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「コロナ」黙示録(その2)…パンデミックと万有引力の法則

  • 「コロナ」黙示録(その2)…パンデミックと万有引力の法則

 

 「共生への道」というサブタイトルに引かれ、『感染症と文明』(岩波新書)を取り寄せた。著者は長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎さん。ペ-ジをめくる前にまず、あとがきの記述に目を奪われた。本書の初版発行日は東日本大震災の約3ケ月後の2011年6月21日。「3・11」のその日、山本さんは本書の編集担当者との打ち合わせを終え、東京・神田の古本屋に立ち寄った。足元が大きく揺れて書棚から本が音を立てて崩れ落ちた。世界各地で感染症の現場に立ち続けてきた山本さんは震災直後から被災地に入った。ある晴れた日、地震と津波が残した残骸の上にはあくまでも青い空が広がり、目の前の海には渡り鳥が羽を休めていた。

 

 「心地よくない妥協の産物だとしても、共生なくして、私たち人類の未来はないと信じている。地球環境に対しても、ヒト以外の生物の所作である感染症に対しても。その上で、人類社会の未来を構想したいと、その時海を眺めながら改めて思った」(あとがき)―。まるで現下のコロナ禍を予知するような洞察力と想像力、そして軸足のぶれない思考に思わず、居ずまいを正した。「文明は感染症の『ゆりかご』であった」というテ-マに引き込まれながら、読み進むうちに「パンデミックこそが想像と創造のゆりかごではないか」という思いを強くした。山本さんはさりげない形でこんなエピソ-ドを紹介している。

 

 「この時期(17世紀ロンドンのペスト)、ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒(お)えたばかりの一人の青年がいた。ペストの流行によって、青年の通っていた大学も何度かの休校を繰り返した。休校中、大学を離れて故郷の街ウ-ルスソ-プに帰った青年は、ぼんやりと日を過ごすうちに微積分法や万有引力の基礎的概念を発見した。青年の名前はアイザック・ニュ-トンといった」―。のちに、この期間は「創造的休暇」とか「已むを得ざる休暇」とか呼ばれたという。ニュートンが「リンゴが木から落ちる」瞬間を目撃したのは、ペスト禍による休校がもたらした”偶然”だったというのである。

 

 コロナ禍の中でいま、世界中が同じような休暇を余儀なくされている。“巣ごもり”生活のノウハウが垂れ流されるそんなある日、「ホットケ-キにのって空をとぶ」と題した8歳の少女の新聞投書が目にとまった。「新がたコロナウイルスのせいで学校がお休みです。そこでわたしは、新しいあそびを考えました。頭の中でお話を作ることです。この間は『やかまし村』シリ-ズのリ-サ-になりました。ホットケ-キにのってスウェ-デンの空をとんでみました。ただ一つざんねんなのは、このあそびをしていると、家ぞくには私がぼ-っとしているように見えることです。この前も楽しくあそんでいたのにお母さんに『ぐあいでもわるいの?』と言われてしまいました」(4月26日付「朝日新聞」要旨)―。私は嬉しくなって、膝を打った。これこそが「創造的休暇」ではないか―

 

 「人類は、自らの健康や病気に大きな影響を与える環境を、自らの手で改変する能力を手に入れた。それは開けるべきでない『パンドラの箱』だったのだろうか。多くの災厄が詰まっていたパンドラの箱には、最後に『エルピス』と書かれた一欠片(ひとかけら)が残されていたという。古代ギリシャ語でエルピスは『期待』とも『希望』とも訳される。パンドラの箱を巡る解釈は二つある。パンドラの箱は多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残されたとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望することもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説である。パンドラの箱の物語は多分に寓意的であるが、暗示的でもある」―

 

 山本さんが10年前に記したこの呪文のような世界を私たちはいま、生きているのかもしれない。中世のペスト禍がルネサンスのゆりかごであったという逆説のように、そして、未来に向かって生きる少女に対して夢の物語を紡ぐよう促しているように、私自身も「コロナ」という来訪神の前でのたうち回るしかない今日この頃である。齢(よわい)80歳にして、このパンデミックに遭遇したのは果たして幸だったのか、そうではなかったのか……

