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「新図書館」構想⑩ 契約関係に重大“疑惑”…上田市政に暗雲

  • 「新図書館」構想⑩ 契約関係に重大“疑惑”…上田市政に暗雲

 

 「議会や市民の頭越しにすでに、今回の新図書館構想が国の重要会議で公表されている。この対応についてどう考えるか。議会軽視もはなはだしい」―。花巻市議会3月定例会の一般質問で、本舘憲一議員(花巻クラブ)は資料を示しながら、語気鋭く迫った。続いて質問に立った照井省三議員(平和環境社民クラブ)もこのことに触れ、「市民の意見を積極的に組み上げるというが、まず構想ありきではないか」とただした。さらに、伊藤盛幸議員(市民クラブ)はまちづくりの最高規範である「市まちづくり基本条例」にうたわれた市民参画を引き合いに出しながら、「とても承服できる話ではない」と断じた。

 

 この日、やり玉にあがった「花巻新図書館整備事業」(岩手県花巻市=上掲写真参照))というタイトルの資料にはこう書かれている。「JR花巻駅前のJR用地を活用した新図書館整備事業。図書館と民間賃貸住宅を合築し、図書館に住むという新しいライフスタイルを花巻市民に提供する…」

 

 いまからさかのぼること約3ケ月前の昨年12月19日、東京・永田町の首相官邸で「第21回 まち・ひと・しごと創生会議」が開かれた。国の目玉政策のひとつである「地方創生」を推進するための首相直属の会議で、議長には安倍晋三首相自身が就任している。内閣府の担当者による長期ビジョンや総合戦略などの説明のあと、5人の事例発表があり、その中のひとりが紫波町で「民間主導の地域経営・公民連携事業」―「オガ-ル」を展開する同社社長の岡崎正信さん。上田東一市長は以前から岡崎さんから助言を得てきたと語っており、1月29日に議会側に初めて示された「新花巻図書館複合施設整備事業」構想の中にもその手法が反映されている。

 

 この日の質疑で上田市長は「岡崎さんが創生会議の場で花巻の事例について説明したことは知っていた。しかし、個人の立場での発表であり、市として関与したわけではない。ただ今後、国の有利な融資を受けるためにも花巻の考えを伝えてくれたのは良かったと思っている。こうした大きな事業を進めるためにはこの種の同時並行的な手続きが必須である」と岡崎さんの”越権”行為に理解を示した。その一方で、この日の質疑の中で、「JR側から正式に土地貸与の確約が得られないままでは構想案を公にはできない。議会側への説明が遅れたのもそのためである」とちぐはぐな答弁を口にした。

 

 事例発表には続いて、こう書かれている。「また、駅前広場の新しい概念として『サ-ドプレイス』(自分にとっての居場所)の考え方を公共空間に取り入れ、幅広い世代の交流の拠点を目指し、それを中心市街地に波及させていく。オガ-ルは事業者として参画予定」―。幅広い知見を参考にすること自体は何ら問題ではない。今回の新図書館構想が事例発表の内容とほぼ同じであっても不思議ではない。問題とすべきはその手順である。上田市長は3月定例会の市長演述の中で、「本年(2020年)1月に(JR)本社が了解することによって、当該土地を利用できることが初めて確定した」と述べている。しかし、岡崎さんの事例発表には用地確保が正式に決まる以前に、その“建設予定地”が写真付きで紹介されている。

 

 「図書館の中身については今後、1年間をかけてワークショップやシンポジウム、有識者会議などを通じて、市民の声を集約したい」と上田市長はことあるごとに述べてきたが、今回の岡崎さんの独断的な振る舞いに市民の理解を得るのは困難になりそうだ。照井議員も「今回の新図書館構想がもう、既成事実化しつつある。洗濯物がひらめく図書館という姿は想像さえできない」と驚きを隠さない。議会側は今定例会で図書館のあり方を協議する「特別委員会」の設置を決めている。また、オガールに対して委託調査を依頼する1500万円余りの予算が計上されているにもかかわらず、それはまだ未決の状態のままだ。11日から3日間、開催が予定されている予算特別委員会を無視した暴挙と言わざるを得ない。花巻市民に対する大いなる「背信」つまり、”裏切り”である。

 

 「二元代表制」という議会の基本的なあり方を無視・黙殺する上田「ワンマン」市政の正体がほころびを見せたのかもしれない。あの「モリカケ」(森友・加計)問題を彷彿(ほうふつ)させる、わが「イーハトーブ」の“図書館”騒動は泥沼にはまりつつある。

 

 

 

(写真は岡崎社長が国の創生会議の場で公表した「新図書館」構想のレジメ=インタ-ネット上の公開写真から)

