「そうか。やっぱり、裸の王様の仕業だったんだ」―。「新図書館」構想をめぐる一連の“騒動”を垣間見ながら、妙に合点がいったのだった。『裸の王様』とは言うまでもなくアンデルセンの名作のひとつで、権力者とそれにこびへつらう人間模様を皮肉的に描いた寓話である。今回の奇怪でグロテスクな構想を思いつくのは恐らく、「聞く耳を持たない」―裸の王様…つまり上田(東一)ワンマン市長しかおるまい、とこう思った次第である。そんな折しも、同じ裸の王様が登場するもう一冊の本のことを思い出した。金色の王冠をかぶっているが、あとは白いパンツだけの文字通りの“はだかの王様”はこうのたまう。
「わしら図書館にいる本は、ほんの一時(いっとき)、借りてくれた人間といっしょじゃ。そのみじかいあいだでも、気にかかる人間はいる。その人間がその後、どうなったか知りたいこともあるんじゃ。一人の人間に一生愛されて、その人間のそばにおいてもらえる本もあるじゃろ。そんな本は幸せじゃ」(『つづきの図書館』)―。作者は当市・花巻出身の童話作家の柏葉幸子さん(66)。「図書館のつづき」ではなく、本の登場人物の側が本を読んでくれた読者の「つづき」を知りたがるという奇想天外な展開である。王様が会いたがっているのは、手術を待つ病院のベットで自分の本を読んでくれ少女の「つづき」の人生である。
四方山(よもやま)市立図書館下町別館―。主人公の「山神桃」さんは現在の花巻市立図書館を思わせるこの別館の司書をしている。「この人のつづきを調べて…」とひょいっと、作品の中から飛び出してくるのは王様のほかに、『おおかみと七ひきの子やぎ』に出てくる狼や、『うりこひめ』に登場する天邪鬼(あまのじゃく)など多士済々。探偵業さながらの人探しを手伝っているうちに、本好きだった桃さんが王様や狼、天邪鬼の力を借りながら、逆に自分の人生の「つづき」を辿りは始めている…。病院に突如、王様があられもない姿で現れたりと、こんな浮き浮きする筋書きを読み進むうちに突然、20年近く前の光景が目の前に広がった。
2002年4月20日―。花巻市文化会館大ホ-ルは立ち見が出るほどの観客であふれ、外には入りきれない人たちの長蛇の列ができていた。会場内では宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」(ベルリン映画祭金熊賞受賞)が上映されようとしていた。隣接する図書館では映画の上映に合わせて「柏葉幸子童話作品展」が開催されていた。この2年前、42年ぶりにふるさとに戻った私は映画館が姿を消してしまった街のたたずまいに愕然(がくぜん)とした。仲間たちに声をかけ、「花巻に映画の灯を再び」市民の会を結成。その旗揚げ記念に計画したのが宮崎アニメと童話作品展の同時開催だった。
柏葉さんは大学在学中の1947年、『気ちがい通りのリナ』で、第15回講談社児童文学新人賞を受賞。『霧のむこうのふしぎな町』と改題して、2年後に第9回日本児童文学者協会新人賞に輝いた。実は「千と千尋…」はこの童話が下敷きになったアニメである。以前、宮崎監督はこう語っていた。「その頃、『霧のむこう…』という70年代に書かれた児童文学の映画化を検討してみたんです。正直、僕はその話のどこが面白いのか分からなくて、それが悔しくてね。映画化することで、その謎が解けるのではないかと…」(当時のパンフレットから)―
1日3回の上映会は大盛況で終わった。私たち「市民の会」は益金の一部で柏葉作品を買いそろえ、図書館に寄贈した。『ミラクル・ファミリ-』、『地下室からのふしぎな旅』、『ざしきわらし 一太郎の修学旅行』、『モンスタ-・ホテル』シリ-ズ…。第59回小学館児童出版文化大賞を受賞した『つづきの図書館』(2010年)に続き、『岬のマヨイガ』(2016年)で野野間児童文芸賞に輝いた作品など児童図書室にはいま、変幻自在な“柏葉ワ-ルド”が広がっている。作品の登場人物たちが読者たちと交流するという「下町別館」の摩訶不思議な空間…。「裸の王様」ならぬパンツ一丁の“はだかの王様”の仕草に笑いをこらえながら、私は思った。「図書館とは本来、想像力を養う小宇宙なのかもしれない」―と
