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花巻市長の議会介入、止まるところを知らず!?

  • 花巻市長の議会介入、止まるところを知らず!?

 

  「修正動議には反対していただきたい」―。開会中の花巻市議会9月定例会で上田東一市長の口から“議会軽視”もここに極まれりとも受け取られかねない”暴言”が飛び出した。この10月から実施される「幼児教育・保育」無償化に伴い、一部で副食費が増加するケ-スがあることから、同市では17日開会の本会議にその負担を軽減するための改正条例案を提出。これに対し、共産党市議団から「全額無償化」を求める修正動議が出されたが、賛成少数で否決され、原案通りに可決された。冒頭の発言はこの動議への対応を問われた際の上田市長の答弁である。アッと驚く”暴言”劇はこんな経緯をたどった。共産党市議団が議席をドンと叩いて、怒りをあらわにした気持ちもよくわかる。

 

 この修正動議に対して、ある議員が「当局としてはどう対応するのか」とただした。答弁に立った上田市長は「ぜひ、当局案に賛成していただきたい」―。ここまではOK、というよりも提案者のだから、当たり前のことである。しかし、そのあとがOUT。「この際、修正動議には反対していただきたい」―。これはもう「議会軽視・議会介入」のお手本みたいなものである。最高学府で法律を修めたというこの人にとっては、「口が滑った」ではすまされない『暴言』そのものである。というよりも、上から目線の確信犯的な振る舞いだと言わざるを得ない。なぜなら、私自身が議員在職中に何度もその“被害”にあっているからである。あの時の光景を私はまざまざと思い出す。2年前の予算特別委員会で上田市長は傲然(ごうぜん)とこう言い放ったのだった。

 

 「同じ趣旨の質問はすでに、他の議員がしている。(増子)委員がちゃんと聞いていたのかどうか(まるで私が居眠りでもしていたような口ぶりだった)…。この質問についてはその時に詳細に説明している。質問をするなら、その内容を受けた形にしてほしい。そうすれば時間も効率的に使える」。私はその時、独立行政法人「都市再生機構」(UR都市機構)に対し、新図書館構想の立地調査などを委託した点についてただした。答弁内容にわが耳を疑った。「質問権は議員に与えられた大切な使命。内容も質問者によって、思いも視点も違う。予算審査に対する露骨な干渉だ」と抗議したが、大原健委員長(当時)は柳に風と受け流し、何ごともなかったかのように委員会は幕を閉じた。委員会終了後、小原雅道議長に対し「この市長答弁は議会全体に対する冒涜(ぼうとく)だ」として、厳重注意するよう申し入れたが、これもそれっきりで時は経過した。

 

 さて、さて……。今回、小原議長はまるで生まれ変わったかのように、厳しい口調でこう言った。「当局側はこの場に説明員の立場で出席している。だから、議員発言とは違って、会議録からの削除はできない。しかし、今回の市長発言は議会の側としては看過できない。今後、注意してほしい」―。議場は一瞬、ざわついた。私が“被害”にあった際は見て見ぬふりを決め込んだ小原議長にしては珍しい。議長席から見たその横柄な振る舞いがさすがに許せなかったのかもしれない。議会の憲法とも呼ばれる「議会基本条例」はこう定めている。

 

 「花巻市議会は、二元代表制のもと、市長とともに市民の信託を受けた市の代表機関である。議会は多人数による合議制の機関として、市長は独任制の機関として、それぞれの異なる特性を生かし、市民の意思を市政に的確に反映させるために競い、協力し合いながら、市としての最高の意思決定を導く共通の使命が課せられている」―。上田ワンマン市政は議会さえも「私物化」しかねないほどに腐敗し、権勢をほしいままにしつつある。今回、議会側がそれに「待った」をかけたという意味では一歩前進である。議員諸賢の奮起に期待する以外にない。12日付当ブログ(「花巻まつりと”政教分離”―そして十五夜」)で上田市長の「違憲」疑惑に触れたばかりなのに、「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」(軍歌「討匪行(とうひこう)」)……

 

  ファシズムの足音が聞こえてくる。あな、恐ろしや!?