 

 

 

 

(写真はペストの脅威を描いた16世紀の絵画。ペストに模された骸骨が鎌を手に人間の命を刈り取っている光景=インタ-ネット上に公開の資料から)

 

 

「コロナ」黙示録(その1)…大都会に出没した野生動物たち

  • 「コロナ」黙示録(その1)…大都会に出没した野生動物たち

 

大地よ/重たかったか/痛かったか

 

あなたについて/もっと深く気づいて、敬って

 

その重さや痛みを/知る術(すべ)を/持つべきであった

 

多くの民が/あなたの重さや痛みとともに/波に消えて/そして大地にかえっていった

 

その痛みに今 私たち残された多くの民が/しっかりと気づき/畏敬の念をもって

 

手をあわす

 

 

 路上に寝ころぶアシカの群れ、市街地をかっ歩するピュ‐マ、かと思えば、スモッグにくすんでいた山容やビル群の突然の出現…。コロナ禍の影響で110カ国・地域の地球人口の半分以上に及ぶ約45億人の人影が消えた結果、「コロナ」黙示録とでも呼びたくなるような光景が世界のあちこちで見られるようになった。人間によって、その生息域を奪われた野生動物の“逆襲”!?…などとコロナ疲れの頭で考えていたその時、冒頭に掲げた詩文が突然、記憶の底から目を覚ました。旧知のアイヌ詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(87)が東日本大震災の8日後に記した「大地よ」と題する詩である。

 

 「それがねぇ、アイヌは震災で命を亡くした人よりも先に大地の方に気持ちが行ってしまうんだね。ある日本人からそう言われたことがあった。何か皮肉を言われているような感じがして…」―。数年前、ふと漏らした言葉を現下のコロナ禍の中で思い出したのである。実は私自身、全世界がコロナ禍と「闘っている」さ中の4月5日付当ブログに「コロナ神との対話」という一文を掲載した。“共生”の大切さを訴えるつもりだったが、撃退すべき相手を「神」呼ばわりすることに対する周囲の目を気にしなかったと言えばやはり、ウソになる。そんな折、宇梶さんの詩に共鳴した哲学者(フランス文学・思想)の鵜飼哲さん(65)の近著に接する機会を得た。たとえば、こんな一節…

 

 「この詩は、災害そのものとどう向き合うのかという根本のところで、今の列島社会で自明視されているある種のヒュ-マニズムの枠を超過しています。アイヌ民族の自然観には、自然現象もすべて『カムイ』(神)であり、ある意味で人間と相互に交渉可能なものだという考え方があります」(『まつろわぬ者たちの祭り―日本型祝賀資本主義批判』)。そう言えば、宇梶さんは詩作の動機について、同書の中でこう語っている。「カムイモシリですね。神様の培われている大地、カムイモシリよ、重たかったか、痛かったかという言葉が出たんです」

 

 鵜飼本の発行日と私のブログ掲載日は同じ4月5日。単なる偶然とはとても思えない不思議な感覚である。私はアイヌ民族の世界観に言及しながら、ブログにこう書きつけている。「地球規模の環境破壊によって、野生生物の生態系が破壊された結果、行き場を失ったウイルスが『宿主』(しゅくしゅ=寄生先)を人間に求めるようになった。地球せましと徘徊するこの神の神出鬼没ぶりを見ていると、それはまさに『コロナカムイ』と呼ぶにふさわしいとさえ思えてくる」―。アイヌ民族にとっての最高神であるクマは「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。その霊をカムイモシリに送り返す「イオマンテ」(熊送り)の儀式の中にこそ、自然との「共生・共死」の思想が凝縮されている。

 

