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「老老」日記…コロナ禍の老人コミュニティ-

  • 「老老」日記…コロナ禍の老人コミュニティ-

 

 「女房に先立たれた男やもめは、かなりの確率で1年以内に死ぬらしい」―。それなりのエビデンス(証拠)に裏打ちされたこの“法則”を辛うじて乗り越えたのもつかの間、3回忌の昨年に襲いかかったコロナ禍についに、降参。昨年8月、花巻市郊外の3食付き老人向け施設に仕事場の拠点を移した。2021年1月1日現在の入所者は定員30人に対し、10人(女性7人、男性3人)。平均年齢はざっと80歳前後か。

 

 さ~て、唯我独尊(ゆいがどくそん)を押し通してきた男が、老人コミュニティ-での集団生活に適応できるのかどうか。果たせるかな、コロナ鬱に加えて、集団鬱の追い打ちにグロッキ-気味。そんな矢先、昨年暮れに入所した2人の女性に救われた気持ちになった。この出会いをコミュニケーションのきっかけにできれば…。そんな思いで殊勝にも以下(要旨)のような“所信”を職員や入所者の皆さんに配った。プライバシ-を侵害しない範囲内で折に触れ、コロナ禍の老人コミュニティ-の悲喜こもごもをお伝えしていきたい。

 

 

 私たちはいま、「コロナパンデミック」という人類がかつて経験したことのない困難な時代を生きざるを得ない宿命を背負わされてしまいました。その最大の損失は人と人をつなぐ従来のコミュニケ-ション手段が奪われたことです。いまではまさに忌み嫌われる言葉(“濃厚接触”)になってしまいましたが、実は「人」を人たらしめるものこそが、お互いの肌が触れ合う存在感だったと思います。これがかなわなくなったいま、私たちは新しい方法を模索しなければなりません。

 

 この施設に最近、歩行器を必要とする方や耳の不自由な方が入所されました。私はとっさに宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節―「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ…」というあの有名な詩句を思い出しました。次の瞬間、賢治の「行ッテ」(Go To)精神そのものがいままさに感染防止の上で「NG」扱いになってしまったことにハタと気づかされました。でも、賢治が言いたかったことは「寄り添う」ことの大切だと思い直しました。歩行器をそっと、押してあげました。なにか、フ~っと吹っ切れる思いがしました。筆談用のボ-ドに名前を書くと、その人は目を真っすぐに向けて微笑んでくれました。「これでいいんだ」と思いました。

 

 私たちは同じ屋根の下で寝食をともにする大家族です。みなさん、長い人生を生き抜いてきた達人たちです。職員のみなさんたちと一緒にどこにも負けない「新しい生活様式」をこの場で築き上げようではありませんか。運命共同体といったら、大げさになりますが、コロナ時代を生きるマニュアルはどこにもありません。お互いに知恵を出し合い、叡智(えいち)を結集して手探りで進むしかないと思います。焦らずに少しずつ、お互いの人生の歩みを語り合いながら、イ-ハト-ブ(賢治の理想郷)への第一歩を踏み出そうではありませんか。

 

 あの銀河宇宙から満天の星が降り注いでいます。なんという幸せでしょう。私はこの地こそが「イ-ハト-ブ」にふさわしいのではないかと内心、誇らしく思っています。

 

 

 

(写真は新春の老人コミュニティ-のとある光景=2021年1月4日、花巻市内で)

 

 

 

謹賀新年…「人間の土地」へ

  • 謹賀新年…「人間の土地」へ

 

 明けましておめでとうございます。

 

 コロナ感染者が過去最多の4520人を記録して越年した新しい年。読書事始めは『人間の土地へ』。沖縄・石垣島に住む娘が「最近読んで面白かった、考えさせられた本でした」と送ってくれた。登山家でフォトグラファ-の著者、小松由佳さん(38)は秋田出身。2006年、エベレストに次ぐ世界第二の高峰・K2(カラコラム山脈=8611㍍)へ、日本人女性として世界で初めて登頂に成功。東京郊外の知的障がい者施設や若者の自立支援に携わり、2012年にシリア人男性と結婚。

 

 冒険家の角幡唯介さんは「小松さんが山を下りてから、どういう生き方をしているのか気になっていた。混迷のシリアで人間の生の条件を見つづけた彼女の記録は、とても貴重だ」と評している。そして、漫画家のヤマザキマリさんはこう書く。「登山で知った自然界の過酷を、シリアの混乱と向き会うエネルギーに昇華させ、全身全霊で地球を生きる女性の姿がここにある」―。コロナ禍の中で求められるのは、小松さんのように隅々にまで目を凝らす「視点の移動」ではないだろうか。そんなことを予感させる本である。早く、ペ-ジをめくりたい。冒頭にサン・テグジュペリの代表作『人間の土地』(堀口大學訳)の一節か置かれている。

