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「感染者ゼロ」という“後ろめたさ”、そして、パラダイムシフトの足元では!?

  • 「感染者ゼロ」という“後ろめたさ”、そして、パラダイムシフトの足元では!?

 

 「自県より岩手の数をまず確認」(5月6日付「朝日新聞」)―。愛知県在住の女性が投句した川柳に不意打ちを食らった。新型コロナウイルスの感染が全国唯一の「ゼロ」県に向けられる外部の視線にほとんど、思いが至っていなかったせいかもしれない。本来なら慶賀されてしかるべきなのに、この方は何か「ゼロ」不信でもお持ちなのだろうか…。こっちの方がだんだん、落ち着かなくなってきた。“感情の宙返り”みたいな、かつて経験のしたことがない不思議な感覚である。ひょっとしたら、ある種の“後ろめたさ”に似た感覚ではないのか―。映画監督の森達也さんの述懐をふと、思い出したのである。

 

 「あのときの重苦しい感覚は、どうにも拭(ぬぐ)いきれない『後ろめたさ』に由来していた。家に閉じこもってテレビが伝える被災地の苛烈で理不尽な状況に吐息をつきながら、時には涙ぐみながら、自分や自分の家族は何の被害も受けていないし、暖かい布団でいつものように眠ることができる現実に混乱した。…でも薄暗いス-パ-やコンビニで買い物しながら、奇妙な解放感があったことも事実だ」(4月24日号『週刊金曜日』)―。森さんは東日本大震災で味わったこの後ろめたさの感覚を「サイバ-ズ・ギルド」(生き残ったゆえの罪責感)とも表現している。ひと言でいえば、ある意味での「非当事者性」がそう思わせたのかもしれない。「ゼロ県」在住者のひとりとしての私の感覚もこれに近いような気がする。

 

 コロナ禍のさ中の4月、東京都内からは当地・花巻への移住を希望した72歳(当時)の男性が不慮の火災に巻き込まれて死亡するという悲劇が起きた(注参照)。さらにその直後には実家での出産を望んだ女性が県内の産婦人科への入院を拒否されるというハプニングも発生した。身近で起きたこの出来事が私の“後ろめたさ”の引き金になっている節もある。追い打ちをかけるように目に飛び込んできた光景に私は心底、狼狽(ろうばい)してしまった。非常事態宣言下の大型連休中、JR盛岡駅の新幹線乗降口にはサ-モグラフィ-(非接触型体温計)が設置され、県職員がチェックに余念がなかった。「感染拡大防止が大事なのはわかるけど」…二の句が継げずに背筋がざわッとした。

 

 「ゼロリスク症候群」という言葉がある。「リスク(危機的状況)はゼロでなければならない」―という強迫観念や呪縛(じゅばく)を指す際によく使われ、”過剰反応”を引き起こす要因のひとつとも指摘される。ひょっとして、「ゼロ県」の岩手、そして我が「イ-ハト-ブはなまき」も無意識のうちにこの症候群の落とし穴にはまり込んでいるのではないのか。医療人類学者の磯野真穂さんは「社会を覆う『正しさ』」(5月8日付「朝日新聞」)と題する論考の中で、こう述べている(要旨)。

 

 「私たちの社会はいつのまにか、『絶対に感染しては、させてはいけない』という感覚に基づいて振る舞うことこそが、道徳になってしまった。感染リスクを限りなくゼロに近づけることが、一人ひとりに課される至上命令になり、他の大きな問題を生み出しています。差別、中傷、バッシングです。自治体が『自粛要請』に従わないパチンコ店を公表すると、抗議や脅迫が殺到する事態になりました。これは現代の『村八分』でしょう。他県ナンバ-の車に対して石を投げたり、いたずらしたり、といったことも出てきています」

 

 「やっかいなのは、感染リスクを下げることだけを目的にすれば、感染リスクの高い人や集団には近づかない、そういう人たちを遠ざける、といったことは、あながち『誤り』ではなく、『正しい』ことになる。『感染リスクをゼロにするべきだ』という正しさは、強い排除の力を生み出します。社会の『周辺』にいる人に対して特に強い力が働く。リスクはゼロか1ではいえないのに、『安全な人や集団』と『危険な人や集団』を分けてしまう。パチンコ店のケ-スは確かに行政主導の『発表』でしたが、個々人が普段から抱く秩序を乱す者を排除したいという感覚が、排除に拍車をかけたように見えます」