 

 

 

(写真は無投票で2期目の再選を決めた上田市長(左から2人目)=2018年1月21日、インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

花巻まつりと“政教分離”ーそして十五夜

  • 花巻まつりと“政教分離”ーそして十五夜

 

 郷土芸能「鹿(しし)踊り」の太鼓の響き、「シャンシャン・ランツ、シャンシャン・ランツ」と聞こえる風流山車のお囃子のリズム―。古層に刻まれた記憶に誘われるようにして、42年間も留守にしていた古里に戻り、それからでも早や20年がたとうとしている。400年以上の歴史を重ねる伝統の花巻まつりが13日から3日間の日程で幕を開けた。東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた三陸沿岸で、復興の原点になったのはこうした郷土芸能や祭りが秘めるパワ-だった。私をこの地に引きとどめてくれるのも“地霊”とも呼べる、この種の引力のせいかもしれない。と、そんな気持ちでまつりを楽しみにしていた8月下旬、ふたたび水を差されるような出来事が起きた。エアガン騒動、リスクつき居住誘導地域…。ケチがつき始めると、どうも止まる気配はない。

 

 花巻まつりは開町の祖・北松斎を敬(うやま)う祭事として始まり、現在では鳥谷ヶ崎神社(同市城内)の祭礼として定着している。ここの宮司が神職の身分としては最上位の「浄階(じょうかい)一級」に昇進したことを祝う会が8月26日、市内のホテルで開かれた。会費は1万円。HPによると、上田東一市長と小原雅道市議会議長がともに「公務」として出席している。ところが、上田市長が「私費」だったのに対し、小原議長は「議長交際費」(つまり税金)をこれに当てていた。なぜ、こんな違いが生じるのか。この根底には憲法が規定する「政教分離」原則への認識の甘さがある。私は当選直後の平成23年12月定例会で、この原則に対する対応についての見解を問うた。その時の記憶が不意によみがえった。

 

 政教分離原則について、憲法は以下のように定めている。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない)(第20条)「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない(第89条)

 

 当時、花巻市は各種神事が終わった後に行われる宴会―「神社直会(なおらい)」に対し、市長交際費を支出していた。その件数が他市に比べて突出していたため、その根拠をただしたのである。政教分離をめぐる裁判例は「靖国」参拝の是非を争ったものなど多数にのぼっている。たとえば「愛媛玉串料訴訟」(1997年4月)について、最高裁大法廷は「違憲」と判断したが、多くは「社会的儀礼または習俗的行為」(目的効果基準)の範囲内として、「合憲」と判断する傾向が強い。当市の場合もこの目的効果基準を根拠に「違憲とは言えない」との姿勢を示したが、私が質問した以降はこの種の支出は廃止され、現在に至っている(と、今に至るまでそう思っていた)。

 

あの時、議場に同席した小原議員(当時)は当然、この間の経緯を十分、理解していたはずだったのだが…。過日、他界した作家の安部譲二さん(享年82歳)の代表作『塀の中の懲りない面々』に例えれば、さしずめ「議場の中の…」とでもなるだろうか。花巻まつり実行委員会の会長には上田市長が就任し、議会側も開会中の9月定例会を休会にするなど、まさに全市をあげての一大イベントである。そのこと自体は喜ばしいことであるが、宮司の昇進祝賀会へ「公務」として出席することと、祭りを盛り上げることとは全く別次元の問題である。

 

熨斗紙(のしがみ)に税金(議長交際費)を忍ばせて涼しい顔をしている小原議長は論外のこととして、一方の上田市長がポケットマネ-を出しながら、これが「公務」とはこれ如何!?。この整合性のなさをどう説明するつもりであろうか。議会答弁などで事あるごとに憲法を持ち出すにしてはお粗末極まりない。地が出たとはこのことかー。

 

戦前の「国家神道」が戦争と結びついたことへの反省から、政教分離原則が生まれたことは周知の事実である。最近では安倍晋三首相の「靖国」参拝訴訟で、違憲を主張する原告側が東京地裁(2017年4月)と東京高裁(2018年10月)でともに敗訴、現在は上告審で係争中である。その一方で首相自身は最近、周辺国への配慮などから直接参拝は避け、「真榊(まさかき)」と呼ばれる供物を私費で奉納するなど「公的行為」から一定の距離を置くようになっている。これに対し、当市の行政と議会両トップの公務出席は限りなく「違憲」に近いと言わざるを得ない。原理・原則など「屁の河童」の体(てい)である。

 

 鳥谷ヶ崎神社の境内の一角に「一億の号泣」と刻まれた、彫刻家で詩人の高村光太郎の石碑が建っている。「この日世界の歴史あらたまる。アングロ・サクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる…」(「記憶せよ、十二月八日」)…日米開戦のその日、光太郎はこう書き記している。その時からわずか3年半―たまたま、寓居(ぐうきょ)していたこの神社で敗戦の報を知った。戦後の約7年間にわたって、光太郎は花巻郊外で独居自炊の生活を続け、戦意高揚に協力した自分を懺悔する日々を送ったと言われる。以下に碑文の全文を掲載するが、これは戦後を生き直すための「原点の叫び」だったのであろうか。それとも…。

