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市長らの説明責任を…オンライン会議最終回、ああああ”末人”どもよ!?

  • 市長らの説明責任を…オンライン会議最終回、ああああ”末人”どもよ!?

 

 「市長ら政策立案の最終責任者も参加して、市民の疑問に耳を傾けるべきではないか」―。新花巻図書館に関し、市民と意見交換をするオンライン会議の最終回(全3回)が6日午前10時から正午すぎまで行われた。前回より3人多い14人が参加したが、上田東一市長ら行政トップの参加を求める意見が相次いだ。図書館問題を集中的に協議する場として、1年前に「新花巻図書館整備推進プロジェクトチ-ム」が発足。藤原忠雅、長井謙の両副市長がチ-ムを率いるマネ-ジャ-に就任した。この間、WS(ワ-クショップ)や各種団体との協議や意見集約が断続的に開かれてきたが、上田市長はおろか、両副市長の姿をついぞ見かけることはなかった。

 

 「土台、その組織の実態さえ見えてこない。トップの考えを聞きたい」と参加者のひとりが口火を切った。もうひとりが「今日で最後になる会議には事前に両副市長の出席も要請した。なのに…。欠席の理由を明らかにしてほしい」と語気鋭く迫った。この発言を引き取る形で私は「市長と両副市長のトップ3が顔をそろえた会議を別途、企画すべきだ。これで幕引というのであれば、これほど市民を馬鹿にした話はない」と要望。市川清志・生涯学習部長は「要望として…」と蚊の鳴くような声で、ボソボソ答えた。

 

 「”上田風”がビュンビュン、吹き荒れる中では大変難しいことだとは思うけれども、生涯学習部の現場職員に頑張ってもらうしかない。上からの風当たりも強いとは思うが、市民と肩を並べた啓発活動に期待したい」―。別の参加者がこう訴え、トップダウンの政策決定に厳しい注文を付けた。これに関連し、私は花巻城址の「東公園」(新興製作所跡地)に新図書館を立地してはどうかという“自説”を述べた。上田“ワンマン”市政を象徴する事例だと思ったからである(2020年12月28日付当ブログ参照)

 

 「本市は、宮沢賢治や萬鉄五郎をはじめとした多くの先人を輩出しています。江戸時代の先人を顕彰した『鶴陰碑』に記された人々は自らの研鑽に精進し、学術文化はもとより、地域や産業の振興と発展、そして後継者の育成に努力を重ねてきました。花巻には歴史的に学びの風土があり、この精神は私たちの次の世代に受け継いでいかなければなりません」―。市当局が新図書館づくりの理念と位置付ける「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)にはこう謳われている。かつて、この鶴陰碑が建っていた場所こそが「東公園」であり、賢治作品の舞台のひとつでもあった。考えて見れば、花巻文化の発祥の地ともいえるこの場所こそが「新花巻図書館」立地の最適地ではないのかというのが私のかねてからの考えだった。

 

 この日の会議でも市川部長はこの「鶴陰」精神の大切さを強調したが、実は昨年末に東公園の地下部分に新興製作所が触媒(断熱)に使っていた猛毒のPCB(ポリ塩化ビフェニ-ル)が不法に放置されていることが明らかになった。あのカネミ油症事件の原因物資である。複雑な紆余曲折を経て現在に至っているが、当初、当該地が売却されることになった際、わずか100万円で市当局が取得するチャンスがあった。しかし、上田市長は「売値は確かに安いが、その後の建物撤去や整地などに莫大な費用がかかる。将来の利用目的もない」と取得を拒否。その後、悪質な不動産業者の手に落ち、関係者の間で裁判沙汰が起きるなどゴタゴタが続いた結果、「兵(つわもの)どもが夢の跡」の残骸をさらけ出しているのは衆目の知るところである。

 

 一時は適法に保管され、監督官庁の県や市の監視下にあったPCBが昨年末、突然、現在地に秘かに移されたことから、状況は一変した。不動産業者の所在もつかめなくなり、放置場所の確認もできないままの不法状態が続いている。市民の安心・安全の確保こそが首長の使命だとするなら、その除去をこそ急ぐべきではないか。私はこうした観点に立って持論を展開した。「このままの状態が続き、万が一の事態が発生した場合には市当局の責任が問われることになる。当該地を一刻も早く市有地化してPCBを取り除き、将来の有効利用については広く市民の意見を募ったらどうか。鶴陰碑があったという由緒ある城跡こそが新図書館にふさわしい。なによりもお城ならでは眺望がすばらしい」

