「猛毒のPCBが1年間も市街地に“不法”に放置されていた」―。こんなショッキングな事実が明るみに出た。花巻市議会12月定例会の一般質問(8日)で、本舘憲一議員(花巻クラブ)の質問に対し、上田東一市長がその事実を認めた。コロナ禍の脅威にさらされる中での今回の「PCB」騒動に市民の不安はさらに、高まっている。この件について、当局側は議会初日の今月4日に開催した議員説明会で「県とともに情報共有と状況把握に努めている」と話したが、“不法”放置の実態については言及しなかった。1年間にもわたって、この事実を公表してこなかったことについての「行政責任」も問われることになりそうだ。
PCB(ポリ塩化ビフェニル)は電気絶縁性が強いため、変圧器やコンデンサなどに広く使用されてきたが、発がん性や皮ふ・内臓障害、ホルモン異常を引き起こすなどの毒性が強いのも特徴。1968(昭和43)年、米ぬか油の中に脱臭工程の熱媒体であるPCBなどが混入。いわゆる「カネミ油症」事件と呼ばれる集団中毒が発生し、患者数は約1万3千人にものぼった。このため、昭和47年には生産と使用中止などの行政指導を経て、昭和50年からは製造と輸入が原則、禁止とされた。当市における「PCB」問題の発生は実は6年前にさかのぼる。
2014年12月、当市の中心部に位置する旧新興製作所跡地(城内・御田屋町)が「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)に基づいて、売却される計画が浮上した。同法は「公共用地」の確保を促すため、地元自治体への優先取得を定めている。当時の売買価格は100万円だったが、上田市長は当時、「社屋などの解体に多額の費用を要するうえ、利活用が不透明な物件に市民の税金を投入するわけにはいかない。むしろ、第三者が建物を解体し、有毒物質のアスベストを除去してもらえるなら、結果としてはその方が良い」として、取得を断念。翌年の1月、当該地は結局、宮城県内の不動産業者「(株)メノア-ス」の手に渡った。解体業者との金銭トラブルによる裁判沙汰や解体工事の突然の中断、相次ぐ強制競売…。以来、現在にまで続く“悪夢”のような「『花巻城址』残酷物語」はこの時に始まったと言ってよい。
テレプリンタ-(印刷電信機)などの生産で海外にまで販路を広げた(株)新興製作所では往時、高濃度のPCBを触媒に使ったトランスやコンデンサなど28台が稼働していた。工場閉鎖に伴って、真っ先に問題になったのはこの種の有害物質の処理である。PCBやアスベストなど人体への影響が懸念される物質については「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法)や「ポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法」(PCB特措法)などによって、その保管や処理については厳しい規定がある
たとえば、保管基準として、①保管場所周辺に囲いを設置すること、②見やすい個所に廃棄物の種類、管理者の氏名や連絡先などを記載した掲示板を設置すること、③飛散、流出、地下浸透、悪臭発散を防止するために必要な措置を講ずること、④ネズミの生息、蚊やハエなど害虫の発生を防止すること―などが細かく定められている。このほか少し古いデ-タになるが、環境省の資料(平成23年9月時点)によると、都道府県・政令市からの報告で平成20年度以降、PCBなど廃棄物に係わる漏洩(ちろう)や紛失、不適正処理、不法投棄などが合計358件発生したことが分かっている。このため、適正な保管をするために保管事業者に対し、行政側が立入検査することなどを義務づけている。
当該地を取得した不動産業者が隣接する空店補(喫茶店跡)にPCB廃棄物を保管したのは2016年秋のこと。当時は建物の内部に「特別管理産業廃棄物・PCB廃棄保管場所」と書かれた貼り紙が張られ、「関係者以外立入禁止」の文字も見えた。今月4日開催の議員説明会で、当局側はその処分期限が「令和4年3月末」(最大延長期限は令和5年3月末)になっていることを明らかにしたが、その一方で周辺住民の間では今年になってから、内部が“もぬけの殻”になっているという噂が広がっていた。県南広域振興局花巻保健福祉環境センタ-(中部保健所)にその事情をただすと、驚くべき答えが返ってきた。
「1年ほど前の昨年12月ごろ、土地所有者(メノアース)から突然口頭での連絡があり、保管場所の立ち退きを求められたので、別の場所に移したとのことだった。大体の移管場所は推定できるが、まだ現認するまでには至っていない。早急に現地を確認したいが、当事者の体調不良やその後のコロナ禍の影響で今後の見通しは立っていない」―。肝心の監督官庁自体がPCBという有毒物質が事実上、野放し状態になっていることを認めたことになる。この日の質疑応答の中で上田市長は移管場所について、「新興跡地内に残されている上部平坦地(旧東公園)と下部平坦地の連絡通路だと聞いている」と答えた。県と市は将来的には「行政代執行」も視野に入れて対処したいとしているが、私はこの間の「行政の不作為」を指摘したい。
カネミ油症事件の第一歩から取材した経験のある私の脳裏にはいまだに後遺症に苦しむ患者たちの苦悩の姿が刻まれている。それだけに「万が一」という言葉が去来する。「万が一、不法な状態に置かれた場所から、地震などの自然災害でPCBが漏れだしたり、不測の事態で外部に持ち出されたりして、市民に健康被害が及ぶようなことでも起きたら…」―
