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「新図書館」構想⑦ 「自然豊かな新図書館に」…広がる市民への関心

  • 「新図書館」構想⑦ 「自然豊かな新図書館に」…広がる市民への関心

 

 2月27日付「岩手日報」のコラム「日報論壇」に表題の寄稿文が掲載された。筆者は花巻市在住の佐々木信一郎さん(77)。「図書館とは本来、どうあるべきか」という原点に立ち返った共感を呼ぶ一文である。今後の“図書館論議”のきっかけになる一文だと考え、全文を以下に転載させていただく。

 

 

 老朽化に伴い、花巻の核となる新しい図書館計画が持ち上がっている。制約された用地と狭い館内という条件下で長い歴史を刻んできただけに、花巻市民の新図書館にかける思いと期待は大きく、その構想に関心を持って注目している。最近ようやく、新図書館複合施設整備事業構想が打ち出された。しかし、構想を知って私は失望と懸念を感じた。市民参画の手順も示されず、予定地はJR花巻駅の東側という。「えっ、そんな用地がどこにある」と疑問に思う中、新聞の報道で知り得たのはJR所有地であった。

 

 鉄道に沿って既存の大きな建物や施設に囲まれ、固い路面と無機質な環境、振動や音…。無視できない現実がある。そして払い続ける土地の賃貸料。制約された用地の中に、都会ではよく見かける隣り合わせの箱型の建物を想起する。どうしても将来への夢が湧かない。私は、公共施設は可能な限り自然を取り込み、緑豊かな周囲の環境を大事にするべきと思う。豊かな自然のもとで四季折々の美しさを感受する。閑静な環境で読書を促進させることで、情操を育み、市民が深い憩いや安らぎを得て人生の豊かさも体得できる。自然の持つ力は、図書館に欠くことのできない要素でもある。

 

 構想にある賃貸住宅などとの一体的整備は、文化のいぶきを涵養(かんよう)して人を育てるために、閑静であるべき図書館の機能を阻害するものではないだろうか。未来に託す市民の希望から乖離(かいり)しているように思う。市中の活性化や経済活動のはざまに図書館は置かれるべきではない。あくまで文化の殿堂、花巻のシンボル的存在として図書館はあり続けてほしいと願う。複合施設とするならば、むしろ美術館や視聴覚的機能をもった施設などの方が納得も理解もできるのである。

 

 市は交通の利便性を強調するが、偏狭のこの地域に建設するその他の根拠が明確でなく、新図書館へのビジョンが推測さえできない。広いとはいえない道路や少ない駐車場、それを補うために浮上している立体駐車場も年配者への優しい配慮を欠き、安心安全を維持するために課題が残る。何とか広い用地を求め、自然豊かな環境を整えてもらいたい。そこにスケールがあり、ロマンあふれる図書館を構築するよう方向転換を図ってほしい。

 

 

 

(写真は新図書館が建設される予定のスポ-ツ店店舗。右側がホテル、奥に見えるのがJR花巻駅=花巻市大通で)

 

「新図書館」構想⑥ 一般質問、そろい踏み…反対陳情も

  • 「新図書館」構想⑥ 一般質問、そろい踏み…反対陳情も

 

 花巻市議会3月定例会(2月28日開会)の一般質問で4人の議員が喫緊(きっきん)の重要課題である「新図書館」構想を取り上げることが25日、開催の議会運営委員会で決まった。本舘憲一(花巻クラブ)、照井省三(平和環境社民クラブ)、伊藤盛幸(市民クラブ)、櫻井肇(共産党)の各議員で、「今後、目指すべき図書館像」や「教育委員会との関わり」、「構想に至るまでの経緯」、「市民の意見集約の方法」―など多岐にわたって論戦が交わされる。同市議会では最終日(3月18日)に図書館問題に特化した「特別委員会」の設置を予定しており、その前哨戦としての論戦の行方に市民の注目も高まっている。

 

 これとは別に「図書館の単独整備」を求める陳情書も付託先の文教福祉常任委員会に提出され、その参考人陳述は3月9日午後開催の同委員会で行われる。提出者は「新花巻図書館を考える会」(山下牧子代表)。今回の構想をめぐっては、「理念なき図書館」などという批判も強く、その考え方のひとつとして以下に全文を転載する。なお、一般質問は本舘、照井、伊藤の3議員が初日の3月3日に、櫻井議員は5日にそれぞれ登壇する。文化都市「イ-ハト-ブ」のシンボルを決するビッグプロジェクトでもあり、多くの市民の傍聴が望まれる。

