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「小町さゆり」さんって、もしかしてコロナ禍の“救世主”!?

  • 「小町さゆり」さんって、もしかしてコロナ禍の“救世主”!?

 

 「10,269」という数字を見て、目が点になった。17日付当ブログ「“人生図書館”…『お探し物は図書室まで』」(青山美智子著)に対する翌18日1日だけのアクセス件数である。ブログを開設して10年以上になるが、こんなけた外れの数字はもちろん初めてである。パソコンのカウントミスではないかと思ったが、待てよ…。羊毛フェルトが趣味の主人公、司書の「小町さゆり」さんがさりげなく差し出す「想定外本」と本の付録と称するお手製の羊毛フェルト、そしてさゆりさんが仲介役となって、あちこちとつながる人間模様―ひょっとして、人と人の分断が広がるコロナ禍のいま、人々が一番求めていたその人こそが、“小町さゆり”という「人格」ではなかったのか。そう思うとストンときた。

 

 本書には様々な職種の男女5人が登場する。「さゆりさんって、どんな人?」―。以下、前掲ブログに登場した「正雄」を除いた4人の目に映った「さゆり」像や本のリスト、各人にプレゼントされ本の付録の数々を紹介したい。「縁(えにし)の妙」といったらいいのか、こんな人がそばにいたら、コロナも豪雪もつかの間、忘れることができそうな気がする。私自身の趣味で言えば、さゆりさんこそが「コロナ女神」ということになる。選書に関してはプロだから当然のこととして、ではなぜ羊毛フェルトなのか。さゆりさんは涼し気な顔でこうのたまう。

 

 「てきとう。カッコいい言い方をするなら、インスピレ-ション。それがあなたをどこかと通じさせることができたのなら、それはよかった。とても、よかったです」―。私が歩行器を押す86歳の入所者の老婦人にも羊毛フェルトを伝授しようっと。猫好きなばあちゃんはきっと、羊毛から猫を誕生させるはずである。

 

<朋香 21歳 婦人服販売員>

 

 「ものすごく…ものすごく、大きな女の人だった。太っているというより、大きいのだ。顎と首の境がなく色白で、ベ-ジュのエプロンの上にオフホワイトのざっくりしたカ-ディガンを着ている。その姿は穴で冬ごもりしている白熊を思わせた。ひっつめられた髪の頭の上には、ちょこんと小さなおだんご。そこにはかんざしが一本挿してあり、先には上品な白い花飾りの房が三本揺れていた」

 

・エクセル習得の相談に訪れた朋香に示された想定外は『ぐりとぐら』。付録はフライパンの形をした羊毛フェルト

 

<諒 35歳 家具メ-カ-経理部>

 

 「そこに座っていたのは、とてつもなく大きな女の人だった。はちきれそうな体の上に、顎のない頭が載っている。ベ-ジュのエプロンに、目の粗いアイボリ-のカ-ディガン。肌も白く服も白く、『ゴ-ストバスタ-ズ』に出てくるマシュマロンみたいだ」

 

・アンティ-クの雑貨店の開業を目指す諒が目を真ん丸にした想定外は『英国王立園芸協会とたのしむ 植物の不思議』。付録は毛糸玉みたいな猫。茶色い体に黒い縞(しま)。横たわって眠るキジトラ猫

 

<夏美 49歳 元雑誌編集者>

 

 「カウンタ-の中に、白くて大きな女の人がいた。年齢はよくわからないけど五十歳ぐらいか。特注なのか、海外のビッグサイズなのか、着ている白い長袖シャツはおそらくそのあたりで普通に売ってはいないだろう。アイボリ-のエプロンをかけ、ぱんと張った肌もシミひとつなく真っ白で、なんというかディズニ-アニメの『ベイマックス』みたいだった」

 

・絵本を求めていた夏美の目の前に現れた想定外は星占いの『月のとびら』。付録はころんと丸い、羊毛フェルト。青い球体に、緑色や黄色のまだらの模様がある。地球?

 

<浩弥 30歳 ニ-ト>

 

 「あらためて見ると、たしかに胸元に『小町さゆり』のネ-ムホルダ-があった。小町さんは一心不乱に手を動かしている。近づいてのぞきこむと、やはり、小さなぬいぐるみらしきものを作っているようだった。四角いスポンジの上で、丸めた毛玉に細い針をぐさぐさ刺し続けている」

 

・デザイナ-志望の浩弥が面食らった想定外は『進化の記録 ダ-ウィンたちの見た世界』。付録はグレ-のボディに白い翼。緑色の尾がおしゃれな小さな飛行機

 

 

<著者の正体>~青山美智子さん(51)って、どんな人!?

