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号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その4…ソデ(?)にされたWS!、“市民参画”って、な~に?

  • 号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その4…ソデ(?)にされたWS!、“市民参画”って、な~に?

 

 「図書館は民主主義の学校。今やっていること(ワ-クショップ=WS)はまさにそのもの。今度は皆さんから出されたアイデア(理念)を具体的に計画に落とし込んでいく段階。コロナ禍の時代、どういう図書館を実現し、維持していくのか。人との身体的な距離を保つという点では、従来の1・25倍の広さの図書館を視野に入れる必要がある。皆さんの期待に応えたい」―。市主催の「としょかんワ-クショップ」にアドバイザ-として参加している富士大学の早川光彦教授(図書館学)の時宜を得た適切な助言に意を強くしてきたが、10月1日発行の「広報はなまき」を見て、びっくりした。市民参画の対象から肝心なこのWSが外されているではないか。

 

 広報によると、新花巻図書館整備基本計画に関する市民参画は、同基本計画素案が策定されることを前提として実施される―として「花巻市立図書館協議会での審議」(令和3年2月と4月の2回)、市民から広く意見を募る「パブリックコメント」(同年2月いっぱい)、「市民説明会」(同年2月から3月にかけて、市内4か所)の三つの方法で行われることになっている。他方、WSは7月25日の20代・高校生対象(計2回)を皮切りに始まり、現在は私など公募委員12人を含めた一般対象(8月23日から10月25日までの計5回)の部がこの日で4回まで終了した。あとは最終10月25日のテ-マ「レイアウト」(ハ-ド面)を残すだけになっている。

 

 一方、まちづくりの“憲法”とも呼ばれる「花巻市まちづくり基本条例」(平成20年3月19日)は「市政への参画」について、こう規定している。「市の執行機関は、まちづくりに関する重要な計画の策定及び変更並びに条例等の制定改廃に当たっては、市民が自らの意思で参画できる方法を用いて、市民が意見表明する機会を保障する」(第12条)。また参画の方法としては「意向調査」、「パブリックコメント」、住民説明会や公聴会などの「意見交換会」、「ワ-クショップ」、「審議会その他の付属機関における委員の公募」(第13条)などを挙げている。さらに「市政への市民参画ガイドライン」(平成21年8月、市長答申)は、市民参画が必要な施策として具体的にこう記している。「公共の用(たとえば、体育館、運動公園、図書館)に供される重要な施設の建設計画の策定または変更」―

 

 ところがである。今回の市民参画スケジュ-ルによると、基本計画の素案づくりはまるで“見切り発車”みたいに、WSの終了を待たないまま10月からスタ-トすることになっている。「先が決まっているから…」というのなら、手前勝手な言い分である。この点については、まちづくり基本条例で設置が義務付けられている「市民参画・協働推進委員会」(8月24日開催、佐藤良介委員長ら15人)でも複数の委員からこんな異論が相次いだ。「ワ-クショップを市民参画の方法の中に、図書館であるならば余計入れるべきだと思う」(会議録から)―

 

 これに対して、市側の担当者は苦し紛れにこう答弁した。よ~く、吟味して読んでいただきたい。まるで意味不明な文章である。これを称して、いま永田町界隈で流行(はや)っている“ご飯論法”というのであろう。つまりは質問に真正面から答えず、論点をずらして逃げるという論法である。スケジュ-ルによると、基本計画の策定・決定は来年4月中となっている。あと先が逆だから、こんな「ウソも方便」を口にせざるを得なくなろうというものである。

 

 「確かに、市の市民参画ガイドラインの中では、ワ-クショップがひとつの手法として挙げられておりますので、市民参画の方法に入れるべきだということは、そのとおりだろうと思っております。しかしながら、図書館整備の基本計画をたてるために、まずは素案をつくらなければならないところ、まだ素案ができていないという状況にありますので、その素案ができた段階で、市民参画のガイドラインに則った市民参画を行おうと考えております。したがいまして、今、ワ-クショップをして意見を集約しながら、計画の素案をつくるという動きをしているところになります。ワ-クショップで出てきた意見すべてとはならないかと思いますが、十分に計画の中に入れ込んで、素案をつくっていきたいというものになります」(会議録から)

 

