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「ベニスに死す」…“思考停止”から抜け出すための処方箋

  • 「ベニスに死す」…“思考停止”から抜け出すための処方箋

 

 コロナ禍がもたらした自粛ム-ドや同調圧力が強まる中、こうした風潮に異議申し立てをする“言論”が影を潜めつつある。こんな時にこそ、出番が期待される作家の辺見庸さん(75)の肉声を久しぶりに聞いた。NHKEテレ(6月7日放映「こころの時代―緊急事態宣言の日々に」)に登場した、歯に衣着せぬ“毒舌”は相変わらず健在だった。「カオス(混沌)のいまこそ、言葉の復権を」…聖書から映画、東西の知性(注記参照)を動員した洞察は鋭利な刃物で時代の闇を切り裂く凄みさえ感じさせた。しかし、私はむしろその背後に漂う静かな「死生観」に引き寄せられた。辺見さんはある映画を引き合いに出しながら、生と死を語った。

 

 「ベニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ監督、1971年)―。ドイツの文豪、トーマス・マン(1875―1955年)の名作を映画化したこの作品の舞台は20世紀初めのイタリア有数の観光都市・ベニス。感染症(コレラ)が蔓延するこの地を初老の音楽家が避暑に訪れる。コレラ禍のうわさが広がるそんなある日、神のごとき美少年に出会う。体調がすぐれない一方で、少年に対する思いは逆に高まっていく。主人公はまるでスト-カ-みたいに少年の後を追い続け、死の影が忍び寄る街をさまよい歩く。やがて、病魔に侵され、少年の姿をまぶたに焼けつけながら、死んでいく。BGMは「エリ-ゼのために」。結局は実ることはなかったが、ベ-ト-ベンが心を寄せた若き貴婦人に捧げた曲だと言われる。

 

 「(疫病下での)滅びゆく者の美しさ。風景全体をある種の美として描き切ったのが面白い」と辺見さんはポツリと言い、こう続けた。「あの風景の中には“人類はこうあるべき”とは違う、まったく“わたし”的な生き方がある」―。東日本大震災の際もそうだったが、いつの時代でも大災厄は個々の人間存在の根源そのものを問うてきた。今回、この名画を見直してつくづくとそう思った。「ニュ-ノ-マル」(新しい日常)という奇怪な“現象”は私にとっては、生と死を無化する陽炎(かげろう)ように見えてしかたがない。以下、印象に残った「辺見」語録(要約)を掲載する。

 

 

 

★「(コロナ禍のいまだからこそ)本当に表現したい。深呼吸しながら、し~んと人間の存在を考える。未来が判然としない半透明の中で、手探りしながら…」

★「コロナ撲滅挙国一致統一戦線みたいだ。緊急事態宣言そのものが超憲法的で超法規的。歴史が暗転する時の警戒心がなさすぎる」

★「コロナで何が立ち上がったかと言えば、人間ではなく『国家』(像)が立ち上がった。このままでは日本が滅びる、アメリカが滅びると」

★「人間の英知は意外に進んでいない。いま必要なのはシンプルな平等感や正義感。コロナ禍の中で人間はもっと謙虚でければならない。集団で眉をひそめられる世間って、いやだな。うるせいって」

★「想像(フィクション)を超えて、リアリティ(現実)が無限に展開していく、否応のない不条理。それを表現しようと思っても、あらゆる言葉が陳腐になる。耳目が洗われる言葉…欲しいのは言葉だ」

★「科学だけではこの問題を解き明かし、深めるのは難しい。哲学も文学もあらゆることを動員して考えなければならない」

★「聖書世界を想起せざるを得ない風景がいまある。人間の終わりとか存在の終わりみたいな…。聖書を文学的にとらえる。アレゴリ-(寓意)が思考を深めるきっかけになる」

★「コロナ禍の特長は人間の無名化と数値化。個の営みを数値の中に組み込み、名無しの人間にしてしまう」

★「コロナに罹患すること自体があたかも負の価値みたいにとらえられている。たとえば、手洗いを励行しないなど現在のル-ルを守れない『悪』だとか」

★「アメリカのコロナ患者の半数は黒人かヒスパニックス。死亡率も何倍も白人より多い。根幹の問題は貧困。(コロナがあぶり出した)貧困はその人の責任ではない」

★「健康の義務化。不健康は自己責任みたいなコロナの『健康論』には怒りがない。コロナが教えてくれたものこそが、我われが暮らす社会の冷酷さではなかったか。こんなインチキな社会だったんだ、と」