 

 千葉県育ちで愛知県出身。大学卒業後、オ-ストラリアへ渡る。シドニ-の日系新聞社で記者として2年勤務ののち、上京。雑誌編集者を経て執筆活動に入る。現在、神奈川県横浜市在住。夫・息子と3人暮らし。2017年年8月、単行本『木曜日にはココアを』(宝島社)で小説家デビュ-。同作品は、同年12月に第1回未来屋小説大賞受賞。収録作の第2章「きまじめな卵焼き」は、2018年年開成中学入試で国語の長文問題として出題された。小説家を目指したきっかけは、中学生のときに氷室冴子の『シンデレラ迷宮』を読んでから。主要作品に『猫のお告げは木の下で』、『ただいま神様当番』など(ウキペディア)

 

 

 

(写真はお子さんとくつろぐ素顔の青山さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

“人生図書館”…『お探し物は図書室まで』

  • “人生図書館”…『お探し物は図書室まで』

 

 「お探し物は、本ですか?仕事ですか?人生ですか?」―。こんなキャッチコピ-に引かれて、さっそく取り寄せたのがこの本…『お探し物は図書室まで』(青山美智子著)。昨年秋、有志と一緒に「新花巻図書館―まるごと市民会議」を立ち上げて以来、この種の関連本にはアンテナが敏感になっている。「人生に悩む人々が、ふとしたきっかけで訪れた町の小さな図書室。悩む人々の背中を、不愛想だけど聞き上手な司書さんが、思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で、後押しします。明日への活力が満ちていくハ-トウォ-ミング小説」という宣伝文に、ウンウンとうなづきながら一気に読み終えた。

 

 「朋香 21歳 婦人服販売員」、「諒 35歳 家具メ-カ-経理部」、「夏美 40歳 元雑誌編集者」、「浩弥 30歳 ニ-ト」、「正雄 65歳 定年退職」…多彩な人生模様がたとえば、コミハ(コミュニテイハウス)に隣接するちっぽけな図書室を舞台にあっちへこっちへと急転換する。その演出を司(つかさど)るのは羊毛フェルトが趣味の司書の「小町さゆり」さん。可愛らしい名前とは裏腹に大柄なさゆりさんは「正月に神社で飾られる巨大な鏡餅」(本文)のような体をレファランスコ-ナ-に沈め、つんつんと毛玉を針で刺し続けている。

 

 毎日が日曜日になってしまい、“熟年離婚”の危機も意識せざるを得ない正雄に対し、妻は「囲碁でも習ったら…」と若干の嫌味を込めてつぶやく。こんな過去を遠い昔に通過した私自身にも身に覚えのある“蜂の一刺し”である。おずおずとさゆりさんのもとを訪れた正雄は手渡されたセレクト本の一覧をみて、驚いた。『げんげと蛙』…、囲碁関連の数冊の本の最後にこんなタイトルの詩集がリストアップされているではないか。草野心平の作品だとは知っていたが、どうして定年退職者の私に!?そしてそっと、手渡されたのは何とカニの羊毛フェルト!?。一体、どうなってるの?作品を渉猟(しょうりょう)するうちに、正雄は「窓」と題するもうひとつの不思議な詩に遭遇する。ネタバレになるので、これ以上のたねあかしは控えるが、社会の内と外とを隔てる「窓」という存在を考えながら、正雄の想像力は際限なく、広がって行く。詩はこんな書き出しで始まる。

 

 

波はよせ
波はかへし
波は古びた石垣をなめ
陽の照らないこの入江に
波はよせ
波はかへし
下駄や藁屑(わらくず)や
油のすぢ

(詩集「絶景」より)

 

 「図書館だと、本が好きな人が探しに来るという話になってしまうなと思って。何か違う目的で訪れた人が成り行きで導かれて、たまたま本と出会えるのはいいなと思い、図書室という設定にしたんです」―。著者の青山さんはインタビュ-でこう語り、こんな風に続ける。「コロナで一番変わったのは、仕事のあり方だと私は思っています。安定した仕事なんてないとか、何かを失ったように見えても本当に大切なものをなくしたわけじゃないとか、コロナの中で私は感じました。逆に、どんな状況になっても、変わらないものもあって、それをもう一度見つめ直したい。変化して対応しなければならないこと、普遍的で変わらないこと、その二つを考えながら書きました」

 