 南アフリカのクル-ガ-国立公園はロックダウン(都市封鎖)の一貫として、25日から閉鎖が続いている。自然保護官のリチャ-ド・ソウリ-さんは巡回中に昼寝しているライオンの群れに遭遇した。ツイッタ-でその写真を投稿したリチャ‐ドさんは「ほとんどのライオンはぐっすり眠っているようで、携帯電話で写真を撮っている間、気にする様子はなかった」と話している。安心しきったように路上に寝そべるライオンたちの姿に見入りながら、不意に思った。「この光景こそがコロナ後を黙示しているのではないか」―と。皮肉なことに、放射能禍に見舞われた福島の避難指示区域がいま、サルやタヌキ、イノシシなど20種以上の野生動物の”楽園”になり、当のその動物たちが放射能まみれになっていることを私たちはとうに忘れている。

 

 コロナ禍以前に書かれた鵜飼本の帯には「私たちは『未来の残酷さ』のただなかにいる」という悪夢を予感させるような言葉も刻まれている。私たち人類はどっちの道を歩もうとしているのだろうか……。人間とはしょせん、己の都合しか考えない存在なのかもしれない。「コロナ」はそのことを教えているのではないのか。

 

 

 

(写真はリチャ-ドさんが撮影したライオンの群れ=南ア・クル-ガ-国立公園内で=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍の首長たち…試されるその資質

  • コロナ禍の首長たち…試されるその資質

 

 「少し個人的な思いも入りますが、かねてから自分としては困っている人の具体的な力になりたい、そういった思いで子ども時代から過ごしてまいりました。そういった思いの中で弁護士になり、活動などもしておりました。そういった思いの延長線上で市長になり、今仕事をしているつもりです。今まさに目の前に、明石市内に困っている方が数多くおられます」―。熱のこもったこの言葉に不覚にも目頭が熱くなった。今回のようなパンデミックの危機に際しは為政者が発する言葉のひとつひとつが国民に希望を与えたり、逆に絶望の淵に突き落としたりする。それは国内外の首脳やや地方自治体の首長も例外ではない。

 

 冒頭に兵庫県明石市の泉房穂(ふさほ)市長(56)の言葉を引用したことについては少し、訳がある。泉市長はパワハラ疑惑の責任を取って、いったん辞職した後の出直し選挙で見事に返り咲きを果たしたという剛腕の持主である。コロナ危機が叫ばれ始めた3月上旬、花巻市の上田東一市長にも同じ疑惑を指摘する“怪文書”騒動が持ち上がった。私は泉市長の「パワハラ」始末記の潔(いさぎよ)さに共感し、3月18日付の当ブログに「他山の石、以て玉を攻むべし」というタイトルで、その奇跡の復活劇を紹介した。

 

 あれから1カ月弱の4月16日、泉市長は総額6億900万円にのぼる緊急コロナ対策費を予算計上したことを公表、その気持ちを記者会見で冒頭のように述べた。個人商店にすぐに100万円、ひとり親家庭の児童福祉手当に5万円の上乗せ、困窮家庭に10万円の支給…。「困っている市民に手を差し伸べるのが行政の使命・役割」―という合言葉ですべてを独自財源の「財政資金」から捻出した。泉市長は同じ記者会見でこうも語っている。熱がじかに伝わってくる。市民が“パワハラ市長”をふたたび担ぎ出した理由を得心する思いである。

 

 「ポイントをお伝えしますと大きくは3点です。当然のことながら、感染症対策の徹底は当然のことであります。そして2点目は、市民生活への緊急支援であります。今月分の家賃も払えないという悲鳴が聞こえております。一人親家庭などにつきまして、しっかりと今こそ行政が役割責任を果たすべきだという思いで考えております。そしてもう1つは、いわゆる社会的弱者へのセ-フティネットであります。こういう状況の中で、高齢者や障害をお持ちの方や子どもたちに、いわゆるしわ寄せが行きかねない状況もございます。例えばデイサ-ビスになかなか通いにくくなってしまうと、ご自宅にこもっている状況で、果たしてそれまでのような福祉的サ-ビスが得られていない状況で、ご高齢の方が大丈夫なのだろうかというテ-マであるとか、子ども達につきましても、いわゆる虐待の問題やネグレクトなどが大変心配でございます」……

