「たまには変わった料理を提供したい」と拡大鏡をのぞきながら、レシピ本と首っ引きの老人施設の料理人、「少し株で儲かったら、家を新築しようかと思って」と会社四季報のデータをメモする男性、「私、(コミュニケーションが少し苦手な)アスペルガーなんです」という女子高校生の手には文学書や詩集が。そうかと思えば、朝一で新聞閲覧室に駆け込むお年寄りたち…。最近、NHKの「ドキュメント72時間」で放映された「金沢/大きな図書館で」(8月30日放映)のひとこまひとこまが脳裏を行ったり来たりしている。
まるで、ローマの円形劇場を思わせる「石川県立図書館」は2年前にリニューアルオープンした。蔵書数110万冊、閲覧席500席…。「知は無限にめくり、めぐっていく。そして知はまた、あなたのもとへ」というコンセプトを掲げたこの図書館には老若男女がひっきりなしに行き交う。1日の来館者数は平均で2140人(2022年度)にのぼる。プラネタリウムみたいな読書空間、カフェで談笑を楽しむ親子連れ、「今日は観たい映画があるので」と映画ブースに急ぐ人も…。「図書館とはある意味で人生の隠家」―こんな図書館像を彷彿させる巨大空間である。ところで、当地「イーハトーブ」にもこんな夢のよう図書館がとっくにできているはずだったのだが…
「知の泉/豊かな時(とき)/出会いの広場」―。有志の市民でつくる「花巻図書館整備市民懇話会」が新図書館建設に向けた提言をまとめたのは、平成24(2012)年10月。その約2年後の平成26年、上田(東一)市政が誕生した。それからさらに10年以上の歳月が流れた。そして今、提言が求めた新図書館建設は立地場所さえ決まらないという迷走状態をさ迷っている。
「意見集約さえ自力で出来ないというのはまさに、行政の自殺行為。しかも、肝心の予算の執行がとん挫するに至ってはその責任も問われなければならない」―。開会中の花巻市議会9月定例会一般質問の質疑の中で厳しいやり取りが続いた。発端はこうである。「駅前か病院跡地か」…市側は今年6月議会に新図書館の立地場所に関する市民の意見集約に関し、外部の業者に委託する「公募プロポーザル」方式を提案。必要な経費約1千万円の予算を計上した。賛否がぶつかり合う中で、この予算は僅差で可決された。
ところがである。公募に応じたのはわずか1社で、その業者も各種評価点が低く、不採択になった。さ~て、どうする。市側がひねり出したのがいったん、可決された当該予算の“流用”である。この際の通常の行政手続きとしてはまず、公募プロポーザルに伴う予算執行ができなかった責任を謝罪し、改めて予算措置をするというのが筋である。今回はまるで逆。議会側の議決権を無視した上、二元代表制などはどこ吹く風の“強行”突破の雲行きである。こんな時にひょいと、顔を見せるのが上田“強権”支配の素顔である。この人はこう言ってのけた。
「現在、連携関係にある慶応大学FSC研究所に改めて意見集約をするためのファシリテーターの仲介をお願いしている。公募プロ―ポーザルは失敗したが、結果的にはこっちの選択肢の方が良かったかもしれない。新たな予算措置の必要はない。6月議会で議決をいただいた範囲内の正当な行為だ」―。10年間もの遅れを棚に上げ、こんな暴言も飛び出した。「我々も早く建てたいと思っているんですよ。(原点に戻れという議員の指摘は)ちゃぶ台返しを求めているようなもんだ。もっと遅れていいのか」…”狂気の沙汰”ーまるで、ヤクザの啖呵(たんか)。質疑応答の合間に時の人でもある兵庫県知事が話題にのぼった。それにしても似た者同士の口吻(こうふん)ではないか。最近、上田市政の惨(むご)さにしょっちゅう、キレている。そしてまた、キレそうになった。