 

 

 

陳情―《新花巻図書館は、単独の建設整備とすること》

 

 

 現在の花巻図書館は昭和48年7月に開館し、これまで40年以上にわたり市民図書館サ-ビスを行ってきました。生涯学習の拠点施設として、図書館の役割は今後ますます重要になり、新しい図書館に対する市民の期待は高まっています。私どももここ数年、一関市、紫波町等の図書館を訪問・調査したり、専門家をお招きして新図書館はどうあればよいかという講演会を開催してまいりました。

 

 市は、2017年8月「新花巻図書館整備基本構想」を策定し、新花巻図書館整備の方針では、「施設の併設等の検討」に「市民のくつろぎと交流の場となるよう飲食スペ-スの設置など複合的な施設の併設も検討する」と記載されています。また、「建設場所に関する方針」には、新しい図書館は「都市機能誘導区域」に整備することとして、場所によっては近隣施設との連携や他施設との複合化など、民間との連携も含めて検討し、候補地を数か所に選定した上で基本計画において場所を決めるとされています。

 

 本年1月29日、「新花巻図書館複合施設整備事業構想」が示され、賃貸住宅やテナント床を有する複合施設とし、建設予定地を現タケダスポーツ店舗用地とすることなど公表しました。図書館と賃貸住宅との複合化は、初めての提案であり、なぜ図書館の上層部に賃貸住宅を建設しなければならないか理解できません。

 

 公益社団法人日本図書館協会が1954年に採択、79年に改訂した「図書館の自由に関する宣言」には「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを最も重要な任務とする」とあります。また、図書館は「学びの場」であり、「公共施設の美」としての評価もあります。新図書館は、単独で整備され図書館の本質的役割を果たす施設とすることを市に要望します。

 

 

 

(写真は花巻市議会の特別委員会の議場風景。今回の3月定例会では図書館に関わる予算審議も予定されており、議員の資質も試される=在任中の花巻市議会の議場から)

 

 

 

《追記》~コロナウイルスの影響、足元にも

 

 新型コロナウイルスの感染が広まる中、花巻市は26日、HP上で相次いでイベント中止の情報を告知した。3月8日に市文化会館で開催が予定されていた「東北農民管弦楽団第7回定期演奏会 花巻公演」と4月26日に同市内のコ-スで行われる予定だった「第8回イ-ハト-ブ花巻ハ-フマラソン」の2大イベント。この措置には納得することができたが、一方で暴風雪警報が出されている中で強行された「どでびっくり市・冬の陣」(2月21日付当ブログ参照)とのちぐはぐさに驚いてしまう。行政側の「危機管理」のいい加減さがさらけ出された格好である。「いい加減にせんか」と言いたくもなる。このまちのあり方は根っこのところで、何か倦(う)んでいるような気がしてならない。さらに、2月29日に市総合体育館で開催が予定されていた「日本ハンドボールリーグ花巻大会」の中止も追加告知された。

 

「新図書館」構想⑤ 市長からの回答と”怪文書”騒動…そして「どでびっくり」顛末記

  • 「新図書館」構想⑤ 市長からの回答と”怪文書”騒動…そして「どでびっくり」顛末記
  1.  

 「新図書館」構想に関し、2月9日付で花巻市のHP「市長へのメ-ル」を通じて求めていた質問への回答が21日に届いた。以下にその全文を掲載するが、「木で鼻をくくる」―とはこのことかと思わせる。「理念なき図書館構想」を臆面もなく公表する、その内面を垣間見た気がする。今後の対応について、上田東一市長は「参考にすべきとの意見をいただいた場合には、可能な範囲で参考にする」と答えているが、では、今回の私の進言って、「聞くに値しない」ということだったのか。トホホ…。そういえば、この人は不断から「一部の市民とか、一部の議員…」というのが口癖である。自分に同調しない人間は最初から、排除の対象なのであろう。逆にこの人みたいな人物は歴史上、「ファシスト」と呼ばれる。たとえば、ナチスのヒトラ-とか…     

 

 

●新花巻図書館構想に関連し、次の点3点について質問します(2月14日付当ブログ参照)

 