 

 「非当事者性」から「当事者性」へ…。つまり、今回のコロナ禍はその災厄が同時多発的にしかも平等に人類に降りかかるという意味ではまさに「自分事」の身の不幸と言えばいえる。「したたかで厄介な」―この未知をウイルスはそのことを私たちに教えているのではないのか。何事も「他人事」では済まされないということを……。人類はいま、「パラダイムシフト」(価値観の大変革)の時代に立たされている。

 

 

 

(写真はサ-モグラフィ-を操作する県職員=5月1日、JR盛岡駅で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《注》~「悲劇」の顛末(てんまつ)記

 

 「4月11日に花巻市東和町で発生した火災にかかる一部新聞及び週刊誌の報道の掲載内容について、事実と異なることがありますのでお知らせします」―。こんなタイトルの記事が5月7日付の市のHPに掲載された。焼死した男性を巡って、転入届の手続きに不備があったのではないか―とする報道に抗議する内容になっていた。A4版7枚分。「市側に落ち度はなかった」とグダグダと弁明を繰り返す、まるで姑息な“アリバイ”まがいの文面にホトホト疲れ果ててしまった。市民はコロナ禍に翻弄(ほんろう)される日々を送っている。そんなことは尻目に、己(おのれ)の正当性だけを言い募る行政トップ…上田東一市長という人物の人品骨柄の卑しさに「悪寒」(おかん)が走った。

 

 「誰がというのではなく、みんなそろいもそろって“ゼロリスク症候群”にはまってしまったのではないのか。この非常事態の中、責任のなすり合いに憂(う)き身をやつしている暇などあるのか」―というのが私の正直な感想である。いや、お前はそんな「他人事」ではダメだと言ったばかりだったではないか。感染地域からの移住に反対する、もう一人の自分が果たしていなかったのかどうか…。そう、今はそれぞれが頭(こうべ)をたれ、自省すべき時であるはずである。

 

 「死人に口なし」をいいことに、「死者に鞭(むち)打つ」…。今回のHP記事は結局、こんな後味の悪さを残しただけではなかったのか。我がふるさと…理想郷「イーハトーブ」の市長よ、いい加減に目を覚まさんか!?自らが犯した所業(しょぎょう)の残酷さにそろそろ気が付き、己の愚かさに少しはうろたえてみたらどうか!?

 

 

 

《追記-1》~ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』などの著者)さんからのメッセ-ジ

 

 「このパンデミックは、私たちに『世界レベルのアイデンティティ-』をもたらす可能性があります。私たちには『米国人』『日本人』といった国レベルのアイデンティティ-はあっても、『この世界の一員』というアイデンティティ-はありません。世界中の人々がその存在を認識し、かつ脅威となるような危機が存在しなかったからです。気候変動問題で人がすぐに死ぬことはありませんが、新型コロナは違う。新型コロナが全世界への脅威だと認識し、このパンデミックを通じて世界レベルのアイデンティティ-を作り上げることができれば、この悲劇から望ましい結果を引き出せます」(5月8日付「朝日新聞」)

 

 

《追記―2》~“自粛ポリス”の正義

 

 営業を続ける店や県外ナンバ-の車などが標的となっており、インタ-ネット上では周囲に自粛を強いる人を指す「自粛警察」という言葉が話題に。専門家は「正義感に基づいていても、嫌がらせ行為は許されない」と戒める。「コドモアツメルナ。オミセシメロ」。千葉県八千代市の駄菓子屋「まぼろし堂」では4月下旬、何者かがこんな貼り紙をした。店は3月下旬から既に休業しており、店主の村山保子さん(74)は「恐怖感がすごかった。今はこんなことではなく、みんなの気持ちを明るくすることを心掛けてほしい」と訴える。

 東京都内では、自粛要請に従って時短営業をしていた居酒屋やライブバ-が「この様な事態でまだ営業しますか?」「自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます」などと貼り紙をされたケ-スも。徳島県では県外ナンバーの車が傷を付けられたり、あおり運転をされたりする被害が相次ぎ、自衛のため「県内在住者です」と書かれたステッカ-が売られる事態となった。