「ごめんなさい。ちょっと今だけ、今だけ来させてください」―。「ドキュメント72時間」の最終場面の映像がよみがえった。ひとりの男性が図書館の一角で、じっと外を眺めている。今年元旦の能登半島地震で被災し、いまは珠洲市から金沢市内の仮設住宅で暮らしている。七輪づくりの職人で、自宅も作業場も全壊、再建のメドはついていない。マイクを向けられた冒頭の言葉を引き合いに出しながら、哲学者の鷲田清一さんは以下のように書いている(9月6日付朝日新聞「折々のことば」)
「能登半島地震で家が崩れ、家族とともに金沢市に避難した男性は、先行きが見えない中、石川県立図書館をよく訪れ、窓辺で遠くを眺める。みな『ピシッ』としていて『気が引き締まる』感じになると言う。いつか途(みち)が見つかるまでこの空気の中にいたいと。人それぞれの人生の一ステージを支える図書館。NHKテレビの番組「ドキュメント72時間」(8月30日放送)から」
「人それぞれの人生のステージ」という言葉と出会った瞬間、怒りは沸点を超えた。表題のタイトルにその怒りの気持ちが込められている。新図書館の建設が長引けば長引くほど、「人それぞれの人生のステージ」は奪われていく。これこそがまさに「人権」の侵害あるいは蹂躙(じゅうりん)の最たるものではないのか。さらには、品性のひとかけらもない議員個人に対する誹謗中傷も含めて、その責任のすべては行政トップの上田市長にあることをここに記しておきたい。
4年前、市民や議会の頭越しに突然、「住宅付き図書館」の駅前立地という前代未聞の構想が公にされた。のちに、白紙撤回されることになるこの”青天の霹靂”(せいてんのへきれき)こそが図書館建設を遅らせることになった最大の原因であることを、あなた、まさかお忘れになっているんじゃありませんよね。まったくどっちが、ちゃぶ台返しなんだか。当時の議員たちはこの構想に一斉にブーイングを浴びせたが、剣ヶ峰の今議会ではまなじりを決する緊迫した場面はほとんどなし。公募プロポーザルの関連予算にもろ手を挙げて賛成した議員たちは今回の市側の不手際にもっと、怒らんかねぇ。二元代表制などはもう夢のまた夢…当局と議会とが一心同体と化した「一元代表制」の出現である。バカを見るのは市民だけ…
(写真はプラネタリウムさながらの石川県立図書館。その宇宙観に圧倒される=インターネット上に公開の写真から)
《追記ー1》~「ちゃぶ台返し」発言から、今度は「色眼鏡」発言へ
またもや、「花の東大卒」の“迷言”が…。この人たちには何が共通しているのか。病理学的な観点から、興味がわいてきた。記事中の木幡市長は兵庫県知事と同じ総務官僚の出身
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10日に行われた福島市の9月議会の一般質問で、再三の計画変更を余儀なくされているJR福島駅東口の再開発事業を巡る市議からの質問に対し、木幡浩市長が「色眼鏡で見ているのでは」と答弁し、いら立ちを見せる場面があった。質問に立ったのは市議会第2会派・真結の会の鈴木正実議員。再開発事業について市民の理解を深める目的で市が開いているタウンミーティングに対し、市民から「形だけのパフォーマンスで、意見がどこに生かされているのか」「意見を聞いたというアリバイづくりでは」などの声が上がっていると指摘した。
これに対し、木幡市長は「(議員は)色眼鏡で見ている。そういう視点ばかりの発言がされているが、丁寧に市民とコミュニケーションを取っている」と強調。議場には一時どよめきが広がった。鈴木議員は「議論というのは賛成意見も反対意見も必要。再開発施設は、一人でも多くの市民に歓迎してもらうため議論を重ねることが大事」として「色眼鏡」も必要だと締めくくった(12日付「福島民友」電子版)
《追記―2》~またも、東大首長…もう、止まらない!!??