米国・ニュ-ヨ-クには“知の殿堂”と言われる世界最大級の「ニュ-ヨ-ク公共図書館」(NYPL)があります。かの地の勤務経験が長い上田東一市長はこの図書館を訪れた経験はありますか。ある場合は何度ほどですか。

・この図書館の全貌を描いたドキュメンタリ-映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館―エクス・リブリス」が巨匠、フレデリック・ワイズマン監督に手によって作品化(2017年)され、日本でも昨年5月に公開されました。「図書館とはどうあるべきか」―という理念が凝縮された3時間25分の超大作です。上田市長はこの映画を観たでしょうか。

・ 実際に当該図書館に足を運び、映画も鑑賞されているとしたら、今回の新花巻図書館構想の中にNYPLの理念がどう生かされ、今後どう反映させるつもりなのか―について回答を求めます。

 

 

●このたびは、市長へのメールをいただきまして、ありがとうございます。令和2年2月9日に御質問をいただきました「新花巻図書館構想」について、回答いたします。

 

 ニュ-ヨ-ク公共図書館は非常に素晴らしい図書館と認識しております。ニュ-ヨ-ク市には、メトロポリタン美術館、メトロポリタンオペラハウス等、数々の優れた施設が多くありますが、花巻市とは都市としての中身が全く違うこと、また参考にすべき図書館の事例は国内にも数多くありますので、花巻市の図書館の構想を今後具体化していく中で、ニュ-ヨ-ク公共図書館の在り方を参考にする予定は現時点においてはございません。しかしながら、花巻市の図書館の在り方については、今後専門家のご助言をいただきながら、また市民の皆様の意見を聞きながら、検討していく予定でありますので、今後ニュ-ヨ-ク公共図書館の在り方で参考にすべきとの意見をいただいた場合には、可能な範囲で参考にすることも検討していきたいと考えております。               

花巻市長 上田 東一

 

 

 

 

 「タイ(魚?)は頭から腐る」、「いや、腐ってもタイだ」…。永田町界隈では国会答弁をめぐって、こんな不毛なやり取りが続いた挙句、安倍晋三首相が国会側に謝罪をするということで一応の決着がついたみたいである。組織が弱体化する際によく使われる諺(ことわざ)だが、今回の回答に見られるように、わが上田ワンマン市長には相変わらず、居丈高な振る舞いを改めようとする姿勢は感じられない。それどころか、「(腐った)イワシの頭も信心から」―とばかりに、上目使いにシッポを振り続ける取り巻きに囲まれ、そのワンマンぶりはますます高じるばかりであるらしい。

 

 そんな折、パワハラなど強権的な上田市政を痛烈に批判する“怪文書”が市役所内部や議会筋に出回っているといううわさを耳にした。ふいに1年ほど前の「加計学園」問題をめぐる騒動を思い出した。当時、「総理のご意向」などと書かれた文書について、菅義偉官房長官は「ある種の怪文書みたいなもの」と切って捨てた。その後、この問題が公文書管理の重要性につながる議論に発展したことは記憶に新しい。足元の“怪文書”騒動が国の二の舞を踏まずに、「怪文書」のままであり続けることを祈るのみである。それにしても、”暴言市長”として名をはせる兵庫県明石市長を彷彿(ほうふつ)させること請け合いである。件(くだん)の明石市長はのちに、怒りを抑制する「アンガ-マネジメント」講習を受けたことを告白している。

 

 

 

(写真は暴風雪警報の発令下、「どでびっくち市・冬の陣」に出現した張りぼてみたいなかまくら=23日午後、花巻市上町の花巻中央広場で。フェイスブック上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~こっちの方が“どでびっくり”…その1

 

 「どでびっくり市・冬の陣―飲んで食べて冬の夜を楽しむ銀河の雪まつり」ーと銘打ったイベントが23日、当ブログでもたびたび紹介してきた「人気」(ひとけ&にんき)のない花巻中央広場(2019年9月5日付と同12月18日付当ブログを必読参照)で開催された。上田市長が「中心市街地活性化」の起爆剤と鼻を高くする”無用の長物”である。雪だるまなどの雪像づくりも計画されていたようだが、雪不足のこの冬、うまくことが運んだのかどうか。私は所用があって、足を運ぶことができなかったが、開始の約1時間前の午後1時47分、花巻市は暴風雪警報の発令に伴い、災害対策本部を設置した。主催者にはお気の毒というしかないが、何か疫病神に取りつかれたみたいな不幸な広場ではある。パンデミック(新型コロナウイルスの大流行)の恐怖の中での”どでびっくり”(この地方の方言で、腰が抜けるほどびっくりした)……