 

「綸言(りんげん=天皇の言葉)一たび出でて一億号泣す。昭和二十年八月十五日正午 われ岩手花巻町の鎮守 島谷崎神社社務所の畳に両手をつきて 天上はるかに流れきたる 玉音(ぎょくいん)の低きとどろきに五體(ごたい)をうたる 五體わななきてとどめあへず。玉音ひびき終りて又音なし この時無声の号泣国土に起り、普天(ふてん=天下)の一億ひとしく 宸極(しんきょく=天皇)に向ってひれ伏せるを知る。微臣(びしん=臣下)恐惶(きょうこう=恐れ入ること)ほとんど失語す。ただ眼を凝らしてこの事実に直接し、苟(いやしく)も寸毫(すんごう)の曖昧模糊(あいまいもこ)をゆるさざらん。鋼鉄の武器を失へる時 精神の武器おのづから強からんとす。真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ 必ずこの号泣を母体としてその形相を孕(はら)まん。(昭和二十年八月十六日午前花巻にて)」

 

3日間の祭典のいとまを見つけ、上田市長と小原市議会議長におかれては是非ともこのシンボリックな境内の光景を目に収めてほしいと思う。一個人の神職身分を「公の立場」で祝福する行為の軽率さを、ひょっとしたら光太郎のこの詩が教えてくれるかもしれない。―。それにしても、ナゾに満ちた詩ではある。花巻まつり初日の13日はちょうど「十五夜」(中秋の名月)に当たる。満月の輝きがこの「ハレの日」を包み込んでくれることを祈りつつ…。ふと、あの懐かしい童謡「十五夜お月さん」(野口雨情作詞、本居長世作曲)を口ずさんでみたくなった。

 

♯♯♯「十五夜お月さん/御機嫌(ごきげん)さん/婆(ばあ)やは/お暇(いとま)とりました」(1番)、「十五夜お月さん/妹は/田舎へ/貰(も)られてゆきました」(2番)、「十五夜お月さん/母(かか)さんに/も一度/わたしは逢いたいな」(3番) ♪♪♪

 

 

 

(写真は豪華絢爛を誇る花巻まつりの風流山車。稚児行列の何とも可愛らしいこと=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

立地適正化計画―看板政策の底、抜けた……リスクなんて、クソくらえ―ついでにエアコンも!?

  • 立地適正化計画―看板政策の底、抜けた……リスクなんて、クソくらえ―ついでにエアコンも!?

 

 「災害のリスクはありますが、どうぞご心配なく、お住まい下されたく…」―。ブラックユ-モアも腰を抜かしそうな“まちづくり”施策が花巻市で計画されていたことがわかった。9月2日付「読売新聞」が一面と社会面トップで報じた。全国の物笑いになった、あの“エアガン”騒動の余韻が冷めやらない中での全国版「秋の陣」の到来である。本日9月6日、花巻市議会の9月定例会が開会したが、行政側の一連の不手際にどう切り込むのか。一般質問の通告書でこの件を取り上げた議員はいないが、決算特別委員会も開催されるので、とりあえずそのお手並みを拝見することに…

 

「コンパクトシティ/住居集約先に災害リスク/国、危険区域の除外要請へ」―。こんな大見出しが一面に躍った。少子高齢化の社会に備え、国は「改正都市再生特別措置法」(2014年)の中で、公共施設や商業施設、住宅などを特定エリアに集約する「コンパクトシティ」構想を提唱。各自治体に対し、街づくりの青写真になる「立地適正化計画」の策定を求めた。花巻市も2016年6月に策定し、上田東一市長はことあるごとに「全国で3番目」と鼻を高くした。そのエリアのひとつ―「居住誘導区域」の中に急傾斜地など災害リスクのある個所が含まれていることが今回の報道で明らかになった。

 

 コンパクトシティによる街づくりを進める自治体は全国で269市町。うち、9割を超える248市町で居住誘導区域内に大小の災害リスクを抱えていることが国交省の調査で判明している。「適正化計画の策定前から市街地が形成され、除外は非現実的」、「小規模な危険エリアが街中に点在し、除外は困難」、「計画策定後、危険エリアに指定された」(同紙)―などそれぞれの自治体で事情は異なる。この中で国が特に除外の徹底を求めているのは、住民の生命に著しい危険が生じる恐れのある「土砂災害特別警戒区域」など通称“レッドゾ-ン”と呼ばれる区域である。

