花巻空襲の唯一の“戦跡”と言われる「花川橋」の爆撃跡が市が発注した橋の補修工事で、その痕跡が消される寸前に市民の通報で難を逃れる見通しになった。その一方で、戦争の記憶を伝える公共物の認識が市側になかったことについて、市民の間からは「もう少し、慎重に対応してほしい」という声が挙がっている。
74年前の1945年8月10日、花巻市街地は米軍による爆弾投下や機銃掃射の攻撃を受け、死者42人、負傷者約150人という大きな被害を受けた。花川橋周辺にも500ポンド爆弾が落とされ、その破片が橋の欄干にぶつかり、一部を破損した。花巻市役所の近くにあるこの橋(市道吹張・花城町線)は昭和9年に造られ、長さは18㍍、巾5㍍の鉄筋コンクリ-ト製。全体的に劣化が進み、コンクリ-トの欠損分の修復工事が9月9日の完成に向け、今年3月下旬から始められた。
鉄筋がむき出しになった攻撃跡の欄干には工事個所を示す印がつけられ、予定通りに工事が進めば、この記憶の証しは永遠に消滅する運命にあった。このことに気が付いた市民のひとりが「岩手・戦争を記録する会」事務局長の加藤昭雄さんに連絡。今月中旬になって加藤さんらと市側が対応を話し合った。『花巻が燃えた日』などの著作がある加藤さんは「戦後70年以上がたち、あの空襲の記憶を伝える戦跡はこの橋ぐらいしか残っていない。ぜひ、残す方向で工事方法を再検討し、できれば案内板も設置してほしい」と話している。
市建設部土木課では「劣化補修と保存を両立できる方法があるかどうか、専門家とも相談して今月中には結論を出したい」と話しているが、むき出しの鉄筋を現状のまま残すのはかなり難しい、と実際に工事に当たっている業者は頭を抱えている。また、市民の間からは「市の取り組みとして、改めて戦跡調査をすべきではないか」という意見も出ている。
(写真は鉄筋がむき出しになり、欄干の一部が破壊された花川橋=花巻市花城町で)
この記事へのコメントはこちら