 

 「人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、それに向かって挑みかかる者にとってはすでに未知ではない、ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと」

 

 そして、小松さんは自らの「人間の土地」について、こう記す。

 

 「ヒマラヤの山々は、私に”命が存在することの無条件の価値”を気づかせてくれた。人間がただ淡々とそこに生きている。その姿こそが尊い。私はその姿を追い求めていこう。シリアの砂漠にあって幸福な日々を生きた人々のなかに。激動の内戦に翻弄され、異国の地に生きようとする人々のなかに。そして、夫ラドワンや、二人の息子たち、私自身のなかに。私は歩き続ける。ヒマラヤから砂漠へ。難民の土地へ。そしてまだ見ぬ、人間の土地へ」(同書最終章「夜の光」より)

 

 

 

 

(写真は次男をおんぶしながら取材を続ける小松さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

緊急提言―「花巻城址」残酷物語…(私論)旧東公園に新花巻図書館を!?

  • 緊急提言―「花巻城址」残酷物語…(私論)旧東公園に新花巻図書館を!?

 

 「兵どもが夢の跡…」と化した花巻城址(旧新興製作所跡地)の見るも無残な惨状について、7回にわたって経過を振り返ってきた。今年最後となる当ブログではあえて、その地に新花巻図書館を立地すべきだとする“私論”を披露させていただく。今年1月下旬、上田東一市政は「住宅付き」図書館の駅前立地という、まさに青天の霹靂(へきれき)を地で行くような提言を公表した。市民の大方の反対にあい、市当局は当初案の撤回に追い込まれ、私たち市民有志も「新花巻図書館―まるごと市民会議」を結成。「図書館と私」をテ-マにしたオンライン講演を企画するなど図書館のあり方を模索してきた。

 

 「まるごと市民会議」では今後の議論を深めるため、図書館専門誌『季刊 ライブラリ-・リソ-ス・ガイド』(LRG)の定期購読を決めた。最新の第33号は「みんなにとっての図書館」(前編)と題するまるごと特集。編集発行人の岡本真さんは巻頭言にこう書いている。「これはまず私が人生において考えもしないような切り口です。このような特集テ-マが本誌において掲げられることは、雑誌が本来もつべき多様性(ダイパシティ-)の現れでしょう」―。実は私自身、市当局の新図書館構想に違和感を抱くきっかけを作ってくれたのは岡本さんの意表を突く発言だった。コロナ禍が猛威を振るい始めていた7月10日、岡本さんは日経BPのメ-ルマガジン「新公民連携最前戦」の中でこう語っていた。

 

 「1つめは『賑わい・交流を生む図書館』、『場としての図書館』という考え方に基づく図書館振興の課題です。端的に言えば図書館の集客機能がまちづくりの文脈で評価・尊重されてきましたが、新型コロナの感染拡大を防ぐには、図書館においても、むやみに人を集められない、かつ長時間の滞在が好ましくない、さらに交流自体を大規模には行えないということになります。この10年ほど、大きな影響力をもってきた図書館による『賑わい』創出という考え方は、曲がり角に来たと感じています。…今後も発生が予測される新たな感染症の脅威を見込むと、公共施設の計画・整備・運営は一度ゼロベ-スから組み上げ直していく必要があるでしょう」―

 

 「目の前に示された市側の図書館構想はコロナ禍の時代とは相容れない代物ではないのか」―。まったく想定していなかった思考回路の盲点を突かれた思いがした。そんな折、まちの中心部に残骸をさらす旧新興跡地の来し方に思いが重なった。「その地の歴史性とか風土性こそがダイバシティ-を構成する重要な要素ではないのか」と…

 

 由緒ある花巻城の盛衰についてはシリ-ズ「『花巻城址』残酷物語」で触れたので、ここでは繰り返さない。また、わずか100万円で当該地を公共用地として所有するチャンスがあったにも関わらず、そうしなかった上田市政の当初の政策判断を今さらながら言挙(ことあ)げするつもりも毛頭ない。かといって、悪質な不動産業者の手に落ちたことを「運が悪かった」と他人事みたいに言い募る向きに与(くみ)するものでも決してない。私が問題にしたいのは政治の「結果責任」ということについてである。かつて、「東公園」の名前で親しまれた花巻城址(旧新興跡地)の地下部分にカネミ油症の原因物質であるPCB(ポリ塩化ビフェニル)が不法に放置されていることが明るみに出た(12月8日付当ブログ「猛毒『PCB』が所在不明に!?」参照)

 