 

今回、花巻市の中心部の居住誘導区域内にこの“レッドゾ-ン”が5か所あることが指摘された。旧花巻城址に隣接する区域が多く、市建設部の担当者は「お堀跡の急傾斜地など元々住居には適さない場所で、ほとんどが市有地。しかし、居住誘導区域に含めたこと自体が間違いだった」と防災意識の欠如を認めた。国は土砂災害防止法(施行令第3条)によって、“レッドゾ-ン”を厳しく規定し、区域内における開発行為を制限しているほか、コンパクトシティの形成に際しては最初からこのゾ-ンを除外するよう指導してきた経緯がある。どうして、こうした法令違反や指導を無視するようなことがまかり通ったのか。担当部局では今年度中に5か所を居住誘導区域から除外するとしているが、背後に見え隠れするのは「人権感覚」を欠いたとしか言いようがない、上田市政の“無神経”ぶりである。たとえば、モデルガンとはいえ、それをふるさと納税の返礼品にリストアップするという想像力のなささ加減

 

“レッドゾ-ン”のひとつに今年7月1日にオ-プンした「花巻中央広場」がある。人の気配がほとんどない空間のたたずまいについては、8月9日付当ブログ(上田城、ついに落城か!?)で触れた。実はこの一帯は当初から居住誘導区域に指定されていた。隣接する上部に旧料亭「まん福」の建物あり、その境にはかなりの急傾斜地が伸びている。誰の目にも「居住不可」は明らかである。大雨で土砂崩れでも起きればひとたまりもない。急きょ用途変更し、境に擁壁を築いて公園化を急いだ所以(ゆえん)である。陽をさえぎる木陰があるわけでもなく、蛇口がたった三つの水飲み場があるだけで、トイレもない。酷暑のこの夏、“熱中症”公園などとも揶揄(やゆ)された代物である。皮肉交じりな声がまた聞こえてきた。「ひとっ子ひとり集まらないのだから、頑丈な擁壁もまるで宝の持ち腐れ。チグハグ市政の見本市だね」

 

 長大のソフトクリ-ムなど「昭和レトロ」で全国的に人気のある「マルカン百貨店」(大食堂)は中央広場に近い市中心部に位置している。耐震診断で不合格になり、3年前にいったん閉店に追い込まれた。その後、若手起業家などがクラウドハンディングなどで資金を集め、2017年2月20日に再開した。耐震補強を施さないままの強引なオ-プンだったが、世間からは「奇跡の復活」などともてはやされた。ちょうどその年の3月、「改正耐震改修促進法」によって、震度6強から7程度の地震で倒壊または崩壊する危険性が高い大規模建築物が公になった。この百貨店もその中に含まれていた。法律施行から2年以上たったいまも耐震補強の工事は行われていない。若手経営者の側の危機(リスク)意識のなささにもびっくりさせられる。

 

今年4月1日、その真向かいに東日本大震災の地震・津波で被災した人たちが入居する「災害公営住宅」がオ-プンした(8月29日付当ブログ「被災者を孤立させるな!?」参照)。災害リスクのある場所を居住誘導区域に指定し、「あの日」のトラウマを背負い続けなければならない被災者を、倒壊の恐れのある建物の真ん前に住まわせる…このグロテスクで、倒錯した光景に私は戦(おのの)いてしまう。ブラックユーモアどころか、「悪夢」とさえ言える。「全国で3番目…」が口癖だった上田市政の基本政策―「立地適正化計画」が目の前でメルトダウン(炉心溶融)しつつある。政策理念などという高邁(こうまい)な話しではない。強権をほしいままにする、その神経を私は疑いたくなるのである。

 

「市民の安心・安全が第一。コンプライアンス(法令遵守)が市政運営の基本」―。この人の初心は一体、どこに行ってしまったのか…。「花巻に新しい風を」という初陣のスローガンがいま、”乱気流”となって、イーハトーブ(宮沢賢治の理想郷)の空を吹き荒れている。

 

 

 

(写真は花巻中央広場に築かれたコンクリ-ト擁壁。しかし、本来なら人が集うはずの場所にその姿はほとんどない。上部の瓦屋根の建物が旧料亭「まん福」。実は市が所有するこの建物も再利用の道がなく、放置されたまま=花巻市上町で)

 