 

 東京都立大の宮台真司教授(社会学)は「自粛警察」の心理について、「非常時に周りと同じ行動を取って安心したい人々だ。いじめと同じで自分と違う行動を取る人に嫉妬心を覚え、不安を解消するために攻撃する」と解説。「人にはそれぞれ事情があり、非常時の最適な行動も人によって違うことを理解しなければならない」と呼び掛ける(5月9日付「時事通信」配信)

 

 一方、北上市でも県外ナンバ-の車に乗る県内進出企業の関係者らへの誹謗(ひぼう)・中傷があるとして、高橋敏彦市長は、市のホームぺ-ジ(HP)で「冷静な対応」を市民に要請するメッセ-ジを公表した(同日付「朝日新聞」岩手版)

 

 

《追記―3》~深刻化する“ナンバ-狩り”

 

 他県ナンバ-狩りは、全国で起きており、車が傷つけられたり、窓ガラスが割られる事態も発生。かつては、東日本大震災時に、福島第一原発事故の影響で、原発周辺地域のいわきナンバー車両が全国に避難した。その際に、「放射能を持ち込むな」などと、同様の被害を受けたことがあった。SNS上では、「自分の『正義』を押し付ける連中が全国で発生中。ひどいですね。こんなことやってる暇があったら、もっとほかに社会貢献できることがあるだろうと思います」といった声が寄せられている(5月10日付ニュ-スサイト「しらべぇ」)

 

 

《追記―4》~行政による“コロナ差別”

 

 「コロナで急に特別な差別が始まったのではなく、普段の差別や不平等が『見える化』されたにすぎない」。外国人児童の調査・支援を行う小島祥美・愛知淑徳大教授はそう語る。さいたま市は3月、保育園・幼稚園職員にマスクを配ったが、「各種学校」に分類される朝鮮初中級学校幼稚部は、所管でないとして当初は対象外だった。「これまでも各種学校は健康を軽視され、学校での健康診断を定めた法律の対象でもなかった。非常時でも従来の発想の延長線上で差別がある。コロナは国籍を選んで感染するわけではない。こうした不平等は社会全体にリスクとなって返ってくる」(5月10日付「朝日新聞」電子版)

 

 

《追記―5》~藤原新也さん(写真家・作家)さんからのメッセ-ジ

 

 「東日本大震災原発の被害意識が癒えない中で、再び襲ってきたコロナ禍がさらにそういった被害意識を増長させてしまう恐れもある。海外では医療関係の人を助けようとする動きがあるが、この日本の一部で医療関係者を差別するようなとんでもないことが起こっているのは、積み重なるダメ-ジに心が壊れているという見方もできる」「コロナは人の味覚を奪うが、これからは食べ物の味を本当に味わうことができるかもしれないし、100%の愛情のうち下手したら10%くらいしか使っていなかったのを、コロナ明けからは70%くらい使って他者に接することができるようになるかもしれない。そうなったら人間の勝ちだ。それがニュ-ノ-マルになってほしい」(5月10日付「朝日新聞」電子版)

 

 

《追記―6》~山本義隆さん(科学史家、元東大全共闘議長)さんからのメッセ-ジ

 

 「かつての戦争でファシズムを経験した日本は、戦後になってそのことの真摯な反省を行わなかったために、ファシズムに対抗する力を養ってこなかったように思われます。日本は『ナチスのやり方に学べばよい』などと平然と口にする人物が長期にわたって財務大臣を務めている、外国の常識からすれば異常な国なのです。コロナ後の世界、変わることは確かですが、どのように変わるのか、どの方向に変わるのか、いや、どのように変えるべきなのか、どの方向に変えるべきなのか、私たち一人一人が問われています(「10・8山崎博昭プロジェクト事務局」ブログより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クック上陸250年と感染症

  • クック上陸250年と感染症

 

