「ワンセット」構想だったことが開示請求した行政文書から明らかになった。その二拓の意見集約をするための「対話型市民会議」がいま、大詰めを迎えている。開示文書は市側が「駅前」立地を早い時期に既成事実化していたことを示しており、意見集約の結果に注目が集まっている。
開示文書によると、いまから8年前の平成29(2017)年「花巻市まちづくり勉強会」と「花巻駅周辺整備調査定例会」という非公開の組織が相次いで立ち上げられた。駅前再開発を話し合うためのJR側との合議体で、図書館を所管する生涯学習部と橋上化を担当する建設部とが同席していた。例えば新図書館については、平成30(2018)年1月17日に開催された「整備調査定例会」で、市側は「図書館は2階か3階建てのイメージ。自由通路につなぎ、2階でレベル合う案も検討する。市側が通路を図書館につないだレイアウトを作成する」と発言している。
その2年後の令和2(2020)年1月、市側は新たに「賃貸住宅付き図書館」を駅前に立地するという構想を議会や市民の頭越しに公表にした。駅前のJR所有地を50年間、定期借地するというこの構想に対し、多くの市民から「50年過ぎた段階で取り壊しが決まっている公共施設など聞いたことがない。市有地の病院跡地に建てるべきだ」との反対論が噴出。市側はその年の11月、住宅との併設案と定期借地の件を撤回し、いまに至っている。
あの騒動から丸5年が経過した。この間市側は市民の意見を取り入れるためのワークショップや市民説明会、各種団体との意見交換、さらに二つの候補地ごとの事業費比較などを実施し、対話型市民会議でそれぞれのメリットとデメリットを出し合うという手順を踏んできた。3回にわたったこの会議は1月26日に最終回を迎える。市側は「その結果を最大限、尊重した上で最終建設地を決定したい」としている。しかし開示文書を見る限り、市側が病院跡地への立地を検討した形跡はみじんもない。就任後の平成28年、まちなか活性化のため、病院跡地への図書館建設を提唱したのは当の上田東一市長だった。180度の政策変更の背景には何があったのだろうか。
●2022年10月10日付投稿原稿
目の前にこつ然と現れた広大な“空間”に身を置きながら、「図書館の立地はここしかないな」と直感した。花巻市は10月11日から27日まで市内17か所で新図書館の建設場所をめぐって、意見集約のための市民説明会を開催した。その第1候補に挙げられているのがJR花巻駅前のスポ-ツ店用地で、当局側はその取得に前向きな姿勢を見せている。
こんな折しもかつて、花巻城跡に隣接した旧総合花巻病院の移転・新築に伴って、24棟を数えた病棟が解体された結果、私たちは約100年ぶりに由緒ある遺跡など城跡のおもかげに接するという幸運に恵まれた。晴れた日には高台の城跡から霊峰・早池峰など北上山地の雄大な姿を望むができる。当該地は郷土の詩人で童話作家、宮沢賢治の作品にも数多く登場し、たとえば『四又(よまた)の百合』に出てくる“ハ-ムキャの城”とはすぐに、花巻城跡と察しがつく。
さらに、賢治が学んだ現花巻小学校と自らが教壇に立ち、“桑っこ大学”とも呼ばれた旧稗貫農学校に挟まれたロケ-ションはまさに「文教地区」にふさわしい立地条件と言える。現在「まなび学園」(生涯学習都市会館)として、市民に学びの場を提供している場所もこの地に隣接し、かつては賢治の妹トシが学んだ花巻高等女学校(県立花巻南高校の前身)の建物だった。これもまた、歴史の奇縁かもしれない。
実は「図書館法」(昭和25年4月)の生みの親が当地ゆかりの「山室民子」だということは地元でも余り、知られていない。慈善団体「救世軍」の創設者・山室軍平の妻で、花巻の素封家に生まれた旧姓・佐藤機恵子が民子の母である。民子は図書館法を起案するに当たって、生涯教育の大切さを訴えた。
1世紀という時空間をへて、今よみがえった「百年の記憶」と未来を見すえた「百年の計」と―。解体工事で全貌を現した「濁り堀」について、専門家グル-プは「一級品の貴重な遺構。現状保存が望ましい」と答申した。将来は原形を維持したまま、“歴史公園”として利活用できるのではないか。夢は広がるばかりである。いまこそ、山室民子の“遺訓”を生かすべき時ではないかと思う。花巻小学校とシニアが集う「まなび学園」の間にポッカリと浮かんだ空間。まさに、天啓(てんけい)とでも呼びたくなる、“生涯学習”の場にふさわしい環境ではないか。
「天啓」とは「天(神)の啓示」を意味する言葉である。「魂の癒しの場」―。世界最古の図書館といわれるアレキサンドリア図書館(エジプト)のドアにはこう記されているという。
(写真は2023年3月31日付の岩手日報と同日付の「日報論壇」)
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