 

 

《追記ー2》~こっちの方が”どでびっくり”…その2

 

 追記に掲載した「どでびっくり市・冬の陣」の光景を収めた写真(上掲)をフェイスブック上で発見。今度は本当に腰を抜かしてしまった(つまりは「どでびっくり」してしまった)。かまくらをイメージしたらしい木枠にどこからかトラックで運んできた雪をペタペタと張り付けた「張りぼて」…。中身がスカスカの上田市政そのものではないか。暴風雪警報の発令下、新型コロナウイルスの感染を恐れる親子連れがマスク姿で写っている写真に背筋がゾッとした。市民の安心・安全と口先では言いつつも、その実態は「危機管理などどこ吹く風」といった体(てい)である。上田市政の”負の遺産”から目をそらせようとする底意がミエミエ。さらに、なにがしかの補助金も市から出ているらしい。この人の政治生命はもはや終わっているなぁ。どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ。私たちのふるさと「イーハトーブ」は一体、どこに向かおうとしているのだろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

「新図書館」構想④ 裸の王様…で、『つづきの図書館』の方は!?

  • 「新図書館」構想④ 裸の王様…で、『つづきの図書館』の方は!?

 

 「そうか。やっぱり、裸の王様の仕業だったんだ」―。「新図書館」構想をめぐる一連の“騒動”を垣間見ながら、妙に合点がいったのだった。『裸の王様』とは言うまでもなくアンデルセンの名作のひとつで、権力者とそれにこびへつらう人間模様を皮肉的に描いた寓話である。今回の奇怪でグロテスクな構想を思いつくのは恐らく、「聞く耳を持たない」―裸の王様…つまり上田(東一)ワンマン市長しかおるまい、とこう思った次第である。そんな折しも、同じ裸の王様が登場するもう一冊の本のことを思い出した。金色の王冠をかぶっているが、あとは白いパンツだけの文字通りの“はだかの王様”はこうのたまう。

 

 「わしら図書館にいる本は、ほんの一時(いっとき)、借りてくれた人間といっしょじゃ。そのみじかいあいだでも、気にかかる人間はいる。その人間がその後、どうなったか知りたいこともあるんじゃ。一人の人間に一生愛されて、その人間のそばにおいてもらえる本もあるじゃろ。そんな本は幸せじゃ」(『つづきの図書館』)―。作者は当市・花巻出身の童話作家の柏葉幸子さん(66)。「図書館のつづき」ではなく、本の登場人物の側が本を読んでくれた読者の「つづき」を知りたがるという奇想天外な展開である。王様が会いたがっているのは、手術を待つ病院のベットで自分の本を読んでくれ少女の「つづき」の人生である。

 

 四方山(よもやま)市立図書館下町別館―。主人公の「山神桃」さんは現在の花巻市立図書館を思わせるこの別館の司書をしている。「この人のつづきを調べて…」とひょいっと、作品の中から飛び出してくるのは王様のほかに、『おおかみと七ひきの子やぎ』に出てくる狼や、『うりこひめ』に登場する天邪鬼(あまのじゃく)など多士済々。探偵業さながらの人探しを手伝っているうちに、本好きだった桃さんが王様や狼、天邪鬼の力を借りながら、逆に自分の人生の「つづき」を辿りは始めている…。病院に突如、王様があられもない姿で現れたりと、こんな浮き浮きする筋書きを読み進むうちに突然、20年近く前の光景が目の前に広がった。

 

 2002年4月20日―。花巻市文化会館大ホ-ルは立ち見が出るほどの観客であふれ、外には入りきれない人たちの長蛇の列ができていた。会場内では宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」(ベルリン映画祭金熊賞受賞)が上映されようとしていた。隣接する図書館では映画の上映に合わせて「柏葉幸子童話作品展」が開催されていた。この2年前、42年ぶりにふるさとに戻った私は映画館が姿を消してしまった街のたたずまいに愕然(がくぜん)とした。仲間たちに声をかけ、「花巻に映画の灯を再び」市民の会を結成。その旗揚げ記念に計画したのが宮崎アニメと童話作品展の同時開催だった。

 