 

 

《追記》~エアコン設置の摩訶不思議(定例会一般質問)

 

 花巻市議会9月定例会の一般質問初日の9日、久保田彰孝議員(共産党)が災害公営住宅に関連し(8月29日及び9月5日付当ブログ参照)、「この夏の酷暑に耐え切れず、エアコンを自費で設置した。そのこと自体はやむを得ないことだと思うが、住宅建設の際、設置の必要性の議論はなかったのか。せめて、入居者に寄り添うという気持ちを示して欲しかった」という被災者の声を紹介した。エアコン設置については、今議会初日の行政報告で上田東一市長は以下のように述べて、胸を張った。

 

近年の猛暑から、子どもたちの健康を守り安全を確保するため、設置を進めておりました市内小中学校及び花巻市立保育園等へのエアコン設置につきましては、予定通り7月中に設置を完了し、夏休み前に稼働することができました。小中学校につきましては、特別支援教室を含む全ての普通教室に350、幼稚園、保育園及びこども発達相談センタ-につきましては、全ての保育室と医務室を兼ねる職員室に40台をそれぞれ設置したところです。…岩手県内で小中学校へのエアコン設置を予定している29市町村のうち、エアコンの稼働時期を7月中とした市町村は本市以外では、葛巻、西和賀、住田、岩泉の4町のみと伺っており…」

 

冒頭の被災者の訴えとこの行政報告との乖離(かいり)に言葉を失った。当ブログで縷々(るる)指摘してきた上田市政の“無神経”ぶり(いや、”薄情ぶり”と言った方が正確かもしれない)をふたたび、思い知らされたからである。この日の一般質問で災害公営住宅の入居者の高齢者率は36・8%(市全体では33・8%)に上っているうえ、その大半が低所得者層であること。さらに、26世帯(入居枠31世帯)の入居者のうち、ひとり世帯が10世帯と三分の1以上を占めていることが明らかになった。私が絶句したのはその後の展開である。冒頭の「エアコン」問題に対して、市側の担当者は無答弁を決め込み、なぜなのか質問者もそれ以上、追及することはしなかった。私から見れば、この対応の違いこそが上田市政の体質をもろに浮き彫りにしていると思うのだが…

 

まるで茶番みたいな議場のやり取りを、私は虚しい気持ちでインタ-ネット中継で聞き入った。全体のエアコン設置費は約8億5,300万円。うち、一般財源から約6億6,900万円が充当されている。「この一部を災害公営住宅に回すという考えは浮かばなかったのか。これこそが真の意味で被災者に寄り添うということではないのか…」―。私はいつの間にかブツブツと独り言をつぶやいていた。今年の残暑はことのほか厳しい。頭上ではエアコンがうなっている。それにしても、わが行政トップのなんとランク付けの好きなことよ!?なんだ、このクソ暑さは!?

 

 

 

 

 

 

 

 

被災者を孤立させるな!?…「ゆいっこ」OB会が支援、再開へ

  • 被災者を孤立させるな!?…「ゆいっこ」OB会が支援、再開へ

 

 「お茶っこをしながら、情報交換をしたい」、「カラオケを腹いっぱい歌いたい」―。花巻市の中心部に4月オ-プンした災害公営住宅の集会所に29日、孤立しがちな被災者の切実な声が響いた。ついの住み家を異郷の地に定めた被災者ともう一度向き合おうと、2年前にいったんは解散した支援組織「ゆいっこ花巻」の元代表、大桐啓三さんらが呼びかけた。震災直後、この組織の立ち上げに参加した私はその時の趣意書の一節にこう書いた。「この『結いの精神』(ゆいっこ)はひと言でいえば『他人の痛み』を自分自身のものとして、受け入れるということだと思います」。東日本大震災から8年余り…昨年夏に妻を失った私はその痛みをやっとのことで少し、共有できたような気持になった。たまたま、この日が妻の月命日に当たっていたのも、考えて見れば不思議なめぐり合わせである。

 

 「実家はもう住めるような状態ではなくなった。これから先のことを考えると目の前が真っ暗になる」―。福島県南相馬市から花巻市内の借家に移り住んだ泉田ユキイさん(75)にかつての元気はなかった。震災直後の3月23日、泉田さんは娘さんの嫁ぎ先である花巻に避難。住んでいた小高区が20㌔圏内の警戒区域に指定される前日の4月21日、残して来た愛犬「コロ」のことが心配になって連れに戻った。白骨化した牛の死骸や骨と皮になってヨロヨロとさ迷う牛の群れ、餓死した犬や猫…。置き去りにされた犬同士が産み落とした子犬は人間という存在さえ知らないほど狂暴になっていた。