★「(行動変容という表現に)まず、言語的にゾッとする。自動翻訳機で翻訳したいみたいで気持ちが悪い。この社会はこうも脆く、言語世界まで動揺している」

★「生活様式の変更を国家が指示するのはファシズム以上。その一方で(強権発動を待つ前に)民衆社会の基層部の劣化が進んでいる。私権を自ら制限していくという,たとえば『自粛』」

★「ニュ-ノ-マルが新しい優性思想に姿を変えるのではないかという不安。救われる者と救われない者との分断がされ、弱者がそのおびただしい死によって淘汰される。そんな予感の中をどう生きて行けばいいのか」

★「自分が生きる尺(しゃく)を今日一日に区切る。きょう一日分だけ。どこまで続くかわからない、毎日をやっていくしかないかなぁ」

 

 

 

《注 記》

 

●旧約聖書「コヘレトの言葉」

~「なんという空しさ すべては空しい。かつてあったことは これからもあり、かつて起こったことは これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」

●堀田善衛(作家、1918―1998年)

~「大火焔のなかに女の顔を浮かべてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを自分自身に痛切に感じ…」(『方丈記私記』)

●アラン・シリト-(英国の労働者階級出身の作家、1928―2010年)

~「風邪をひいても世の中のせいにしてやる」(貧困層の怒りを表現)

●スラヴォイ・ジジェク(1949年、スロバキア生まれの哲学者)

~「(コロナ禍の三重の危機は)まず感染症そのもの、つぎは経済の破綻、そして精神の崩壊。(この事態を生き延びるための容赦のない措置として)人間の顔をした野蛮が正当化される(たとえば、恣意的なトリア-ジ=生死の優劣)」

●ジャン・ボ-ドリヤ-ル(フランスの思想家、1929―2007年)

~「人間もウイルスみたいなもの。人間がウイルスを発見したのではなく、ウイルスが人間を発見した」

 

 

 

 

(写真は古典的な名画「ベニスに死す」の一場面=インタ-ネット上に公開の写真から)

「新しい日常」から“ニュ-ノ-マル”へ

  • 「新しい日常」から“ニュ-ノ-マル”へ

 

 ステイホ-ムやソ-シャルディスタンス、リモ-トワ-ク、テイクアウト、エッセンシャルワ-カ-、アフタ-コロナにウイズコロナ、ついでに言えばオン飲み(オンライン飲み会)にアベノマスク…。いま、巷(ちまた)にはまさにパンデミック(大流行)並みのカタカナ語が氾濫している。最近では「新しい日常」が「ニュ-ノ-マル」(新常態)などと翻訳されて、ひとり歩きし始めた。感染症予防のための「新しい生活様式」が気がついてみれば、“体制用語”に変換されているという危うさ。そう、歴史はそうやって繰り返されてきた。

 

 満5歳で敗戦を迎えた私にとっての“ニュ-ノ-マル”は「戦後民主主義」だった。父親を戦地で失った悲しみをいやすことができたのも、これまで感じたことのなかった時代の風だった。「Hey、Come On」―。チュ-インガム欲しさに占領米兵が運転するジ-プを追い回すのが、当時の子どもたちの新しい生活様式のひとつだった。これまで嗅(か)いだことのない不思議なにおいだった。B29の砲弾に追われ、防空壕に身をひそめる日々からの「解放」をかみしめたのは実はこの「アメリカのにおい」だった。当時はまだ、希望の光が満ちあふれていた。あれから75年―戦後民主主義が後期高齢期を迎え、足腰がヨタヨタし始めたちょうどそんな時、コロナパンデミックが襲いかかった。

 

 「60年安保世代」―。物心がついた大学生時代、私たちはこんな呼ばれ方をした。当時、アメリカへの従属をより強めるための「日米安全保障条約」の改定をめぐる政治交渉が緊迫の度を加えていた。こうした動きに警戒を強める労働者や学生たちが国会を包囲した。皮肉なことにこの時のエネルギ-の源(みなもと)こそが全身に浴びるように注がれた戦後民主主義の洗礼だった。改定を強行した当時の岸信介首相は責任取って辞任したが、高度経済成長を満喫したのもつかの間、その後はバブル崩壊や「失われた20年」に見舞われて現在に至っている。そしていま、過去に経験したことがない未曾有の危機の陣頭指揮をとるのが、岸元首相の孫にあたる現安倍晋三首相である。これもまた、もうひとつの歴史の皮肉である。

 

