妻が先立って早や1年3カ月になろうとしている。その当日―「7月29日」は私の市議引退後の市議選の投開票日に当たっていた。連れ合いと生業(なりわい)を同時に失った私はもはや、“両翼”をもぎ取られた航空機も同然だった。真っ逆さまに墜落するしかないと思った。事実この間、墜落こそは辛うじて免れたものの、絶えず地上すれすれの低空飛行を続け、いまに至っている。死に損ないの情けない余生ではないか…。とそんなある日、「妻に先立たれ、夫は不眠に…」という新聞(10月12日付朝日新聞「患者を生きる」)の大見出しが目に飛び込んできた。その内容にドギマギした。ほぼ同世代の記事の主人公(81歳)はまるで、私自身の分身みたいだった。こんな苦闘の日々がつづられていた。
「年中、話をしていた存在がいなくなってしまった。胃の調子が悪く、食べられないし、眠れないんです。朝、目が覚めて『おい』と声をかけても、隣にいるはずの妻はもういない。喪失感は大きかった」―。近所の内科で精神安定剤として出された抗不安薬をのむ日々が続いた。あるきっかけで「遺族外来」に足を運んだ。検査を終えた後、担当医師は「総合的にみると、うつ病ですね」と告げた。その医師によると、うつ病は全人口の3~7%の人がかかるとされ、家族の死別を経験した場合、1年後に15%の人がかかっているという調査もある。とくに、夫や妻といった「配偶者」を失うことは人生最大のストレスで、遺族外来を受診する40%がうつ病と診断されているという。
こうした心身の反応を医学的には「悲嘆(グリ‐フ)」と呼ぶらしい。担当医は「組み上げた積み木の真ん中にあった『配偶者』という肝心なピ-スがなくなり、積み木が崩れた状態。回復にはその積み木をもう一度組み直していくプロセスが必要だ」と語っている。記事中の先輩やもめは訪問看護師のすすめでジム通いを始め、いまでは友人と海外旅行をするまでに元気になったらしいが、人の生き方は千差万別である。「そう簡単に問屋は卸してくれない」―経験者の私が言うのだから間違いない。グリ-フを乗り越え、生きがいや役割の再発見に至るまでには数カ月から数年かかるというデ-タもある。私も週に3回程度、ジムで汗を流しているがまだまだ、悪戦苦闘の真っ最中である。
妻と死別した当初は新聞記者と市議会議員という「人間相手」の稼業からいきなり、真空地帯へと急降下させられような思いだった。無人の荒野…、かつての濃密すぎる人間関係にいっときは解放感を味わったものの、しばらくたつとまた「人恋し」さが募ってきた。手っ取り早いのが小説であるが、この年齢(79歳)になると、活字を追うのが若干、苦痛になる。と、またまたそんなある日、私はハタと膝を打った。「そうだ、映画があるじゃないか」―
10月中旬のある日、私は隣町の映画館へと向かった。「万引き家族」でカンヌ映画祭最高賞の「パルムド-ル」を受賞した是枝裕和監督による初の日仏共同制作作品ー「真実」、ハリウッド映画のリメイク版「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・脚本)、作家・太宰治をめぐる3人の女たちを描いた「人間失格」(蜷川実花監督)の豪華3作のハシゴを敢行したのである。生と死、愛と憎しみ…。いずれの作品も私好みの人間模様である。こんなぜいたくな映画三昧(ざんまい)は学生時代以来。上映時間は合わせて6時間を超すが、感情移入しているつかの間は、鬱鬱(うつうつ)たる“日常”から離陸できる貴重の時空間である。
「戻らなくていいですよ、家庭に」、「愛されない妻より、ずっと恋される愛人でいたい」、「死にたいんです一緒に、ここで、今」、「壊しなさい、私たちを」、「傷ついた者だけが、美しいものを作り出すんだ」―。太宰の正妻・(津島)美知子と『斜陽』のモデルとなった愛人・(太田)静子、太宰を道連れに入水自殺を図った最後の愛人・(山崎)富栄…。目の前のスクリ-ンから3人の女たちの切ないセリフがもれ聞こえてくる。「人間は堕(お)ちる。生きているから堕ちる。なあ太宰、もっと堕ちろよ」―かたわらでは『堕落論』の親友、坂口安吾が絡んでいる。そんな太宰のデカダンス(虚無・退廃)に酔いしれていた時、とつぜん我に返った。
「男やもめにゃ蛆(ウジ)がわき、女やもめにゃ花が咲く」―。老い先短い老残のわが身を振り返りながら、私は自虐(じぎゃく)じみた独り言をブツブツとつぶやいていた。「映画の主人公みたいな芸当はとてもできない小心者。この歳(とし)ではいまさら、寄り添ってくれるパ-ト-ナ-もいないだろうしな。”事実は小説(映画)よりも奇なり”…例の俚諺(りげん)もしょせん、私などには当てはまりそうにない。いっそのこと、先輩やもめに見習って、遺族外来とやらの世話になってみるとするか(モゴモゴ)」…………
それにしても、太宰治ってちょっと、格好が良すぎるんじゃないのーー
(写真はハシゴ映画のひとつ「人間失格―太宰治と3人の女たち」のひとこま=インタ-ネット上に公開の写真から)
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