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もうひとつの「コロナからのメッセ-ジ」

  • もうひとつの「コロナからのメッセ-ジ」

 

 「コロナではたらくかぞくをもつ、キミへ。まだまだ、せかいじゅうが、しんがたコロナウイルスで、たいへんなことになっているね。そんななかでも、わたしたちコロナは、くらしをゆたかにするつぎのかいてきをつくろうと、きょうも、がんばっています。もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです」―

 

 「わたしたちコロナは」…こんなひらがなとカタカナ書きの広告が6月13日付の新潟日報に掲載され、話題になっている。地元三条市の暖房機器メ-カ-「株式会社コロナ」の小林一芳社長がコロナ禍の中で心を痛める社員と家族向けに送ったメッセ-ジで、小林社長は「社名が新型コロナウイルスを連想させることから、社員の家族やお子さんが学校やメディアで何気なく耳にする言葉に心を痛め、落ち込むようなことがあった」と話している。コロナ“当事者”からの初めての訴えに私は妙に感動してしまった。

 

 ビ-ルやホテル、アミュ-ズメント施設…。人類全体から“仮想敵”とみなされた「コロナ大戦争」が遂行される中、この名を銘柄に持つ業態が思わぬ風評に立ち往生している。そもそも「コロナ」は太陽の周辺に輝く散乱光を指し、その名はギリシャ語の「王冠」が由来。コロナウイルスの表面の突起物が王冠に似ていることから、こう呼ばれるようになったという。コロナ禍のとばっちりを受けたメキシコ産の「コロナビ-ル」は4月初めに生産の一時停止に追い込まれたほか、国内の集客施設からも客足が遠のいた。私たちの世代にとって、「コロナ」と言えば「トヨタ」…1957年に初代が誕生して以来、40年以上にわたってファミリ-カ-の地位を維持した。でも、北国にとってはやはり「コロナスト-ブ」が懐かしい。

 

 歴史をさかのぼること85年前―。「コロナ」の創業者がコロナの発光色と石油コンロの青い炎が「王冠」に似ているのに気が付き、こう命名したのだという。以来、「コロナスト-ブ」は北国の日常生活には欠かせない“神器”のひとつとしていつもそばにあった。暖を取るだけではなく、母親の煮炊きを助ける必需品でもあった。だから、同じ「コロナ世代」といっても、私たち後期高齢者にとって、その行きつく先の記憶は「ウイルス」ではなく「スト-ブ」ということになる。

 

 「本来、『新しい生活様式』には、新しいものの考え方や価値観が伴っていなくてはいけないはずです。単にマスクを着ける、着けないじゃなくて、高度成長期以来の思考様式を変えなくてはいけない。価値観や思考様式を変えようとしないで『新しい生活様式』を掲げても、すぐ消えていくような気がします」(6月20日付「朝日新聞」)―。明治大学の重田園江教授(政治思想史)はこう述べている。小林社長のメッセ-ジは巧まずして、「たまにはコロナの身になってみる」という…視点の移動(置換)の大切さを教えているような気がする。エアコンがまだ普及していなかった子どものころ、王冠の不思議な輝きに手をかざしながら、何やら深刻ぶって物思いにふけっていた自分を思い出す。「コロナスト-ブ」は今回のコロナ禍をまさに“自分事”として、とらえ直すきっかけを与えてくれたのである。

 

 6月26日付の全国紙やテレビはこんな記事をいっせいに報じた。「全国で唯一、新型コロナウイルス感染者が確認されていない岩手県内の4市町村の教育委員会が、感染者の多い県外から転校してきた小中学生の保護者に、2週間は登校を自粛するように要請していたことが25日、県教委などへの取材で分かった。4市町村は『感染拡大や転入生へのいじめが懸念されたため』などと理由を説明している。4市町村は一関市、奥州市、洋野町、九戸村で、6月上旬に把握した文部科学省が県教委を通じて『県外から来たというだけで自宅待機させることは適切ではない』と指摘したため、要請内容を変更するなどした。登校を自粛した子どもは計20人以上いた」(時事や共同配信)

 

 「コロナからのメッセージ」を改めて読み返しながら、いったん「ゼロリスク症候群」に取りつかれてしまった際の「視点の移動」の難しさをつくづくと思い知らされた。

 

 

 

 

 

(写真は正に“王冠”を連想させるコロナスト-ブの炎=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

「新図書館」構想21…“意向書”なる摩訶不思議、そしてついに唐変木の登場

  • 「新図書館」構想21…“意向書”なる摩訶不思議、そしてついに唐変木の登場

 