 

 泉田さんは震災以降、「語り部」として津波と放射能禍の恐ろしさを語り続けてきた。九州・福岡の女子学生に語り伝えた言葉はまだ、私の脳裏にこびりついている。泉田さんはその時、こう語ったのだった。「東電に人の心があるかって、その気持ちは変わらない。でもね、置き去りにされた動物たちのことを考えた時、自分も含めた人間の残酷さみたいなものも感じて…」、「原発事故って、こんなにも罪深いものだとは思ってもいなかった。人間って一体何だろうか。そんな深いことを考えさせられた」。泉田さんはこう、言葉を継いだ。「東京の電力をどうして福島で作っているのか、そのことも考えてね。その根底には貧困という問題も隠されているのよ」―。そしていま、「3・11」の記憶は来年の東京五輪の喧騒にかき消されてしまった。「福島(の放射能禍)は完全にコントロールされている」という、誘致のきっかけになったフェイク発言(安倍首相)はどこかに雲散霧消してしまったかのようである。

 

 「市街地活性化の起爆剤に…」―。こんな掛け声とともに災害公営住宅は産声をあげた。「シティコート花巻中央」と命名された、仲町棟と上町棟を合わせた計31棟には現在26世帯が入居しており、うち独居世帯が10世帯である。このほか、市全体の移住者数は岩手県内の4市2町と宮城・福島両県を含めると、192世帯(362人)に及ぶ。記憶の風化とともにかつての「絆」(きずな)も薄れつつある。

 

 市民が一丸となって祝う「花巻まつり」(9月13日~15日)が近づいてきた。被災者が住む住宅前はまつりのメ-ンストリ-トである。高齢の女性入居者がポツリと言った。「花代(寄付)のお願いはあったけど、参加を促す話はまだない。なんか置いてきぼりになったみたいで、寂しい」―。被災者の「語り部」養成に乗り出した盛岡市などとは雲泥の差である。宮沢賢治のふるさと…わが「イーハトーブ」市政の体質については、《追記ー1~3》を参照していただきたい。震災の記憶を呼び戻すため、以下に最新(2019年7月31日現在)の移住者内訳を列挙する。

 

・釜石市~50世帯(92人)

・大船渡市~17世帯(27人)

・陸前高田市~12世帯(22人)

・宮古市~11世帯(20人)

・大槌町~59世帯(120人)

・山田町~18世帯(33人)

・宮城県~20世帯(37人)

・福島県~5世帯(11人)

 

 

 

(写真は「ゆいっこ」の呼びかけに17人が集まった。孤立感を募らせる声が多かった。左端が泉田さん=8月29日、花巻市上町の災害公営住宅集会所で)

 

 

 

《追記-1》~「個人情報」をタテにそっぽを向く行政

 

 今年6月7日付の岩手日報に花巻在住の無職の女性が「銃刀法違反」容疑で現行犯逮捕されたという記事が小さく載った。沿岸で被災し、花巻に避難して以降、精神的な不安を訴えていたという。約一か月半ほど前、この女性は同じ紙面に以下のような声を寄せていた。「震災直後は電気も布団もなく、不安と絶望の中で生活した。今月1日から入居した花巻市の災害公営住宅は、中心市街地にあり環境も良い。2017年に亡くなった父に見せてあげたかった。釜石道が全線開通し、便利になった。復興に携わった人たちに感謝したい。地元に戻るには、まだ心の整理ができていないが、遠くから古里を思い続けたい」

 

 この一件について、私は「事件との因果関係は分からないが、ある意味で想定内の出来事。行政として対応を協議したのか」とただしたのに対し、関係部課は「個人情報も絡んでいるので…」と言葉を濁し、こうした事態に対する認識さえ共有していないことを明らかにした。その因果を詮索することと、それ(想定内か否か)に対して、想像力をめぐらせることとは全く別次元の問題である。私自身、これまでこの事実の公表を控えてきたが、「建物だけを造って、良かれ」とする行政側の姿勢が眼に余るため、あえてこの場に掲載することにした。市議在任中に追究した「義援金流用」疑惑以来、被災者支援に対する行政の薄情さは少しも変っていないみたいである。

 

 

 

《追記―2》~「公平の原則」とは!?

