「歴史の当事者たらんと」…城跡見学会に大勢の市民が参加!!??

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 「歴史って、今ここにいる私たちが創っていくもんなんだよね。大昔の人たちの生活のにおいをかぐと、そう思わざるを得ない」―。ある女性が遺跡の一角に目を凝らしながら、ひとり言のようにつぶやいた。足元のくぼ地の層に黒ずんだ部分がくっきり。「炭化物の分析から、当時の『かまど』(台所)の跡だと考えられます。貴重な焼土遺構です」と説明員。

 

 快晴に恵まれた29日、花巻城跡(本丸)の現地説明会が行われた。花巻市教育委員会が「花巻城保存計画」(仮称)の策定に向けて、平成28年度から進めている遺跡調査の一環で、今回は本丸御殿跡の発掘現場が披露された。遺構の下層には最大で80センチ程度の盛土層が姿を見せ、中世末以前の陶磁器が多数出土した。花巻城はその前身である「鳥谷ヶ崎城」を大改修して築城され、明治6(1873)年に廃城になるまで威容を誇った。中でも注目されるのは旧総合花巻病院の解体に伴って、全貌を現した防御の要衝―「濁堀(にごりぼり)。南北360㍍、巾30~50㍍、深さは現況で7~8㍍にも達する。「余りにも深くて底が濁って見えなかったので、そう呼ばれたのでは…」という説明員の解説に納得。

 

 二の丸西側のこの「濁堀」と接する旧病院跡地が新花巻図書館の最適な立地場所として、市民の関心が高まっている。宮沢賢治が教鞭をとった「稗貫農学校跡」(のちの花巻南高校、現まなび学園)と賢治自身も通った「花城小学校跡」(現花巻小学校)の石柱が立つそのちょうど真ん中にポッカリと出現した空間。かつては武家屋敷が建ち並んでいたという。この日も雲ひとつない青天の向うに霊峰・早池峰や岩手山がくっきりと浮かんでいた。「私もお城マニアだが、こんなに人が集まったのは初めて。やはり、図書館問題が火をつけたのかな」―と初老の男性がほほ笑んだ。ざっと数えてみると、子どもたちや若いカップル、高齢者などその数は50人以上。

 

 「僕は歴史が大好き。だから、お父さんに頼んで連れてきてもらった」―。東和町から来たという小学4年生の男子(10)は配布された資料と首っ引きで遺構をのぞき込んでいた。お城愛好家だという男性(67)は相好を崩しながら、言った。「私が30代のころは全国的なお城ブ-ムで、あちこちで城下町サミットが開かれていた。一方で、足元の花巻城跡はがれきの荒野に成り果てている。いまからでも遅くない。図書館立地をきっかけに城跡全体の再生を本気で考えなくては…」

 

 上田東一市長がコロナウイルスに感染し、27日から11月3日まで自宅療養中だという掲載記事を市HPで知った。どうしたわけか刹那(せつな)、ニュ-トンの「万有引力」法則に伴うエピソ-ドが頭をよぎった。17世紀、ペストの大流行でケンブリッジ大学が長期閉鎖になり、田舎で自宅療養を続けていた。その時、ニュ-トンはリンゴが木から落ちるのを見て、この大発見をしたと言われる。それゆえにこの貴重な時空間はのちに「創造的休暇」と呼ばれるようになったという。果たして、上田市長はどんな“創造的”な休暇を過ごしているのだろうか。市政の来し方行く末に思いを巡らせる時間に当ててほしいと切に願いたい。

 

 

 

 

(写真は世代を超える市民が集まった見学会=10月29日午前、花巻市城内の鳥谷ヶ崎公園で)

 

2022.10.30:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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