「ワ-クショップの開催に当たっては、参加者の緊張感を和らげ、参加者各人が意見を述べやすい雰囲気づくりなど運営手法に気を配っているところであり、これらのことを考慮したものです」―。10月19日開催の「まちづくり市民ワ-クショップ」の際に配布された「傍聴される方へのお願い」と題する文書の策定経過や背景などを求めた行政文書開示請求について上田東一市長名で8日、冒頭のような回答が寄せられた。上に再掲した当該文書ととくと読み比べてほしい。まるで、“暴徒集団”の乱入を想定したかのような書きぶりではないか。そして、市民が総がかりで作り上げるべきはずのまちづくり総合計画における、傍聴者の“締め出し”にも匹敵する姿勢に改めて腰を抜かした。
3期目の当選を果たした直後の市議会定例会での上田市長の発言がこの文言に重なった。”ゴッドファ-ザ-“はこう宣(のたま)った。「強い意見をお持ちの方が、その市民説明会の全体の進行をコントロ-ルするようなことになって市民全般の意見を聞くことができない場合には、また別の方法も考える必要があります。場合によっては、我々のほうから指名しながら…そういう中で検討していただくような組織の立ち上げというのもあり得る」(令和4年3月定例会会議録より)―
上田「1強」宣言の発令…たとえば、参加者から提案があった新しい将来都市像のひとつ―「湯ったり/恵安倍(ぇやんべ)に~結の花っこ/咲くはなまき」。もう、納得!!合点!!イーハトーブの「お花畑」のこんな貧相なたたずまいに。百花繚乱の趣きを演出したつもりが、幕を開けて見れば、ごてごてしたスローガンだらけのあの”万華鏡”まがいに。”賢治精神”などどこ吹く風の想像力の欠如に…。あぁ、むべなるかな(10月19日付当ブログ参照)
「穴があったら、入りたい」という心持ちとはこのことを言うのであろうか。心底、恥ずかしくなった。担当部署(総合政策部)に電話を入れた。「次回も同じ文書を配るのか。イ-ハト-ブの住人として、こんな品のない内容は赤面もの。外に顔向けもできない。せめて、文言をもう少し柔らかくするとか…」―。「一切考えてもいないし、何ら問題ないと考える」という応答に目が点になった。「凡庸な悪」というあの戦慄すべき言葉が急降下するのを覚えた。ナチズムなど全体主義の恐ろしさを告発した哲学者のハンナ・ア-レントはこう語っている。
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を私は”悪の凡庸さ”と名付けました。考えるのを止めたら、人間じゃなくなる。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状態であっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」―。ユダヤ人大虐殺という恐ろしい事件の首謀者は上司からの命令に逆らわず、言われた通りに行動した普通の人間だということをア-レントは指摘したのである。「誰であろうと、思考を放棄すれば根源的な悪になりうるのだ」と…
「県と花巻市の防雪柵工事補助金/会計監査院が不適切使用と指摘」―。こんなニュ-スがマスコミで取りざたされている。市側は「単純なミス。チェック体制を強化して、再発防止に努めたい」としているが、工事のやり直しで税金のむだ遣いになることに対する釈明は8日現在、HP上には見当たらない。”思考停止”という重篤な病が「ブルシット・ジョブ」(壮大な無駄=10月2日付当ブログ参照)さながらの精神病理学的な症状を伴ないながら、このまちの全身を侵しつつある。
(写真は傍聴者に対する“人権侵害”ともいえる問題の文書=再掲)
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