 

 この一件について、上田市長は先手を打つ形でこう答弁している。”人命”よりも費用対効果(つまりは金目)を優先させる、この人ならではの政治姿勢が面目躍如である。「当該PCBは容器に密閉された状態になっており、カネミとは状況が違う。市民に直接被害が及ぶことは考えにくい。当該地を改めて取得し、利活用するためにはざっと14億円以上の経費が見込まれる。“安物買い”(100万円)に手を出さなかった当初の判断はいまも間違っていないと考えている」(昨年の花巻市議会12月定例会)―。この日のオンライン会議で私が改めてこの点をただしたのに対し、市川部長は「私の管轄ではないが、PCBは法律にのっとって、きちんと保管されているはずだ」と“不法放置”の実態さえ知らなかった。トップダウンに加えて見事なまでの“縦割り行政”…。こんなことじゃ、行政が機能するはずは最初からないわけだ―と妙に合点したのだった。

 

 ツァラトゥストラ(ニーチェ)がいう”末人”(まつじん=ラストマン)とは、イーハトーブ(賢治が夢見た理想郷)に巣食う我がまちのトップ3を指すのではないか。つまりはその者たちの”末路”を―ー

 

 

 

 

(写真はオンライン会議で示されたパワ―ポイントの資料。立地候補地のひとつとして、「東公園」もリストアップされている=2月6日午前、自室のパソコン画面から)

 

 

 

 

《追記》~カネミ油症、次世代への影響調査へ

 

 当ブログをアップする2日前のNHK「時論公論」で、表題の放映があった。若干長めの解説だが、上田市長の目を覆うばかりの危機意識(リスク管理)の欠落ぶりを再認識する意味で、以下に全文(図表は除く)を転載する。

 

 

 

 1968年、食用の米ぬか油に有害な化学物質が混入し、およそ1万4千人もの人が健康被害を訴えたとされる「カネミ油症」。国内最大規模の食品公害とも言われます。先週土曜、国は被害者の子供の世代への影響を調査する方針を示しました。カネミ油症を引き起こしたそもそもの原因は、PCB・ポリ塩化ビフェニルという人工の化学物質。無色透明の液体です。熱に強く電気を通しにくい性質などから、かつては電気設備の絶縁用の油や塗料・インクの溶剤など世界で広く使われ、国内でも5万トン以上使用されました。
 

 ところが1968年、北九州市の企業が製造した食用の米ぬか油を口にしていた人たちに激しい皮膚炎などの健康被害が多発。この米ぬか油の製造設備で使われていたPCBが加熱されて、さらに毒性の強いダイオキシン類も発生し、これらが米ぬか油に混入してしまったとされています。1972年にPCBの製造は中止されましたが、PCBを含む廃棄物の処理は有害物質の焼却処分に各地で反対運動が起きたことなどから遅れ、全国の事業所などに残されてきました。2000年代になってようやく国が全額出資した無害化処理の施設などが作られ、その処理は現在も続いています。

 

 終わっていないのは、それだけではありません。さらに深刻なのが、今も様々な健康被害に苦しんでいる人たちがいることです。発生当時、患者の全身に黒い吹き出物などの皮膚症状が現れたり、いわゆる「黒い赤ちゃん」が生まれたことなどが社会に衝撃を与えました。健康被害は全身の倦怠感や痛み、鼻血、せきやたん、手足のしびれ、月経異常など多岐にわたります。
 

 なぜこれほど様々な症状が出るのか?九州大学などの研究で、体内のAhRという受容体にPCBから生じたダイオキシン類が結びつくことで、有害な活性酸素などが過剰に作られ、それが全身の組織を傷害するメカニズムがわかってきました。すぐに現れる症状だけで無く、がんや動脈硬化のリスクが高いことも報告されています。カネミ油症の治療法は今も確立されていません。被害者は半世紀が過ぎた今も、様々な病気で苦しんでいるのです。

 

 しかし、米ぬか油を製造した会社が資金力の乏しい中小企業であったことなどから、患者への補償や救済はなかなか進みませんでした。ようやく2012年に救済のための法律ができ、国が認定患者に毎年「健康実態調査」を行って支援金として一定額を支払うなどの形になっていますが、これで十分なものと言えるか依然議論があります。また、健康被害を届け出た人はおよそ1万4千人ともされるのに対し、制度の対象となった認定患者は、既に亡くなった人を含め累計で2350人に留まります。

