●《第5話》~硫黄島からの帰還報道
山蔭、松戸の投降の第一報は、昭和24年1月9日の朝日新聞に「硫黄島で生き残り 2名が米軍へ投降」のベタ記事として載っていた。氏名が明かされたのは11日の記事で、「ヤマカゲ・クフク(24)=仙台」「マツド・リンソキ(34)=東京」とある。米軍の発表は「1月6日投降」ともあって、間違いや文字の説明ミスがみられる。同じ紙面には、フィリピンから4000柱の遺骨が帰国した、との記事も見える。当時、新聞は表と裏の2ペ-ジだけだった。
花巻に帰郷した山蔭は、すでに「故人」だった。当時としてはありがちなことではあったが、位牌に「俊興軒正龍義福清居士英霊」「昭和22年3月17日 於硫黄島戦死 海軍水兵長 行年二十二歳」とあり、光福は胸を締め付けられる思いだっただろう。また、戸籍謄本には「昭和貮拾年参月拾七日(=昭和20年3月17日、時刻不詳)硫黄島方面ニ於テ戦死」とあり、謄本にある日付は、硫黄島全滅の日だが、位牌のほうはその2年後。それは、親族が光福への思いを断ち切るまでの歳月だったか。
戸籍には追記があった。「戦死による抹消の記載錯誤に付き昭和貮拾四年貮月拾壱日(=昭和24年2月11日)付…の戦死報告取消通知により同月拾九日(=19日)戸籍の記載を復活」。さらに、「昭和弐拾六年五月八日午前拾時硫黄島中央飛行場診療所で死亡」とある。この「死」とは、いったい何なのか。
●《第6話》~東京で就職した2年間
山蔭光福は帰国後、いったん花巻に帰るが、すでに父千平は亡く、母のハルは彼女の生まれ育った実家に戻っていた。また、「勝ってくるぞと勇ましく…」と派手に送り出され、軍人としての矜持に生きてきた彼にとって、4、5年間程度のブランクだったとはいえ、日本の状況は様変わりしており、この不在の期間は大きく、郷里での居心地を悪くしていたのだろう。
かつての無二の仲間であった松戸には、海軍入隊時に村の人々から餞別や見送りを受けており、「いまさら、(警察予備隊に)不合格だと村には帰れない」と話していたという。そうした事情もあって、松戸は親類である亀戸の鋳物工場の経営者を紹介、山蔭はそこに昭和26年まで働いていた。松戸によれば、山蔭は働き者でおおいに気に入られたが、先輩格の同僚にねたまれ、その後出て行ったという。そのころ、山蔭は硫黄島での上官だった上野利彦を訪ね、その世話で就職先も決まっていた。
●《第7話》~死を求めたか、再度の硫黄島へ
山蔭は帰国後、島での逃避行の様子などを思い出しては記録していた。400字詰め1000枚近くになっていたという。しかし、本音としては島に埋め残してきた4年間の日記を取り戻したかった。その期待がいかに強かったか、推測できないではない。というのは当時、米軍統治下にあった日本からの渡航は不可能な時代だった。それでも、「日記探し」としての米軍の渡航の許可を得ることができたのだ。執念だったのか。いったい、どのような伝手をたどって実現したのだろうか。昭和26年春のことだった。
時は朝鮮戦争のさなかであり、自衛隊の前身・警察予備隊が生まれ、相次いで政財界や右翼などの公職追放組2万余が解除・釈放される一方、共産党などの左翼グル-プを抑える狙いからレッドパ-ジが進められ、また社会党の鈴木茂三郎や日教組が「教え子を再び戦場に送るな」と叫ぶなど、保守・革新が激突する時代だった。戦後の新憲法のもと、非武装中立に向かおうとするかの日本が、米ソ対立の渦中にあって、米国との接近を強め、戦前の人材を蘇らせ、軍事増強の道に進む、大きな岐路に立たされた時期でもあった。
5月7日、山蔭は極東空軍司令部の歴史課員スチュア-ト・グリフィンとともに、硫黄島に飛んだ。彼はジ-プで山蔭に同行し、その最期を見届けた人物である。以下は、この米軍人が記した毎日新聞記事(5月10日付)による。そのトップ記事の見出しは「太平洋への〝死の跳躍〟」「摺鉢山で硫黄島生き残りの山蔭君」「探す〝四年の洞窟日記〟」「ナゾ解けぬ彼の死」というものだった。
帰国を控えた8日朝、山蔭は海に面した高地の摺鉢山へ写真を撮るために登った。ただひとり、目撃したグリフィンの発言を記事から見ておこう。「山蔭君が飛び降りたのは摺鉢山旧噴火口から約90メ-トル離れた地点であった。山蔭君は突然両手をさしあげ『バンザイ』と叫びながら狭いがけの突出部から身を躍らせた。そのため落下する姿はマザマザと目撃された。険しいがけの中腹に同君の身体が最初に激突したとき、火山灰がもうもうと舞い上がった。もち論即死だったろうが、その身体は何度もがけの突出部にぶつかりゴロゴロと転がりながら、落ち込んで行った。午前10時半ごろだったろう」
(写真は山蔭水兵長が飛び降り自殺した硫黄島のシンボル・摺鉢山。山頂付近にはまだ、旧日本軍の銃座跡など残骸が放置されたままになっている=インタ-ネット上に公開の写真より)
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