「反原発の源流は賢治だった」―。生活に根差した「反核」思想の最前線に立ち続けてきた物理学者、高木仁三郎さん(享年62歳)の没後23年の今年、改めてその著作を開いてみて、そのことを確信するに至った。1995年、「賢治の科学思想の伝承と実践」という研究テ-マで、第5回(宮沢賢治)イ-ハトブ賞を受賞した高木さんの“原点”に分け入る旅に同行した。水先案内人は自著のずばり、『宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジ-』である。
『やまなし』、『雁の童子』、『銀河鉄道の夜』、『グスコ-ブドリの伝記』…。賢治作品をたどるその旅は高木さんの思想遍歴をさかのぼる道行きと言っても良かった。原子力開発の研究に携わってきた高木さんは35歳の時、卒然と大学教授の職を辞し、反原発運動の拠点となる「原子力資料情報室」を立ち上げた。「180度」の転換である。「じつにわたしは水や風やそれらの核の一部分で、それをわたしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたしなのだ」(詩「種山ヶ原」初期形)―。この時の賢治”発見”の感動を高木さんはこう記している。「自然を人の勝手のままに荒々しく利用してきた文明が袋小路にはいったいまこそ、人と自然の優しい関係に新しい光をあててみたい」(「家庭画報」1988年1月号)
「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」(「羅須地人協会」集会案内)―。賢治は花巻農学校を退職後、農民らを対象にした私塾を設立した。「科学をどのようにして人間的な場に戻すか」という自問のさ中にあった高木さんにとって、賢治のこのひと言はまさに、天啓のように映ったにちがいない。『プルトニウムの恐怖』、『核時代を生きる』、『市民科学者として生きる』…。矢継ぎ早に「核の恐怖」を警告してきた高木さんだったが、福島原発は没後11年後に「想定外」の爆発事故を起こした。余りにも短命に過ぎた。
高木さんが最初から賢治”信者”だったわけではない。むしろ逆だった。たとえば、あの「雨ニモマケズ」の書き出しについてはこう語っている。「なにか聖者の道徳講話のような感じを受けて、『サウイフモノニ/ワタシハナリタイ』と言われても、とても私はムリだし、ゴメンだという拒否感が強かった」(『宮澤賢治の冒険』)。長じるに及んで、次第にその心境に変化の兆しが…。そして、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ…」の段に行き着いた途端、高木さんはまるで人が変わったみたいにこう、宣言する。
「常にオロオロし、涙を流すところから、いわばその原点、その目の高さから科学をやっていきたい。それが私にとっても決意表明となったのです。『オロオロし』、『ナミダヲナガス』のを敗北宣言としかとれない書斎派の人には、所詮、実人生を賭して実験をする、そしてそれがひとつの芸術や科学の新しい地平を構成するなどとは思いもよらなかったのでしょう。しかし今、私にとっては新たな『雨ニモマケズ』が甦っています」(同上書)。そういえば、高木さんは「原子力資料情報室」をつくるきっかけが賢治の「羅須地人協会」だったことを繰り返し述べている。
それにしてもである。吉本隆明さんにしろ(10月10日付当ブログ参照)、高木さんにしろ、最高峰の思想家をこれほどまでに“翻弄”(ほんろう)して止まない賢治とは一体、何者なりや。私は最大限の賛辞を込めてつつ、わが郷土の偉人に対し、世紀をまたぐ“詐欺師”なる称号を献上したい気持ちを抱いている。「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」(『春と修羅』序)―。賢治自身自らが己を「(自然)現象」と位置づけ、”不滅”宣言をしている所以(ゆえん)からである。
「雨ニモマケズ」宣言―。これはもしかしたら、日本だけではなく、ウクライナやパレスチナなど戦争の真っ只中にある世界の危機に向かって発せられた、[銀河宇宙」からの賢治の意を決したメッセ-ジなのかもしれない。
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
(写真は「反原発」を訴え続けた生前の高木さん=インタ-ネット上に公開の写真から)
《追記―1》~100年ぶりの“和解”か(9月15日付当ブログ参照)
韓国で開催された「第28回釜山国際映画祭」(10月4日~13日)のニューカレンツ部門に選出された映画『福田村事件』(英題:SEPTEMBER 1923)が、13日に行われた授賞式で、ニューカレンツ賞(ニューカレンツ部門の最優秀作品賞)を受賞した。ちょうど100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災の後、千葉県福田村で起こった、行商団9人が地震後の混乱の中で殺された事件の実話に基づいた劇映画。
ニューカレンツ部門は、アジアの新人監督(1~2作目が対象)が参加するコンペティション。監督を務めた森達也は、『A』『A2』、そして『i 新聞記者ドキュメント』といったドキュメンタリー作品を手掛けてきたが、本作で初めて劇映画の監督に挑戦した(シネフィルニュース)
《追記―2》~映画「ラマッラの市長」
「ガザ病院爆発 471人死亡」(10月19日付「朝日新聞」―。イスラエルとパレスチナ(ハマス)との対立がついに「大虐殺」という最悪の様相を見せつつある。まさに時節を合わせるようにして、その「対立」のさ中で苦悩するある市長の姿を追ったドキュメンタリ-映画「ラマッラの市長」(2020年、米国)が日本で初公開された。海の向こうの悲劇を「対岸の火事」としてはならない。その内容は―
パレスチナ自治政府が置かれた街、ラマッラ。隣接するエルサレムは、パレスチナとイスラエルの両国が権利を主張する紛争地となっている。ラマッラ市長のムサは、市民の安全と生活向上、そして希望を標榜する。そんな彼の耳に「米国が在イスラエル大使館をエルサレムに置く」という知らせが入った。市長はわずかな情報を頼りに奔走し、反発する市民に対応する。公共工事でさえイスラエルの許可がないと施工できない理不尽な状況の中、占領下の市長として難しい舵取りを行う日々をカメラが追った(映画案内から)。以下のアドレスから
https://asiandocs.co.jp/contents/277
《追記ー3》~「イーハトーブ(まるごと賢治)図書館」の実現へ向けて!!??病院跡地への立地を求めて、署名運動がスタート
花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」など三つの市民団体が、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などは以下からラウンロードを。11月23日必着。
★新花巻図書館は病院跡地に!の全国署名を10月1日スタートします。署名用紙のダウンロードはこちらから。集まった署名は11月23日必着でお願いします。
「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。おいものブログのカテゴリー「イーハトーブ図書館をつくる会」は「夢の新花巻図書館を目指して」に変更しました。署名実行委員会の活動も報告していきます。新田さんのURLは以下から
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