 

 

「新型コロナウイルス」対応で、花巻市議会が緊急質問

  • 「新型コロナウイルス」対応で、花巻市議会が緊急質問

 

 花巻市議会3月定例会の一般質問が開かれた3日、その冒頭で上田東一市長と佐藤勝教育長が小中学校の「臨時休校」などに伴う一連の対応措置について、その経緯を説明した。その後、鎌田幸也議員(市民クラブ)から「緊急質問」を求める動議が出された。市議会会議規則には「質問が緊急を要するときその他真にやむを得ないと認められるときは、議会の同意を得て質問することができる」(第62条)と規定されており、これに基づいて動議が出された、小原雅道議長の指示で直ちに議会運営委員会が開かれた結果、議員全員の満場一致で緊急質問が了承された。

 

 鎌田議員は全体としての対応を是としつつ、「公共施設の一斉休館(3月2日から同19日)や職員の休暇に伴う市民の来庁自粛など他の自治体に比べても踏み込んだ措置が目立つ。地域の活動拠点である振興センタ-も閉鎖され、そのあおりで各種行事も中止や延期に追い込まれている。なにか指導指針のようなものは考えていないのか」とただした。これに対し、「花巻は観光都市であり、何としてでも拡大防止と域内発生を食い止めるための対策が最優先と考えた。患者第1号は絶対に避けなければならないという苦渋の決断だった。地域活動の停滞については自治公民館の開放なども必要に応じて検討したい」などと従来と同じ回答を繰り返した。

 

 緊急質問は自然災害などの際に認められるケースが多いが、議会事務局によれば過去に前例はなく、今回の「コロナ」騒動が死文化していたその条項の有効性を思い出させる結果になった。でもせっかくの機会だったのに、鎌田議員の追及のなんとも腰砕けだったことよ。たとえば、私ならこう食い下がったけどなぁ。「それ(観光都市)も行政トップとして当然、留意しなければならないけど、あなた(市長)の口癖の市民の『安心・安全』はどこに行ったのか」―とかね。 

 

 

(写真は緊急質問を認める宣言をする小原議長=3月3日午前、花巻市議会議場で。インターネット中継の画面から)

上田流「コロナウイルス」対応のちぐはぐ…末端の社会活動も麻痺状態に!?

  • 上田流「コロナウイルス」対応のちぐはぐ…末端の社会活動も麻痺状態に!?

 

 「市民の安心・安全を最優先した迅速な対応」、「備えあれば、憂いなし」―と”もろ手”を上げたいところだが、花巻市の上田東一市長が今回の新型コロナウイルス感染症に対して決定した措置は逆にそのちぐはぐさを浮き彫りにする結果になった。政府が全国の小中学校などに3月2日から春休みに入るまでの「臨時休校」を要請したことを受け、同市は28日午前9時に「感染症対策本部」(本部長、上田市長)を立ち上げ、(3月)19日までの休校を決めたほか、市や市関連団体の主催行事のすべてを当面、中止することにした。

 

 一方で、文化やスポ-ツなどの公共施設についても同期間、休館に踏み切るなど“過剰反応“と言われかねない措置も明らかになった。宮沢賢治記念館や博物館、文化会館、総合体育館、図書館、各振興センタ-などその数は30か所以上に及んでいる。私自身が余暇を楽しむ場として、利用している「まなび学園」もそのひとつ。県内の他市町村も相次いで、休校や行事中止の決定をしたが、公共施設の利用制限をした例はほとんど見られない。たとえば、隣の北上市では休校期間中の図書館への児童生徒の入館は禁止したものの、一般人の利用には制限を設けていない。

 

 「花巻市民の皆さまへ 新型コロナウイルス感染症に関して」―と題したチラシがある。2月21日に作成し、3月1日付の市の広報誌に折り込んで全戸配布することになっている。「持病のある方、ご高齢の方はできるだけ人混みの多い場所を避けるなどより一層、注意してください」などと留意事項が書かれている。このチラシが作成された2日後の2月23日、市所有の公共施設「花巻中央広場」で多くの市民の参加を呼びかけた「どでびっくり市・冬の陣」が開かれた(2月21日付当ブログ「追記」参照)。当日はあいにく、暴風雪警報が発令され、災害対策本部が設置されるという不運に見舞われ、さらに“コロナ”騒動の渦中にあったにもかかわらず、主催団体に対する市からの中止勧告もなく、イベントは強行された。この人の「ちぐはぐ」(というよりも、その無責任性)とはこのことである。

 