この日の答弁で上田市長は本舘議員の同じような危惧に対し、「当該PCBは容器に密閉された状態になっており、カネミとは状況が違う。市民に直接被害が及ぶことは考えにくい。また一連の係争状態が終わったことを受け、債権者側が競売の手続きに入る可能性もある。しかし、当該地を改めて取得し、利活用するためにはざっと14億円以上の経費が見込まれる。従前の通り、取得する考えはない。“安物買い”(100万円)に手を出さなかった当初の判断はいまも間違っていないと考えている」と強調した。そうか、この人は「安物買いの銭失い」って、言いたかったんだ。”安物”を買わなかったそのツケがいま、回ってきているというのに…。
解体工事の中断によって、ガレキが放置されたままになってもう4年以上の歳月が流れた。市中心部の景観を損ねたうえ、私たち市民は今度はPCBの恐怖におびえなければならない。政治家としての上田市長はこの「結果責任」について、どう考えているのだろうか。上田市政の“失政”は実は「新興跡地」の売却問題が公になった6年前のクリスマスのその日、2014年12月25日に幕が切って落とされたのだった。とんでもない「プレゼント」を押しつけられたのは他でもない私たち市民である。
「世の中には(メノア-スのような)すごい会社があるもんだと思っている。本当に色んな人がいる、いないとは保証できない」―。「跡地」騒動について、上田市長はこの日、まるで「他人事」みたいにこう繰り返した。真の政治家とは、その“結果”についても責任を負うべきものではないのか。「『歯ボロボロ』『徐々に肌黒く』…カネミ油症2,3世の『叫び』アンケートに」―。たまたま同じこの日の長崎新聞はこんな見出しの記事を報じた。そこにはYSC(カネミ油症被害者支援センター)がまとめた、半世紀以上たった今もなお続く後遺症の恐怖が赤裸々に記されていた。
(写真はガレキの荒野と化した新興跡地。高濃度PCB廃棄物は解体途中の建物の残骸部分(左手中央部)の中に運び込まれているらしい=花巻市御田屋町で)
《追記》~この人の“危機”管理って…コロナ禍のかじ取り、大丈夫!?
いま、目の前に広がる無惨な光景のよって来たるゆえんを一方的に「すごい会社」(メノア-ス)のせいにし、カネミ油症の悲劇を平然と「対岸の火事」として切って捨てる、この人・上田市長の“危機”管理は一体、どうなっているのか。こんな「すごい会社」の正体を見抜けなかった、その”節穴”ぶりの方が私にとっては、もっと「すごい」と感じてしまう。最大の被害者はこんな人に市政を委ねた私たち市民にちがいないのだが、こんな人を選んだ責任もまた「ブーメラン」(1992年制作の米国映画)のように、私自身を含めた私たち市民にはね返ってくる。おのれの不明を恥じ、忸怩(じくじ)たる思いが募る。そういえば、この日はあの泥沼の戦争に突入した”開戦記念日”であることを不意に思い出した。足元の市職員のコロナ感染が確認された。ふんどしを締め直して、危機管理に取り組んでほしいと切に願いたい。参考までに、上掲の新聞記事(12月8日付)を以下に転載する。
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痛切な“叫び”が、アンケ-ト用紙の自由記述欄にびっしりと記されている。油症認定患者の子や孫ら「次世代」を対象としたカネミ油症被害者支援センタ-(YSC)の実態調査。病状、生活の苦しさや将来への不安、やり場のない怒り―。次世代被害者や親たちの過去と現在が、ありありと浮かび上がってくる。認定患者である親や祖父母らが主に回答。子や孫が直接答えていないのは、油症について知らされていないケ-スが多いことなどが要因だ。一方、親だからこそ知る子らの幼少期の病状や暮らしぶりが詳しく分かった。
<突然倒れる子>
「母乳を与え始めた頃から徐々に肌が黒くなった」。認定患者の母親は、未認定の息子(21)の幼少期についてこう答えた。油症の主因ダイオキシン類は、汚染油を摂取した女性の胎盤や母乳を通じ、子に移行すると指摘されている。「子どもの頃は自宅でゴロゴロすることが多く、運動靴を履いたことがない。食が細い」。45歳男性の症状。調査対象者49人の多くに幼少期から「異変」があった。選択式の設問では17人が全身倦怠感を訴えた。47歳女性は「小学1年の時、学校から帰って玄関で倒れた。鼻血はしょっちゅう。骨の痛み。学校で走ると3日くらい休んだ」。突然倒れた例は他にも。幼少期の症状が、成人後も続くケ-スが少なくない。
<一面のにきび>
「歯はボロボロでほとんどない」(45歳男性)、「小学校から現在まで常時歯科に通院。医者によると、その根が腐ってまた虫歯になる」(35歳女性)など、口の疾患も目立つ。子どもの頃に歯が生えない事例は4人。2014年以降、次世代被害者の先天性永久歯欠如を調べた医師や歯科医師は、「(一般的な)全国調査と比べても異常な出現頻度。ダイオキシン類が次世代や次々世代に及ぼす影響を示している可能性がある」と指摘する。認定患者に多く見られる皮膚疾患も次世代に現れている。25歳男性は「小学校高学年の頃からにきびが出始めたが、25歳になっても収まらず、背中一面や顔などに及んでいる」。色素沈着のいわゆる“黒い赤ちゃん”として生まれた人も複数いた。
<言葉にできず>
51歳と46歳の姉弟は生まれつき目が見えず、姉は腸の疾患のため2歳で人工肛門を取り付けるなど重い障害があったが、いずれも油症認定されていない。「認定患者の姉と症状が似ている」(50歳女性)「親より症状が重い」(38歳女性)など、認定患者と似た症状が子どもにも多いとの指摘もある。子どもの側も、不安や苦しみを親に隠していたり、うまく伝えられなかったりしている現状がある。31歳女性はこうつづった。「子どもには、親が心配すると考えて言えない悩みや、言葉に出せない次世代特有のつらさがある」
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