 柏葉さんは大学在学中の1947年、『気ちがい通りのリナ』で、第15回講談社児童文学新人賞を受賞。『霧のむこうのふしぎな町』と改題して、2年後に第9回日本児童文学者協会新人賞に輝いた。実は「千と千尋…」はこの童話が下敷きになったアニメである。以前、宮崎監督はこう語っていた。「その頃、『霧のむこう…』という70年代に書かれた児童文学の映画化を検討してみたんです。正直、僕はその話のどこが面白いのか分からなくて、それが悔しくてね。映画化することで、その謎が解けるのではないかと…」(当時のパンフレットから)―

 

 1日3回の上映会は大盛況で終わった。私たち「市民の会」は益金の一部で柏葉作品を買いそろえ、図書館に寄贈した。『ミラクル・ファミリ-』、『地下室からのふしぎな旅』、『ざしきわらし 一太郎の修学旅行』、『モンスタ-・ホテル』シリ-ズ…。第59回小学館児童出版文化大賞を受賞した『つづきの図書館』(2010年)に続き、『岬のマヨイガ』(2016年)で野野間児童文芸賞に輝いた作品など児童図書室にはいま、変幻自在な“柏葉ワ-ルド”が広がっている。作品の登場人物たちが読者たちと交流するという「下町別館」の摩訶不思議な空間…。「裸の王様」ならぬパンツ一丁の“はだかの王様”の仕草に笑いをこらえながら、私は思った。「図書館とは本来、想像力を養う小宇宙なのかもしれない」―と

 

 この日(2月17日)、たまたま「花巻市社会教育委員会議」(議長=石橋恕篤・富士大学教授、委員20人)が開かれ、「新図書館」構想の説明があると聞いて出かけてみた。議会側が特別委員会の設置を決めるなど市民の関心が高まる中、議論が深まることを期待したが、あら不思議。図書館の中身に踏み込む質疑は一切なく、「商業施設的なイメ-ジをあわせ持つ“こじゃれ”な図書館をつくっていただいきたい」―という意見を最後に、石橋議長の「時間も押していますので…」という進行で定刻にシャンシャンのお開きとなった。当局側にお墨付きを与えるだけの“追認機関”の正体見たりとはこのこと―ここにも妙に合点がいったのだった。

 

 最近、上梓された『炎の中の図書館』(ス-ザン・オ-リアン著)は1986年、ロサンゼルス中央図書館が炎上した米国史上最悪の図書館火災の復興過程を描いた力作である。その書評にこんなくだりがある。「図書館は単なる本の集積所ではなく、そこに住む人たちにとっては文化の象徴である。だからこそ、ロサンゼルス市民は自ら行動を起こした。学生は寄付金のため瓶やアルミ缶を集め、近隣住民は本のガレ-ジセ-ルを開催し、2万人以上が『本を救え』エッセ-コンテストに参加した。対立が起きがちだったロサンゼルスの人々だが、図書館への思いで一つにまとまったのだ。それもまた、本の持つ力なのだろう」(2月16日付「岩手日報」読書欄)

 

 当局側とその下請けと化した組織に包囲された感のある「イ-ハト-ブはなまき」としてはもはや、花南振興センタ-での勇気ある女性の”請願駅”発言(2月14日付当ブログ参照)にならい、「住民運動」しか残された道はないのかもしれない。それにしても、ニュ-ヨーク公共図書館やロサンゼルス中央図書館に見られる米国の“底力”には圧倒される。そういえば、わが「裸の王様」は米国のこの二つの巨大都市に住んだ経験がある、と自慢げに話していたっけなぁ…

 

 

 

(写真は柏葉ワ-ルド満載の『つづきの図書館』=インタ-ネット上に公開の写真より)

 

 

 

《追記》~訃報・伊藤清彦さん(2月18日付「岩手日報」)

 

 17日午前2時、急性心臓死のため一関市東山町の自宅で死去、65歳。一関市東山町出身。火葬は20日午前11時から一関市千厩町の千厩斎苑、葬儀は21日午後1時から一関市東山町の安養寺で。喪主は長男綾人(あやと)氏。盛岡市のさわや書店本店店長を務め、「天国の本屋」などのベストセラ-発掘や先駆的ポップ広告で「カリスマ店長」として全国に知られた。岩手日報の大型コラム「いわての風」に11年から執筆。一関市立一関図書館副館長。「新一関図書館整備計画」の委員を歴任、開館翌年の2015年から連続4年間、個人貸出点数の県内公立図書館トップの偉業を成し遂げた。

 