 「隔離(ステイホーム)の時間を利用して、よ~く考えよう」(4月29日付並びに5月1日と同3日付当ブログ参照)―。パオロ・ジョルダ-ノからけしかけられたせいでもあるまいが、コロナ禍以降、思考があっちに行ったり、こっちに行ったりと千々に乱れている。そのパオロは「僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ」と書いていたが、さっそく一枚の画像が目の前に現れた。登場したのは通称「キャプテン・クック」と呼ばれた英国の海軍士官で海洋研究家のジェ-ムズ・クック(1728―1779年)である。

 

 「クック上陸250年/続く論争」(4月30日付「朝日新聞」)という特集記事が目にとまった。「文化の消滅 始まった」、「科学と民主主義 得た」などの小見出しがついていた。クックは250年前の1770年4月29日、オ-ストラリアに上陸した。記事にこんな一節があった。「先住民たち(アボリジニ-)たちはその後、入植者たちとの衝突や、持ち込まれた病気に苦しんだ。入植前に推計で豪州に75万人いた人口が、1920年代に7万人に激減した。当局は先住民を居留地に入れ、白人社会と隔離した」―。コロナ禍の渦中にいなかったら、ひょっとして見過ごしていたかもしれない。

 

 「文明とは感染症の『ゆりかご』であった」(『感染症と文明』)―と感染症学者の山本太郎さんは指摘している(4月27日付当ブログ参照)。この言葉通り、クックらヨ-ロッパ人が旧大陸からもたらした伝染病(ウイルス)は、天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹(はしか)など多種多様に及んだ。旧大陸から遠く隔絶され、免疫力を持たなかった先住民たちにウイルスは容赦なく襲いかかった。700を超える部族たちが250種類の言語を操っていた伝統文化は消滅の瀬戸際に立たされた。

 

 「コロンブス交換」という言葉がある。1492年のコロンブスによる「新大陸の発見」に伴って、動植物や食物、果ては奴隷を含む東半球と西半球との間の広範な交換を表現する言葉だが、この行為は数々の感染症も新大陸にもたらすことになった。コレラインフルエンザマラリア麻疹ペスト猩紅熱(しょうこうねつ)、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘結核腸チフス黄熱…。たとえば、南米ペル-を中心にして栄えた「インカ帝国」は天然痘の蔓延によって人口の約60~90%を失い、滅亡の大きな引き金になったとされる。それにしても、レントゲンという透視画像ほどふだんは記憶の彼方に隠されてきた歴史を浮き彫りにしてくれる存在はないようである。オ-ストラリアのあちこちに建つ英雄「クック」像を眺めているうちにネガの背後からもう一つの光景が浮かび上がってきた。

 

 コロナ禍に見舞われているオ-ストラリアでは現在、家族以外で3人以上が集まることが禁止され、違反すれば罰金や禁固刑が科せられるという警察国家並みの「隔離政策」が断行されている。「隔離」と聞いて、さび付いていたアンテナがピッと反応した。この国ではかつて、アボリジニ-などの先住民の子どもを家族から引き離して強制収容所や孤児院に収容し、優性思想のもとに「同化政策」を強制した負の歴史を背負っている。この政策は1869年から約100年間続けられ、この間、幼い子どもたちは精神的・肉体的な虐待にさらされた。「盗まれた世代」と呼ばれたこの過去の過ちについて、政府が正式に謝罪したのは2008年になってからである。

 

 今次のコロナ禍はよく、ギリシャ神話の「パンドラの箱」にたとえられる。何が飛び出してくるか、まったく予想もつかない。しかし、人類に禍(わざわい)をもたらすとされるその箱には「エルペス」という言葉も残されていたという。「期待」とか「希望」という意味である。この際、一切合財をチャラにして、その絶望の中からエルペスのひとかけらを求めよ―。私流にいえば、「コロナ神」はそんなことを人類に求めているのかもしれない。喫緊の課題はPCR検査の拡大と地球儀を俯瞰(ふかん)した透視検査(レントゲン撮影)の実施である。さて今度はどんな画像が姿を見せるのか、いまから楽しみである。

 

 

 

 

(写真はクックの功績をたたえる銅像。土台には「1770年にこの領土を発見した」と刻まれている=シドニ-中心部のハイドパ-クで。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~コロナウイルスとまんどろだお月様

 