 「あれっ、今さらながら相手側の“意向”って。振り上げたこぶしは一体、どこに!?」―。花巻市議会内に設置されている「新花巻図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長)が約3ヵ月ぶりに開かれ、市側の新図書館構想について、改めてその真意をただす“意向書”なる文書を開会中の6月定例会で小原雅道議長を通じて、上田東一市長へ提出することを決めた。市側が市民や議会側の頭越しに集合住宅付きの新図書館を、JR花巻駅前に建設する意向を示したのは今年1月29日。「議会軽視もはなはだしい」という反発を受け、3月定例会に上程予定の図書館関連予算を急きょ、撤回。3月18日付で議会内に特別委が設置された。

 

 この日、決まった「新花巻図書館の整備に関する特別委員会意向書」について、伊藤委員長は「(市の原案は)市民参画の手順を踏んでおらず、市民から疑問の声が寄せられている。最初から駅前立地ありきで、公平性が担保されていない」などとして、①候補地選定の再精査、②図書館機能の検討、③市民参画の推進などを盛り込むことにした。「あれっ」と思った。こうした“意向”を実行に移すために特別委が設けられたのではなかったのか。「図書館とはかくあるべき」という理念論を掲げたあの時の熱い思いはどこに消えてしまったのか―。いったん土俵を飛び出したものの、また元の土俵に引き戻されていたというわけである。一方で、市側は当初案の正当性を関係審議会などで説明している。ナメラレタもんである。

 

 「新型コロナウイルス感染症予防対策の対応に当たられている市当局に敬意を表しつつ…」という一文が“意向書”の中に見える。今回のコロナ禍は「二元代表制」という地方議会の大原則にも微妙に影響を与えている。宮古市議会は市職員のコロナ業務の負担軽減と出席者の感染防止のため、6月定例会での一般質問を取り下げることを決めた。議会としてのチェック機能の放棄につながりかねないという批判もあり、国会でも閉会中審査を実施するなど“有事”の際の対応の難しさを浮き彫りにした。折しも、開会中の当市議会の一般質問で「質疑時間」を短く切り上げたことを“手柄話”みたいに語る唐変木(とうへんぼく=まぬけ)が現われ、失笑を買っている。

 

 「“最短17分” 一般質問も終わり、ホッと一息。私は今回,“今はしなくてもよい良い質問”はすべて省きました。コロナ以外はすべてバッサリ(ご丁寧にハサミ印も)。おそらく最短記録だろうと思います」―。その議員(男性)のフェイスブックにはこう記されていた。質疑応答を含めて、60分の時間が与えられている“質問権”を放棄するという自殺行為に痛痒(つうよう)のひとかけらもないらしい。「私の記録を破りましたね」と“質問最短”レ-スに挑んだことのある同僚議員(女性)が今度は「いいね」のサイン。この議会は一体、どうなっているんだろうね。ちなみに投稿の主は新図書館整備特別委員会の下に設けられた小委員会の委員だというオチも。納得だなぁ!?

 

 

 沖縄は本日(23日)、戦後75年の「慰霊の日」を迎えた。「辺野古新基地」建設反対の抗議行動を続けている作家の目取真俊さん(59)は自らのブログにこう書きつけている。「辺野古の島袋文子さんが連日、ゲ-ト前の座り込みに参加し、先頭で抗議を続けている。90歳を超える沖縄戦体験者が、今もこうやって新基地建設反対の行動をとらないといけないのが沖縄の現実だ。この現実を作り出しているのは誰か?それを黙って見ていていいのか。傍観者であっていいのか」

 

 

 

 

(写真は“意向書”の提出を決めた新図書館特別委員会=23日午前、花巻市役所で)

コロナ禍の中で迷走するメディアと浮遊する言葉…

  • コロナ禍の中で迷走するメディアと浮遊する言葉…

 

 「人権や多様な価値観を尊重し、差別のない社会に貢献すべき公共放送としてこのような事態を招いたことは痛恨の極み。改めておわびします」―。NHKは国際情報番組「これでわかった!世界のいま」で放映したアニメ動画について、こう謝罪した(17日付)。6月7日に放映された同番組は黒人差別に反対する米国内のデモを解説する内容で、私もたまたま見ながら「大丈夫かな」と正直思った。たとえば、こんな場面…財布を握りしめた筋骨隆々の黒人男性が粗野な口調で「黒人より白人は平均で資産を7倍も持っているんだ。そこによう!新型コロナウイルスの流行だ」などと話し、周囲には黒人の男女が群がり、暴動を連想させる様子が描かれていた。案の定、批判が殺到した。