 「新花巻図書館整備基本計画につきましては、素案ができてから市民参画ガイドラインに沿った市民参画を実施していきたいという計画で今回、お諮(はか)りしております。この手法については、市民参画ガイドラインにございますので、素案ができる前のワ-クショップを市民参画計画の中に盛り込んで行う場合も考えられますが、今回につきましては、先ほどご説明した(生涯学習部)担当課の考え方で、今回、お諮りしたところでございます」(同上)

 

 「痛くもないハラ」を探られるのが不本意なら、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(米)は食べていない」(ご飯論法)などという詭弁(きべん)は止めた方がよろしい。一連の「としょかんワ-クショップ」には高校生から私みたいな老残の身まで世代を超えた顔ぶれが一堂に会している。それはそれは奇想天外かつ自由奔放な「図書館」論議が続けられており、アイデア満載。“箱もの”行政の見本みたいな「賃貸住宅付き図書館」(いわゆる“上田私案”)にはとても収まりそうにはない。ましてや早川教授がいみじくも指摘するように、強権的な「上田流」がコロナ禍のこの期(ご)に及んでもなお、通用するものなのかどうか。逆にだからこそ、かつてない規模のWSを目論(もくろ)み、安倍晋三前首相よろしく“やってる感”(既成事実化)を演出するしかないのであろう。口の悪い向きはこのテの手法を「アリバイづくり」などと揶揄(やゆ)する。

 

 今回の一連の“図書館戦争”の発端になった、私が「幻(まぼろし)」と名づけるもうひとつの図書館構想がある。今年1月末、まるで青天の霹靂(へきれき)のように当局側から示された「新花巻図書館複合施設整備事業構想」(前記“上田私案”)である。どうしたわけか「最善の案」と位置付けるその構想は市のHPのどこを探しても見つからない。私はこの日、「WSの図書館論議には欠かせない重要な資料。最終回(10月25日)までに全員に事前配布してほしい」と要求、市川清志・生涯学習部長も渋々ながら了解した。さァ~て、どうする!?“裸の王様”ぶりを遺憾なく発揮して、得意技の強行突破と来るのか。それとも……。「新花巻図書館」の行方からますます、目が離せなくなってきた。

 

 

 

(写真は世代を超えた市民が図書館の夢を語り合った。こんな大規模なWSは過去に例はない=10月11日、花巻市葛の市交流会館で)

 

 

 

《追記ー1》~“ご飯論法”

 

 「除外をしたのではない。今回、任命した方を任命させていただいた」、「結果として任命されない形で残った。残したのではない」―。日本学術会議の推薦候補者の“任命拒否”問題での加藤勝信・官房長官の発言(10月9日付「岩手日報」)。この論法の名手とも言われるご仁が国の広告塔の官房長官とはなにおかいわんや…。「イーハトーブ」の足元で、”ご飯論法”のまねごとをやりたいのなら、加藤御大のように堂々と木で鼻を括(くく)る覚悟を示してほしいものである。

 

 

《追記ー2》~花巻城址(新興製作所跡地)に新図書館を!?

 

 第4回WSで、私は新花巻図書館の立地場所として「花巻城址」(新興跡地)を候補地に挙げた。市の中心部に位置するこの場所は上田市政になってから譲渡問題が持ち上がったが、「利用目的が決まっていない」として、買取を拒否した経緯がある。その後、一帯は土地ころがしを業(ぎょう)とする不動産業者の手にわたり、今はがれきの荒野と化している。高台の「東公園」は桜の名所として知られ、花巻開町に尽くした先人の名前を刻した「鶴陰碑」や音楽堂などもあった。宮沢賢治の作品にも登場する由緒ある土地で、この地こそ「イーハートーブ図書館」の最適地だという思いである(意見交換の場での写真はコメント欄を参照)。なお、地元の賢治研究家、鈴木守さんは自身のブログ「みちのくの山野草」(2016年11月1日付)にかつての東公園の賑わいを伝えるある女性のエピソードを紹介している。

 

 「桜の季節まるまる一カ月はお花見ですごく賑やかでした。坂を上って公園に入ってすぐの照井団子屋さんが大繁盛で、料理屋では御座敷や縁側で芸者さんのお相手でのんびり優雅にやっていました。大きな音楽堂があって、木造で床が高く、柱と屋根はありましたが後ろ以外の壁はなかったと思います。観客は前の草地に座って見たものです。あれが残っていれば音楽好きの今の若い人たちは喜ぶでしょうね」

 

 