 仙台市でも陽性患者が見つかるなどパンデミック(大流行)の恐怖が近づきつつある今、私たちは「転ばぬ先の杖」を準備しなければならない。しかし、上田「ワンマン」市政がこの国のトップワンマン(安倍晋三首相)の号令にただ付き従うだけでは、現場は右往左往するだけである。さらに、今回の公共施設の一斉休館によって、地域の各種行事も相次いで中止を余儀なくされ、末端の社会活動は一部で麻痺状態を起こしつつある。果たして、当該施設の責任者や現場職員ときちんと話し合ったうえでの措置だったのかー

 

 新図書館構想、”怪文書”騒動、そして今回のコロナ対応…。宮沢賢治の理想郷―「イーハトーブ」の”迷走”は止まるところを知らない。ひょっとして、この人にとっての「危機管理」とは「自己保身」そのものではないのか、とそんな思いにもとらわれてしまう。

 

 

 

《追記-1》~「来庁」自粛の異例の呼びかけ

 

 花巻市は1日付のHPで、小中学校の臨時休校に伴って、子どもの面倒をみなければならない職員が休暇を申請することが想定されるとして、2日から19日までの間、窓口業務を縮小することを決め、必要な場合を除く「来庁」の自粛を呼びかけた。今回の措置について市側は窓口の混雑も想定され、混雑により人込みとなった場合は感染の危険性が拡大する」と説明している。事後対策を後回しにしたまま、当市の行政機能は制御不能の状態に陥りつつある。メルトダウン(炉心溶融)とはこういう状態のことを指す。「コロナ」ならぬ「ウエダウイルス」という言葉がちらっと、頭をかすめた。

 

 

《追記―2》~イタリアからのメッセ-ジ;本を借りたくても、当市の図書館は「閉館中」

 

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて休校しているイタリア・ミラノの高校の校長が、学校のホームページ上で生徒に向けて書いたメッセ-ジが話題になっている。メッセージを書いたドメニコ・スキラーチェ校長は、イタリアの文豪マンゾーニが19世紀、ペストが流行した様子を描写した国民的文学作品「いいなづけ」の一節を紹介しながら、社会生活や人間関係を「汚染するもの」こそが、新型コロナウイルスがもたらす最大の脅威だと説いた。以下に全文(要旨)を転載する。

 

 

 

ボルタ高校の生徒へ

 

 「ドイツからミラノに来るのではと恐れられていたペストが、本当に入ってきた。それはとどまることなくイタリアの大半を侵略し、人口は減った……」―。引用したのはマンゾーニの小説「いいなづけ」の第31章で、1630年にミラノを襲ったペストの感染について書かれています。このころ起きている混乱を、並外れた新しさと鮮やかな文章で描いており、注意して読んでみることをお勧めします。そこには外国人への恐怖、感染源のヒステリックな捜索、専門家への軽蔑、デマ、ばかげた治療法、必需品の盗難……すべてのことがあります。これらはマンゾーニの小説からではなく、今日の新聞から出てきたかのようです。

 

 みなさん、学校は休校になりましたがお話ししておくことがあります。我が校のような教育機関は規則正しく動いており、当局が強制的に休校とするのはきわめてまれな場合です。私はこうした対策を評価する立場にありませんし、専門家でもありません。当局の慎重な判断を尊重しますが、皆さんには、冷静に、集団の妄想にとらわれることなく、必要な予防をした上でいつもの生活を送ってください、と言いたいです。

 

 こんな時だからこそ、散歩をしたり、良い本を読んだりしてください。元気であれば家に閉じこもっている必要はありません。スーパーや薬局に駆け込むのはやめましょう。マスクは病気の人のためのものです。病気が急速に世界に広がっているのは、私たちの時代が残した結果で、何世紀も前には速度は少しだけ遅かったですが、同じように広がりました。それを止めることができる壁は存在しません。このような出来事での最大のリスクの一つは、マンゾーニが私たちに教えてくれているように、社会生活や人間関係に「毒を盛ること」と、市民生活を野蛮にすることです。目に見えない敵によって脅かされていると感じる時には、私たちは同じなのに、他人を脅威や潜在的な侵略者のように見たりする危険があるというのが、先祖から受け継いだ本能なのです。

 

 17世紀と比べ、私たちには近代的な医学があり、進歩し、正確になりました。私たちは社会組織と人間性という貴重な財産を守るべく、合理的な考えを持つようにしましょう。もしそれができなければ、ペストが本当に勝ってしまうかもしれません。学校で待っています。

ドメニコ・スキラーチェ

(3月2日付朝日新聞「電子版」)

 

 

 

 

 