 

 「4、550万円」―。花巻市は22日、臨時市議会を招集し、非接触型体温測定器(サ-モグラフィ-)15台や不織布マスク10万枚、温泉施設への日帰り入浴の費用、温泉ホテルなどの観光協会への会費補助などの名目でコロナ関連事業費を計上し、可決された。きめ細かい施策と言えばその通りかもしれない。しかし、個人の飲食店やタクシ-業界など零細事業者への支援の必要性を求める質問に対し、上田市長は「今後の推移を見ながら、財政調整基金の活用を考えたい」と今回の危機対応のための独自財源の取り崩しには慎重な態度を示し、泉市政とは際立った姿勢を見せた。財政規模が異なる自治体としては当然、その施策にも異同が生じて当たり前である。私がこの日の市長発言の一部始終を聞きながら、不安に感じたのは「言葉の力」ということである。

 

 「現在、当市の行っている対応により、ご迷惑をおかけしておりますが、新型コロナウイルス感染症の爆発的な感染拡大による市民生活・経済活動に対するさらに大きな被害を防ぐためにも、市民の皆様にはご理解を賜りたいと考えるところであります」―。上田市長はこの日の臨時市議会で市民へのメッセ-ジをこんな言葉で締めくくった。肩から力が抜けるような脱力感に襲われた。言葉の片々から「熱」が伝わって来なかったのである。世界中に感動を与えたドイツのメルケル首相は演説の最後をこう結んでいる。

 

 「私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます」

 

 「この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました」(3月18日のテレビ演説から)

 

 

 

(写真は臨時市議会で答弁に立つ松田英基・財政部長。コロナ禍のさ中に過労で倒れたが、元気に現場復帰をした=4月22日、花巻市議会議場で。インタ-ネット中継の画面から)

 

 

 

《緊急追記》~HPから消えた「市長」発言

 

 この日開かれた臨時市議会が終了後、いったんは花巻市のHPに公開されたコロナ対応などに関する市長発言が夕方になって、そっくり消えていることに気が付いた。今年度の一般会計補正予算に係るコロナ緊急事業や行政報告などで、その中には今月初め、東京から市内東和町に転入しようとした男性が火災に巻き込まれて焼死するという不幸な出来事の経過についての報告も含まれていた。議事録に記録を残すことが義務付けられている内容が全面削除されるのは異例である。

 

 この件について、上田市長はこの日「転入届をめぐって事実誤認の記事(4月18日付)を掲載され、迷惑をこうむった。新聞社には抗議した」述べたが、その部分もなぜか削除された。コロナ危機に際し、花巻市は4月8日付で、東京など感染地域からの転入届について、2週間(ウイルスの最大の潜伏期間)の経過観察後に届け出を受け付けるように申し合わせ、その旨を市庁舎の窓口に掲示していたが、この日突然、この告示も外された。NHKも夕方のローカルニュースでこのことを伝えた。上田市長周辺で一体、何が起きているのか!?

 

 (※削除されたHP掲載の記事が4月23日午前に再掲された。また、転入届の手続きについてもこの日、改めて掲載された。削除に至った経緯については不明である)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新図書館」構想⑲ 図書館特別委開催…副市長が“びっくり”発言

  • 「新図書館」構想⑲ 図書館特別委開催…副市長が“びっくり”発言

 

 当初予算案の撤回に伴って、事実上“白紙撤回”状態になっている花巻市の「新図書館」構想に関する議会側の「新図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長)の初めての会合が21日に開かれた。席上、説明員のひとりとして出席した長井謙・副市長が「行政の政策立案に当たっては最終的に“利益”があるかどうかが決め手になる」と発言。議員たちの間からその資質を疑う声が挙がった。しかし、この考え方は上田東一市長が一貫して主張してきた内容で、この日の初会合で逆にその方向性に変更がないことが裏付けられる結果になった(3月23日付当ブログ「上田流『クソミソ』思考の功罪」参照)