 

 東日本大震災から約9ケ月後、花巻市内に避難していた男性(当時49歳)が借上げアパ-トで孤独死しているのが発見された。死後(推定)、すでに10日近くがたっていた。私は「見守り」体制のあり方などを市側にただした。その際に担当者が口にしたのも個人情報をカサにきた「公平の原則」という便法だった。以下に当時のやり取り(要旨=会議録から)を再録する。

 

増子;「実はことしの秋、花巻市内のアパ-トで男性被災者が孤独死しているのが発見されました。まず、この事実関係を把握しているかどうか」

 

総務部長;「親族から市に連絡があり、死亡されたことについては承知しているところであります。大槌町からの避難者の方ですが、個人の情報でございますので、内容については説明を差し控えさせていただきたいと思います」

 

増子;「具体的に沿岸から内陸に避難しているひとり暮らしの世帯に対して、何人体制で、どれくらいの間隔で見守り訪問を行っているのですか」

 

健康子ども部長「;保健師が巡回していますが、何回も何回も回るということはかなり、厳しい状況でございます。あくまでも市民と同じように健康相談のパンフレットを置いてきて、気軽に相談してほしいということです

 

増子;「一般市民と同じようにという『行政の公平性』もそりゃ分かりますけれども、今回の震災はケタが違います。保健師をふやすとか、沿岸被災者に特化した、もう少し手厚い見守り体制を考える必要があると思いますが…」

 

健康こども部長;「沿岸の被災者の方に特化した体制というお話でございますけれども、やはり行政としましては、市民の健康、安全、これが第一番でございます。あくまでも市民と同じように相談を受けてという形でやっていきたいと考えております」

 

増子「おそらく何回聞いても同じ答弁しか返ってこないような気がします。『公平の原則』と言えば、何か非常に耳触りがよく聞こえますが、そこに本市の行政の特色を垣間見たように思います」

 

 

 

 

《追記―3》~被災者を「語り部」に(2019年2月17日付「朝日新聞」より)。私は市議在任中に市側に同じことを提言したが、一顧だにされなかった。

 

 

 東日本大震災で、内陸避難者の支援活動を行ってきた「もりおか復興支援センター」(盛岡市内丸)が、3月11日に初めて語り部の講話会を開く。センターに通い、心の内に抱えてきた思いを手記につづって整理してきた被災者が語り部となり、被災経験を語る。震災からまもなく8年。内陸部でも震災の記憶を伝えていこうと、市もこうした活動を後押しする。

 

  語り部になるのは、宮古市、山田町、大槌町、釜石市出身の男女6人。3月11日にもりおか歴史文化館(同)で開かれる追悼行事「祈りの灯火2019」で、地震発生時の避難行動や震災後の生活を振り返る。きっかけになったのは手記集の制作だった。センターでは「何かを残したい」という避難者の声を受け、昨年7月から9月にかけて作家・斎藤純さんの文章講座を開催した。手記を書き上げ、気持ちを整理した秋ごろ、センターの職員が受講者に語り部としての活動も提案したところ、6人が手を挙げたという。

 

 震災当時、大槌町で保育園の園長をしていた釜石市出身の小笠原明子さん(71)は、園児を親に引き渡してしまったことの後悔を綴った。地震の直後、2人の母親が保育園にやってきた。「おばあちゃんが家にいるから連れていきたい」、「パパが家にいるから一緒に避難する」。小笠原さんは「津波が来るから」と引きとめたが、押し問答の末、母親たちは子どもを連れて行き、帰らぬ人となった。小笠原さんは当時の体験をあまり話さないようにしてきたという。「地元の復興に協力できずにいたことが胸にのしかかっていた。これからは、正しく怖がる大切さを伝えていきたい」と話す。

 

 3月11日の行事では他にも5人の語り部たちが、津波を生き延びた愛馬との思い出や地域で作った防災計画などをテーマに語る。もりおか復興支援センターには市内の学校や町内会などから被災者の講演依頼が来るが、これまで人前で体験を話せる人はいなかったという。金野万里センター長は「被災した人たちが教訓を伝えられる機会を増やしていきたい」と話す。

 

 内陸避難者を多く受け入れてきた盛岡市は、こうした伝承活動の支援を拡充していく考えだ。被災自治体の後方支援も行ってきたことから、内陸部でできる伝承活動を検討し、4月に更新する市の「復興推進の取組方針」に盛り込む。取組方針を議論するため1月に開かれた有識者会議では、委員から「盛岡には大震災を知る場所がない」といった意見が出た。市危機管理防災課の担当者は「例年、3月になると盛岡を訪れる人が増える。内陸でも大震災を知ることができる環境を整備したい」と話す。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(お盆向け特別企画続編);“エアガン”騒動―余波