 「当該PCBは容器に密閉された状態になっており、カネミとは状況が違う。市民に直接被害が及ぶことは考えにくい。当該地を改めて取得し、利活用するためにはざっと14億円以上の経費が見込まれる。“安物買い”(100万円)に手を出さなかった当初の判断はいまも間違っていないと考えている」―。この件について、上田市長は花巻市議会12月定例会で、こう答弁した。「お前が市長なら、どうする?」という声が聞こえてくる。答えはいとも簡単である。

 

 「当該地をただちに市の所有に移し、早急にPCBの危険を除去する。将来の跡地の利活用については広く、市民の意見を募る」―。考えて見れば、余りにも当たり前のことではある。市民の安心・安全の確保こそが首長に課せられた最大の使命だからである。ちなみに以前、当該地が競売に付された際の買入可能価格は9千万余り。また市の試算によると、PCBの除去に要する費用は1千2百万円弱である。選択の余地は他にはあり得ない。皮算用(コストパフォ-マンス=費用対効果)がお好きな上田市長の試算14億円に比べてもわずか14分の1に過ぎない。「イーハトーブ花巻応援寄付金」(ふるさと納税)が昨年同期比の3倍の18億円に達し、今年度は総額30億円の大台にのぼる見通しらしい。どうして、この人はそのほんの一部でもふるさと「イーハトーブ」のシンボルでもある花巻城址の復元に回そうとしないのか。ナゾが深まるばかりである。わけが分からん。

 

 「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)は高らかにこううたっている。「本市は、宮沢賢治や萬鉄五郎をはじめとした多くの先人を輩出しています。江戸時代の先人を顕彰した『鶴陰碑』に記された人々は自らの研鑽に精進し、学術文化はもとより、地域や産業の振興と発展、そして後継者の育成に努力を重ねてきました。花巻には歴史的に学びの風土があり、この精神は私たちの次の世代に受け継いでいかなければなりません」―。そう、その通り。まったく、異論はない。

 

 鶴陰碑には花巻のまちづくりに尽くした人士170人の足跡が記され、その中には花巻城の改修事業の指揮をとった上田市長の先祖の名前も録(ろく)されている。そして、賢治はその碑が建っていた旧東公園に寝ころびながら、こう詠んだ。「城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音まじり来(く)」―。あれから百年以上たった今、その背の下に猛毒が秘匿(ひとく)されているという悪夢…。こんな足元の歴史をさまよっているうちに、私は旧東公園こそが新花巻図書館の立地場所に最もふさわしいという結論に立ち至ったのだった。その思いはもはや、確信に近い気持ちにまで高まっている。かつて、新幹線の新花巻駅誘致の際、子どもたちは貯金箱ごとの寄付を寄せ、”市民力”が集めた募金は約12億円にも上った。「賢治」をまるごと収めた”イーハトーブ”図書館とでもなれば、世界中から善意が殺到すること請け合いであろう。

 

 それにしても、不思議な思考徘徊ではある。これも元をただせば、岡本さんの「コロナ」発言がきっかけだったような気がする。コロナの1年がもうすぐ、終わろうとしている。「私(たち)はなぜ、これほどまでにコロナに翻弄(ほんろう)されたのであろうか。いや、翻弄されなければならなかったのであろうか」―。こんな自問自答はおそらく、新しい年でも繰り返されるのであろう。

 

 月並みながら、みなさん、よいお年を―

 

 

 

(写真は新図書館の立地場所はここしかない、と私が確信する旧東公園のいま。建物は撤去され、コンクリ-トがむき出しのままになっている=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その7(完)…東公園と賢治

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その7(完)…東公園と賢治

 

 城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音まじり来(く)―。百年前、宮沢賢治はこんな短歌を詠んでいる。「不来方のお城のあとの草に寝て…」という啄木の有名な歌のオマージュ作品だと察しがつく。花巻と沿岸被災地とを結ぶ“メルヘン街道”の創設を提唱している岩手県立大学名誉教授で、ハ-ナムキヤ景観研究所所長の米地文夫さんは別の観点から、今回の新興跡地の売却問題に警鐘を鳴らした。
 

 賢治の代表作『銀河鉄道の夜』の中で、ジョバンニは天気輪の柱の丘で銀河鉄道に乗車する。この作品の初期形ではこの丘はまちの北側に位置しており、米地さんは「このモデルこそが花巻城址の旧東公園である可能性が強い。とすれば、この公園こそが銀河ステ-ションの始発駅だったことになる」と想像力を膨らませる。ずばり、旧東公園を舞台とした作品と考えられるのが次のような書き出しで始まる童話『四又(よまた)の百合』である。