 ベストセラ-作家として知られるス-ザン・オ-リアンの著書『炎の中の図書館―110万冊を焼いた大火』の中で、アフリカのセネガルでは誰かが亡くなると、「図書館が燃えた」と表現するということを教えられた。記憶とか背負わされた個の歴史とか…人間の全存在が「図書館」そのものだということなのかもしれない。だとするならば、わが老人コミュニティ-こそが「人生の交差点」―、つまり「人生図書館」そのものにふさわしいのではないか。コロナ禍で悩んでいる世迷い人たちよ、来たれ、わが“人生図書館”へ――。そこには人生の羅針盤や困ったときの“お守り”がいっぱい詰まっているはず…そう思うと少し、元気が出てきた。

 

 25年前の今日17日、阪神・淡路大震災が発生した。そして、約2ケ月後には東日本大震災(3・11)から丸10年を迎える。コロナ禍の陰に隠されるように、この二つの大災厄の記憶は忘却の彼方に葬り去られたかのようである。

 

 

 

(写真は人気沸騰の『お探し物は図書館まで』)


 
 

「老老」日記…老人コミュニティーと“自己責任”

  • 「老老」日記…老人コミュニティーと“自己責任”

 

 「花っこがあれば、やっぱりにぎやがだな」―。「きれいだな」という言葉を期待していた私は一瞬、拍子抜けしてしまった。窓の外では途切れることのない雪がしんしんと降り積み、目の前のテレビはコロナばかり。「憂鬱(ゆううつ)は花を忘れし病気なり」と詠んだ「植物学の父」・牧野富太郎の生地、高知県佐川町が“植物のまちづくり”を手がけている(1月8日付当ブログ「首長の“通信簿”の雲泥の差!?」参照)という事実に「そうか、こんな時こそ、花か」とハタと心づいたまでは良かったが…

 

 私が“Yばあちゃん”と呼ぶ86歳の老婦人の歩行器の介添えが日課みたいになっていたある日、「世の中なして、こんたに住みにぐぐなったんだべな…。おら一日中、独りぼっちだす」とポツリともらした。さっそく、スーパ-に走り、野菊の束を買ってきた。ぺたんと床に腰を下ろし花をそろえながら、ボソボソとつぶやいている。「なあ、にぎやがになったべ。色っぺもちょうどいいな。おらな、猫っ子も大好きだ。むがす、10匹以上飼っていだごどがある。子猫が死ぬたんびにお墓をつぐって、毎日手をあわせだもんだ。おらは猫に守られでいるがら、長生ぎしてるんだな」―。部屋に2種類の猫のカレンダ-がつるしてあった。方言使いの名手でもあるばあちゃんの“孤独”の底がすこし、見えたような気がした。

 

 「高齢者住宅 情報開示拡大/廃業増 退去迫られたケ-スも」―。こんな大見出しの記事が今月4日付「読売新聞」に載った。「高齢者住まい法」に基づいて2011年度に制度化された民間賃貸住宅「サ-ビス付き高齢者向け住宅」(サ高住)の苦境を伝える記事だった。「自立・自活」ができる“元気老人”を受け入れるのが原則だが、コロナの影響もあって定員不足から倒産や廃業に追い込まれるケ-スが後を絶たない。全国のサ高住で暮らす高齢者の約3割は要介護3以上が占めるというデ-タもある。私が入所している施設でも定員30人のうち、まだ3分の2が空室のまま。入所者の動揺はこんな末端にまで広がりつつある。

 

 とそんなある日、歩行器を押して食堂に向かおうとしたところ、「すみませんが、その介添えは職員の私たちに任せてください。何かあったら、困るんです…」―。前後して、施設側との懇談会があり、トップがこう言ってのけた。「自立・自活を建前とする施設である以上、施設側に明らかな過失が認められない限り、基本的には自己責任ということになる」―。あまりにも杓子定規な受け答えにビックリ。切って捨てるような、あの言葉が老人コミュニティ-の現場にまで浸透していることにゾッとした。

 

 昨年12月21日午前2時32分―、岩手県を震度5弱の地震が襲った。私はベッドから飛び起き、夜勤の男性と一緒に入所者の安否を確認して回った。我がばあちゃんはこの大き揺れにも気づかず、爆睡していた。さ~すが。幸い大事には至らなかったが、この期(ご)に及んでもなお「自己責任」を強弁する、その心性に正直怖気(おじけ)づいてしまったという次第である。「(サ高住が)“健康老人”だけでなく、要介護者の受け皿にならざる得ない状況を理解した上で、だからこそ施設側と入所者が互いに支え合っていくことこそが、このコロナ時代の新しいコミュニケ-ションの手法ではないのか」―。こんな私の訴えはいまのところ、施設側に届きそうな気配はない(1月4日付当ブログ「コロナ禍の老人コミュニティー」参照)