  • (お盆向け特別企画続編);“エアガン”騒動―余波

 

 秋の気配が少しずつ感じられるようになったが、真夏の夜に突然降ってわいた“エアガン”騒動(8月9日付当ブログ「上田城、ついに落城か!?」参照)の余波は静まる気配がない。朝日新聞全国版は「ニュ-スQ3」欄(8月15日付)で、この珍騒動の背景を分析する記事を掲載。あらためて花巻市当局の対応のお粗末ぶりが天下にさらされる結果になった。まさか頬かむりすることはあるまいとは思うが、この恥さらしの責任をどう取ろうとしているのか。木で鼻をくくったような一片の謝罪文で済される話ではない。しばらくはその動向から、目を離すことはできそうもない。以下に朝日新聞の記事を転載する。

 

 

 ふるさと納税の返礼品に地元産のエアガンを――。そんな岩手県花巻市の取り組みが、2日間で打ち切りとなった。「返礼品に銃はそぐわない」との声が庁内から噴出したためという。安全性の検査をパスした製品だが、なにがだめなのか。

 

 「私たちの商売が否定された」。花巻市のエアガンメ-カ-・KTWの和智香(わちかおる)代表取締役(69)は吐き捨てるように言った。市から、返礼品にエアガンを加えたいと要請があったのは7月8日。量産できないため、3万5千円の「ウィンチェスタ- M1873 カ-ビン」を1丁限定で認めた。市は8月1日、12万円以上のふるさと納税の返礼品として、ホ-ムペ-ジにエアガンを掲載。45分後には申し込みがあり、受け付けは終了した。

 

 状況が一変したのは翌2日、エアガンの返礼品についてメディアから問い合わせがあり、市役所の担当部門以外から問題視する声があがったという。担当者は「かわった物を返礼品にと考えたが、エアガンへの理解が庁内で十分共有されていなかった。殺傷能力はないが、対人用の武器を再現したものは、不適切と判断した」と話す。翌日、中止を公表した。申込者にも理解を得たという。

 

 和智さんは、エアガンの製造を手掛けて約30年。返礼品の機種は、映画「ラストサムライ」(2003年)にも登場する騎兵銃がモデルで、計1万丁以上も売れた人気商品だ。ル-ルを守って「本物そっくりに作る」ことが信条だけに、「危険なものだというレッテルを貼られた」と憤る。

 

 エアガンとは、プラスチック製のBB弾(直径6ミリ)をガス圧や電動で発射する玩具銃のこと。日本遊戯銃協同組合によると、1990年代にサバイバルゲ-ムを楽しむ人が増え、需要が拡大した。ビデオゲ-ム「バイオハザード」やアニメ「宇宙戦艦ヤマト」に登場する銃などが特に人気で、1千円台から手に入る。大人用エアガンの18歳未満への販売を条例で禁じている自治体もある。

 

 危険性はないのか。以前は、改造して威力を高めたエアガンで人や動物、車を狙った事件が多発。国は06年に銃刀法を改正し、一定以上の威力をもつエアガンの所持を禁じた。組合の高津昭理事長は「改正法をうけて、弾が当たったときに、皮膚が破れて血が出ない威力に抑えている。改造できないような工夫をこらし、厳しい検査が通ったものだけを市場に出している」と自信をもつ。

 

 ただ、改造できる海外製のエアガンも出回っている。猫を撃つなどの事件も後をたたない。高津さんは「おもちゃであっても、警戒する人がいるのは理解している。だからこそ、『日本製のエアガンは安全』とわかってもらえるよう努めてきた」という。

 

 ふるさと納税の趣旨からみてどうか。地方財政に詳しい一橋大の佐藤主光教授(財政学)は、「ふるさと納税は地域や自治体に共感し、応援するための制度で、本来、返礼品は必要ないはず。意味ある返礼品があるとすれば、地元の隠れた名産品を全国に紹介する場として使うべきだ」と話す。その上で、「エアガンだから悪いというわけではなく、マニアに人気で、黙っていても売れるものをあえて選ぶ必要はなかった。急きょ取り下げたことも、商品にダメ-ジを与えてしまった」と指摘する。

 

 

 

 

(写真は西部劇でおなじみのカ-ビン銃。「西部を征服した銃」とも言われ、インディアン(アメリカ先住民)を虐殺したシンボルでもあった=インタ-ネット上に公開された写真から)