《追記―3》~東公園と賢治と啄木と

 

 「城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音風にまじり来(く)」―。宮沢賢治はこんな短歌を残している。この「城址」は東公園を指し、岩手県立大学名誉教授で、地理学者の米津文夫さんによると、石川啄木の有名な歌「不来方のお城の草に寝ころびて…」のオマ-ジュ作品ではないかという。

 

 

《追記―4》~鶴陰碑と上田弥四郎

 

 かつて、東公園にあった鶴陰碑は現在、市博物館に移設・展示されているが、この中に「上田弥四郎」(1768―1840年)という名前が刻まれている。説明文にはこうある。「花巻城の大改修工事(1809年=文化6年)の際に陣頭指揮をとり、『造作文士』とも呼ばれた。儒者としても知られる」。上田東一市長の先祖に当たる人物である。背丈ほどの雑草が生い茂る廃墟はまさに、芭蕉のあの句を思い出させる。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」―。ご先祖の無念が思いやられる。

 

 

 

 

 

 

忙中閑―聴く図書館…「その男は、レコ-ドを演奏する」

  • 忙中閑―聴く図書館…「その男は、レコ-ドを演奏する」

 

 「“図書館騒動”に疲れた頭を癒そうと出かけた先がまた、図書館だった」―。最初からオチ(落ち)みたいな書き出しだが、ジャズの聖地としてつとに知られる「ジャズ喫茶 ベイシ-」(岩手県一関市)を舞台にした映画「JAZZ KISSA BASIE/Swiftyの譚詩(Ballad)」(星野哲也監督、9月18日公開)は、オ-ナ-の菅原正二さん(78)の“ジャズな生きざま”をあぶり出したドキュメンタリ-である。店名はいうまでもなく、あのビッグバンドを率いた故カウント・ベイシ-に由来する。冒頭の字幕に「聴く図書館」という文字が映し出された。「レコ-ドを演奏する」その人はまぎれもなく、「音」の図書館長でもあることに得心した。

 

 菅原さんは早稲田大学在学中、プロ顔負けの「ハイソサエティ-・オ-ケストラ」のバンドマスタ-やドラマ-として活躍。「全国大学対抗バンド合戦」(TBSラジオ主催)では3年連続の全国優勝に導いた。1967年にはビッグバンドとしては日本初の米国ツア-を敢行。「チャ-リ-石黒と東京パンチョス」のドラマ-を務めた後、50年前に郷里に戻り、自宅の土蔵を改築して「ベイシ-」をオ-プンした。「すべての不具合は接点を疑え」―。オリジナルのレコ-ド針を開発するなど、オ-ディオシステムを自在に操る“音の魔術師”の名前は全世界にとどろいた。

 

 サックス奏者の渡辺貞夫や坂田明など日本のジャズ界をけん引するミュ-ジシャンだけではなく、米国のドラム奏者、エルヴィン・ジョ-ンズ(故人)や在日韓国人3世のケイコ・リ-、フィリピン出身のマリ-ンなど女性歌手を含むライブのメッカとしても知られる。「カウント・ベイシ-・オ-ケストラ」は日本公演の際、ここでリハ-サルをした後で本番に臨むというエピソ-ドは有名な語り草である。「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」という菅原さんの“呪文”に魅せられた有名人は音楽家に止まらない。タモリや永六輔(故人)、立川談志(同)、落語家の春風亭小朝、指揮者の小澤征爾、女優の鈴木京香、建築家の安藤忠雄…。「毎日、ベイシ-の音を聴きたい」―。『麻雀放浪記』で知られる直木賞作家、色川武大(ペンネ-ム、阿佐田哲也)は同地に居を移した10日後、心臓が破裂して他界した。享年60歳。永さんの著書『大往生』を地で行くような、まるで”ジャズ葬”みたいな見事な「死に際」ではないか。

 

 朝日新聞岩手県版に「Swiftyの物には限度、風呂には温度」と題する長期連載の人気コラムがある。「Swift」とは迅速とか素早いなどを意味する英語。このニックネ-ムの名付け親はカウント・ベイシ-で、菅原さんの行動力に感嘆し、語尾に「y」を付けて贈ったという秘話が伝えられている。10年以上前、Swiftyこと菅原さんはコラムの中にこう書いている。「物事にはおのずと『着地点』というものがはじめから決まっており、その『場所』が見えておれば無駄に右往左往する必要はないのだ、ということを、ぼくはカウント・ベイシ-から無言で教わった」(2008年10月25日付)。コラムの愛読者である私は「この人は譜面の上に文字を書き連ねているのではないか」とさえ思う。文章が実にリズミカルなのである。とてもじゃないが、かなわない。