 今日7日は満月。漆黒の中天に“まんどろな”(まんまるい)お月さんが浮いている。ふと、津軽の方言詩人、高木恭三(故人)の詩が口をつく。コロナ神と対話しているような不思議な気持ちになった(コメント欄の写真はこの日の満月=7日午後8時すぎ、花巻市桜町の自宅から)

 


嬶(かが)ごと殴(ぶたら)いで戸外(おもで)サ出はれば
まんどろだお月様だ
吹雪(ふ)いだ後(あど)の吹溜(やぶ)こいで
何処(ど)サ行(え)ぐどもなぐ俺(わ)ぁ出はて来たンだ
どしてあたらネ憎(にぐ)くなるのだベナ
憎(にぐ)がるのぁ愛(めご)がるより本気ネなるもんだネ
そして今まだ愛(めご)いど思ふのぁ どしたごどだバ
ああ みんな吹雪(ふぎ)と同(おんな)しせぇ 
過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ

 

(『まるめろ』所収「冬の月」)

 

 

 

 

 

 

 

 

「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(下)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

  • 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(下)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

 

 僕は忘れたくない。ル-ルに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。病人のみならず、健康な者の世話までする人々の疲れを知らぬ献身を。そして夕方になると窓辺で歌い、彼らに対する自らの支持を示していた者たちを。ここまでは忘れてしまう危険はない。簡単に思い出せるはずだ。もう今度の感染症流行にまつわる公式エピソ-ドとなっているから。

 でも僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲(あざけ)り笑ったことを。長年にわたるあらゆる権威の剥奪(はくだつ)により、さまざまな分野の専門家に対する脊髄(せきずい)反射的な不信が広まり、それがとうとうあの、「頭は大丈夫か」という短い言葉として顕現したのだった。不信は遅れを呼んだ。そして遅れは犠牲をもたらした。

 僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを1枚、キャンセルしなかったことを。どう考えてもその便には乗れないと明らかになっても、とにかく出発したい、その思いだけが理由であきらめられなかった、この自己中心的で愚鈍な自分を。僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセ-ショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。もしかすると、これこそ何よりも明らかな失敗と言えるかもしれない。それはけっして取るに足らぬ話ではない。感染症流行時は、明確な情報ほど重要な予防手段などないのだから。

 僕は忘れたくない。政治家たちのおしゃべりが突如、静まり返った時のことを。まるで、結局乗らなかったあの飛行機を僕が降りたら、耳が両方とも急にもげてしまったみたいなあの体験を。いつだって聞こえていたあの耳障りで、常に自己主張をやめなかった政治家たちの声が―少し先を見据えた言葉と考察が本気で意見を言うことをことごとく妨げてきたあの横柄な声たちが―ぱったりと途絶えた時のことを。

 僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題もそれぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。みんなに語りかける必要に迫られた僕たちが大概、まるで相手がイタリア語を理解し、コンピュ-タ-を持っていて、しかもそれを使いこなせる市民であるかのようにふるまったことを。(移民たちのことを一切考慮せず、大切な知らせがイタリア語のみで伝達されていること、学級閉鎖にともない、いきなりオンライン授業が導入され、教育現場が混乱している状況などを指している)

 僕は忘れたくない。ヨ-ロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。そのうえ、感染状況を示す各国のグラフの横に、この災難下でも僕らは一体だとせめて象徴的に感じさせるために、もうひとつ、全ヨ-ロッパの平均値のグラフを並べることを誰ひとりとして思いつかなかったことを。僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。

 僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎(うと)かったことを。僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。

 

 陽性患者数のグラフの曲線はやがてフラットになるだろう。かつての僕たちは存在すら知らなかったのに、今や運命を握られてしまっているあの曲線も。待望のピ-クが訪れ、下降が始まるだろう。これはそうあればよいのだがという話ではない。それが、僕らがこうして守っている規律と、現在、敷かれている一連の措置―効果と倫理的許容性を兼ね備えた唯一の選択―のダイレクトな結果だからだ。

 

 僕たちは今から覚悟しておくべきだ。下降は上昇よりもゆっくりとしたものになるかもしれず、新たな急上昇も一度ならずあるかもしれず、学校や職場の一時閉鎖も、新たな緊急事態も発生するかもしれず、一部の制限はしばらく解除されないだろう、と。もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。

