「賢治の描くゴ-シュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴ-シュの姿が自分と重なって仕方ありません」―。先の市議選で惨敗を喫して以来、2年半前にアフガンの地でテロの銃弾に倒れた医師、中村哲さん(享年73)の“遺訓”ともいえる言葉の数々が頭をよぎり続けている。
冒頭の言葉は平成16年、中村さんが宮沢賢治イ-ハト-ブ賞を受賞した際、現地から寄せたメッセ-ジの一部である。医師の肩書を持ちながら、干上がった大地に井戸を掘り、砂漠の荒野に緑を蘇(よみがえ)らせた哲さんの生きる“哲学”は昨年、『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』として一冊の本にまとめられた。こんな折しも、アルプス山脈のふもとで羊飼いのかたわら、黙々と木を植え続けてきた男の物語に出会った。フランス人作家、ジャン・ジオノの『木を植えた人』(原みち子訳)である。寡黙な男との遭遇をジオノはこんな風に描写している。
「めざす場所に着くと、羊飼いは鉄の棒を地面に突き刺した。こうして穴ができると、団栗(ドングリ)をひとつ入れ、上をふさいだ。樫(カシ)の木を植えているのだ。あなたの土地ですか、と問うと、否とのこと。ではだれのものなのか。男は知らなかった」、「私はブフィエ(主人公の羊飼い)の失望についてはこれまでなにひとつ述べなかった。しかし、容易に想像がつくであろうが、成功をもたらすためには、それを妨げようとするものにうち勝たねばならない。情熱が勝利を得るためには、失望と戦わねばならない。ある年、一万本のカエデを植えてみたが、一本も育たなかった。翌年、カエデはあきらめ、ふたたびブナにかえたところ、カシ以上の成功だった」
ここまで書き進めてきた時、ふいに「虔十」の姿が哲さんとブフィエに重なった。一瞬、3人が溶け合ってしまったように感じた。宮沢賢治の童話『虔十公園林』は知的障がいを持つ虔十が周囲にバカにされながらも、せっせと杉の苗木を植え続ける物語である。こんな一節がある。
「その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力(じふりき)の作用は不思議です。こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては」…
ジオノは森林保護隊長の驚嘆の言葉をこう記している。「あの人(ブフィエ)はだれよりもよく知っている。ほんとうの幸福への道を探しあてている」
(写真は40年近くも前に書かれ、いまも読み継がれている『木を植えた人』。翻訳本も各種ある
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