 こうした中で先週土曜、国と原因企業、患者の三者による協議の場で、米ぬか油を摂取した本人だけでなく、後に生まれた子供世代への健康影響はどうなのかを今後、国が研究費を出す、全国油症治療研究班が調査する方針が示されました。次世代にしぼった調査が行われるのは、はじめてのことです。
 

 カネミ油症の被害者は、汚染された米ぬか油を直接摂取した人や摂取した女性のお腹に当時いた胎児だけでなく、もっと後に生まれた現在40歳代以下の子供世代にも健康影響が出るケースがあるとされています。原因としては、母親の体内に残った化学物質が母乳や胎盤を通じて影響した可能性などが考えられますが、まだはっきりわかっていません。
 

 現在の認定患者の基準は、主に「この米ぬか油を摂取した」「特徴的な症状がある」 「血中のダイオキシン類など化学物質の濃度が高い」などがあります。しかし、油症発生から何年も後に生まれた子供世代では、症状は重くても血中濃度は親世代と比べ低い場合が多く、認定されている人は50人ほどに留まります。これに対し去年、被害者の支援団体がアンケートを行ったところ、認定されていない次世代の人たちにも様々な健康影響が出ていることがうかがわれました。これが今回、国が研究班による調査へと踏み出すきっかけの1つとなったのです。

 

 それにしても、なぜ発生から半世紀以上、次世代への影響調査はきちんと行われてこなかったのでしょう?本人世代の救済制度さえ近年になってようやく出来たということに加え、ひとつには被害者が多くの差別や偏見を受けてきたことがあります。急な体調悪化で休まざるを得ないことに理解が得られず仕事につけなかったり、女性が子供を産むことを否定するような言葉をかけられたり、親がカネミ油症だとわかった途端、親しかった友人とのつきあいが途絶えたという人もいます。こうしたことから、自分がカネミ油症であることを子供にも話せないでいる人が少なくありません。そのため次世代への影響を調べるのが困難な面もあったのです。
 

 今後の調査で、未解明のカネミ油症の次世代影響のメカニズムが解明され、多くの人の救済につながるためにも、最初のハードルは差別や偏見を恐れる被害者や子供世代の人たちから調査への同意や協力をどれだけ得られるか、になるでしょう。課題は他にもあります。
 

 被害者が望んでいるのは、一刻も早い次世代も含めた救済です。発生から半世紀以上が過ぎ、被害者は高齢化が進み亡くなった人も多く、既に孫世代もいます。現在の認定基準で重視される1つが血液中のダイオキシン類などの濃度ですが、血中濃度が低くても深刻な症状を抱える人もいます。長崎県に住む認定患者・下田順子さんの娘の恵さんも、皮膚症状や頭痛、鼻血、せき、倦怠感など母親と同じ症状が幼少期からあり生活に支障がありますが、血中濃度が低く、認定されないと言います。
 

 恵さんは次世代調査を通して、一律の血中濃度ではなく症状を重視して認定されるよう、認定基準の見直しにつながることを期待しています。たしかに、直接は有害な油を摂取しておらず血中濃度が低い人の症状をカネミ油症かどうか見極めるのは容易なことではないでしょう。しかし、時間は限られています。深刻な健康被害を受けたにも関わらず取り残される人がないよう、国は取り組みを加速してもらいたいと思います。

 

 そして、「患者への差別や偏見」が被害者をさらに苦しめ対策の足かせにもなる、これはカネミ油症だけで無く、現在の新型コロナウイルスでも起きている問題です。病気になった人は決して非難されるべき存在では無く、私たち誰もが同じ立場になりうるのだという認識が共有されることが、解決には欠かせないでしょう。発生から半世紀以上経つカネミ油症の問題は、あらためてそのことを問うているように思います。(土屋 敏之 解説委員)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上田“パワハラ”市長、今度は議会ジャックか!?

  • 上田“パワハラ”市長、今度は議会ジャックか!?

