「旧花巻市の中心部の花巻城址(旧三の丸、のちの東公園)に位置し、眼下には北上川が流れ、はるかに胡四王山、早池峰山、姫神山、岩手山など山々がそびえ、閑静で眺望にすぐれ、かつ交通の便が良く市民のいこいの場として利用しやすい」―。東日本大震災が発生するわずか1カ月ほど前の2011(平成23)年2月、一通の陳情書が大石満雄市長(当時)宛てに提出された。元花巻城だった旧新興製作所跡地(旧社屋を含む)に子ども施設(仮称「こどもの城」)と中央図書館を併設する複合施設の建設を要望する内容だった。地元商店街や行政区長会、障がい者福祉施設の関係者など16団体が名前を連ねていた。
大石市長は当初、この構想を前向きにとらえたが、立地の最適地と考えられていた東公園跡地(上部平坦地)を支える擁壁補強に莫大な費用が見込まれることが判明。立地場所を同じ市中心部に位置する旧県立厚生病院跡地に変更した。その後の市長選(平成26年1月)で、現職の上田東一市長が当選した結果、「立地適正化計画」(コンパクトシティ構想)に基づいた中心市街地活性化に方針を転換。その第1号として総合花巻病院が厚生病院跡地へ新築移転し、今年3月にオ-プンした。宙に浮いた格好になっていた「新興跡地」はその後、どういう経緯をたどったのか―
「不特定多数の人々の市街地への誘導が可能となり、新興製作所や東高校などがあった、かつての人の流れを呼びもどし、活性化の一助になる」(陳情書)―。中心市街地の住民たちがこぞって期待したその一帯(「花巻城址」)はいま、“夢の跡”さながらの廃墟と化している。「なんで、街なかにガレキが放置されたままになっているのか」、「あそこがお城の跡だなんて信じられない」…。市当局が主催した「としょかんワ-クショップ」(計7回)で、私は過去の動きを説明しながら、「新花巻図書館」の建設候補地のひとつとして、この場所を提案した。しかし、とくに若い世代のほとんどが“廃墟のナゾ”を知らなかった。私は拙著『イ-ハト-ブ騒動記』(2016年)の中で「『城盗(と)り』攻防記」と題して、その経緯に触れた。この際、過去の記憶を呼びもどすための資料として、その部分を7回にわたって再録したい。
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「城跡にパチンコ店とホ-ムセンタ-の立地か。不動産業者が土地取得へ」―。激しかった市議選の余韻も冷めやらないクリスマスのその日、花巻市民はとんでもないプレゼントに腰を抜かした。
2014(平成26)年12月25日、当局側は市中心部の工場敷地がそれまでの所有者から仙台市内の不動産業者へ売却される計画が進行していることを明らかにした。かつて、この一帯は花巻城址だった。その跡地にパチンコ店が進出するという情報に市民はパニック状態に陥った。
「城跡にパチンコ店なんてとんでもない。第三者の手に渡る前に何とかして市側に所有権を移す手立てはないのか」「将来のまちづくりに禍根を残すようなことは絶対に避けるべきだ」「いったん市側で所有権を取得し、利用方法については市民とじっくり話し合ってからでも遅くはない」「イ-ハト-ブはなまきという将来都市像に傷がつく」「賢治のまちづくりはどこに行ってしまったのか」…
「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)は当該土地を「公共用地」として、地方自治体などが取得を希望する場合、買取り希望通知があった日から3週間以内は他に譲渡できないと規定している。公共施設の整備などを優先さるための「土地の先買い制度」で当局側は当初、この跡地の旧社屋などを利用して、図書館や子ども関係の複合施設の立地を計画した経緯があった。
土地所有者の株式会社「新興製作所」は平成19年、市内の工業団地へ移転。以来、工場建屋を残したまま放置されていた。「公拡法」に基づいて提出された「土地有償譲渡届出書」によると、売却面積は約3万5千平方㍍で、譲渡予定額は約7億7千万円。工場建屋の解体費用と相殺し、実際の売却額はわずか百万円に過ぎないことも明らかになった。
地元住民は「市街地の健全な活性化の推進」を求める要望書を突きつけ、当局側は跡地の一部取得を申し入れた。その先買いの期限は年明けの1月26日に迫っていた。
(写真は秋晴れの下に無残な姿をさらけ出す花巻城址。高台部分が旧東公園。まさに青天の“霹靂(へきれき)城”=イカズチの神(雷)と呼ぶにふさわしい光景である=2020年10月末、花巻市御田屋町で)
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