今回の登場人物は宮崎県延岡市の読谷山洋司市長。この人も総務官僚の出身。なお、東大出身の首長は親睦団体「赤門市長会」を結成しており、当市の上田市長も名前を連ねている。
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(その1)延岡市の定期人事異動で、読谷山洋司市長と当時議長だった松田満男議員(自民党きずなの会)が異なる人物に議会事務局長の内示を出すなど混乱した人事問題を巡り、11日の市議会一般質問で両者が言い分をぶつけ合った。同事務局人事が“決着”して以降、公の場で同事案について意見を交わしたのは初。議長名で出された人事異動に関する公文書に捏造(ねつぞう)があった恐れがあると主張する市長発言などを巡り、1時間近く応酬が続いたが、議論はかみ合わなかった(12日付「宮崎日日新聞」電子版)
(その2)宮崎県延岡市の読谷山洋司市長(60)が勤務中の男性職員に、性的な言葉を使って文章の表現変更を指示していたことがわかった。男性職員は「不快に感じた」としており、市職員労働組合が3月に行った職場の実態調査でも「市長からハラスメントを受けた」との趣旨の回答を行ったという。読谷山市長は読売新聞の取材に発言を認めた上で「不快に思われるのであれば適切ではなく、申し訳ない」としている。
指示を受けたという管理職の男性職員によると、昨年の庁内協議で市長から、所属部署が作成した事業計画書に記載された文章の表現を改めるよう求められた。職員が意見を述べると、市長は男性器を指す俗語を使って「この文章には×××がない。覚悟がないんだよ」と変更を指示。別の資料に関しても後日、市長から同じ俗語を使った言葉で修正を指示されたという(6月7日付「読売新聞」電子版、要旨)
(その3)宮崎県延岡市の読谷山洋司市長は7日、上下水道局職員による組織ぐるみでの公文書偽造事案に絡んで昨夏に開かれた庁内の部課長会で、演台をたたき、同局について「ボウフラが集まったような腐った組織」と発言したことを明らかにした。市議会一般質問で猪之鼻哲議員(自民党きずなの会)に事実の有無を問われて認める一方、パワーハラスメントは否定した。取材に対し、読谷山市長はボウフラ発言について「正論をはく職員がすめない職場になっているとの例え話だった」と話した(3月8日付「読売新聞」電子版、要旨)
《追記―3》~暴走する首長(9月13日付朝日新聞「耕論」より)
「あらゆる組織にとって重要なのは、共感性の欠如や強い支配欲、嗜虐(しぎゃく)性など邪悪な性格特性を持つ人に決してパワーを与えないことです。『地位が人を作る』からパワハラをするのではなく、そういう人がパワーを持つからいけないのです。…パワハラは人の尊厳を侵害する、非常にダメージの大きい行為です。危険な人が上に立った時のための事前の備えが必要です」(津野香奈実・神奈川県立保健福祉大学大学院教授=パワハラ研究者、要旨)
《追記―4》~悲鳴を上げる職員たち!!??
兵庫県議会で斎藤元彦知事への不信任決議案が全会一致で可決された19日、県民からの意見を受ける広報広聴課では、職員が電話の対応に追われていた。同課によると、問題が浮上して以降、開庁時間中は常に電話対応に追われているような状態で、通常の6人体制では対応できず、ほかの課などから2、3人を補充。多いときには1日200件以上の電話を受けることもあったという。
大半は県の内部調査の正当性や、公益通報として扱わなかった理由を問う声のほか、知事のパワハラ疑惑や贈答品に関する批判だが、「公約を達成している」「県の旧体制を改革した」など、知事を擁護する声もあるという。ある職員は「知事への苦情でも、直接電話を聞くのは職員。1時間半以上の電話や、『職員も知事の犬』『職員も前県民局長を見殺しにした』などと言われることもあり、精神的に参ってしまいそうになる」と話した(20日付「読売新聞」電子版、要旨)
《追記―5》~当世戯作百選から…これも誰かさんとそっくりだなぁ!!??
「私は知事だぞ!と言ったかどうかですが、言いました。私は知事ですから。知事じゃないのに知事だぞと言ったとすれば虚偽になりますが、私は知事なんですから、知事だぞと申し上げただけ。まあ指導の範疇とはいえ、先方にとって不快だったとすれば、お詫びを申し上げなければならない。自分で言うのもなんですが、一度手に入れた権限は絶対に手放しません。そのうえ、粘着質。弱いやつらは徹底的に焼きを入れる。なんたら構文のヒト(石丸伸二・前広島県安芸吉田市長)と同じ?あっちは京大か知らんがこっちは東大。しかも、2番じゃなくて1番で選ばれたんだよ、民意で」。これって、“東大話法”っていうんだっけ(9月20日発行週刊金曜日「松崎菊也/あの人の独り言」、要旨)
《追記―6》~「勧善懲悪省」(徳の奨励と悪徳の禁止の省)!!!???
アフガニスタンを支配するタリバン(イスラム主義組織)の「勧善懲悪省」が女性の“歌う権利”を禁止したというニューを見ながら、ふと英国人作家、ジョージ・オーウェルの代表作『1984』(1949年刊)を思い出した。オーウェルはその中で監視社会の近未来の恐怖を描き、「ビッグ・ブラザー」が率いる一党独裁の政体をアイロニカルに「真理省」や「愛情省」などと表現した。その予言が的中したわけだが、待てよ、この風景は日本全体そして海の向こう、いや足元の「イーハトーブ国」にも共通するたたずまいではないのか。思わず、背筋がざわッとしてしまった。
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