 

 「コストパフォ-マンス、つまり費用対効果を考える際、その事業にもうけが生じるかどうかがポイントだ」―。当局案を正当化しようという説明が延々と続き、弁解がましい発言に委員長が「少し簡略に」と注文を付けるひと幕も。そして、長井副市長が最後に手を上げた。「(集合住宅との)複合構想は行政判断として間違ってはいない」―。図書館のあるべき姿とは余りにかけ離れた論法に議員の間からはため息さえもれた。議会側としては今後、8人からなる「小委員会」を設置し、独自の図書館像を探っていくことになり、この日さっそく「ワークショップ」方式で当局案に対する意見や疑問が集約された。

 

 立地場所の選定や整備手法、市民参画のやり方などについて、ほとんどの委員が当局案に否定的な態度を表明し、「利便性が優先され、図書館としての機能性の議論がないがしろにされている。すべてがアベコベ」、「有識者からなる諮問機関『新図書館建設審議会』(仮称)のようなものを設置し、幅広い知見を得るべきではないか」、「コロナ危機で、国の補助金や地方交付税が先細りになるのは目に見えている。この際、新図書館問題はいったん、棚上げにすべきではないか」といった意見も出た。次回の小委員会は5月12日に開催される予定。

 

 現下のコロナ禍のもと、当局側の精神の貧しさとその劣化さ加減にはホトホト、あきれさせられる。いま必要なのは、万人に”開かれた”図書館とそれを実現しようという熱意である。現代の「デカメロン」の若者たちのように……

 

 

 

(写真は始動した「新花巻図書館整備小委員会」の初会合=4月21日午後、花巻市役所で)

 

「新図書館」構想⑱ 旅する本屋…パンデミックと知の伝道者たち

  • 「新図書館」構想⑱ 旅する本屋…パンデミックと知の伝道者たち

 

 「アレッシアは大丈夫だろうか」―。イタリア人ジャ-ナリスト、アレッシア・チャラントラさん(39)の安否を気遣う日々。お見舞いのメ-ルを送って1週間になるのにまだ、返事がない。心配だ。あれからもう、10年になる。東日本大震災の際、彼女はわが家を拠点に沿岸被災地の取材を続け、その惨状を世界に向けて発信した。遠く海を隔てた取材行はその後、数年間に及んだ。その国がいま、最悪の災厄のただ中に投げ出されている。胸がふたがれるそんなある日、「涙より笑みを/イタリアの品格―コロナ禍の若者たち」と題する新聞のコラムが目に飛び込んできた(4月7日付「読売新聞」)

 

 「緊急事態宣言が出た後、各地の高校生、大学生達と連絡を取った。イタリアの未来を支える彼らが、非日常へと突然変わってしまった日常をどうように暮らすのかを知りたかった。ボッカチョの『デカメロン』を読み返している、と話した大学生がいた」―。コラムの筆者はイタリア在住の日本人ジャ-ナリスト、内田洋子さん(61)。文中に登場する『デカメロン』は中世ヨ-ロッパを襲ったペスト禍から逃れ、フィレンツェ郊外で10日間を語り明かした若い男女の物語である。はたと心づいた。イタリアを発祥の地とする「ルネサンス」(再生・復活=文芸復興)こそがこのパンデミックをきっかけとした社会変革の運動だった、と…

 

 「この山に生まれ育ち、その意気を運び伝えた、倹(つま)しくも雄々しかった本の行商人たちに捧ぐ」―。イタリア北部の山岳地帯に位置する寒村・モンテレッジォの広場の石碑にこう刻まれている。『モンテレッジォ/小さな村の旅する本屋の物語』というタイトルの自著で、この村の歴史を追った内田さんはこう記す。「彫られているのは、籠(かご)を肩に担いだ男である。籠には、外に溢れ落ちんばかりの本が積み入れてある。男は強い眼差しで前を向き、一冊の本を開き持っている。ズボンの裾を膝まで手繰(たぐ)り上げて、剥き出しになった脹脛(ふくらはぎ)には隆々と筋肉が盛り上がり、踏み出す一歩は重く力強い」―。

