11月9日付当ブログ「追記」で、原告側が敗訴した「慰安婦報道訴訟」について言及したが、判決要旨を読んで目をむいてしまった。「公共性、公益目的性」という見出しでこう書かれていた。悪文の見本のような判決文だが、辛抱して読んでいただきたい。司法権を逸脱し、権力側に寄り添う意図が透けて見える。立法権と行政権を混同してなお、恬(てん)として恥じることのないトップをいただくこの国ではとうの昔に「三権分立」は崩壊している。
「本件各櫻井論文(被告の櫻井よしこさんが執筆した論文)の内容及びこれらの論文を記載し掲載した時期に鑑みれば、本件各櫻井論文主題は、慰安婦問題に関する朝日新聞の報道姿勢やこれに関する本件記事を執筆した原告(元朝日新聞記者の植村隆さん)を批判する点にあったと認められ、また、慰安婦問題が日韓関係の問題にとどまらず、国連やアメリカ議会等でも取り上げられるような国際的な問題となっていることに鑑みれば、本件各櫻井論文の記述は、公共の利害に関わるものであり、その執筆目的にも公益性が認められる。以上によれば、本件各櫻井論文の執筆及び掲載によって原告の社会的評価が低下したとしても、その違法性は阻却され、又は故意もしくは過失は否定されるというべきである」
「公共とは何か」「公益とは何か」―。そのことの定義を一切抜きにして、櫻井論文にお墨付きを与えるこの判決はある種、“ネトウヨ”的な趣きすら感じられる。名誉棄損の有無を判定すべき裁判が終わってみれば、庇(ひさし)を借りて、母屋を乗っ取るの体(てい)だったことに暗然とさせられる。司法の保守化が叫ばれて久しいが、今回の判決は権力と一体化したその姿を天下にさらした。歴史修正主義に屈服したという意味では「司法の死」を宣言したに等しい。判決の翌10日の朝日新聞に「裁判官の品格」という特集が掲載された。当該裁判とは関係ない記事だったが、「裁判傍聴芸人」を自称する阿曽山大噴火(あそざんだいふんか)さんが面白いことを言っていた。
「裁判官って『無名な公人』だと思うんですよ。事件の判決の記事には必ず裁判長の名前が載っているのに、『あの人か』にはならない。一人ひとりの顔が見えないから、裁判官という職業だけでくくって、すごくまじめで、堅苦しい人だというイメ-ジをみんなが勝手に持っている。…補充質問で、裁判官自身の経験とか、プライベ-トな部分が出てくることがあるんです。被告に娘がいるとわかると、急に前のめりに話し出す人とかいて。たぶん自分にも娘がいるんでしょうけど、そういう部分を出してくれる裁判官のほうが、人間として信用できるな、と思います。…日本の裁判は判例主義といいますけど、最終的には人が裁いているわけですよ。もっと裁判官の顔が見えてもいいんじゃないですか」
植村さんの記事をめぐって、櫻井さんが「ねつ造」だとした論文をきっかけに植村さんだけではなく、娘さんの顔写真がネット上にさらされたうえ、「殺すぞ」などといったバッシングが続いた。こうした原告の訴えに裁判官はどう対応したのであろうか。今回、原告敗訴の判決を言い渡した岡山忠弘裁判長の「顔」を見てみたいと思う。「公共・公益」性を語るその表情をじっくりと観察してみたいと思う。判決内容そのものよりも私の関心はもっぱら、そっちの方にある。
そういえば、菅義偉官房長官は慰安婦訴訟の判決を前にした今月6日の記者会見で、韓国最高裁が新日鉄住金に賠償を命じた「韓国人元徴用工訴訟」判決に関し、国際司法裁判所(ICJ)への提訴も辞さない意向を示し、「韓国政府が早急に適切な措置を講じない場合は、国際裁判も含めあらゆる選択肢を視野に毅然とした対応をする」と述べた。同時に「日韓請求権協定(日韓基本条約と同時に締結)に違反し、友好関係の法的基盤を根本から覆すものだ。極めて遺憾で、断じて受け入れられない」と批判した。他国の最高裁判決に干渉するという事態もきわめて異例のことである。いまだに、属国意識(植民地支配)を捨てきれないこの国の傲慢が垣間見える。
(写真は雪の中、札幌地裁に向かう植村さん=左から3人目、今年3月、札幌市内で。インタ-ネット上に公開の写真から)
《追記》~ブログ休載のお知らせ
沖縄での妻の海上散骨の準備のため、当ブログをしばらく休載させていただきます。
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