(写真は「コロナ」危機で休校・休館措置を次々に発表する上田市長=2月28日、3月定例会初日の市議会議場で。インタ-ネット中継の画面から)

「新図書館」構想⑨ 「詩歌文学館」余話(2)…太宰と交流した花巻人

  • 「新図書館」構想⑨ 「詩歌文学館」余話(2)…太宰と交流した花巻人

 

 作家、太宰治の短編『散華』は―「玉砕(ぎょくさい)という題にするつもりで原稿用紙に、玉砕と書いてみたが、それはあまりに美しい言葉で、私の下手(へた)小説の題などには、もったいない気がして来て、玉砕の文字を消し、題を散華(さんげ)改めた」という文章で始まり、こうな風に筆が進む。「もうひとり、やはり私の年少の友人、三田循司君は、ことしの五月、ずば抜けて美しく玉砕した。三田君の場合は、散華という言葉もなお色あせて感ぜられる。北方の一孤島に於いて見事に玉砕し、護国の神となられた」

 

 文中の「三田循司」は花巻生まれで、東京帝国大学(当時)を繰り上げ卒業をした後、昭和18年5月30日、太平洋戦争の激戦地・アッツ島で玉砕死した。学生時代から文学を愛好し、太宰を師と仰いで交流を続けた。循司さんはは戦地から太宰にこんな文面のはがきを送っている。「御元気ですか。遠い空から御伺いします。無事、任地に着きました。大いなる文学のために、死んでください。自分も死にます。この戦争のために」―。太宰ははがきを手にした時の気持ちを『散華』の中にこう記している。「死んでくださいと、いうその三田君の一言が、私には、なんとも尊く、ありがたく、うれしくて、たまらなかったのだ。これこそは、日本一の男児でなければ言えない言葉だと思った」

 

 10数年前、循司さんが通った旧制岩手中学(現岩手高校)時代の同窓会が太宰から宛てられたはがきの存在を知り、そのことが当時の地元紙に掲載された。現在、日本現代詩歌文学館の学芸員をしている八木澤卓さんがこの記事を目にとめ、太宰の生誕百年に合わせて、2009年に特別展を開催。同時に『三田循司詩抄/太宰治短編「散華」』と題した小冊子(図録)にまとめた。その後、遺族から寄贈の申し出があり、現在、同文学館に6通のはがきが保管されている。当時の経緯について、八木澤さんは「出身地の花巻ではこのことに関心を寄せたような動きはなかった」と話している。

 

 循司さんの父親の勇治さんは製糸会社や映画館を経営する実業家と知られ、戦前から花巻町議(当時)や県議を務めた。また、弟の悊さん(故人)は国会議員だった故北山愛郎さん(元花巻町長)の地元秘書を務めるかたわら、花巻市議を5期歴任した。残念ながら、太宰と循司さんとの知られざる「秘話」を伝える資料は地元・花巻には残されていない。当然、市民の多くはこんな”友情秘話”を知る機会も少ない。そして、目の前の「新図書館」構想にはそんな心温まるような理念のひとかけらも感じられない。ふと、思い出した。かつて、北山さんの選挙の時、私の母親などのオバア連中が「愛郎さん、愛郎さん」と言って、選挙カ-の追っかけをしていたことを―。かつて、このまちにも「斎藤五郎」がいたのである。

 

 上に掲げたはがきは変色して読みにくくなっているが、以下のような内容である。「拝復 けさほどは、おハガキをいただきました。召集令がまゐりましたさうで、生きる道が一すぢクッキリ印されて、あざやかな気が致しました。おからだ お大事になさって、しっかりやって下さい。はるかに御武運の長久を祈る。不一」

 

 

 

 

(写真は昭和17年1月13日付消印で、太宰から花巻市一日市の循司さんの留守宅に届いたはがき=インタ-ネット上に公開の写真から)

「新図書館」構想⑧ 「詩歌文学館」余話(1)…「するべじゃ」の鶴の一声

  • 「新図書館」構想⑧ 「詩歌文学館」余話(1)…「するべじゃ」の鶴の一声

 

 「うん、いい計画だなぁ。検討するべじゃ」―。詩歌に特化した日本で唯一の図書館「日本現代詩歌文学館」は当時、北上市長だった斎藤五郎さん(故人)の鶴のひと声で産声を上げた。いまから40年近く前の昭和58(1983)年12月15日、北上市議会全員協議会は割れるような拍手と「市長、やりとげろよ」という檄(げき)に包まれていた。文学館の設立が満場一致で承認された瞬間である。その1年ほど前、当時、北上駐在だった毎日新聞の佐藤章記者(故人)は「北上近代詩歌資料館(仮称)建設基本計画」と題した手書きの紙片を胸にしのばせ、斎藤市長に設立を“直訴”した。自身、詩人でもあった佐藤記者と文化的な素養が豊かだった斎藤市長とが意気投合したのは当然のことだったのかもしれない。

