「去年は12匹いたのに、今年はたったの2匹…」―。日出忠英さん(81)はこう言って、がっくり肩を落とした。日出さんは東日本大震災で故郷の宮城県気仙沼市を追われ、当市花巻に居を移した。移住後に妻を亡くし、いまは市中心部に建つ災害公営住宅に1人で暮らしている。私はホタルの発見者が日出さんだということよりも発見者の日出さんがあの震災の被災者であるということに胸を突かれた。
「第2のふるさと」になるべく早く溶けこもうと、日出さんは健康管理を兼ねて近隣の散策を日課にしてきた。近くに大堰川という小川が流れている。造園家でもあるその目はつい、居住空間と自然環境とのバランスに向けられてしまう。ちょうど、猛暑に襲われた去年の今ごろ、川岸の水草の中で明滅を繰り返すホタルを見つけた。1匹、2匹、3匹…。数えると全部で12匹。「こんなまちなかに…」―。高鳴る胸を押さえながら、日出さんはこの大発見の一報を私に伝えてくれた。「元々の地元住民ではなく、新しいふるさとの宝物を見つけてくれたのが被災者の目だった」―このことに私の胸は逆に高鳴った。
「それがねえ、今年はたったの2匹。周囲に街路灯が増えたせいかもしれません。ホタルは外部の光に敏感だから…」―。日出さんから落胆の連絡があった先月末、私はたまたま分子生物学者、福岡伸一さんの文章になる『月刊 たくさんのふしぎ―ホタルの光をつなぐもの』(絵・五十嵐大介、福音館書店)を手にしていた。末尾にこんな言葉が置かれていた。
「私たち人類が地球に生まれたのは、ほんの20万年前。ホタルが生まれたのはなんと1億年前。途方もない時間をこえて、ホタルは命をつないできている。ホタルの光は、生きものがつながりあっている美しい証(あかし)のようなものだね。これまでもつながってきたし、これからもつながっていく。光の明滅は、一度も途切れたことがない。そして、わたしたちの命もその環(わ)の中のひとつだよ」―。私は日出さんと福岡さんから大きな勇気をもらったような気がした。
「賢治の理想郷『イ-ハト-ブはなまき』」の再生はホタルが乱舞するまちづくりから」―。私は近づく市議選の辻立ち(街頭での訴え)のたびに、このスロ-ガンを絶叫している。そういえば、福岡さんは賢治の代表作『春と修羅』を引き合いに出して、こう書いている。「『春と修羅』には、コロナ禍におかれた私たちが文明社会の中の人間というものを捉えなおす上で非常に重要な言葉が書かれている。まず、冒頭で『わたくし』は『現象』だと言っている。これは『わたくし』という生命体が物質や物体ではなく『現象』である、それはつまり自然のものであるということ。ギリシャ語の『ピュシス』は『自然』を表す言葉で、賢治のこの言葉は本来、生命体はピュシスとしてあるのだということを語りかけているように思う」(『ポストコロナの生命哲学』)
1億年も前から、そしてこれから先も永遠に光の明滅を繰り返すホタルの存在こそが「イ-ハト-ブはなまき」のシンボルにふさわしくはないか。まちのど真ん中で乱舞するホタルたち…賢治が「イ-ハト-ブ」と名付けた「ドリ-ムランド」(夢の国)の実現を目指して…
(写真はホタルの乱舞をイメ-ジする絵本のひとこま=『たくさんのふしぎ―ホタルの光をつなぐもの』から)
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