この日(2月17日)、たまたま「花巻市社会教育委員会議」(議長=石橋恕篤・富士大学教授、委員20人)が開かれ、「新図書館」構想の説明があると聞いて出かけてみた。議会側が特別委員会の設置を決めるなど市民の関心が高まる中、議論が深まることを期待したが、あら不思議。図書館の中身に踏み込む質疑は一切なく、「商業施設的なイメ-ジをあわせ持つ“こじゃれ”な図書館をつくっていただいきたい」―という意見を最後に、石橋議長の「時間も押していますので…」という進行で定刻にシャンシャンのお開きとなった。当局側にお墨付きを与えるだけの“追認機関”の正体見たりとはこのこと―ここにも妙に合点がいったのだった。
最近、上梓された『炎の中の図書館』(ス-ザン・オ-リアン著)は1986年、ロサンゼルス中央図書館が炎上した米国史上最悪の図書館火災の復興過程を描いた力作である。その書評にこんなくだりがある。「図書館は単なる本の集積所ではなく、そこに住む人たちにとっては文化の象徴である。だからこそ、ロサンゼルス市民は自ら行動を起こした。学生は寄付金のため瓶やアルミ缶を集め、近隣住民は本のガレ-ジセ-ルを開催し、2万人以上が『本を救え』エッセ-コンテストに参加した。対立が起きがちだったロサンゼルスの人々だが、図書館への思いで一つにまとまったのだ。それもまた、本の持つ力なのだろう」(2月16日付「岩手日報」読書欄)
当局側とその下請けと化した組織に包囲された感のある「イ-ハト-ブはなまき」としてはもはや、花南振興センタ-での勇気ある女性の”請願駅”発言(2月14日付当ブログ参照)にならい、「住民運動」しか残された道はないのかもしれない。それにしても、ニュ-ヨーク公共図書館やロサンゼルス中央図書館に見られる米国の“底力”には圧倒される。そういえば、わが「裸の王様」は米国のこの二つの巨大都市に住んだ経験がある、と自慢げに話していたっけなぁ…
(写真は柏葉ワ-ルド満載の『つづきの図書館』=インタ-ネット上に公開の写真より)
《追記》~訃報・伊藤清彦さん(2月18日付「岩手日報」)
17日午前2時、急性心臓死のため一関市東山町の自宅で死去、65歳。一関市東山町出身。火葬は20日午前11時から一関市千厩町の千厩斎苑、葬儀は21日午後1時から一関市東山町の安養寺で。喪主は長男綾人(あやと)氏。盛岡市のさわや書店本店店長を務め、「天国の本屋」などのベストセラ-発掘や先駆的ポップ広告で「カリスマ店長」として全国に知られた。岩手日報の大型コラム「いわての風」に11年から執筆。一関市立一関図書館副館長。「新一関図書館整備計画」の委員を歴任、開館翌年の2015年から連続4年間、個人貸出点数の県内公立図書館トップの偉業を成し遂げた。
私は本の目利きとしてつとに有名だった伊藤さんに生前、一度だけお会いしたことがあった。「朝4時に起きて本を開き、毎日、数冊は乱読した」という話に腰を抜かしたことを覚えている。手元にある著書『盛岡さわや―書店奮戦記』のあとがきにこうある。「これは自分の感性が鈍ってしまったのだろうと思っていたら、凄い図書館に出会ってしまった。今年の夏のことである。福島県の南相馬市立中央図書館がそれである。一冊一冊の本が生きているし、棚のジャンル融合などは見事と言うしかない。昔の凄い書店というのは、こうだったよなと教えられた」。いまから10年前の述懐である。「図書館は成長する有機体である」(図書館学の父・インド人学者、ランガナタン)をスローガンに掲げて、2009年12月にオープンした同図書館は「3・11」の影響で一時閉館に追い込まれたが、5ケ月後には再開にこぎつけた。合掌
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