「なぜ、図書館の上層部に賃貸住宅を建設しなければならないか理解できません。『図書館の自由に関する宣言』(日本図書館協会)によると、図書館には『公共施設の美』としての評価もあります」(陳情書)―。花巻市議会文教福祉常任委員会(本舘憲一委員長ら8人)での陳情審査(3月9日)の席上、はっきりした口調で「(図書館の)単独整備」を要求する意見陳述を聞きながら、私はハッと気が付いた。先月14日に花南振興センタ-で開かれた議会報告会で、鋭い意見を表明した女性がいたのが強く印象に残っていた。今回の陳情者の山下牧子さんがその人だったことを初めて知った。
先の議会報告会は2月中旬、市内12か所で3日間にわたって、開催された。中心市街地に位置する「まなび学園」の参加者がわずか3人だったのに対し、私の地元である花南振興センタ-に足を運んだ住民は27人と最高を記録した。山下さんら女性が先導する形で議論が白熱した(2月14日付当ブログ参照)。なぜ、これほどまでの盛り上がりを見せたのか―その時以来、ずっと考え続けてきた。約10日後に催されたあるイベントをのぞいて、その謎が少し、解けたような気がした。
「『北芸の会』創立35周年記念公演」と銘打った演劇が2月23日、隣接する北上市の「日本現代詩歌文学館」の中ホ-ルで披露された。「北芸」は北上を中心に芝居好きが集まった素人劇団である。日本で唯一、詩歌に特化した図書館であるこの文学館の誕生の経緯については2月27日付当ブログ(「するべじゃ」の鶴の一声)で触れた。この日の演目は当時、理事として文学館の立ち上げに尽力した同市出身の詩人で脚本家の相沢史郎さん(故人)の不朽に遺作『二人爺ィ』。昭和61年以降、東京をはじめ全国を縦断した主なお披露目だけで50回近くに及ぶ。
「二人で待づべな、昔雑魚(ざっこ)釣りした時みでぇぬよ。金三。な~」―。舞台では老人ホ-ムで暮らす二人の老人…清助と金三の悲喜こもごもの人生が演じられていた。その絶妙のセリフと仕草に腹を抱えて笑い転げていた時、ふいに文学館の生みの親、「五郎さん」(当時の北上市長、斎藤五郎さん)の言葉を思い出した。いま、隣り町は半導体記憶装置フラッシュメモリ-を製造する「キオクシア(東京、旧東芝メモリ)」のオ-プンで話題が持ちきりだが、斎藤市長は40年近くも前にこう語っていた。
「東芝などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。“工業砂漠”だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)―。ふと、目を舞台に移すと、三代目「金三」役の小笠原百治さんが世をはかなんで首にひもを回そうとしている。「自死」は不首尾に終わるが、迫真の演技である。83歳の小笠原さんは私の自宅近くでリンゴ園を経営する親しい仲である。大学で演劇を学んだ本格派の「金三」さんがニヤッと笑って言った。
「この地区は北上と背中合わせ。だから、“五郎”精神というか、文化の香りがする風もビュンビュン吹いてくるんだよ。花巻の町方とちょっと、違う風土があるのかもしれんな。それに賢治精神って言ったらいいのか、賢治を身近に感じることができる土地柄だし…」―。宮沢賢治が「羅須地人協会」を設立し、近隣の農民らと“農民芸術”を論じたのもこの地だった。そういえば、花南地区は市内で唯一の人口増加地区でもあり、自宅をここに構えて、車で15分ほどの工業団地に通勤する“新住民”も増えつつある。
実は山下さんもこの地区の住民で、南からの「ビュンビュン」風を日ごろから感じているのかもしれない。「今回の新図書館構想には驚きと同時に失望を感じた」…山下の陳述を聞きながら、私はドキュメンタリ-映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館」の場面を脳裏に浮かべていた。入り口に2頭のライオン像が置かれた建物は、19世紀から20世紀にかけたボザ-ル様式の傑作といわれ、1911年のオ-プン当時は米国一の総大理石建造物として話題をさらった。図書館とはまさに山下さんが指摘するように、「公共施設の美」としても存在するのである。
(大の仲良しの清助と金三が取っ組み合いのけんかをする場面も。げんこつを食らわせているのが「金三」役の小笠原さん(右)=2月23日、北上市本石町の詩歌文学館中ホ-ルで)
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