 

 「自己責任」を押しつけるというのであれば、やってみようじゃないか。私は耳の不自由な女性の入所者にお願いして、簡単な「手話講座」を開いたり、お年寄りたちを集めてトランプのババ抜きに興じるなどこの施設ならではの“新しい生活様式”を模索しようと考えている。ばあちゃんの介添え役を返上しようという気持ちはさらさらない。万が一の事態が発生したら、それは私自身の「自己責任」―それで結構じゃないか。「花っこあれば、やっぱりにぎやがだな」というその笑顔を施設全体に広げたいと願う。ちょっと、思考がアベコベになりつつあるばあちゃんが最近、「おめはわれの息子みでだな」とモゴモゴと口走った。当年とって80歳の“息子”だが、おふくろを見捨てるわけにはいくまい。

 

 利害を超えて、互いが支え合った「東日本大震災」(3・11)からもうすぐ、10年になる。コロナ禍の中で、あの「行ツテ」精神(宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」…「見て見ぬふりはできない」という”互助”の精神はどこかに消えてしまい、いままた分断と憎悪が日本中に渦巻いている。

 

 人類と感染症の歴史に詳しい長崎大熱帯医学研究所の山本太郎教授は「感染症と生きるには」と題するインタビュ-で、こう語っている。私はいま自身が身を置く足元の小宇宙にこそ、その萌芽があると信じている。「『3密避けろ』『大声で話すな』と、人との距離を保つことが求められますが、新たな近接性を模索していくことも必要だと思います。物理的な接触は減っても、共感を育める近接性のある社会です。そうした共感がヒト社会をつくってきたのですから」(1月15日付「朝日新聞」)

 

 

 

 

 

(写真は野菊をコップにいけるYばあちゃん=花巻市内のサ高住で)

第2回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

  • 第2回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第2回「図書館と私」オンライン講演会が今月24日に開かれる。講師は当会発起人のひとり絵本専門士の牧野幹さんで、演題は「本からのおくりもの」。15日発行の広報「はなまき」の伝言板でも告知する。多くの皆さまの参加をお待ちします。

 

 

「新花巻図書館―まるごと市民会議」設立趣意書

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イーハトーブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメージさえ描くことができませんでした。やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワークショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。     

2020年10月25日 

 呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)

「富太郎」の佐川と「賢治」の花巻…首長の“通信簿”の雲泥の差!?

  • 「富太郎」の佐川と「賢治」の花巻…首長の“通信簿”の雲泥の差!?

 

 「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎を生んだ高知県佐川町と、世界的な童話作家で詩人でもある宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブ」…天と地とをひっくり返したような光景の逆転に正直、目ん玉が飛び出るような思いになった。首長の政治姿勢(理念)次第で、まちの姿がこうも違ってしまうものなのか―。さ~て、今回の登場人物は堀見和道・佐川町長と片やわが上田東一・花巻市長である。ともに最高学府(東大)を卒業後、民間企業を経て首長になった。堀見町長は平成25(2013)年10月に初当選し、上田市長はそのわずか4ケ月後に市長に就任。現在2期目の両首長の“通信簿”をこっそり、のぞいてみると…。

 

 上田市長が国の優遇制度が得られやすい「立地適正化計画」に市政運営の基盤を据えたのに対し、堀見町長は「市民参加」型のまちづくりを目指しているのが特徴。市街地活性化や定住促進に力点を置く上田市政は昨年、住宅付き「図書館」の駅前立地という構想を打ち出し、大方の市民の反対にあって、撤回の止むなきに至った。これに対し、堀見町政を象徴するのが「みんなでつくる総合計画」(第5次佐川町総合計画、2016年策定)。巻末には計画づくりに参加した353人の発言が並んでいる。「自分が発言したひと言が、全体の計画のなかに具体的に載っていると、その発言をした人はうれしいですよね。一つひとつを実践するときには、発言した人は必ず参加してくれます」―。こう語る堀見町長は就任と同時に「衆人環視」の下で仕事がしたいと、執務机を役場1階のオ-プンスペ-スに置いている。

 

 「新花巻図書館―まるごと市民会議」が今回、定期購読を始めた図書館専門季刊誌「LRG」(ライブラリ-・リソ-ス・ガイド)の最新号(2020年秋号=第33号)は「みんなにとっての図書館」をテ-マにした特集。そのひとつに「『みんなでつくる総合計画』の実践から」と題する堀見町長へのインタビュ-記事が掲載されている。この計画は2016年度のグッドデザイン賞(公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞。その理由について、こう述べている。

 