 「大人も初(はじ)めてのピンチにどうすればよいかわからず、なやんでいます。みなさんは歴史(れきし)の当事者(とうじしゃ)です」―。群馬県内の教師が新一年生にこう呼びかけたという新聞記事を目にした。自らの「思考停止」状態を正直に告白するこの教師の誠実さに好感を持った。いまの私も視点の定まらない五里霧中をさ迷い歩いているからである。

 

 今回のコロナ禍をきっかけにニュ-トンの「万有引力の法則」にまつわるエピソ-ドが話題になっている(4月27日付当ブログ参照)。17世紀、英ロンドンを襲ったペスト禍のあおりで大学が休校になったため、ケンブリッジの大学を卒業したニュ-トンは故郷への疎開を余儀なくされた。今でいう「ステイホ-ム」である。「リンゴが木から落ちる」瞬間を目撃したのは、そんな悄然(しょうぜん)とした心地の中だったらしい。ペスト禍による休校がもたらした偶然…世紀に残るこの大発見をもたらしたステイホ-ムの期間はのちに「創造的休暇」とか「已むを得ざる休暇」と呼ばれたという。次代を担う「歴史の当事者」こそが未来の創造主たりうるということだと思う。

 

 動物学者で東山動植物園(名古屋市)の企画官、上野吉一さん(59)はこう話している。「ひるがえってコロナ禍に目を向けると、そもそも森の中で眠っていたウイルスを、環境破壊よって市中に引きずり出したのは人間でした。人間至上主義が自然との距離感を崩してしまったのです。もう一度、ホモ・サピエンスとしての身の丈を見直すよう迫られていると私は考えます」(6月5日付「朝日新聞」)―

 

 「Normal」(正常)は時として、「Abnormal」(異常)を際立させるという逆説をあわせ持っている。たとえば、耳目をそばだてれば「緊急事態宣言」発令の背後から憲法改正の“底意”が立ち上がってくる気配が感じられる。「戦争」から「平和」へ…戦後民主主義の“揺りかご”に揺られて育った私たちの世代は、こうした危機に乗じた時代の変調にはことさら敏感になってしまう。「コロナ世代」という言葉を最近、耳にするようになった。ウイルスと共存する「新しい文明」を創造できるのはコロナの申し子である、この世代を抜きにしてはあり得ない。“ニュ-ノ-マル”のいかがわしさを嗅(か)ぎとる嗅覚がいま、求められている。私にとってのそれが「アメリカのにおい」だったように……

 

 

 

 

(写真は国際統一規格―「ソ-シャルディスタン」の風景=米ニュ-ヨ-クで。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

「生」と「死」との隔離…コロナ禍の葬送

  • 「生」と「死」との隔離…コロナ禍の葬送

 

 防具服に身を固めた葬祭業者にオンライン葬儀、ドライブスル-焼香…。本来は隣り合わせだったはずの「生」と「死」の風景がコロナ禍の中で一変しつつある。タレントの志村けんの親族が遺体との対面さえかなわなった出来事があまりにも鮮烈すぎる。戦死や海難事故死、「3・11」のような行方不明死などによって、“いまわの際(きわ)”に立ち会えない不幸は人生にとっては避けられない宿命であるが、今回は目の前の亡き人との最期の別れさえできないという、かつて経験したことのない「葬送」の風景である。生と死との最後の橋渡しをする“納棺師”の言葉がよみがえってくる。人間実存の根底から、それは聞こえてくるような気がする。

 

 「私が初めて湯灌(ゆかん)・納棺を始めた昭和40年代には、まだ自宅死亡が5割以上もあって、山麓の農家などへ行くと、枯れ枝のような死体によく出会った。肌色も柿木の枯れ枝のように黒ずんでいた。そんな遺骸(がい)が、暗い奥の部屋に『く』の字となって横たわっていた。そんな村落での老人の死体は、遺骸という言葉がぴったりで、なんとなく蝉の抜け殻のような乾いたイメ-ジがあった」(『納棺夫日記』、1993年)―。作家で詩人の青木新門さん(83)は葬祭業を営んでいた当時を回顧して、こう書いている。「大往生」という見事な死に際が目に浮かんでくる。

 

