沖縄県知事選挙の投開票日を翌日に控えた9月29日、花巻市内である偶然が生み出した沖縄関連のドキュメンタリ-映画を見た。北上市を拠点に映画製作を手掛ける都鳥拓也・伸也さん(35)の双子の兄弟の最新作「OKINAWA 1965」である。「少女轢(れき)殺」―。米軍の統治下にあった1965年4月、こんな衝撃的なキャプションが付けられた写真が新聞紙上に躍った。報道写真家の嬉野京子さん(78)が沖縄本島・宜野座村で、6歳の少女が米軍のトラックにひき殺された瞬間をとらえた写真である。映画はこの写真を軸に沖縄の過去―現在を照射し、未来へとつなげていく手法になっていた。私はドキュメンタリ-の内容もさることながら、制作に至る動機に興味が引かれた。
3年前の10月1日、弟の伸也さんはある人の紹介で嬉野さんと会っていた。用向きは前作のプロモ-ションの相談で、もちろん初対面。当然、あの写真を撮影した著名な写真家だという知識は持ち合わせていなかった。たまたま、この日の朝日新聞は一面を全部使って、嬉野さんの業績を紹介していた。ふと目を上げると、目の前にいる人が新聞に載っているその人だった。腰が抜けそうになった。都鳥兄弟は小学生の時から、金城哲夫(故人)や上原正三など沖縄出身の脚本家が火付け役となった「ウルトラマン」シリ-ズのとりこになっていた。嬉野さんの口からいきなり「沖縄」という言葉が出てきた時、もう「この人と映画を作ろう」と決めていた、と伸也さんは言う。
「いのちの作法/沢内『生命行政』を継ぐ者たち」(2008年)と題するドキュメンタリ-映画がある。昭和30年代中ごろ、北上山地のふもとの旧沢内村(現西和賀町)は日本で初めてとなる老人医療費無料化を実現し、乳幼児死亡率ゼロを達成した。当時の村長の名前を冠して、「深沢いのちの行政」と呼ばれている。監督の小池征人さんとカメラマンの一之瀬正史さんが旧知の仲だったので、ロケハンの現場に陣中見舞いに出かけたことがある。「足元にこんなに素晴らしい政治があることを知らなかった」―、映画化の企画を提案したのが都鳥兄弟だったことをこの時、初めて知った。「希望のシグナル/自殺防止最前線からの提言」(2012年)、「1000年後の未来へ/3・11保健師たちの証言」(2014年)、「増田進/患者と生きる」(2016年)…。その後、独立した二人は次々に「いのち」をテ-マにした作品を世に問い続けてきた。
今回、監督役を担った伸也さんは映画化の過程をまとめた単行本『OKINAWA 1965』の中で、こんな風に述べている。「制作過程は、ほとんど沖縄問題についての予備知識がないまっさらな若者たちが、嬉野京子さんをはじめとする人との出会いをもとに沖縄の過去と現在に触れ、理解を深めていく過程でもあった。…わるいのは知らないことではなく、知ろうとしないこと、あるいは知ったかぶりすることなのだ」―。「無知の知」(ソクラテス)こそが二人の原点なのである。
2年前、私は亡き妻と米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の「新基地建設」現場に足を運んだ。明日、投開票される沖縄知事選挙でその是非が判明する。都鳥兄弟は次作「私たちが生まれた島~OKINAWA2018~」を製作するため、いま現地入りしている。一方、今年の沖縄全戦没者追悼式(6月23日)で、平和メッセ-ジ部門の最優秀賞を受賞した中学3年、相良倫子さんの作品「生きる」はこう結ばれている(6月22日付当ブログ「追記=全文掲載」参照)。「摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている/過去と現在、未来の共鳴/鎮魂歌よ届け、悲しみの過去に/命よ響け、生きる未来に/私は今を、生きていく」
「沖縄問題」とは即「本土(ヤマト)問題」と言われて久しい。「いのちの作法」を追い求めてきたヤマトの若い感性が今まさに、この詩に呼応しつつあるようだ。この兄弟には「イーハトーブ」(蝦夷国)と「ニライカナイ」(琉球国)との架け橋になってほしい、と私は切に願う。ぜひ成功させたい。協力金は以下に―。妻が旅立って、この日でちょうど2カ月を迎えた。生前の声が残されたままの留守電がさっきから、鳴り響いている…。また誰か、声を聞きに来たようだ。
製作協力金/一口 5,000円
振 込 先/郵便振替 口座番号 02230-3-138259
口 座 名 義/有限会社ロングラン(通信欄に「私たちが生まれた島」協力金と記入のこと)
(写真は映画製作中の左から拓也さん、嬉野さん、伸也さん=インタ-ネット上に公開の写真から)
《特報》~玉城デニ-氏、当選。今度はヤマトが問われる番!?
●翁長雄志(おなが・たけし)知事の死去に伴う沖縄県知事選は30日、翁長氏の後継として米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に反対する元自由党衆院議員の玉城(たまき)デニ-氏(58)が、移設を進める安倍政権が支援した前宜野湾市長の佐喜真淳(さきま・あつし)氏(54)=自民、公明、維新、希望推薦=ら3氏を破り、初当選を確実にした。政府は移設を計画通り進める方針だが、玉城氏は「あらゆる権限を駆使して阻止する」としており、今後も政府と沖縄の対立が続く。
1996年の日米両政府による普天間飛行場の返還合意以降、知事選は6回目。移設阻止を掲げた翁長氏が移設推進を訴えた現職を大差で破った2014年の前回選に続き、辺野古移設反対の強い民意が改めて示された。一方、9月の自民党総裁選で3選した安倍晋三首相は10月2日に内閣改造を行うが、全面支援した佐喜真氏の敗北は来年の統一地方選や参院選を前に大きな打撃となる【30日付沖縄タイムス「電子版」】
●翁長雄志知事の死去に伴う第13回沖縄県知事選挙は30日、投票が行われた。即日開票の結果、県政与党が推す無所属新人で前衆院議員の玉城デニー氏(58)が、政府与党が推す無所属新人で前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)=自民、公明、維新、希望推薦=を破って初当選を果たした。
最大の争点だった米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について玉城氏は反対を公約に掲げ、翁長知事が指示した辺野古埋め立て承認の撤回を支持している。知事選で県民は辺野古移設反対の民意を改めて示す結果となった。辺野古新基地建設を強行してきた政府の今後の対応が注目される。
辺野古新基地建設に対し玉城氏は選挙期間中、「宜野湾市民が受ける基地被害の苦しみを名護市民に背負わせることはできない。翁長知事の遺志を継ぎ、新基地建設を阻止するために全力を尽くす」と訴えてきた。その上で、来年2月に期限を迎える普天間飛行場の5年以内の運用停止について「政府は(運用停止の)約束を守るべきだ」と主張している。埋め立て承認撤回に対しては「全面的に支持する。撤回は公有水面埋立法に基づき適正に判断したものだ」と指摘してきた。
このほか、玉城氏は政策で「誰ひとり取り残さない社会」の実現を目指すと宣言。「保育料の無料化」「待機児童ゼロ」「子育て世代包括支援センターの全市町村設置」「保育所整備、認可外保育施設の認可化を支援」「認可外保育施設の給食費補助」などを掲げてきた。玉城氏は1959年10月13日、うるま市与那城生まれ。本名は玉城康裕。人気ラジオパーソナリティーとして活躍していたが、政治家を志し、2002年に沖縄市議に初当選。09年に衆院議員に初当選し、4期務めた。妻・智恵子さんと2男2女。【30日付琉球新報「電子版」】
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