「賢治記念館の上に賃貸住宅があったら…」という市民の“目線”に大いに納得させられた。花巻市の「新図書館」構想をめぐって、(3月)21日付の岩手日報「論壇」欄に投稿された文章の一節である。花巻在住の伊藤昇さん(78)が「新図書館 市民も議論を」と訴えた内容で、私の耳にも「ふいに見上げると、図書館の上層部のベランダに洗濯物がヒラヒラ舞っている」といった違和の声が届いている。市当局は今回、新図書館構想をいったん取り下げることにしたが、逆に一般市民の「図書館」像(イメージ)からいかに乖離(かいり)していたかということを浮き彫りにする結果になった。1ケ月ほど前には「自然豊かな新図書館に」と題する投稿もあった(2月27日付当ブログ参照)。市民の関心は日増しに高まっている。以下に伊藤さんの文章を転載させていただく。なお、宮沢賢治記念館など市内の公共施設は「コロナ」危機の影響で今月いっぱい、閉鎖されている。
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花巻市議会の一般質問を傍聴した。登壇者のうち複数の議員が新図書館の複合施設整備事業構想について取り上げていた。これは、市民の関心の高さを反映したものであろう。問題の焦点は、図書館の上になぜ賃貸住宅を併設しなければならないのかということと、予定地がなぜJR花巻駅東側なのかという2点であった。
上田東一市長の答弁では駅前は花巻の顔であり、活性化対策を進めたいこと。そのために、市街地再生の核として図書館を建設し、同時に人口減対策として賃貸住宅を併設したいという説明であった。また、花巻駅前は旧3町からのアクセスが優れているということも強調した。私が違和感を覚えたのは、図書館を賃貸住宅との複合施設にするということである。
例えば、宮沢賢治記念館の上に賃貸住宅があったらどう感じるだろうか。記念館は、賢治の遺稿や作品、あるいは諸資料の単なる「入れ物」ではない。賢治の生涯や思想を象徴するものでもあると思う。だからこそ当時の関係者たちは、周囲の景観や施設のデザインについても深く検討したはずである。
私は図書館もまた単なる「本の入れ物」ではないと思う。図書館は花巻にある他の文化施設に勝るとも劣らない文化の中心を担っているのではないだろうか。私たちに人生の豊かさや安らぎを提供するだけでなく、市の将来を担う子どもたちにとっても「すてきなところだなあ。また来たいなあ」と思えるような図書館でありたい。外観、広場、くつろげるカフェなども重要な要素だと思う。そのためには閑静で十分な広さの敷地が必要であろう。どのような図書館にするかという構想が決まれば、建設場所はおのずと決まるはずだ。
花巻駅前の活性化はもちろん重要であり、少ない財源の中であれもこれもやらなければならない市長の立場も理解できないではない。だが、図書館建設と駅前の活性化対策は切り離して考えていただきたい。市長は今回の構想は市民や議会の意見を聞くための試案として提案したと述べていた。多くの市民が各所で討論を重ね、積極的に市に意見を提案していくことを期待したい。完成すれば長く利用されることになる図書館である。市民に愛され、親しまれる図書館を目指したい。
(写真は市内を一望できる高台に建つ宮沢賢治記念館。この建物の上に集合住宅が鎮座する光景はまさに「公共施設の美」に背を向ける愚行…グロテスクな代物としか言えない=インタ-ネッ上に公開の写真から)
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