 日本映画で初めて、第81回アカデミ-賞外国映画賞(オスカ-)を受賞した「おくりびと」(滝田洋二郎監督、2008年)は青木さんの同書を下敷きにした作品である。生から死へと向かう瞬間の営みが納棺師の手を経ておごそかに行われる。一生を終えた「人生」の最後に立ち会う「生者」と「死者」との間に通い合う何とも言えない神々しさを描いた傑作である。何度かお会いし、宮沢賢治の死生観について伺ったことがある。こんな言葉がまだ、頭の片隅にこびりついている。「毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。死者の顔は安らかな顔をしている。死と対峙して、死と徹底的に戦い、最後に生と死が和解するその瞬間に、あの不思議な光景に出会うのだろうか」―

 

 もう間もなく丸10年になる東日本大震災で、白銀照男さん(71)は母親と妻、一人娘の3人を奪われた。まだ、3人の行方は分かっていない。あの震災の2年後、白銀さんが住む大槌町の仮設住宅の一室で、“復元納棺師”の笹原留似子さん(48)にお会いした。「触れたい、添い寝したい、話したい」…こんな遺族たちの願いをかなえようと笹原さんは遺体と向き合っていた。損傷した亡骸(なきがら)に少しずつ、笑みが戻ってくる。その口元にそっと、紅をさす…。遺族のもとに返した数は数百人にのぼる。「早く見つけて、3人を照さんに引き合わせてあげたい」―。白銀さんの肉親捜しにも同行する笹原さんはその時、こうつぶやいた。「最期のお別れ」の本当の大切さを教えられたように思った。

 

 「あなた変わりはないですか/日ごと寒さがつのります/着てはもらえぬセ-タ-を/寒さこらえて編んでます/女ごころの未練でしょう/あなた恋しい北の宿」―。このところ、哀愁のこもった演歌をひとり口ずさんでいる自分にハッとすることがある。40年近く前、北海道の北炭夕張炭鉱でガス突出事故発生、93人が死亡するという大惨事が起きた。坑底の闇の中で、ある下請け坑夫は妻子を残したまま息を引き取った。同僚のその死を腕に抱きながら看取った知人の男は、居酒屋で酒を飲むたびに狂ったようにこの「北の宿」を歌うのだった。あの時のまるで吼(ほ)えるような歌いっぷりの心の内が今になって少し、分かるような思いがする。

 

 「震災は、日本の人々の、死との向き合い方を変えたのではないかといわれています。では、死とはどのように向き合っていくべきなのか。死とは何か。死の現場では、何が起きているのか。見送る現場で、わたしは何を感じ、伝えてきたのか」―。笹原さんは死の最前線での稀有(けう)な体験をつづった自著『おもかげ復元師』の中にこう記している。笹原さんが寄り添い続けた、その「死」が今、どんどん遠のいていく。故人の最後の「おもかげ」さえも記憶することができないような時代の幕開け!?「生」と「死」とが隔離される“新しい日常”を私たちはどう生きて行ったらいいのか…、「人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」―を問いかける、これはまさに哲学的な命題なのかもしれない。

 

 

 

 

(写真は車の窓越しに手を合わせる“ドライブスル-焼香”。世紀末の風景とはこのことを言うのであろうか=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

コロナ神からの贈り物…私は10万円でこんな本を買いました

  • コロナ神からの贈り物…私は10万円でこんな本を買いました

 

 緊急事態宣言が発令された前後から、日を経ずして本が届くようになった。差出人はきまって「コロナ神」である。もう20冊以上になったが、その中の一冊の『大地よ!』が朝日新聞一面の長寿コラム「折々のことば」の筆者である哲学者の鷲田清一さん(70)の手元にも送られてきたらしい。この本の一部を引用して、鷲田さんはこう記している。「大地、火、水、風。生きとし生けるものを養うもの。それらをアイヌの人々は神(カムイ)と呼び、他の生き物たちと奪いあうのではなく分かちあうものと固く思ってきた。その文化が潰(つい)えかけている。だから今はアイヌを『語る』よりも『起こしたい』のだと」(5月28日付)

 

 本の副題に「アイヌの母神」とある。“母神”とはアイヌ語で「フチ」を連想させる表現で、おばあさんに対する尊称でもある。筆者である宇梶静江フチ(87)と出会ったのはもう30年以上も前のことである。「アイヌはね。いつだって、カムイと一緒なんだよ」とフチは口を開くとそう言った。行きつ戻りつ、その世界観を垣間見る日々を過ごしてきた。同書はコロナ禍のさ中の3月3日に発行された。表紙裏に講演録の一節が載っている。

 