 支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩(やから)はにわかに団結し、チ-ムワ-クに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

 もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のために、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。

 家にいよう(レスティア-モ・イン・カ-サ)。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼(いた)み、弔(とむら)おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために(了)

 

 

 

 

(写真はロックダウン中の自宅の窓を開け放ち、大空に向かってトランペットを吹く少年。この子らの未来を奪ってはならない=3月中旬、ロ-マ市内で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~コロナの時代の新たな日常

 

 安倍晋三首相は4日、緊急事態宣言を5月いっぱいまで延長することを発表した際の記者会見で、「有効な治療法やワクチンが確立するまで、感染防止の取り組みに終わりはない。それまである程度の長期戦を覚悟する必要がある」と述べ、さらに「『コロナの時代の新たな日常』を一日も早く作り上げなければならない」と続け、新型コロナウイルスを前提にした社会のあり方を模索する考えを示した。「新しい生活様式」とか「行動変容」などというのは上から与えられるものではなく、パオロが言うように自らが創り上げるものでなければならない。

 

 

《追記ー2》~アクセス数が100万件を突破、ご支援に感謝!

 

 2010年、花巻市議に初当選した際「公人」の端くれとしての議員活動の報告の場として開設したHP(ブログ)へのアクセス数がこどもの日の5日、累計で100万件の大台を超えました。この10年間、ブログのタイトルは「イーハトーブ通信」から「マコトノクサ通信」、そして現在の「ヒカリノミチ通信」へと変わりましたが、フォロワ-の皆さま方のご支援がなければ、おそらく途中で挫折していただろうと思います。心から感謝を申し上げます。コロナ禍のさ中の大台通過に何か不思議な気持ちにさせられます。死力を尽くしてこの「大災厄(パンデミック)」に目を凝らせ、というコロナ神からのご託宣なのでしょうか。先行きの短い人生…その総括を兼ねた、どうかすると遺書めいた書き付けになるかもしれませんが、体力と気力の許す限り、脈絡もなく頭内に去来する事どもを記していきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(中)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

  • 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(中)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

 

 振り返ってみれば、あっという間に接近されたような気がする。「六次のへだたり」理論が本当かどうか、僕は知らない。知りあいのつてをたどっていくと、驚くほどわずかな人数を介しただけで世界の誰とでもつながってしまうという、あの話だ。でも今度のウイルスは、まるで網の目をたどる昆虫のように、そんなひとの縁(えん)の連鎖によじ登り、僕たちのもとにたどり着いた。中国にいたはずの感染症が次はイタリアに来て、僕らの町に来て、やがて誰か著名人に陽性反応が出て、僕らの友だちのひとりが感染して、僕らの住んでいるアパ-トの住民が入院した。

 

 その間、わずか30日。そうしたステップのひとつひとつを目撃するたび確率的には妥当で、ごく当たり前なはずの出来事なのに僕らは目をみはった。信じられなかったのだ。「まさかの事態」の領域で動き回ることこそ、始めから今度のウイルスの強みだった。僕らは「まさか」をこれでもかと繰り返した末に、自宅に閉じこめられ、買い物に行くために警察に見せる外出理由証明書をプリントアウトする羽目となった。義憤、遅れ、無駄な議論、よく考えもせずに付けたハッシュタグそのひとつひとつが、約17日後に、死者を生む原因となった。なぜなら感染症流行時は、躊躇(ちゅうちょ)をしたぶんだけ、その代価を犠牲者数で支払うものと相場が決まっているからだ。僕らがかつて味わったなかで、もっとも残酷な時間単価だ。

 イタリアの死者数は中国のそれを超えた。僕たちは一連の偶発的原因に怒って当然だし、怒るべきだが、問題の根本のところで必ず、自分たちが「まさかの事態」を受け入れるのが不得手な国民であるという事実に直面してしまうはずだ。これは近年、他の似たような感染症流行を経験済みだった国々と比較しての話だ。いずれにしてもここまでくると、僕らにしても、この「まさかの事態」の前進が、今日終わることもなければ、全国民の外出制限を指示した首相令の期限が切れる4月3日に終わることもないとわかっているはずだ(2020年4月5日現在、期限は4月13日まで延長されている)。それは自宅隔離の指示が解かれても終わらず、今回のパンデミック自体が終結しても終わらないだろう。「まさかの事態」はまだ始まったばかりで、ここには長く居座るつもりでいるはずだ。もしかするとそれは、僕らの前に開かれようとしている新たな時代の特徴となるのかもしれない。

