「地球そして人類の将来に不可欠な『共生』という考え方があります。それは宮沢賢治の精神風土そのものです。これからの東北を生きるみんながケンジのような心と知恵を持てたら、ケンジでさえ考えなかった大きな夢をこの地でかなえることができるかもしれません」(1996年6月4日付「新潟日報」)―。27年前のこんな新聞広告を偶然見つけた。頭に血が上った。いや、外に噴き出してしまった。
最初はてっきり、“賢治精神”の大切さを訴える文面と思いきや、広告主の名前に仰天した。「東北電力」が原発との“共存”へと世論を誘導しようとした内容だったからである。たとえば、賢治の『烏(からす)の北斗七星』に通底するある種の“自己犠牲”の精神性が80年前の出陣学徒の遺書に書き残されているように、「賢治」という存在は時代に利用されやすい“両刃の剣”の側面を持ち合わせていることについてはこれまでも触れてきた。しかし、これはまったく次元が違う。犯罪的ともいえる賢治の“悪用”―詐欺師の口上そのものではないか。
当時、新潟県県西蒲原郡巻町(現新潟市西浦区)では東北電力が立地を計画する「巻原発」をめぐって世論が二分される混乱が続いていた。スリ-マイル島(米国、1979年)やチェルノブイリ(ソ連、1986年)での原発事故によって、地元民の間にも立地反対の動きが強まっていた。その是非を問う、条例制定による日本で最初の住民投票が1996年8月4日に行われ、反対派が勝利。その8年後、東北電力は計画の撤回に追い込まれた。それにしても、「賢治と原発」という真逆の理念を強引に結び付けようとする“原子力村”の思考には今さらながら、怖気(おぞけ)を覚えてしまった。
「原発は人類と共存できないし、必要でもない。これからのエネルギ-でもない」―。当時シンポジウムに招かれて、こう喝破したのは今年没後23年の市民科学者、高木仁三郎さん(10月15日付当ブログ参照)。「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」(「羅須地人協会」集会案内)…この賢治の言葉に導かれるようにして「反原発」の立場を鮮明にしたのが他ならない高木さんだったが、その同じ賢治が原発立地の水先人みたいに利用されるという危うさ…
ちなみに、巻原発の住民投票が実施されたその年は賢治生誕(8月27日)100年の節目に当たっていた。電力業界やマスコミ、それに地元・花巻や賢治の生家などがこぞって担(かつ)ぎあげた賢治”神輿”の上で苦虫を噛みつぶしていたのは、当のご本人だったにちがいない。そしてそれは決して、過去の“亡霊”ではない。
岸田政権は今年2月、原発の新規建設や60年を超える運転を認めることを盛り込んだ「GX(グリ-ン・トランスフォ-メ-ション)実現」に向けた基本方針を閣議決定。福島第一原発事故以降の原発政策の転換が、正式な政府方針となった。だからこそ、「イ-ハト-ブ」(賢治の夢の国=理想郷)の住人のひとりとして、誤りのない「賢治発信」を心がけたい。新花巻図書館こそがその“発信”基地にふさわしいと思っている。「駅前か病院跡地か」―。当地でもいま、賢治を巻き込んだ”立地”論争が大詰めを迎えつつある。
(写真は賢治が悪質な政治利用に供された東北電力の新聞広告)
《追記―1》~「474」という数字の不思議…“禍福は糾(あざな)える縄のごとし”!!??
「原発賛成474票×原発反対9854票」―。住民投票に先立つ1995年2月5日、巻町の町民有志が立地の是非を問う自主的な住民投票を実施した際の票数である。オヤっと思った。頭の隅にこびりついている数字…なんと、昨年夏の市議選で惨敗した際の私の得票数とピッタリではないか。そして、ニャッとほくそ笑んだ。「4(死)と4の羽交い絞めにあっても7(ラッキ-)は耐えた。こっちは玉砕したが、あっちは勝った」。まこと「禍」と福」とは糾える縄のごとし、ではないか。
《追記―2》~「イ-ハト-ブ(まるごと賢治)図書館」の実現へ向けて!!??病院跡地への立地を求めて、署名運動がスタート
花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」など三つの市民団体が、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などは以下からラウンロードを。11月23日必着。
★新花巻図書館は病院跡地に!の全国署名を10月1日スタートします。署名用紙のダウンロードはこちらから。集まった署名は11月23日必着でお願いします。
「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。おいものブログのカテゴリ-「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」は「夢の新花巻図書館を目指して」に変更しました。署名実行委員会の活動も報告していきます。新田さんのURLは以下から
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