 「いま私たちは、現代文明のなかで、人間とは何か、人間らしい生き方とは何かを問われています。アイヌの精神性は現在、地球が抱えているさまざまな困難に光を投げかけることができると思っています。そして、その先住の民の光は、人間であることの根源から生まれてくる光なのだと思います」―。20年近く前、ハ-バ-ド大学で行われた講演の一部である。コロナ禍に遭遇した際、私は真っ先に宇梶フチのこの言葉を思い出した。そして、思った。「コロナとは、カムイモシリ(神々の国)から地球という惑星に遣(つか)わされた新入りのカムイではないのか」と…

 

 「パヨカカムイ」(徘徊する神=病気の神)―。アイヌ民族にとっては「病気」もカムイ(神)の眷属(けんぞく)であることについては、当ブログ(4月5日付と同24日付)でも再三、触れてきた。だから、今回の新型コロナウイルスもアイヌの精神世界ではれっきとしたカムイの一員なのである。地球狭しとウイルスをまき散らし続ける「コロナ神」からのメッセ-ジが耳元に聞こえてきた。「地球人のあなた方と仲良くしないことには、わしらも住む場所がだんだん、狭くなってしまう。ともに生きるしかないじゃないか」―

 

 

 特別定額給付金(10万円)の使い道について、あれこれ考えた。齢(よわい)80歳にして今さら「新しい生活様式」でもあるまい。だったらいっそのこと、残り少ない人生をコロナ神との対話に費やすのも一興ではないか。「コロナよ、お前さんはなぜ今ごろになって、我われの前に突然、姿を現わしたのかい」…。というわけで、勢いその関係の本が多くなった。残余金はまだある。どんな本が届くのか、これからも楽しみである。以下、6月3日現在のコロナ神から贈呈本一覧~

 

 

●「まつろわぬ者たちの祭り―日本型祝祭資本主義批判」(鵜飼哲著)

●「郷愁―みちのくの西行」(工藤正廣著)

●「方丈記私記」(堀田善衛著)

●「ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊」(村上陽一郎著)

●「病魔という悪の物語―チフスのメアリ-」(金森修著)

●「感染症と文明―共生への道」(山本太郎著)

●「ゼロリスク社会の罠―『怖い』が判断を狂わせる」(佐藤健太郎著)

●「21Lessons21世紀の人類のための21の思考」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)

●「モンテレッジォ―小さな村の旅する本屋の物語」(内田洋子著)

●「コロナ禍の時代の表現」(新潮2020・6)

●「ペスト」(ダニエル・デフォ-/平井正穂訳)

●「大地よ!アイヌの母神、宇梶静江自伝」(宇梶静江著)

●「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダ-ノ著)

●「人は、なぜ他人を許せないのか」(中野信子著)

●「カタストロフ前夜―パリで3・11を経験すること」(関口涼子著)

●「サル化する世界」(内田樹著)

●「感染パンデミック―新型コロナウイルスから考える」(現代思想5)

●「幻化」(梅崎春生著)

●「山海記」(佐伯一麦著)

●「アイヌと神々の物語―炉端で聞いたウウェペケレ」(萱野茂著)

●「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)

●「呪文」(星野智幸著)

●「思想としての<新型コロナウイルス>」(河出書房新社編)

 

 

 

(写真は「コロナ神」からプレゼントされた本の一部。もう少し届きそう。待ち遠しい)

 

 

 

 

《追記》~コロナ神へのカムイノミ(神への祈り)

 

 コロナ拡大を受け、北海道弟子屈町のアイヌ民族の有志らが18日、病気の神が人間に近づかないよう祈りの儀式を行った。民族衣装をまとった男女約40人が、病気の神「パヨカカムイ」に向けて思い思いの踊りを披露。音楽に合わせ、魔よけの効果があるとされるクマザサで宙を突いたり、両手で持ったアイヌ文様の布を上下左右に振ったりした。「弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会」の豊岡征則会長によると、アイヌ民族の共生の精神に基づき、儀式は病気の神を退治することを目的にしなかった。「儀式で『何とか鎮まりください。お互いに生きていきましょう』とお祈りした」と話した(4月18日付「秋田魁新報」=共同配信)

 

 

 

 

 

 

コロナとトイレのコラボ!?…頭隠して、尻隠さず

  • コロナとトイレのコラボ!?…頭隠して、尻隠さず

 

 「中央広場のトイレは6月13日から利用できます」―。コロナ漬けになっていたせいなのか、花巻市のHPのお知らせ(記者会見資料)を見て目が点になった。そもそも「3密」とは無縁だった、つまり「人気(にんき&ひとけ)」がほどんどなく、“無用の長物”と冷ややかな目が注がれていた空間に「いまさら、トイレ!?」っていう感じである。約3カ月間に及ぶ公共施設の一斉休館からやっと解放されたのもつかの間、コロナ対応で見せた上田(東一)「迷走市政」は今後もやむ気配がない。