 

 平成2(1990)年5月20日、文学館は市制施行30周年事業として、正式にオ-プンした。民間協力団体「文学館振興会」が立ち上げられ、最高顧問には作家で詩人の井上靖氏が就任、会長には「政界の3賢人」と呼ばれ、文部・厚生両大臣や衆議院議長も歴任した灘尾弘吉氏(いずれも故人)が名を連ねた。「托鉢行脚」と称して、建設費の半分に当たる3億円の資金集めや資料収集の実働部隊が全国に散った。18年前には最大200万冊が収蔵できる「研究センタ-」も完成。今年1月末現在の収蔵数は図書や雑誌類が約133万5千冊、その他の写真や原稿などがざっと9万2千点にのぼり、まさに「日本一」の規模を誇っている。

 

 佐藤記者が設立の経緯をまとめた『詩歌文学館の出発』の中には斎藤市長「語録」や設立に協力した著名な詩人などのエピソ-ドがびっしり、詰まっている。たとえば、現在89歳でなお健筆をふるう詩人の白石かずこさんの追悼文の一節から―。

 

 「五郎さん、もう少しで五郎ちゃんと云いそうになる。日本現代詩歌文学館建設のため、はじめて北上にいった日に丸顔で元気で、気さくで太陽のように明るい斎藤五郎市長にお逢いした。市長さんというのはテレビにでてくるのをみても新聞に写っているのをみてもどれもお役人で管理職の匂いをプンプンとさせ、人間味をかいて、どこか偽善的な空気があり、という今までのイメ-ジを根底からくつがえしてしまった。…何より道を歩いている子供たちが斎藤市長と逢うと『五郎さん』『五郎さん』と呼びかけ、挨拶するときいて驚き、よろこび、尊敬の気持ちでいっぱいになった」―

 

 半導体記憶装置フラッシュメモリ-の世界シェア2位のキオクシア(東京、旧東芝メモリ)が北上市北工業団地に建設していた新工場が来月から本格的な量産体制に入る。県内一の「工業都市」のイメ-ジが強い北上市だが、一方で文学館建設を決断したのも同じ斎藤市長だった。当時、「五郎さん」は地元紙にこう語っている。「東芝などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。“工業砂漠”だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)―。関係者は当時、建設場所として盛岡と花巻両市を有力候補に挙げたが、「(石川)啄木と(宮沢)賢治がいるから…」とそっぽを向かれたという後日談が語り継がれている。同じ時期、「工場砂漠」という言葉を口にした、その勇断に胸を突かれた。現在、足元で進行中のわが「新図書館」構想との気の遠くなるような隔絶に絶句させられたのである。

 

 平成6(1994)年11月、黒沢尻工業高校の移転に伴い、その跡地に自然美豊かな「詩歌の森公園」が誕生した。10数年の歳月と総工費約26億円をかけた大事業だった。「言霊の館」とか「北の詩歌の正倉院」などと呼ばれる文学館はその中心に位置している。「文学館運営審議会」の建物の基本構想の中にこんな一節がある。「耐震、耐火はいうまでもなく、多くの人に感動を与え得る建築物であることを不可欠条件とする」―

 

 広大な敷地内には池や水の流れ、築山などが配置され、井上靖記念室や俳人の山口青邨の居宅を移築した「雑草園」などがある。そして、文学館の前には本県が生んだ日本の彫刻家の第一人者、舟越保武の彫像「EVE」(イブ)がひっそりとたたずんでいる。そういえば、2頭のライオン像が置かれたニューヨーク公共図書館の建物は19世紀から20世紀にかけたボザール様式の傑作といわれ、オープン当時(1911年)は米国一の総大理石建造物として、話題をさらった。

 

 

 集合住宅と一体化した「新図書館」構想が論議の的となる花巻市議会3月定例会が本日(28日)開会した。私は太陽のような「五郎さん」の笑顔を思い浮かべながら、わが上田東一市長が“図書館”議会で、どんな答弁をするのか―固唾(かたず)をのんで見守りたいと思っている。見上げると、集合住宅のベランダに洗濯物がヒラヒラと舞っている。そんな光景が目の前にちらつく。これはまぎれもなく「悪夢」そのものである。

 

 

 

 

(写真は日本一の「日本現代詩歌文学会」。池のふちに建つのが舟越の「イブ」像=北上市本石町で。インタ-ネット上に公開の写真から)