 

 「聴く図書館」に集う華々しい人名録を見ていると、図書館とはまさに“出会いの場”であるという実感に襲われる。ところで、「Swifty」には策略とか計略、ペテンなどという含意もあるらしい。だれかれの区別なく、「音の迷宮」へと誘(いざな)う手口はまさにこの言葉にふさわしいではないか。「(宮沢)賢治とはあなたにとって、どんな存在か」と問われるたびに、私はこう答えることにしている。「稀代(きだい)の詐欺師ではないか」―と。時空を超えて、銀河宇宙へと導いてくれるその心地よさに感謝したい気持ちからである。賢治が”夢の国”と名づけた「イ-ハト-ブ図書館」の実現を望むのは、こうしたSwifty流によだれが出るほどの憧れがあるからでもある。

 

 ビリ-・ホリデイ、サラ・ヴォ-ン…。「ベイシ-」の客席の椅子には往年の名歌手の名前が刻まれたブロンズ色のプレ-トがはめ込まれている。そこに身を委ねていると、たとえば「奇妙な果実」を歌うビリ-がす~っと、目の前に立ち現れてくる。スクリーンではSwiftyが何やら、ボソボソとしゃべっている。「ジャズは滝の流れみたいにうるさいだけじゃないかという奴がいるが、その滝を突き抜けると、向こう側には静寂があるんだよな」―。そう、図書館と名のつく「空間」のそのさらに先には茫洋(ぼうよう)とした静寂がどこまでも広がっているのではないのか、とそんな気がする。「音には命があった」という字幕を残して、映画は幕を下ろした。

 

 

 

 

(写真はジャズ喫茶「ベイシ-」を丸ごと描いた映画のポスタ-=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

号外―図書館とホ-ムレス…映画「パブリック」からのメッセージ

  • 号外―図書館とホ-ムレス…映画「パブリック」からのメッセージ

 

 「I can see clearly now the rain is gone(雨が止んだいま、視界は良好さ)/I can see all obstacles in my way(俺に立ちはだかるものが全部見えるよ)」―。素っ裸の男たちが大声で歌いながら、警察の護送車に向かって歩むラストシ-ンにぐっときた。映画「パブリック」(エミリオ・エステベス監督、2018年)は大寒波の中、図書館を占拠した黒人ホ-ムレスたちの奇想天外な姿を描いた米国映画で、サブタイトルは「図書館の奇跡」。コロナウイルスの脅威と未曾有の自然災害にさらされる現代社会にとって、「図書館の役割とは何か」―を根底から考え直すきっかけが与えられる作品である。

 

 「今夜は帰らない。ここを占拠する」―。米オハイオ州シンシナティの公共図書館を根城にしているホ-ムレスのリ-ダ-が突然、エステベス監督自身が扮する図書館員のスチュア-トにこう告げたことから、上を下への“騒動”へと発展する。そのころ、シンシナティはまれに見る寒波に見舞われ、行政が用意した緊急用シェルタ-からあぶれたホ-ムレスが路上で凍死するという悲劇が続出。「Make some noise」(声を上げろ)という呼びかけに約70人の仲間たちが立ち上がった。「voice」(声)ではなく、「noise」(雑音)である。集団の怒りがそこにはある。

 

 「図書館のル-ルを守るべきか、ホ-ムレスの人権を優先させるべきか」―。難しい決断を迫られたスチュア-トには実は薬物中毒や万引きなどの前科があり、自身も路上生活を経験したことがあったが、どん底の彼を救ったのは「本との出会い」だった。図書館の外では市警察や次期市長選に出馬予定の検察官、それにスチュア-トの前科を暴き立て、「占拠はこの男がそそのかした」などとセンセ-ショナルをあおり続けるテレビ中継など騒然とした雰囲気になっていた。混乱の中でインタビュ-に応じ、ホ-ムレスの窮状を訴えたスチア-トが口にしたのは意外にも、ジョン・スタイベックの小説『怒りの葡萄』の一節だった。「ここには告発しても足りぬ罪がある。ここには涙では表しきれぬ悲しみがある」……