 

 その迷走ぶりというか、あまりにも無頓着な危機管理能力のなさをさらけ出したのはコロナ禍が起きた直後のこと。「持病のある方、ご高齢の方はできるだけ人混みの多い場所を避けるなどより一層、注意してください」―。市当局はいち早く、「新型コロナウイルス感染症に関して」と題するチラシを3月1日付の市の広報誌に折り込んで全戸配布した。ところが、コロナ感染が懸念される中、チラシ作成(2月21日)の2日後の23日、地元特産品などを販売する当市最大規模の「どでびっくり市・冬の陣」がこの場所で強行された。一方で外出自粛を呼びかけながら、他方で参加を要請するという”たぶらかし”、つまりはある種の詐欺行為。「3密」(密接・密集・密閉)防止などどこ吹く風である。この時の(「急がば回れ」の鉄則を無視した)拙速がその後の特別定額給付金(10万円)の申請をめぐるトラブルなど“迷走劇”の幕開けだったのかもしれない。

 

 公共施設としての「花巻中央広場」は中心市街地の活性化をうたい文句に昨年7月にオ-プンした。酷暑に見舞われたその年、「熱中症にかかりに行くようなもの」など不評タラタラだった同じ場所に、今度は車いす使用可の男女兼用多目的トイレの出現。本来ならもろ手を挙げて歓迎すべきなのだが、一体どうして?当ブログ(2019年9月5日、同12月18日及び2020年2月21日、同2月29日付)ではこの広場の不幸な生い立ち(出生の秘密)について詳しく触れてきた。この場では上掲写真を見ながら、この上田「失政」のシンボリックな光景について、簡単に説明しておきたい。

 

 手前に建つ箱型の建物が今回設置されたトイレで、その前方に広がるのが遊具の備えもない空間で、それでも市の公園条例が定める「公園」としての公共施設に位置づけられている。そそり立つようなコンクリ-トの擁壁が目に飛び込んでくる。その上のカワラぶきの日本家屋が解体が予定されている旧料亭「まん福」―。どうみても異様なたたずまいである。

 

 実はこの一帯は当初、市の立地適正化計画よって、定住促進を進める「居住誘導区域」に指定されていた。ところが、国交省から「急傾斜地のそばに住宅地を造成するとは。住民の命を何と心得ているのか」とお叱りを受けた。議会側にもきちんと説明をしないまま、急きょ、崩落防止用の頑丈な擁壁をしつらえて“公園”もどきに衣替えしたという経緯がある。つまり、上田市政というより、上田市長にとっては絶対に外部に知られたくない「マル秘」(負の遺産)が、この光景の背後には隠されているというわけである。人寄せパンダみたいな“やらせイベント”が横行している所以(ゆえん)である。その最たるものがコロナ禍のさ中の「3密」イベント―「どでびっくり市」であろう(“公園”と称する割には周囲が建造物で囲まれており、そもそも密閉感が強い)。腰を抜かした(どでびっくり)したのはこっちの方である。

 

 「公園は腐を転じて鮮となす」「精神の洗濯場、空気の転換場であれ」(5月21日付「朝日新聞」天声人語)―。文豪の幸田露伴は著書にこう書き残しているという。明治時代、“都市の肺”として造成された公園にいま、コロナウイルスの脅威が忍びよる。酷暑の夏がまた、目の前に迫ってきた。さて、大枚750万円を投じてトイレを設置したわが広場は果たして、「精神の洗濯場」になり得るや否や…

 

 「ケ-ン、ケ-ン」「チョッ、チョッ」―。隣家の畑からキジのつがいがさえずる声が聞こえてきた。エサをついばむのに夢中なのか、当方の気配にはお構いなし。「頭隠して、尻隠さず」―。この鳥には追われると草むらの中にを突っ込んで隠れ習性がある。お~い、お尻が丸見えだぞ~。人間社会では「一部だけを隠して、すべてを隠したつもりでいる愚かさを笑う」―際の比喩に使われる。誰かさんみたい。あっ、そうそう。「キジも鳴かずば、撃たれまい」に…

 

 

 

 

(写真は街なかに出現した上田「失政」のシンボル=花巻市の吹張町と鍛治町にまたがる花巻中央広場で)