 

 「もっと多くの考察と注意が払われるべきだった。使われたアニメは侮辱的で無神経」(米国のジョセフ・ヤング駐日臨時代理大使のツイッタ-)―。アニメへの批判はこの点に集約されている。つまり、コロナ禍と黒人差別を結び付けたまでは良かったが、そのことを〝経済格差”にすり替えるという認識の浅はかさを露呈したというお粗末である。「人種や民族、ジェンダ―などを番組で扱う際は、協会内外の幅広い人材が、複眼的にチェックする体制をつくる」(正籬(まさがき)聡放送総局長)としきりに頭を下げるが、何を今さらという感じ。逆に国へ右ならえとばかり、「ニュ-ノ-マル」(新しい日常)へと誘導し続ける最近の放映内容に「さすが国営」と納得感すら。

 

 「(編集委員が)ツイッタ-に不適切な投稿をしました。本社は、報道姿勢と相容れない行為だったと重く受け止め、専門的な情報発信を担う『ソ-シャルメディア記者』を取り消しました。本人が説明やおわびなしにアカウントを削除したことも不適切でした。深くおわびします」(3月13日付「朝日新聞」電子版)―。さて、こっちはわが古巣の謝罪文である。件(くだん)のツイッタ-とは「あっと言う間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄(おのの)く。新型コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」という内容。会社側は「不適切」をこう説明する。「ウイルスの威力の大きさを表そうとしたようですが、『痛快』という言葉は著しく不適切で、感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ多くの皆様に不快な思いをさせるものでした」

 

 この文章を読みながら「表現の自由」などという大げさなことではなく、“言葉狩り”という悪夢をとっさに思い出した。新型コロナウイルスに「コロナ神」という尊称を献上し、さらに「(災厄に)価値転換の期待感」を抱く堀田善衛や私(6月18日付当ブログ参照)などはさしずめ“不心得者”として、断罪されること必至である。そういえば、足元にも「言葉がないがしろにされる」事例があった。

 

 「第1号になっても県はその人を責めません。感染者は出ていいので、コロナかもと思ったら相談してほしい。陽性は悪ではない。陽性者にはお見舞いの言葉を贈ったり、優しく接してあげてほしい。誰しも第1号の可能性がある」―。“感染者0”を維持し続けている当岩手県の達達増卓也知事は6月15日の記者会見で、「他県から来た源義経を虐(しいた)げたとたんに奥州平泉が滅びた。県外の人を虐げないようにというのが歴史の教訓」…などとトンチンカンな比喩を持ち出しながら、県民にこう訴えた。意味不明というよりも言語表現そのものが死に瀕しているような危機感に襲われた。

 

 私の周りにも「自分だけは第1号にはなりたくない」という声が多く、そのことが感染予防に一定の役割を果たしているのは事実であろう。しかし一方で「ゼロリスク症候群」というある種、過剰な強迫観念が背後に見え隠れすることも否定できない。行政トップが「病魔」と「罪過」とを同列で扱うこの言語感覚はもはや言葉の“自殺行為”と言わざるを得ない。「陽性は悪ではない」と声高に言えばいうほど逆に「健康第一主義」(感染者0)を補強しかねないからである。たとえば、県外からの移動に神経をとがらせた異様な光景の数々と、そうした心理的な反作用。歴史の悲劇は言葉の喪失と同時進行してきたことをいま一度、思い起こしたいと思う。

 

 

 

 

(写真は“黒人差別”を増長した感のあるアニメ動画の一場面=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 

「マスクとミサイル」から「マスクとデモ」へ

  • 「マスクとミサイル」から「マスクとデモ」へ

 

 「この分では日本国の一切が焼け落ちて平べったくなり、階級制度もまた焼け落ちて平べったくなる、という、不気味で、しかもなお一面においてさわやかな期待の感であった。あの頃に、空襲で家を焼かれた人々が、往々にして、歎き悲しむのではなくて、…『焼けてこれであたしもサッパリしました』とよく言ったのは、そこにやはり何程か異様な期待の感があったからではなかったろうか」(『方丈記私記』)―。作家の堀田善衛は鴨長明の『方丈記』に重ねながら、東京大空襲(1945年3月10日)に遭遇した時の気持ちをこう書いている。

 

