「生涯学習の委員会については今週にかけて、住宅の建設も含めて皆さんから大変好評だったと聞いています」(2月20日開催の記者会見での市長発言)―。ここで指摘された「花巻市社会教育委員会議」(議長=石橋恕篤・富士大学教授、委員20人)は2月17日に開催され、踏み込んだ意見交換がないまま「商業施設的なイメ-ジをあわせ持つ“こじゃれ”な図書館をつくっていただいきたい」という意見に集約される形で、全員一致で新図書館構想を原案承認した。このように、本来は公正・中立であるべきはずの審議会などの各種組織が当局側の追認機関に成り下がっている実態が次々に明らかなりつつある。さらに、組織運営や委員構成などでのル-ル違反も目立ち、もはやその存在自体に首を傾げる市民も多い。
たとえば、“シャンシャン”承認を決めた同上会議の委員の中に「教育振興運動推進協議会」の肩書を持つ人物の名前を見つけた。「もしや」と思って確かめたら、現職の花巻市議と同一人物だった。市議会先例集には「法令に規定されているものを除き、各種委員会、審議会等の委員には議員は選出しないこと」という申し合わせ事項がある。明らかに、ル-ル違反である。この日の会議には欠席していたが、3月定例会の一般質問で件(くだん)の議員は新図書館構想を前提にしたうえで、「周辺広場を芝生化するということだが、祭りの山車の運行によって、芝が傷つく心配はないか」などとトンチンカンな質問をする始末。この議員は一方で、図書館問題のあり方を調査・研究する「市議会特別委員会」に身を置く立場にあり、“二股膏薬”(ふたまたこうやく)ぶりを発揮した。
さらに、図書館と最も至近距離にあると考えていた「花巻市立図書館協議会」(坂本知彌会長、委員10人)は2月26日に開催され、白熱した「図書館(理念)」論争を期待したが、これも肩透かしに終わった。当局側の説明席に目をやると、これまで面識のなかった男性が最前列に座っていた。突然、手を上げて新図書館構想についての補足説明を延々と始めた。後で確認すると、アドバイザ-として出席していた富士大学経済学部の早川光彦教授(図書館学)だとわかった。かねてからの助言者だとは知っていたが、たとえアドバイザ-としての立場だとしても公正な議論が求められる場の発言としてふさわしいのかどうか。果たせるかな「複合化する賃貸住宅には入居者を確保する見通しはあるのか」―などと理念論争をわきに置いた的外れな意見が続き、最終的に当局原案を「了」とすることに落ち着いた。
「不存在」―。花巻市教育委員会協議会の会議録の文書開示請求(2月21日付)への回答はたったの3文字だった。ここ数年来の教育委員会改革によって、それまで政治的中立性が求められてきた教育委員会の一部事務が行政部門に移管したが、それでも図書館が学校教育の柱であることに変わりはない。今回の新図書館構想をまとめるに当たって、教育現場を管轄する教育委員会はどう関わったのか―というのが私の当初からの重大関心事だった。当該会議が1月27日に開催されたことを知り、会議録の開示を求めた結果がこれである。不存在にした理由について、佐藤勝・教育長は「協議会は自由意見を述べる場で、今回は当局の新図書館構想案の説明を受けるにとどめた。規則上、会議録の作成は必要ではない。教育委員会の方向性は今後、表明していきたい」と話した。
さらに、構想案提示の際の議論を「記録」として残すべき最低限の業務を放棄したとあっては、国レベルの公文書の改ざんや廃棄に勝る重大な責任放棄と言わざるを得ない。「百年の計」ともいわれるこのビッグプロジェクトについて、教委側にはいま現在、「記憶も記録ない」という摩訶不思議がまかり通っている。
「専門家の方々にもおほめをいただいている」―上田東一市長はことあるごとにこう口にしてきたが、新図書館構想に“お墨付き”を与えた組織の実態はまさに追認機関そのものだったことが白日の下にさらされた。逆に言えば、こうした“図書館人脈”のお墨付きをアリバイ的に利用しようという当局側の魂胆も浮き彫りになった。いまとなっては、最初から「異議なし」委員を選出していたのではと皮肉のひとつも言いたくなる。やはり、今回の新図書館構想はそもそも“無理筋”だったのである。図書館関連予算の撤回は遅きに失したと言わざるを得ない。
(写真は現図書館の郷土資料コ-ナ-。宮沢賢治や高村光太郎など郷土ゆかりの資料整理も乱雑で、ソフト面の充実が課題になっている。だからこそ、市民の多くは本が“生きてある”存在を願っているのだと思う=花巻市若葉町で)
この記事へのコメントはこちら