 

 「彼らは臭いから…」―。東日本に甚大な被害をもたらした台風19号が接近していた昨年10月、東京・台東区の自主避難所で、ホ-ムレスが区職員によって受け入れを拒否されるという出来事があった。実はこの映画の中でも“体臭”を理由に入館を拒否されたホ-ムレスが裁判を起こし、図書館側が敗訴するというエピソ-ドが紹介されている。ホ-ムレスに対するこうした“排外主義”は内外を問わない。たとえば、花巻市主催の20代・高校生対象の「としょかんワ-クショップ」(8月8日)で、ある高校生は「変な人が来ない」図書館が欲しいという意見を述べている。視野の向う側に無意識のうちに「ホ-ムレス」の姿を見ていたのかもしれない。

 

 その片言隻句(へんげんせっく)をあげつらうつもりは毛頭ない。そうではなく、「新花巻図書館」問題に揺れる今こそ、私たち市民はこの映画の問いかけにきちんと、耳を傾けるべきではないのか。恐ろしいのはこのような無意識の“意識”である…。そんなことをつらつら考えていると、画面ではテレビ中継で事態を知った市民たちが次々と洋服や食べ物などの救援物資を手に図書館前に集結していた。図書館がまるでライフラインの拠点と化している。この逆転の光景に胸が熱くなった。

 

 冒頭の歌はジャマイカ出身のレゲエ歌手、ジミ-・クリフ(72歳)が1993年にリリ-スしたヒット曲「I can see clearly now」である。スチュア-トの勇気に背中を押されるように図書館長が号令をかける。「図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ。戦場にさせてたまるか」―。自ら進んで連行されるホ-ムレスの集団は続けてこう歌う。「Gone are the dark clouds /that had me blind」(空をさえぎっていた雲が流れていった/まぶしいくらい明るい一日になる)……。黒人に対する警察側の残虐行為に抗議して始まった「B・L・M」(Black・Lives・Matter=黒人の命も大事)運動の光景が交錯した。“道徳上の任務”という言葉を使って、エステベス監督は映画製作の動機をこう語っている。

 

 「アルコ-ル依存症や麻薬中毒がこの国の図書館を利用するホ-ムレスたちをひどく悩ましている現状を受けて、『ニ-バ-の祈り』も必ずバナ-(画像)に取り入れようと思った。図書館員は事実上のソ-シャルワ-カ-であり、救急隊員だ。オピオイド(鎮痛剤)過剰使用時の救命薬の取り扱い訓練を図書館員が受けるケ-スも珍しくない」(パンフレットから)

 

 

  「公立」ではなく、「公共」という訳語がぴったりのこの映画は、まるで現下のコロナ禍を予見したメタファ(暗喩)のような気さえする。”奇跡”を呼び起こす存在としての図書館の可能性を私たちは今一度、論じなければならない。スチュアートが読み上げたスタインベックの代表作は世界中のどこの図書館にも常備されている蔵書である。私はそのことの意味にこだわり続けたいと思っている。図書館とは歴史を語り継ぐ「ストレージ」(記憶装置)でもある、と……

 

 

 

 

 

(写真は映画「パブリック」の一場面=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《注》~「ニ-バ-の祈り」

 

 アメリカの神学者、ラインホルド・ニ-バ-(1892―1971年)が作者であるとされる。当初、無題だった祈りの言葉の通称。Serenityの日本語の訳語から「平静の祈り」「静穏の祈り」とも呼称される。この祈りは、アルコ-ル依存症克服のための組織「アルコホ-リクス・アノニマス」や薬物依存症神経症の克服を支援するプログラム12ステップのプログラムによって採用され、広く知られるようになった(ウキペディアより)

 

号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その3…「夢のとしょかん」の“夢の跡”

  • 号外―ルポ「としょかんワ-クショップ」その3…「夢のとしょかん」の“夢の跡”

 

 「世代を超えて、図書館の夢を語り合おう」と勇んで出かけたが、いきなりハシゴを外されたような不愉快な気分になった。市主催の第3回「としょかんワ-クショップ(WS)」が27日に開かれ、今回から10代の高校生など若い世代も参加。7班に分かれ、この日のテ-マである「話そう みんなで夢のとしょかん」がスタ-トするはずだったが…。事前に渡された資料を見て、腰を抜かした。「本・資料・情報」、「運営・サ-ビス」、「建物・環境・施設・家具」といった文字がおどっているではないか。「これじゃ、夢を語るのではなく、賃貸住宅付き図書館の駅前立地という当局側の構想を補強する(つまりはアリバイ作り)ためだけのWSになりかねない」―急に不安が広がった。

