「“図書館騒動”に疲れた頭を癒そうと出かけた先がまた、図書館だった」―。最初からオチ(落ち)みたいな書き出しだが、ジャズの聖地としてつとに知られる「ジャズ喫茶 ベイシ-」(岩手県一関市)を舞台にした映画「JAZZ KISSA BASIE/Swiftyの譚詩(Ballad)」(星野哲也監督、9月18日公開)は、オ-ナ-の菅原正二さん(78)の“ジャズな生きざま”をあぶり出したドキュメンタリ-である。店名はいうまでもなく、あのビッグバンドを率いた故カウント・ベイシ-に由来する。冒頭の字幕に「聴く図書館」という文字が映し出された。「レコ-ドを演奏する」その人はまぎれもなく、「音」の図書館長でもあることに得心した。
菅原さんは早稲田大学在学中、プロ顔負けの「ハイソサエティ-・オ-ケストラ」のバンドマスタ-やドラマ-として活躍。「全国大学対抗バンド合戦」(TBSラジオ主催)では3年連続の全国優勝に導いた。1967年にはビッグバンドとしては日本初の米国ツア-を敢行。「チャ-リ-石黒と東京パンチョス」のドラマ-を務めた後、50年前に郷里に戻り、自宅の土蔵を改築して「ベイシ-」をオ-プンした。「すべての不具合は接点を疑え」―。オリジナルのレコ-ド針を開発するなど、オ-ディオシステムを自在に操る“音の魔術師”の名前は全世界にとどろいた。
サックス奏者の渡辺貞夫や坂田明など日本のジャズ界をけん引するミュ-ジシャンだけではなく、米国のドラム奏者、エルヴィン・ジョ-ンズ(故人)や在日韓国人3世のケイコ・リ-、フィリピン出身のマリ-ンなど女性歌手を含むライブのメッカとしても知られる。「カウント・ベイシ-・オ-ケストラ」は日本公演の際、ここでリハ-サルをした後で本番に臨むというエピソ-ドは有名な語り草である。「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」という菅原さんの“呪文”に魅せられた有名人は音楽家に止まらない。タモリや永六輔(故人)、立川談志(同)、落語家の春風亭小朝、指揮者の小澤征爾、女優の鈴木京香、建築家の安藤忠雄…。「毎日、ベイシ-の音を聴きたい」―。『麻雀放浪記』で知られる直木賞作家、色川武大(ペンネ-ム、阿佐田哲也)は同地に居を移した10日後、心臓が破裂して他界した。享年60歳。永さんの著書『大往生』を地で行くような、まるで”ジャズ葬”みたいな見事な「死に際」ではないか。
朝日新聞岩手県版に「Swiftyの物には限度、風呂には温度」と題する長期連載の人気コラムがある。「Swift」とは迅速とか素早いなどを意味する英語。このニックネ-ムの名付け親はカウント・ベイシ-で、菅原さんの行動力に感嘆し、語尾に「y」を付けて贈ったという秘話が伝えられている。10年以上前、Swiftyこと菅原さんはコラムの中にこう書いている。「物事にはおのずと『着地点』というものがはじめから決まっており、その『場所』が見えておれば無駄に右往左往する必要はないのだ、ということを、ぼくはカウント・ベイシ-から無言で教わった」(2008年10月25日付)。コラムの愛読者である私は「この人は譜面の上に文字を書き連ねているのではないか」とさえ思う。文章が実にリズミカルなのである。とてもじゃないが、かなわない。
「聴く図書館」に集う華々しい人名録を見ていると、図書館とはまさに“出会いの場”であるという実感に襲われる。ところで、「Swifty」には策略とか計略、ペテンなどという含意もあるらしい。だれかれの区別なく、「音の迷宮」へと誘(いざな)う手口はまさにこの言葉にふさわしいではないか。「(宮沢)賢治とはあなたにとって、どんな存在か」と問われるたびに、私はこう答えることにしている。「稀代(きだい)の詐欺師ではないか」―と。時空を超えて、銀河宇宙へと導いてくれるその心地よさに感謝したい気持ちからである。賢治が”夢の国”と名づけた「イ-ハト-ブ図書館」の実現を望むのは、こうしたSwifty流によだれが出るほどの憧れがあるからでもある。
ビリ-・ホリデイ、サラ・ヴォ-ン…。「ベイシ-」の客席の椅子には往年の名歌手の名前が刻まれたブロンズ色のプレ-トがはめ込まれている。そこに身を委ねていると、たとえば「奇妙な果実」を歌うビリ-がす~っと、目の前に立ち現れてくる。スクリーンではSwiftyが何やら、ボソボソとしゃべっている。「ジャズは滝の流れみたいにうるさいだけじゃないかという奴がいるが、その滝を突き抜けると、向こう側には静寂があるんだよな」―。そう、図書館と名のつく「空間」のそのさらに先には茫洋(ぼうよう)とした静寂がどこまでも広がっているのではないのか、とそんな気がする。「音には命があった」という字幕を残して、映画は幕を下ろした。
(写真はジャズ喫茶「ベイシ-」を丸ごと描いた映画のポスタ-=インタ-ネット上に公開の写真から)
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