 戦争という言葉の濫用について書いているうちに、マルグリット・デュラスの言葉をひとつ思い出した。逆説的なその言葉はこうだ。「平和の様相はすでに現れてきている。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある」(『苦悩』田中倫郎訳 河出書房新社)。戦争が終わると、誰もが一切を急いで忘れようとするが、病気にも似たようなことが起きる。

 

 苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。

 だから、緊急事態に苦しみながらも僕らはそれだけでも、数字に証言、ツイ-トに法令、とてつもない恐怖で、十分に頭がいっぱいだが今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない。30日前であったならば、そのあまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために。たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。

 僕らはCVID-19の目には見えない伝染経路を探している。しかし、それに輪をかけてつかみどころのない伝染経路が何本も存在する。世界でも、イタリアでも、状況をここまで悪化させた原因の経路だ。そちらの経路も探さなくてはいけない。だから僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく。誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい。

 

 

 

(写真は全土がロックダウン(都市封鎖)されたイタリア。マンションに閉じ込められた夫婦は不安気に外を眺めていた=3月中旬、ロ-マ市内で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記-1》~「コロナ戦争」への異議!?フランス人哲学者、クレ-ル・マランからのメッセ-ジ

 

 「私の感覚では、戦争ではありません。敵がいないのですから。私たちが直面しているのは生命の掟に刻まれている現象であり、それは創造と破壊両方のプロセスを通じて現れてくるものなのです。病気というのは、退化や死と同様、生物学的な意味で生命の一部です。人間的な知能や害を加えるという意志がない場合、敵は存在しません。病気を戦争のモデルによって考えることは流行っていますが、生命の本質を見誤っています。コロナウイルスをイメ-ジしたりその作用を理解したりするために、戦争のように考えることが役に立つとは思いません。いま大切なのは対峙することではなく、むしろパンチを返さない俊敏なボクサ-のように回避することが重要なのですから、なおさらです」(「ク-リエ・ジャポン」4月8日号)

 

 

《追記―2》~「リスクとの共生」…思想家、内田樹さんからのメッセ-ジ

 

 「もう勝てないと分かったら、『負け幅』をどうやって小さく収めるかを考える。プランAが破綻したら、すかさず次善の策であるプランBに切り替える。たぶん英語圏にはそういう文化があり、日本にはない。日本政府は『水際作戦』の成功と東京五輪の成功を夢見て、『最悪の事態』に備えることをしなかった。これを無能・無策と謗(そし)る人が多いが、統治者一人の責任に帰すのは気の毒だと思う。日本人というのは総じて『そういう人たち』だからである。ウイルス相手に人間の側に『勝ち』はない。できるのは、『負け幅』を減らすことだけである。でも、わが国には『負け幅を減らす』ための知恵や工夫を評価する文化がない。それを認めるところからしか『次』は始まらない」(『週刊金曜日』5月1日&8日合併号)

 

 

 

 

 

 

 

「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(上)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

  • 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(上)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

 

 コロナ禍のイタリアから発信された若手作家のメッセ-ジが全世界を駆けめぐっている。処女作の『素数たちの孤独』(2008年)がいきなり、最高の文学賞「スト-ガ-賞」を受賞して彗星のように現れたパオロ・ジョルダ-ノ(37)。アメリカに次いで2番目に多いコロナ死を記録した非常時の現場からの報告は27編を収録した『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房)にまとめられ、いま世界27カ国で緊急刊行中だという。「パラドックス」という一編にこんな文章がある。

 

 「つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって?僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ」―。日本語の翻訳本には表題に掲げたイタリア紙「コリエ-レ・デッラ・セ-ラ」(3月20日付)への寄稿文も添えられている。私は子世代の若者からの言葉のひとつひとつをまさに粛然たる気持ちで受け止めた。たとえば、「非常時」の日常化の恐ろしさとか…。日本は本日(29日)から非常事態宣言下の大型連休に入った。この「隔離の時間」を有効に過ごすために、寄稿文を3回に分けて転載する。