 

 それだけではない。進行役のファシリテ-タ-の中に当局側の「新花巻図書館」構想の推進母体である「新花巻図書館周辺整備室」など建設部所属の職員3人が加わっていることにも違和感を抱いた。しかも、学校図書の運営を担う教育委員会の顔ぶれはゼロ。たとえば、図書館法(第3条)には「図書館は、更に学校教育を援助し得るように留意し…」と規定されている。「これについて、市川清志・生涯学習部長は「中身(ソフト)を充実するためには、建設部関係の職員にも入ってもらう必要がある。また、図書館は生涯学習の場であり、教育委員会が直接、所掌するわけではない」と話した。現在、当局側の構想については、議会側の「新花巻図書館整備特別委員会」が見直しを求めているほか、市民団体が10月から、構想案の撤回を訴える街頭署名運動を始めることにしている。若い世代に負けるまいと、私はこの日のために「夢のとしょかんセレクト5」を考えた。せっかくだから、この場を借りて紹介させていただく。

 

 

●日本一の「イ-ハト-ブ」図書館の実現

 

~花巻市は将来都市像として「市民パワ-をひとつに歴史と文化で拓く笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/イ-ハト-ブはなまき」というスロ-ガンを掲げている。「イ-ハト-ブ」とはいうまでもなく、宮沢賢治が思い描いた理想郷「ドリ-ムランド」(『注文の多い料理店』広告チラシ)を指す。賢治ファンだけではなく、観光客の誘客も期待した“賢治ライブラリ-”を。

 

●“棺桶リスト”(「死ぬまでに行きたい世界の図書館15選」)へのノミネ-トを目指して

 

~旅行口コミサイト「トリップアドバイザ-」がかつて、全米を沸かせた映画「バケットリスト」(棺桶リスト)にあやかって、「世界の図書館15選」を公表。日本では「まちとしょテラス」(長野県小布施町立図書館)と「京都マンガミュ-ジアム」(京都市)が見事、選ばれた。「イ-ハト-ブ」図書館もぜひ、「死ぬまでに行きたい」15選入りを目標に。ちなみに、第1位はメキシコシティのヴァスコンセロス図書館。建築家アルベルト・カラチのデザインで、書架を天井から吊るした姿はまるでSF映画のようだという。100万冊までの拡張性があると言われている。

 

●『つづきの図書館』のような図書館を

 

~本書は当市出身の童話作家、柏葉幸子さんの作。「図書館のつづき」ではなく、自分の本を読んでもらった本の側が読書好きのその少女の「つづき」を知りたくなったという奇想天外な物語。図書館から本たちが飛び出してくるような、そんなワクワクする光景が目に浮かぶ。宮崎アニメの傑作「千と千尋の神隠し」は、柏葉さんの『霧のむこうのふしぎな町』が下敷きになったことでも知られる。4年前、野間児童文芸賞を受賞した、3・11(東日本大震災)を題材にした『岬のマヨイガ』は来年2月以降、舞台化される。

 

●たとえば、「ホ-ムレス」など〝変な人”でも自由に出入りできるー「誰にでも開かれた」図書館の実現を夢見て

 

~この“変な人”発言は実は市主催の若者世代対象のWSで出された。揚げ足を取るつもりは全くない。現在、公開中の米国映画「パブリック-図書館の奇跡」は寒波の中で、ホ-ムレスが図書館を占拠するという筋書きになっている。どうして、図書館側はホームレスの要求を受け入れたのか。逆にこの発言が「図書館の役割とは何か」―を根本から考え直すきっかけになれば。

 

●「成長し続ける有機体」としての図書館…進化する図書館とは!?