 東日本大震災の際、一方では口にするのを憚(はばか)りつつも私自身、内心では同じ気持ちを抱いたのも事実だった。「この災厄を機に開発至上主義の価値観は変更を迫られるだろう」とインテリの多くが語り、私もそう期待したのである。「戦争や自然災害などは風景を一変させるので、集団の記憶に残りやすい。これに対し、風景を変えない感染症は忘れられやすい」―。歴史学者で日本国際文化研究センタ-の磯田道史・准教授はこう話していたが、果たしてそうだったのか。「10年ひと昔」を前にして「3・11」はすでに忘却の彼方に押しやられ、「復興五輪」に日本全体が浮足立ったことは記憶に新しい。そして、それに待ったをかけたのが今回のコロナ禍だったという事実も何やら予言めいている。

 

 「Black Lives Matter」(黒人の命「は=も=こそ」大切だ)―。こんなプラカ-ドを掲げたデモの隊列が世界を席巻(せっけん)している。全員がマスク姿である。米国における新型コロナウイルスの感染者は2百万人を超え、死者も11万人以上に達するなど世界で群を抜いている。しかも、黒人の死者は白人の2倍以上に及んでいる。そんな時、黒人男性が白人警官に殺されるという凄惨な事件が重なった。「風景」の背後に隠されていた人種差別や貧困のむごたらしさが未知のウイルスによって、その表皮がべろりと引きはがされたという思いにかられる。プラカ-ドには「警官はウイルスである」というスロ-ガンも。

 

 「歴史的な英雄か、人種差別の象徴か」―。新大陸を“発見”したことで知られるコロンブス像の撤去や破壊など「白人至上主義」の歴史そのものにも矛先が向けられつつある。米国映画の名作「風と共に去りぬ」について、米国の動画配信サ-ビス会社は「奴隷制を懐かしむ場面がある」などを理由に急きょ、配信を停止する事態に至った。こうした波は欧州にも飛び火し、例えば英国では奴隷商人の銅像が引き倒され、海に投棄されるという事件も発生した。「コロナがあぶり出した社会の実相」が今後、「パラダイムシフト」(価値の大転換)の呼び水なるのかどうか…

 

 「かつていったい誰が予感し反省しえただろうか。核爆弾の過剰とマスクの過少。それらが絶望的に併存する光景を…」(3月28日付「信濃毎日新聞」など地方紙配信記事「マスクとミサイル」)―。作家の辺見庸さん(75)はこう書いている。「マスクの過小」は感染症に対する危機管理の不在を浮き彫りにしただけではない。それはむしろ、“マスクデモ”が訴えかけるようなある種、文明論的な表象(シンボル)のような気がしてならない。堀田が、そして私自身が抱いた「期待」もたぶん、そんな感情だったのだと思う。しかしその一方で、私の心の片隅には「もうなるようにしかならない」という捨て鉢な心性も頑固に巣食っている。老い先が短いせいなのかもしれない。

 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」―。『方丈記』は余りにも有名なこの書き出しで始まる。「世は常ならず」という“無常観”がひしひしと伝わってくる。「禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し」―。諸行無常(しょぎょうむじょう)というやつである。

 

 

 

 

(写真はコロナ禍をきっかけにマスク姿でデモ行進する人たち=米ニュ-ヨ-クで。インタ-ネッ上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 

ヒグマを叱る…野生動物とのソ-シャルディスタンス

  • ヒグマを叱る…野生動物とのソ-シャルディスタンス

 

 「こらっ、この野郎」―。襲いかかって来るかと思いきや、目の前に現れたヒグマは人間が発する大声に身をひるがえし、静かに森の中に消えていった。ユネスコの世界自然遺産に登録されている北海道・知床半島で、人とヒグマが“共生”してきた36年間の貴重なドキュメンタリ-番組「ヒグマを叱る男」(6月7日放映NHKBS1スペシャル)を見ながら、いまや知らない人間などいない「ソ-シャルディスタンス」(社会的距離)の原型がここにあるのではないかと思った。そして、今回のコロナ禍は自然界(たとえば、野生動物)との間のこの掟(おきて)を破った「文明」へのウイルス側からの逆襲ではないのかという想念にかられた。

 