 

 「何を考えろって?」…パオロは「何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか」―を自問自答しているようである。「非常の時 人安きをすてて人を救ふは難いかな。非常の時 人危きを冒して人を護るは貴いかな」―。花巻空襲の際、当地に疎開していた詩人の高村光太郎が看護婦たちの献身的な働きをたたえて創ったとされる詩「非常の時」…。その一節をカ-ドに添えた手作りマスクが評判になっているという地元紙の記事に接した。このことの意味を含めて、「パオロ」メッセ-ジの行間に目を凝らしてみたいと思う。ズバリ言うと、非常時の“献身”の尊さと、安直な”ヒューマニズム”の危うさについて―

 

 「スペイン風邪」パンデミックから100年―。ほとんどの現人類にとっての”初体験”である今回のコロナ禍を前に、いまはただ頭(こうべ)を垂れるしかあるまい。

 

 

 

 

 コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。

 このところ、「戦争」という言葉がますます頻繁に用いられるようになってきた。フランスのマクロン大統領が全国民に対する声明で使い、政治家にジャ-ナリスト、コメンテイタ-が繰り返し使い、医師まで用いるようになっている。「これは戦争だ」「戦時のようなものだ」「戦いに備えよう」といった具合に。だがそれは違う。僕らは戦争をしているわけではない。僕らは公衆衛生上の緊急事態のまっただなかにいる。まもなく社会・経済的な緊急事態も訪れるだろう。今度の緊急事態は戦争と同じくらい劇的だが、戦争とは本質的に異なっており、あくまで別物として対処すべき危機だ。

 今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉選びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。

 だが僕たちは今度のCOVID-19流行の最初から、そんな風に「まさかの事態」を受け入れようとせず、もっと見慣れたカテゴリ-に無理矢理押しこめるという過ちを飽きもせず繰り返してきた。たとえば急性呼吸疾患の原因ともなりうる今回のウイルスを季節性インフルエンザと勘違いして語る者も多かった。感染症流行時は、もっと慎重で、厳しいくらいの言葉選びが必要不可欠だ。なぜなら言葉は人々の行動を条件付け、不正確な言葉は行動を歪めてしまう危険があるからだ。それはなぜか。どんな言葉であれ、それぞれの亡霊を背負っているためだ。たとえば「戦争」は独裁政治を連想させ、基本的人権の停止や暴力を思わせる。どれもとりわけ今のような時には手を触れずにおきたい魔物ばかりだ。

 「まさかの事態」が僕たちの生活に侵入を果たしてから、ひと月になる。肺のもっとも細い気管支にまで達するウイルスのように油断のならぬそれは、もはや僕らの日常のあらゆる場面に現れるようになった。ただのゴミ出しに弁解が必要になる日が来ようとは、誰も想像したことがなかったはずだ。まさか、市民保護局が毎日行う感染状況発表の内容に合わせて自分たちの暮らしを調整する羽目になるなんて。まさかよりによってここで、それも僕たちが愛する者に看取(みと)ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(訳注:2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)、誰が想像していたろう?にもかかわらず。

 2月21日付の『コリエ-レ・デッラ・セ-ラ』紙(訳注:イタリアを代表する日刊紙のひとつ)は、コンテ首相とレンツィ元首相がふたりきりで会談したというニュ-スを一面トップに置いた。ふたりきりで何を話した?誓って言うが、僕は覚えていない。コド-ニョ(ロンバルディア州ロ-ディ県の町)で最初の「綿棒(タンポ-ニ)」陽性患者が出たというニュ-スが同紙の編集部に届いたのは前夜の1時過ぎと遅かったため、その知らせは最終版一面の右端の段にぎりぎりで押しこまれた。僕らの多くはコド-ニョという地名を聞くのも初めてなら、ウイルステストの通称としてタンポ-ニという言葉が使われるのを聞くのも初めてだった。翌朝、コロナウイルスは、一面トップのタイトルという栄光の地位を獲得した。そして二度とその場を譲ろうとはしなかった。

 

 

 

(写真はその発信力が注目されているパオロ・ジョルダ-ノ=インターネット上に公開の写真より)