 

~インド図書館学の父と言われるランガナ-タンの言葉。賢治自身、「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」(『春と修羅』序)と書いている。有機体とは実に永久不滅の現象で、その意味では「賢治」そのものが不滅ということでもある。たとえば、今年度の宮沢賢治賞は文化人類学者、今福龍太さんの『宮沢賢治/デクノボ-の叡智』が受賞し、ノンフィクション作家、梯久美子さんの最新作『サガレン』は新しい“賢治論”として注目されている。世代を継ぎながらの「賢治本」の集積に終わりはない。「イーハトーブ」図書館は進化し続ける。

 

 

 

 

(写真は世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を話し合うはずだったが…=9月27日午前、花巻市葛の市交流会館で)

 

 

 

 

号外―図書館特別委が「中間報告」…怒涛の“号外”3連発!?

  • 号外―図書館特別委が「中間報告」…怒涛の“号外”3連発!?

 

 「(図書館建設にかかわる)意向書の提出から早や3カ月がたとうとしているのに、市側からは何の応答もない」(6月23日付当ブログ「“意向書”なる摩訶不思議」参照)―。花巻市議会9月定例会最終日の24日、「新花巻図書館整備特別委員会」の伊藤盛幸委員長が語気を強めながら、4項目にわたる要望を中間報告の形で説明し、市側に対して前向きの対応を求めた。前日の議会運営委員会では、図書館をめぐる上田東一市長の“問題発言”がやり玉に挙がったが、この日、市長は沈黙を守り通した。反省を促すための議運での申し合わせとこの日の中間報告は小原雅道議長を通じて、上田市長に伝達される。「イ-ハト-ブ」を舞台とした“図書館戦争”はいっそう、苛烈になりそうな気配である。

 

 中間報告は―①市側の「「新花巻図書館」構想(1月29日)について、市民への説明がなされていない。すみやかに情報提供をすること、②「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)には市民の要望が網羅されており、この構想を忠実に反映すること、③「意向書」(6月25日)への誠意ある対応を求めると同時に、市民との意見交換会のアンケ-ト調査の結果を尊重すること、④事業の透明性と公平性を確保し、将来コストを見込んだ財政計画を明らかにすることの4項目。報告の中で、伊藤委員長は視察した一関図書館に触れ、「その整備に当たっては『市民による市民のための図書館』を念頭に置き、基本構想から基本計画、用地選定に至るまでまさに市民の参画と協働によって整備された」と話し、市民の頭越しに進められる当市の手法を痛烈に批判した。

 

 一方、市側が主催する「としょかんワ-クショップ」は27日に第3回目を迎える。1回目は「みんなでとしょかんに行ってみよう!花巻図書館・東和図書館」(8月23日)、2回目は「みんなでおさらい 基本構想」(9月13日)。そして、次回のテ-マは「話そう みんなで夢のとしょかん」…“夢”ときて、ハタと思い出した。そう、宮沢賢治のあの有名な文章を―「イ-ハトヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスたちの耕してゐた、野原や、少女アリスガ(ママ)辿つた鏡の国と同じ世界の中、テパ-ンタ-ル砂漠の遥かな北東、イヴン(ママ)王国の遠い東と考へられる。実にこれは著者の心象中にこの様な状景をもつて実在したドリ-ムランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』の広告チラシ)―

 

 ワークショップ(WS)の一般公募枠に選ばれた栄誉を汚さないよう、賢治にならって「夢のとしょかん」を大いに語ってこようと思う。みみっちい夢ではなく、大ボラでもいいから、でっかい夢を…。残り2回のテ-マは「つくってみよう みんなのとしょかん①」(10月11日)、「つくってみよう みんなのとしょかん②」ー。“市民参画”の後づけ(アリバイ)に利用されないよう、日本一の「イ-ハト-ブ図書館」を目指して!?そういえば、”図書館プロ”を自認する岡本真さん(アカデミック・リソース・ガイド代表取締役)は自戒を込めて、こんなことを語っていた。

 

 「市民参加を謳って開催されるワークショップですが、たとえば付箋にアイデアを書いて貼り出すという手法も、『なんとなくやった気にはなる』ものの、その結果として出てきたものに主催者・参加者は本当に満足しているでしょうか。往々にして起こりうるのが『ワークショップという名のヒアリングをおこなったにすぎない』という状況です。図書館関係者だけでなく、社会の多くの人がこのワークショップの罠に陥っていると思うのです。(こうしたWSは)基本的には失敗していると思っていいでしょう」(『未来の図書館、はじめませんか?』=森旭彦さんとの共著)

 

 

 

 

(写真は激しい口調で「新花巻図書館」構想を批判する伊藤委員長=9月24日午前、花巻市議会議場で。インタ-ネット中継の画面から)