 「『正?知(しやうへんち)はあしたの朝七時ごろヒ-ムキャの河をおわたりになってこの町に入(い)らっしゃるさうだ』。斯(か)う云(い)ふ語(ことば)がすきとほった風といっしょにハームキャの城の家々にしみわたりました」―。「ヒ-ムキャの河」は北上川、「ハ-ムキャの城」は花巻城を指していると米地さんは指摘し、こう解説した。「『虔十公園林』という童話に見られるように賢治は公園に強い関心を持っていた。花巻の東西に存在した二つの公園(東公園と西公園)こそがドリ-ムランドとしてのイ-ハト-ブ発想の核心だったのではないか」

 

 

 跡地の取得断念の報を受け、「花巻中央地区コミュニティ会議」の藤本純一会長と「花巻中央地区振興協議会」の上関泰司会長は3月定例議会に「花巻城址周辺景観保全条例」(仮称)の制定を求める請願書を提出し、こう訴えた。「県内主要自治体で『景観条例』がないのは当市だけ。花巻城址は中心市街地に隣接しており、今後のまちづくりにはその一帯の景観保全が欠かせない。また、隣接地には賢治の童話『黒ぶだう』の舞台となった菊池捍(まもる)邸や賢治の生家などもあり、『イ-ハト-ブはなまき』を象徴する空間として、重要な位置づけにある」

 

 請願に対する採決は3月18日開催の本会議で行われ、反対19人、賛成6人の大差で否決された。反対議員が全員、民間への跡地譲渡にもろ手を挙げて賛成した経緯を考えれば、この結末もけだし当然の成り行きではあった。不動産業者の手に渡った跡地の工場建屋の解体・整地工事は当初予定より十カ月近く遅れて平成二十八年初頭から始まった。十月末には工事が完了する予定になっている。かつて、鶴陰碑が建てられ、賢治文学の原点でもあった花巻城址(旧東公園)―。花巻市民はやがて、客寄せのための「軍艦マ-チ」を聞きことになるのだろうか。

 

 

 

(写真は往時の面影を伝える花巻城址の西御門(復元)=花巻市の鳥谷ヶ崎公園から)



 

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その6…平成の“落城”

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その6…平成の“落城”

 

 「この店舗建設(パチンコ店とホ-ムセンタ-)をまちづくりの活性化へ」―。歴史的にも由緒がある花巻城址(旧東公園)の“里帰り”に期待が高まる中、一方でそんな動きに背を向ける発言が議会内で目立つようになっていた。「平和」と「環境」をことさらのように強調する「平和環境社民クラブ」(社民党系)所属の議員は自らの議会報告「市政ニュ-ス」(2015年1月14日号)の中で「たとえば、パチンコ店でもまちの活性化につながり、さらに雇用の場も確保できる」とキャンペ-ンを張った。

 

 「相手方は上部平坦地(旧東公園)だけの部分売却には応じられないという態度を変えていない。かといって、跡地全体を取得するには財政面のネックがある」―。当局側は買い取り協議の期限が1週間後に迫った議員全員協議会(1月19日)で、跡地の全面取得の事実上の断念を表明した。

 

 「解体費用などに多額な費用がかかる。財政面からも市政課題には優先順位があり、具体的な計画がない段階での全面取得はやめるべきだ」…。他方、ほとんどの会派からは当局側を援護射撃する発言が相次いだ。これに対し、花巻クラブ(5人)と私は「歴史的にも由緒のある花巻城址を市民の公共財産として取得すべきではないか」と主張したが、しょせん多勢に無勢だった。「議会の意志には逆らえない」というのが当局側の言い分だった。わたしは「義援金流用」疑惑をめぐる当局側と議会側との“癒着”をふと、思い起こした。

 

 1月27日、新興製作所側と不動産業者側との間で「土地譲渡契約」が交わされ、約1か月間に及んだ攻防に幕が下ろされた。この日のうちに旧東公園部分の跡地が札幌市内に本社を持つパチンコ業者へ所有権が移転していたことが明るみに出た。典型的な“土地転がし”だった。

 

 花巻城址が最終的に“落城”の憂き目を見ることになったこの日は実は147年前、戊辰戦争の発端となった「鳥羽伏見の戦い」が始まった、ちょうどその日に当たっていることにハタと心付いた。東北一帯はこの日を境に「敗者の歴史」という悲運を書き連ねることになった。いままた目の前で、その歯車がまだ回り続けていたかのような歴史の符合に一瞬、たじろいでしまった。「花巻の文化を愛する市民の会」の秋山潔会長は激した口調で語った。「受難続きだった花巻城址にとって、今回の売却計画こそが究極の破壊につながる」

 

 

 

(写真は桜の名所として知られた旧東公園。芸妓さんたちを交えた花見の宴は欠かせない風物詩だった=『ふるさとの想い出 写真集(明治・大正・昭和)花巻』(図書刊行会)より。撮影年次不明)