「明けましおめでとうございます。徴用工裁判に関する提言を『世界』最新号に書きました。お目に留まりましたら…」―。年明けの元日、奥秩父連峰の主峰・金峰山の山頂から新年のメッセ-ジが届いた。旧知の弁護士、内田雅敏さん(73)からだった。彼は弁護士として、私は取材者として「花岡」事件にともにかかわった間柄である。実は昨年12月初め、移設問題(新基地建設)で揺れる沖縄・辺野古の現場でばったり、出くわした。「ここでは新しい出会いと古い友人との再会があります」と内田さんは目を白黒させた。まさにそんな奇遇だった。目の前ではむき出しの国家暴力の横暴が繰り返されていた。その光景が二人の間に70年以上も前の記憶を呼び覚ましたようだった。
太平洋戦争末期、東条内閣の「華人労務者内地移入ニ関する件」(閣議決定)によって、秋田県大館市(当時花岡町)に強制連行された中国人が過酷な労働に耐えかねて蜂起(ほうき)。劣悪な労働環境や虐待などで400人以上が死亡した。生存者・遺族は経営者の鹿島建設(当時鹿島組)を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたが、2000年11月、鹿島側が被害者救済のために5億円を拠出することで東京高裁で和解が成立した。日中共同声明(1972年)で中国側の賠償請求権は放棄されたことになっているが、この壁を乗り越えての民間同士の和解だった。「どうして、政府やマスメディアはこの先例に学ばないのか」―。二人の話題はつい1ケ月ほど前の韓国での同種の裁判に向けられた。
韓国の大法院(最高裁)は2018年10月、戦時中に日本製鉄(現新日鉄住金)で強制労働させられた元徴用工の訴えを認め、賠償を命じる確定判決を下した。その後、三菱重工業に対しても同様の判決が出されたが、日本政府は「日韓請求権協定(1965年)で解決済み」と主張し、マスメディアも右ならへの”翼賛“報道に終始している。この協定で放棄されたのは国家の権利である「外交保護権」に限定されており、個人の請求権まで消滅させたものでないというのが従来の政府見解だったはずである。
「強制労働問題の和解への道すじ」―取り寄せた『世界』2月号で、内田さんは「日韓関係が冷え込むなか、同じ強制労働問題に関し、参考すべき例がある。『花岡事件』の中国人被害者と加害企業の和解である」と書き、日本政府のかたくなな韓国バッシングを批判。同じ号では「花岡和解」の際の東京高裁の裁判長だった新村正人さんも手記を寄せ、当時の気持ちをこう述べていた。「日中関係について謙虚に歴史に向き合うことがまずもって日本の側に求められている、そのことを国の指導的立場にある人々にはもっと強く認識していただきたい」―。日中関係を「日韓関係」に置き換えてみる。あるいはこれに「日沖(ヤマトとウチナ-)関係」という言葉を並べてみると、もっと分かりが良い。「歴史認識」がわずか20年ほどの間にこのように逆転してしまったことに驚いてしまう。
沖縄では米軍普天間基地の「辺野古」移設に反対する民意が司法判断によって、ことごとく退けられている。そして今度は隣国の大法院(最高裁)判決に干渉しようというのである。これでは「無法国家」と言われても仕方があるまい。こうした逆行にマスメデァだけでなく、国民の多くも異議を唱える様子は見られない。目に見えない“同調圧力”(村八分)が周囲に充満している。辺野古の新基地建設現場で内田さんと会って1カ月余り。埋め立て現場の陸地化は急テンポで進んでいる。
「脱植民地」―。辺野古の浜には意表を突くようなのぼりがひるがえっている。そういえば、「徴用工裁判」問題も歴史をたどれば、日本による朝鮮半島の植民地化に行き着く。かつて、日本一の炭田だった筑豊のあちこちの寺にホコリをがぶった朝鮮人労働者の頭骨が放置されていた。私は当時の取材ノ-トに「この光景を忘れてはならない」と記したことを記憶している。地底(じぞこ)に絶命した坑内の炭壁には爪で刻んだとみられる朝鮮語もあった。「アイゴ-」(哀号)―。漆黒の闇からもがき苦しむ声がいまも聞こえてくるような気がする。「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる(訳文の原文では『盲目』)」―。ドイツの元大統領、ワイツゼッカ-の言葉がいまさらのようによみがえってくる。
(写真は花岡事件を後世に伝える「中国殉難烈士慰霊之碑」=大館市の十瀬野公園で。インタ-ネット上に公開の写真から)
《追記―1》~陸地化がすすむ辺野古「新基地建設」現場(コメント欄に写真掲載)
沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局が埋め立てのための土砂を海域の一部に初めて投入して14日で1カ月が経過した。県は埋め立て承認撤回の効力を一時的に停止した国土交通相の決定は違法として総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出ているが、工事現場では土砂の投入が続く。
県は沖縄防衛局が私人の利益救済を趣旨とする行政不服審査法に基づき国交相への執行停止を申し立てることはできないなどと主張し、執行停止の取り消しを求めている。係争委は県、国交省の意見を踏まえて2月28日までに結論を出す。辺野古反対の民意に耳を傾けず土砂を投入した政府への批判は日本国内だけでなく世界に広まっている(1月14日付「沖縄タイムス」)
《追記-2》~巨星、墜(お)つ
日本古代史が専門の哲学者、梅原猛さんが12日、93歳で死去した。何度か講演などで話を聞く機会があったが、アイヌ民族へのまなざしの深さに共感したことがあった。ある時、梅原さんはこんなことを話した。「僕は洋の東西の哲学を学んできたつもりだったが、足元の大事な哲学を忘れていた。それは森羅万象に神(カムイ)を見るアイヌの哲学である。僕にはもう余り時間が残されていないので、若い人たちはぜひこの深遠な哲学と向かい合ってほしい」―。宮沢賢治の童話「なめとこやまの熊」を、アイヌに伝わる「イヨマンテ」(熊の霊送り)の儀式と重ね合わせて読解するなど大胆な発想をする巨人だった。
《追記―3》~祝!!直木賞受賞
1月11日付当ブログ「“辺境”のエンタメ魂」で取り上げた真藤順丈さんの『宝島』が16日、開かれた選考会で第160回直木(三十五)賞に選ばれた。読書を勧めた甲斐があった。「沖縄」を身近に感じてもらえれば…。真藤さんは1977年生まれ。2008年「地図男」で第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビュ-。同年「庵堂三兄弟の聖職」で第15回日本ホラ-小説大賞など新人賞4賞をそれぞれ別の作品で受賞。昨年は同書で第9回山田風太郎賞を受賞している。
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真藤順丈さんは「きょう1日、とてもどきどきしていたので、受賞の知らせを聞いてほっとしました。エンタ-テイメントとして、読者に響くものがあったのではないかと感じています。現実の問題について、自分なりに伝えたいと思い、この小説を書きました。青春小説なので、何かを成し遂げたくてうずうずしている人、目の前に壁を感じている人にたくさん読んでもらいたい」と話していました。
真藤さんの「宝島」を直木賞に選んだ理由について、選考委員の1人の林真理子さんは「平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができた」などと話しました。会見で林さんは、「1回目の投票から、真藤順丈さんの作品が圧倒的な票を取った。2次投票を行うかどうか長い論議があったが、これだけ差が付いているものに投票の必要はないという意見から、真藤さん一本でいこうという結論になった。文句なしの受賞でした」と、選考のいきさつを説明しました。
そのうえで、受賞作となった「宝島」については、「非常に高い熱量で沖縄の強さと明るさが描かれ、どれだけつらくてもなんとかなるのではないかという、少しいいかげんな部分さえも伝わってくる。沖縄を描く小説にはこれまでも名作があったが、歴史のつらさを単に重く暗く書くのではなく、突き抜けた明るさで書いたことは、真藤さんのものすごい才能だ。私はこの明るさが、沖縄の戦後史を描くための必要なテクニックだと思う。平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができたと思う」と話しました。
また、作者が東京出身であることについては、「マイナス評価はなく、沖縄の人の精神性や方言、風俗、路地のおばちゃんのしぐさに至るまで、よくこれだけリアリティ-を持てたなと感嘆した。一方、あまりにつらい場面でも、語り手が明るく茶々を入れる文体で描かれているため、委員の中には『沖縄の人はどう思うか』という心配もあったが、私は沖縄の人もこれを読んで感動してくれると確信している」と評価していました(1月16日付NHKウエブ)。
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