「図書館とは屋根のついた公園である」―。このメッセージに思わず、うなってしまった。「みんなの森 ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務める吉成信夫さん(67)の信念である。メディアコスモスは岐阜市内にある市立中央図書館を中核とした複合施設で、2015(平成27)年7月にオープン。吉成さんは公募によって、初代図書館長に就任した。この施設は2年前、「図書館と市民運動を軸に地域の可能性を追及している」として、図書館の先進的な活動に送られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」を受賞した。なお、見通しがきく広々とした空間は著名な建築家、伊東豊雄さんが設計した。
吉成さんと当市とは不思議な縁(えにし)で結ばれている。(宮沢)賢治好きが高じて、東京生まれの吉成さんは1996年、一家で岩手に移住。賢治が技師として働いた旧東北砕石工場に併設して建てられた「石と賢治のミュージアム」(一関市東山、1999年オープン)の開設をほぼ一人で担った。また、自然と共生する“賢治ワールド”を実現しようと2年後には葛巻町の廃校を利用した「森と風のがっこう」(NPO法人岩手子ども環境研究所)の開設にこぎ着けたほか、一戸町奥中山の「県立児童館」(いわて子どもの森)の館長なども歴任した。
「ここにいることが気持ちいい。何度でも来てみたくなる。ずっと、ここに居たくなる」―。吉成さんが館長に就任したのはオープンのわずか3か月前のこと。図書館のコンセプトもまだ、固まっていなかった。「滞在型図書館」を目指した吉成さんはこの三つの方針を掲げ、「これまで図書館を利用していない人に、どうやったら利用してもらえるのか」ー試行錯誤を重ねながら、様々な試みを実現した。開館までの足取りも当市と酷似している。
「私が館長として考えてきたことは、柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与で きるのか、ここに来た人をどうやって向こうまで振り向けられるのか、それから、どうやったら本を通じて商店主たちを浮かび上がらせることができるか、スポットライトを浴びせることができるのかということを考えたかったわけです」―。吉成さんは開館1周年の記念講演でこう述べている。現図書館が建つのは岐阜大学の旧医学部の跡地で、当市の立地候補地と同じ「病院跡地」という共通点もある。「柳ヶ瀬ブルース」が流れた柳ヶ瀬商店街もシャッタ—通りと化して久しい。「上町商店街」に置き換えてみると、「立地」論争に揺れる当市の新図書館問題の負の部分が透けて見えるような気がする。
吉成さんの著作に『ハコモノは変えられるー子どものための公共施設改革』(2011年1月刊)がある。行政主導型からの発想の転換を促し、それを実践してきた“奮戦記”ともいえる記録である。1階部分には市民活動交流センターや多文化交流プラザがあり、「婚活」ならぬ本を通じた”としょこん”などユニークなイベントが盛りだくさん。禅僧に座禅の場を提供したことも…。名勝・金華山を望むテラス席は人気の的で、霊峰・早池峰山を遠望できる当地の「病院跡地」と立地環境も似通っている。吉成さんは前掲の講演会でこう力説している。
「ここは、もともとは岐阜大学の医学部があったと ころです。ですから、中心市街地でもこんなに大きな場所が取れたのです。その中でどうやって今までにない人の対流を起こしていくのか、人がどうやって出会っていくのか、そこに本がどうやって介在していくのか。図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく、そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」
メディアコスモス全体の来館者数は年間、120万人を超えた。実に1日当たり3,300人近い数である。図書館を通じた「まちおこし」が着実に進んでいる。「吉成」流に学ぶ点が余りにも多い。
(写真は電球の傘を模した「グローブ」と名づけられた図書館の一角。子どもたちの居場所にもなっている。メインスローガンは「子どもの声は未来の声」)
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