「基本的には場所はどこでもいい。建物ができてしまえば後は世代を超えた協同の機運が自然に熟してくる」―。新花巻図書館の立地論争が二分される中、「利用者本位の開かれた図書館とは」と題する講演会が23日、東和図書館で開かれた。「東和図書館結いの会」(日下明久美代表)の主催で、時宜を得た企画とあって約40人の市民が町内外から足を運んだ。講師は新図書館のアドバイザーを務める富士大学の早川光彦教授(経済学部=図書館学)。私が喫緊の行政課題である立地場所について質問したのに対する回答が冒頭の”びっくり”発言だった。考えて見れば、市が後援していること自体が不自然なことだった。
私は次の3点について、質問した。①現在、新図書館の立地場所として、市が第1候補に挙げるJR花巻駅前に対し、旧花巻病院跡地への立地を望む市民の声も大きくなっている。市民の意見が二分されつつあるこの現状をどう認識し、その原因はどこにあると考えるか、②これまで高校生や各種団体などへのアンケ-ト調査が実施されたが、公平性が担保されたのは不特定多数の一般市民を対象にした説明会(計17回)だけである。その際の発言者の32人は病院跡地を希望し、駅前立地を希望したのは18人。この数字をどう評価するか、③高校生の意見集約は統計学上の原則(たとえば、無作為抽出や有意性のあるサンプル数など)を無視した手法になっており、その蓋然性に疑義が残る。市民全員の意見集約をするためにはどんな方法があるか―
質疑応答の中で、早川教授は「図書館は民主主義の学校と呼ばれ、進化を続ける有機体にもたとえられる。この過程には意見の多様性が当然、生じる」と話し、具体的な立地場所については「立場上、私からは言えない」と言葉を濁した。そう、まさに「立場」がそうさせているのである。早川教授は「としょかんワ-クショップ」(2020年7月~10月)と2年前に設置された「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」のアドバイザ-として、現在に至っている。つまり、「駅前立地」という市側の構想に実質的な“お墨付き”を与えた当事者のひとりと言える立場にある。さらには双方の間に「報酬」の授受関係があることも忘れてはならない。このことを専門筋では「ステ-クホルダ-」(利害関係者)と呼ぶ。
「場所はどこでもいいというが、私たちのグル-プはどこが一番、図書館にふさわしいのかとずっと勉強し、議論を続けてきた。こんな言い方はない」、「駅前派とか病院派とか市民を分断する空気がいやになってきた。双方が率直に意見を交換するような場を設置すべきではないか」…。こんな発言が相次ぐ中、会場ではそれを妨げようとする下卑たヤジや、「あの人は誰だ。妨害者がまぎれ込んでいるんでは…」といったささやきがもれ聞こえた。元鳥取県知事で総務大臣を歴任した片山善博さん(71)が以下のような発言したのは8年前。当市の行政はもはやその体(てい)をなしていないと言わざるを得ない。煎じて飲ませる”処方箋”さえもう、見当たらない。
「私は図書館が専門ではなく、地方自治が専門だ。なぜ、図書館について一生懸命なのかとよく聞かれるが、今の日本の図書館を考えることは日本の地方自治の在り方を考えるのと同じ。(そのために)図書館は必須で不可欠のもの。その図書館の在り方に対して、住民が行政に発言する機会がない。日本の議会にはいっさい、そういう時間はない。それを変えるには、図書館が最もわかりやすい例ではないかと思っている」(2015年5月、「図書館と地域をむすぶ協議会」主催のシンポジウムでの発言)。片山さんには『地方自治と図書館―「知の地域づくり」を地域再生の切り札に』というタイトルの共著もある。
(写真は会場を埋め尽くした参加者。活発な意見交換が行われた=4月23日午前、東和図書館で)
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