 「地方自治体が長期的なまちづくりの方針や将来像、その実現の手段などを総合的、体系的に示す『総合計画』は、10年間のまちづくりの大事な指針であるにもかからず、どの地域も似た内容のものが多く、その地域に住まう住民や、行政職員に、積極的には読まれない、活用されないという課題がありました。平成26年度より、高知県佐川町では『みんなでつくる総合計画』プロジェクトと称し、町長、役場職員、地域住民が手を取り合って、町の魅力を再発掘し、10年後の佐川町について議論を重ね、みんなが一丸となって誇りに思える総合計画づくりに取り組んできました。住民一人ひとり、『みんなが主役』の新しいまちづくりプロジェクトです」―

 

 一方、堀見町長はコロナ禍での将来のまちづくりについて、上掲対談の中でこんな抱負を語っている。「これから、いちばん実現したいことは、『植物のまち佐川』を、ウィズコロナやポストコロナ時代のまちづくりの一つのモデルとして、世界へ発信したいと思っています。牧野博士は、植物を育てることで思いやりの心を育むことができると教えてくれていますし、『憂欝(ゆううつ)は花を忘れし病気なり』という素敵な句を詠んでいます。花を愛で、思いやりあふれるまちであることを、子どもから大人までみんなが誇りに思って自慢し合えるような、そんなまちにしたいと思っています。それが、大きな夢ですね。そうなったら、世界一幸せなまちになると思っています」―

 

 「市民パワーをひとつに歴史と文化で拓(ひら)く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/ イーハトーブはなまき」―。上田”強権”(パワハラ)市政の下で、このまちの将来都市像が泣いている。

 

 

インタビュ-記事には“目からうろこ”の堀見語録が満載。以下にそのいくつかを紹介したい。“通信簿”の評定は市職員や市民の皆さんにお任せすることに…

 

 

●選挙のときに掲げたスロ-ガンは、「みんなで創造(つく)ろう!チ-ムさかわ」でした。でも、「みんなで総合計画をつくる」というだけでは、得票にはつながらないですよね。一般的には、「〇〇を無料にします」というような直接的な言葉のほうが票を集められると言われています。そういった公約にもよいものもあると思いますが、本質的な改革にはならないと思ったので…

 

●「みんなで」と言うときに、とても気をつけていることがあります。意識しているのは、「こうしなければならない」とか「こうすべきだ」という言葉を使わないことです。総合計画のなかで25のアクションを挙げていますが、それは「どれか一つでもやってみませんか」というメッセ-ジなのです。トップダウンだと、仕事もやらされる感が強く、面白くなくなってしまいます。

 

●佐川町だけではないと思うのですが、行政は計画をつくることが目的になってしまっている場合が多いです。「計画ができました」「概要を配りました」で一段落してしまうのです。帰ってくるまえに佐川町の第4次総合計画も読んだのですが、計画の内容はすごくよいなと思いました。特に、「フアシリテ-タ-を育てていく」と具体的なことが書いてあり、なかなか前向きだと感じました。でも「フアシリテ-タ-は何人いるの?」と聞くと、「いや、やれていません」と答えが返ってくる。

 

●(「チ-ムさかわ」に)職員は、最初はとまどったと思います。できるだけ横断的に関わってほしかったので、仕事も増えました。チ-ム力を高めるために、最初の頃に2回合宿をしました。考えをまとめるときやアイデアを深めていくときには、結東力を高めるためにも1泊2日の合宿をするのがよいのです。職員に対しては、できるだけ怒らない、命令をしない、上からやれと言わないことを意識しています。職員は税金で給与をもらっているわけですから、町民のために公のために働くことがベ-スになければなりませんので、そうしたことを、ときには厳しく伝えながら、できるだけ職員とベクトルを合わせるように配慮しながらやっているつもりです。

 

 

●(「地域しあわせ風土スコア」というアイデア政策について)私は、町長や役所は、一生懸命仕事をしてマネジメントを続けていくことで、より町民が幸せになることだと思っているのですが、10年前よりも幸せになったかどうかは測りにくいと思っていました。お金とか名誉とかではなく、心の幸せとして「ほっとする」「あなたらしく」「なんとかなる」「ありがとう」「やってみよう」という5つの気持ちと、それを後押しする価値観や土壌があるかで地域の人の幸せを測るという考えは、すごく画期的なことだったと思っています。

 

 

 

(写真は牧野博士から贈られたソメイヨシノが咲き誇る「牧野公園」。日本の桜名所100選のひとつ。同じ“花”巻も負けてはいられない=高知県佐川町で。インタ-ネット上に公開の写真から)