 約500頭の野生のヒグマが生息し、4千種以上の生物多様性に恵まれる知床半島は2005年にユネスコへの登録が決まった。その突端に近いオホ-ツク海側に「ルシャ」という集落がある。アイヌ語で「浜へ降りる道」という意味である。集落とはいってもサケマス漁の時に基地となる「番屋」に漁師が仮住まいするだけ。青森出身の大瀬市三郎さん(84)がここを拠点にしたのは23歳の時である。一帯には約60頭が棲(す)みついている。昼夜を問わずに番屋のまわりに出没した。ハンタ-に駆除を頼んだが、「命を奪った」ことに後味の悪さを感じた。ある時、大型のヒグマが背後から近づいてきた。無意識のうちに「こらっ」と怒鳴った。くるりと背を向け、去っていった。大瀬さんとヒグマとの不思議な“交流”がこの時から始まった。

 

 「クマの目をじろっとにらんで、にらめっこ負けしないこと。腹の底から大声を出し、勇気をふるって足を前に一歩、踏み出す。クマは強い者勝ちだから、クマより俺の方が強いという暗示を与えておかなければだめ。そして、絶対に餌を与えないこと。一回与えたらいつでも貰えると思うようになる。つまり、あんまり親しくしないことが肝心なのさ。ルシャで襲われた者はひとりもいない」―。大瀬流「叱る」極意はある意味で、ヒグマとの会話から生まれたものなのかもしれない。

 

 ある年、サケマス漁が例年になく不漁に見舞われ、好物にあり付けないで餓死するヒグマが相次いだ。世界一の生息地と言われるルシャでは2年続きの不漁で少なくとも9頭の飢え死にが確認された。栄養失調死した子クマの体をなめ続けていた母クマがやがて、我が子を置き去りにして立ち去った。「非情な顔を見せつける大自然。これも自然界の掟さ」と大瀬さん。海岸に流れ着いたイルカの死骸をロ-プでつなぎとめる大瀬さんの姿が映し出された。飢えたクマたちがむさぼるように食らいついた。「いっぱい、食ったな」と大瀬さんはうれしそうな表情でその光景をじっと、見守った。命をつないだという安ど感があふれているようだった。

 

 番屋の屋根にアイヌのエカシ(長老)像が飾ってあった。ふと、グマを殺す側の民族の世界観に考えをめぐらしてみた。アイヌ民族にとって、ヒグマは頂点に君臨する最高神で「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。この神は黒い毛皮で正装し、お土産に肉や胆(い)を携えて人間の国に遊びにやって来る。アイヌの人たちはそう信じてきた。だから、クマ猟は「(カムイを)お迎えに行く」ということになる。射止めたクマの霊を神の国に送り返す神聖な儀式が「イヨマンテ」である。霊前にはご馳走が並べられ、朗々たるユカラ(英雄叙事詩)や踊りが捧げられるが、どうしたわけか話が佳境を迎える寸前にその語りがピタリとやんでしまう。

 

 神の国に戻ったクマ神は人間界への旅の報告会を開いて、こう話すのだという。「人間の国はなんとも楽しいところだ。ご馳走は食べきれないほどあるし、何といっても、あの歌や踊りの楽しいこと。でも、ひとつ不満がある。あんなに面白いユカラが突然、終わってしまうんだから」―。こんな話を教えてくれたアイヌ民族初の国会議員、萱野茂さん(故人)がニヤニヤしながら語った言葉がまだ、鮮明に記憶に残っている。

 

 「(人間の)仏さんには最後までユカラを聞かせてやる。でないと『夕べの続きはどうなった』と死んだはずの人がまた、目を覚ます。ところが、クマ神の場合が逆。これからっていう時に『後はあすのお楽しみ』と終わりにわけ。すると、クマ神はその続きを聞きたくなって、また人間の国を訪ねてくる。ユカラは長いもので1週間も語りが続く。長ければ長いほど、クマ神が人間の国へ遊びにくる回数も多くなるっていうわけだ」―。そう言えば、大瀬さんもこうな風に話していた。「人間がそこにいるのもひとつの自然の姿だから…。山の木や草だけが自然ではない。人間の営みもヒグマたちの生活も同じ雄大な自然の一部なんだ」

 

 そう、アイヌ民族も大瀬さんも巧まずして、とうの昔から「ソ-シャルディスタンス」を実践してきたにすぎない。共通するのは自然界に対する「畏敬の念」であろう。生と死を包摂(ほうせつ)する究極のコミュニケーション術がここにはある。その禁を犯したいわゆる“文明人”たる我われはいま、“マスクダンス”とでも呼びたいような新舞踊を踊らされている。何となくパントマイム(無言劇)の趣(おもむき)がある奇妙な光景である。

 

 

 

 

(写真は近づいてきたヒグマを「叱る」大瀬さん=放映されたドキュメンタリ-番組の一場面。インタ-ネット上に公開された写真より)