「災害の現場も見ず、被災者の声も聞かずにどうやって救済できるのか。独断で現地に入った国会議員を批判するなど本末転倒。最低限の随行人数で現地の悲鳴を最大限受け止めてきてよね。首相なら」(1月10日付「東京新聞」本音のコラム)―。歯に衣着せない文芸評論家の斎藤美奈子さんが能登半島地震をめぐる与野党の「視察自粛」申し合わせやれいわ新選組の山本太郎代表に対するバッシングという“狂態”ぶりを痛烈に批判しているが、当市花巻でも日本赤十字社が募集する義援金の窓口を設置しただけで、被災地に寄り添った具体的な支援の動きはいまだに見えてこない。
東日本大震災(3・11)の被災自治体である大船渡市ではいち早く、ふるさと納税による「代理寄付」の受付を始めた。被災地の輪島、七尾両市へのふるさとの納税の受け入れ事務を代行するほか、公営住宅の提供(10戸程度)、被災児童の受け入れ(小学生70人、中学生30人程度)、介護チームの派遣などの支援を打ち出した。「3・11の際の支援を忘れることはできない。壊滅的な被害を受けた自治体のお手伝いを少しでもできれば…」と担当者。また、盛岡市でも給水車の派遣を第6次まで継続派遣する方針を決めたほか、県も約260戸の公営住宅などを2次避難先として、確保したことを明らかにした。
「早池峰の風薫る/安らぎと活力にみちた/イ-ハト-ブはなまき」―。当市は将来都市像として、こんなスロ-ガンを掲げている。宮沢賢治が「理想郷」と名づけた、そのイ-ハト-ブへのふるさとの納税の寄付額は令和3年度で約44億円。自治体別ふるさと納税寄付額のベスト100(同年度)の中で、全国24位のランクにあり、東北でトップの寄付額である。ちなみに、今年度の寄付額は現時点で総額90億円(見込み)という巨額にのぼっている。「こんなに潤沢なお金があるなら、こんな時こそ被災地支援に生かすべきではないか」という声があちこちから聞こえてくる。
「温泉に一緒に浸かって背中を流してあげたい。暖かいみそ汁とご飯を口元に運んであげたい。何をやるべきか、何をやらなければならないか―。走りながら考え、みんなで知恵を出し合おうではありませんか。試されているのはわたしたち自身の側なのです」(趣意書から)―。「3・11」の4日後、私たち有志は支援組織「いわてゆいっこ花巻」を立ち上げた。髪も爪も伸び放題の被災者たちがうめくように言った。「あんたのところは東北有数温泉地。風呂さ入れてけねべが」
「日帰り入浴」支援はこのひと言でスタートした。温泉経営者が千人風呂と厨房、大型バスを無料で提供してくれた。行く手を阻むがれきを手で押しのけながら、バスは被災地へと向かった。女性ボランティアは被災者の性別、年齢、サイズごとに真新し下着を準備し、厨房では手料理に腕を振るった。震災2週間後、大槌や陸前高田、大船渡などの被災地から数百人が湯船で歓声を上げた。「生き返った」…心からのこの言葉がまだ、耳底に残っている。私たちはあの時、賢治の詩「雨ニモマケズ」に背中を押されたのだったのかもしれない。受難者に寄り添おうというこの「行ッテ」精神はいま、いずこに…
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ……
(写真は真新しい下着を被災者に手渡す女性ボランティア=2011年3月中旬、花巻市の志戸平温泉で)
《追記-1》~がれきをかき分けて進むバスと車中の光景、そして、「いい、湯だな」(コメント欄に写真)
「3・11」の際は震災直後から、“生きている”道路を辿って、何とか沿岸被災地に行き着くことができた。今回の地震は半島という地理的条件がネックになり、支援の手が届きにくくなっている。一刻も早いホテルや温泉地などへの「広域避難」が望まれる。
《追記―2》~「雨風太陽」が炊き出し支援プロジェクト
産直アプリ「ポケットマルシェ」の運営などを手がける(株)「雨風太陽」(あめかぜたいよう=本社・花巻市)が能登半島地震の直後に被災地入りをし、仲間たちと炊き出し支援プロジェクトを立ち上げた。産直アプリに登録する全国の生産者から食材を提供してもらい、産地直送の食材を使った料理を提供する。代表の高橋博之さんは「いわてゆいっこ花巻」の呼びかけ人の一人である。
《追記ー3》~岸田首相が被災地へ。歴代首相でラストランナー
岸田首相が14日午後、能登半島地震で壊滅的な被害を受けた石川県の輪島市と珠洲市を2週間ぶりに視察した。ちなみに、歴代首相の被災地視察では一番遅い。一方、当市でも13日、被災地である石川県白山市、内灘町に生理用品や紙おむつ、携帯トイレなど、15日にはアルファ化米(災害用非常食)やブルーシートなどを輸送した。後だしジャンケンでも良し、これからも支援の継続を。
・阪神・淡路大震災(1995年1月17日)~村山富市首相:2日後
・新潟中越地震(2004年10月23日)~小泉純一郎首相:3日後
・東日本大震災(2011年3月11日)~菅直人首相:翌日
・熊本地震(2016年4月14日)~安倍晋三首相:予定の16日に大きな余震があっため、9日後
(斎藤さんの「本音のコラム」より)
《追記―4》~阪神・淡路大震災とシリコロカムイ
29年前も新しい年明けの決意をへし折るような大災厄だった。能登半島の無残な光景がそれに重なった。被災地に入った際のもうひとつ光景が目に焼き付いている。倒壊した家屋を支えていたのは街路樹の木々たちだった。当時、私は以下のような原稿を現地から送った。忘れられない記事のひとつである。
※
現地ルポのために西宮市に入った私は倒壊した建物群にではなく、その倒壊を防ぐように家々を支えている街路樹の並木に目を奪われた。被災者たちは公園の中の巨木に下に身を寄せ合っていた。足元には地中深くまるでタコの足のように太い根が張り巡らされていた。「木はただ、地面に突っ立っているんじゃない。逆に地面を下から支え持っているのさ」―。ふと唐突に、アイヌのフチ(おばあさん)の言葉を思い出した。樹木のことをアイヌ語で「シリ(大地を)・コロ(持つ)・カムイ(神)」という。「逆立ちしてごらん。そうすれば、あんたも木の神様になれるっていうわけさ」とフチはその時、自然を畏敬(いけい)する大切さをそう語った。
<署名延長のお知らせ>
新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025-0084岩手県花巻市桜町2丁目187-1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080-1883-7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22-7291(おいものせなか)
署名用紙のダウンロードは、こちらから。 「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。署名実行委員会の活動報告などは「おいものブログ」(新田文子さん)の以下のURLからどうぞ。
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