 私は本の目利きとしてつとに有名だった伊藤さんに生前、一度だけお会いしたことがあった。「朝4時に起きて本を開き、毎日、数冊は乱読した」という話に腰を抜かしたことを覚えている。手元にある著書『盛岡さわや―書店奮戦記』のあとがきにこうある。「これは自分の感性が鈍ってしまったのだろうと思っていたら、凄い図書館に出会ってしまった。今年の夏のことである。福島県の南相馬市立中央図書館がそれである。一冊一冊の本が生きているし、棚のジャンル融合などは見事と言うしかない。昔の凄い書店というのは、こうだったよなと教えられた」。いまから10年前の述懐である。「図書館は成長する有機体である」(図書館学の父・インド人学者、ランガナタン)をスローガンに掲げて、2009年12月にオープンした同図書館は「3・11」の影響で一時閉館に追い込まれたが、5ケ月後には再開にこぎつけた。合掌

 

 

 

 

 

 

 

「新図書館」構想③ 住民にも飛び火…議会への批判も

  • 「新図書館」構想③ 住民にも飛び火…議会への批判も

 

 「(新図書館構想に)議会側もびっくりしたということだが、こんな構想を許してしまう議会側こそが当局から下に見られているというか、バカにされているんじゃないのか」―。14日開かれた議員全員協議会(全協)で、図書館問題に関する「特別委員会」の設置を決めたこの日、花南新興センタ-での最後の議会報告会の席上、矛先(ほこさき)が今度は議会側に向けられた。質疑応答の際、特別委員会の設置に至る経緯について、「想定外の構想に議会側も正直、驚いている。今月28日に開催される3月定例会の最終日(3月18日)に、正式に設置を議決したい。図書館はどうあるべきかということに特化した委員会にすることで議員間の合意ができている」と説明があった。

 

 この日の参加者は全部で27人で、矢沢振興センタ-(10日開催)の7倍近い参加者が足を運んだ。今回の新図書館構想への関心も高く、次々に発言を求める手が挙がった。私は図書館の委託調査費が3月定例会で予算計上された場合の対応について、ただした。「当局側はそのような意向だと聞いているが、予算特別委員会もあるのできちんと議論をしたい」と答え、班長の近村晴男議員は「3月定例会は将来を左右する議会運営になりかねない」と決意を口にした。私はかつて想像したことのない光景に若干の興奮を覚えた。そして、マグマが噴出したかのような住民の言葉に耳を傾け続けた。

 

 「議会側はこれまでこの問題にどう取り組んできたのか。図書館は本来、教育委員会の管轄だと思うが、その姿が見えない。市民の声を吸い上げるというが、どんな方法でやるのか」、「新幹線の新花巻駅の設置の時も議会は腰を上げなかった。だから、市民運動の“請願駅”として実現にこぎつけた歴史がある。あの二の舞だけは避けてほしい」(女性)、「3年前に名古屋からUタ-ンしてきたが、医療と福祉の貧困さに驚いている。議員として任期中にこれだけは実現したいという“やる気”を見せてほしい。何年間も議員を続けている人がいる割には使命感というか、志が見えてこない」、「私が以前住んでいた愛知の安城市では議員を囲むような車座方式で報告会をやっていた。今日のような議員と対峙するようなやり方では距離感を感じてしまう」、「パソコンで議会中継を見るが、議員全員の顔を写すことはない。たまには議場の中の議員の顔も拝見したい。傍聴席が狭く、行きたいと思っても苦渋を強いられてしまう」(女性)…。時折、参加者の間から、拍手さえわき起こった。

 

 ひょっとしたら、この日は首長や議員に対する実質的な「リコ-ル(解職)」宣言の節目の日ではなかったのか―。ふと、そんな気にさせられた。全協のあと、現図書館の閲覧室の写真の撮影に訪れた際、女性の司書たちに特別委員会設置の報告した。何を勘違いしたのか、「ありがとうございました」と言われた。その中の一人がニッコリとほほ笑んだ。「私、ニュ-ヨ-ク公共図書館を観ました。あんな図書館がほしい」―。冒頭の辛口発言を含め、報告会で勇気ある発言をした二人の女性、そして図書館への夢を語る司書たち…。女性たちの感性の豊かさにほっこりさせられた不思議な一日だった。

 

 

 

(写真は熱気に包まれた議会報告会=14日午後、花巻市南城の花南振興センタ-で)