 

 宮沢賢治の「サムサノナツ」(「雨ニモマケズ」)を彷彿(ほうふつ)させる光景だが、200年以上前の1816年、北ヨ-ロッパや米合衆国北東部、カナダ東部では夏にも川や湖が凍結するという異変に見舞われ、「夏のない年」と呼ばれた。モンテレッジォも壊滅的な被害を受けた。栗以外に主産物に恵まれない村人たちはかつて、岩を砕いた「砥石(といし)」をヨ-ロッパ中に売り歩いた。その時に鍛えた肉体が役に立った。「石から本へ」―。屈強な男たちは今度は石のように重い本をカゴに入れて担いだのである。「『白雪姫』、『シンデレラ』、『赤ずきんちゃん』、『長靴を履いた猫』など、子供向けの本はよく売れましたね。ことさらクリスマス前は盛況でした」と行商人の末裔は文中で語っている。

 

 「大勢の若者が、老人のために買い物代行のボランティアを始めた。『自由にお取りください』とカ-ドを付けて、パスタやチ-ズを入れたカゴを路地へと吊し下ろす人達がいる。恋人の下宿に移って外出禁止の生活を共に始めることにした男子学生は『コロナ時代には愛だ』と、父親からエ-ルを送られた。バリカンで自分の髪をカットしてくれる高校生の姉に、小学生の弟は『失敗しても気にしないで。髪はまた生えてくるから』と、礼を言う」―。内田さんはコラムの中でイタリアの若者たちのこんな姿を紹介している。時折、テレビが映し出すイタリアの惨状を見ながら、ふたたびアレッシアの消息が気になる。「老いた両親もいたはずだが、無事だろうか…」

 

 大学で日本文学を学んだアレッシアは夏目漱石の『こころ』を原文で読みこなすほどの日本通で、自らのHPには「雨ニモマケズ」を張り付けていた。この本は近代人のエゴイズムと倫理観との葛藤を描いた作品で、「明治」という時代の精神を浮き彫りにしている。「日本もイタリアも地震国。だから、日本人の心を知りたかった。それには本がいちばんね」とその時、彼女はケロッとして言った。東日本大震災の2年前、イタリア中部で300人以上が犠牲になった「ラクイラ地震」が発生した。三陸沿岸の被災地を初めて訪れた時、絶句して立ち止まった。「まるで古代都市『ロ-マ帝国』―ポンペイの遺跡とおんなじだ」

 

 「ルネサンスがそうであったように、パンデミックこそが内なる未来を宿しているのではないか。その未来は過去を背負っている。そして、過去の記憶をいまに伝えるものこそが活字、つまり本というものではないのか」―。日伊をまたぐ二人の女性ジャ-ナリストから、そんなことを教えられたような気がする。ペスト禍に触発されて『神曲』を著したダンテもかつて、モンテレッジォを訪れたという歴史がある。67年前、村人たちは本への感謝を込めて、最も売れ行きの良かった本を選ぶ「露天商賞」を創設。第1回目にはヘミングウエイの『老人と海』が選ばれた。コロナ禍を生きる現代版『デカメロン』の若者たちはどんな未来を予見しているのだろうか……

 

☆彡

 

 アレッシアよ、どうか元気でいてほしい!?

 

 (※彼女が17日付で自らのツイッタ-に投稿していることを当ブログを読んだ知人が連絡してくれた。イタリア語が読解できないので内容は分からないが、とにかく無事らしい。良かった。こんな形で安否を確かめ合い、情報を共有することができるツールを今度こそ「ポスト・コロナ」の未来に生かしていければ…)

 

 

 

(写真はモンテレッジォの村の広場に建つ「本の行商人」をたたえる石碑=インタ-ネット上に公開の写真から)