 

 「この人は今度は議会を乗っ取るつもりではないのか」―。2月2日開催の花巻市議会臨時会の中継を見ながら、本気でそんな気がした。「開催前」報告なるコロナ対策の長口舌がやっと終わったのは約40分後。この間、議会の正式な開会は待ったをかけられた格好。ハッと目が覚めた。上田(東一)強権支配の軍門に下った感のある役所に続いて、目の前では“議会ジャック”の茶番が進行しつつあった。議員在職時代の苦い経験を思い出した。一般質問の持ち時間(60分)の大半を答弁に費やすこの人に対し、「もう少し簡潔に答弁できないのか。一問一答こそが議員の使命。これは単なる時間稼ぎで、質問権の侵害に当たる」と何度、抗議したことだったことか。

 

 ひょっとしたら、この人は神聖な議場の場をあと一年を切った市長選の“事前運動”に利用しているのではないか。コロナに関する報告は喫緊の重要課題にはちがいないが、であるなら自分の執務室から直接、市民に呼びかけたらどうなのか。それにしても「40分」とは長すぎやしないか…。こんな意地悪な考えが去来した。小原雅道議長にてんまつを聞いたら、こんな返事が返ってきた。「開催前報告はコロナ禍をきっかけに設けられた。以前には一時間を超える報告もあった。議場という場所をわきまえて、できるだけ短くするように要求しているのだが…」

 

 1カ月ほど前の1月6日、バイデン米大統領の就任を正式に決定するために開かれた連邦議会議事堂をトランプ支持者が襲撃するという前代未聞の事件が起きた。フランク・シナトラが主演した映画「影なき狙撃者」(1962年、米国映画)は大統領候補者までも標的にした政治サスペンスである。皮肉屋の作家、辺見庸さんは今回の襲撃事件にこの映画を重ねて、自らのブログにこう記していた。「おそらく銃声は聞こえない。突如、演説者の額が撃ち抜かれる。崩れ落ちる演説者。ブレ-キング・ニュ-ス!狙撃シ-ンが世界をかけめぐる。米国社会にくぐもるルサンチマンと野蛮、暴力衝動が新しい暴発を誘発する。なんどでも」(1月21日付「米大統領就任式の虚妄」)

 

 

 議会中継に目を移す。ゴマすりみたいな質問が何件か続き、臨時会は一般会計補正予算の専決処分を「異議なし」で可決し、正午前には幕を下ろした。「もう少し簡潔に話してほしい」というヤジひとつ聞こえてこない。言葉の”銃撃戦”に発展する気配は最後までなかった。上田“パワハラ”市長による、“議会ジャック”はこうして成功裏に終わったのだった。連邦議会襲撃の方がよっぽど刺激がある。辺見さんはこうも書いている。「現実が想像を圧倒する。人はそれを望まずに望んでいる。言葉はどこまでも乖離してゆく」―。現実も想像も、そして言葉さえも「死に体」のイーハトーブ議会に対し、私たち市民が望む期待はもはや露ほどもない。上田ワンマンのにやけ顔が目に浮かぶ。

 

 

 

(写真は佞臣(ねいしん=主君にこびへつらう家来)たちを従え、答弁にいそしむ上田市長。議員たちは黙って聞き入っている=ある日の花巻市議会議場の光景)



 

今回も「たったの11人」…でも、議論は白熱!?

  • 今回も「たったの11人」…でも、議論は白熱!?

 

 新花巻図書館に関する、オンラインによる2回目の「市民との意見交換会」が31日午前10時から約2時間にわたって開かれた。ところが、参加者は前回と同じ11人。うち初めての参加はわずか4人で、私を含めた7人が同じ顔ぶれだった。前回と同様、市川清志・生涯学習部長の経過説明の後、質疑や意見交換が行われたが、図書館の「そもそも」論に議論が集中し、これまでにない白熱した展開になった。

 

 「誰がどのような方法で蔵書の選定をしているのか」―。昨年夏にふるさとの東和町にUタ-ンしたという男性が口火を切り、「地元の東和図書館に数学やコンピュ-タ-関連の本は何冊あるのか」とただした。「司書が選定基準に従って…」と口ごもる市川部長をさえぎるようにして男性は言った。「私が調べた結果、約7万冊の蔵書のうち、数学関連は42冊、コンピュ-タ-関連に至ってはゼロ。図書館は建物などのハ-ド面よりもこうした中身こそが大切。当市の構想にはその辺がすっぽりと抜け落ちている」…この発言をきっかけに議論は上田(東一)市政のあり方にも及んだ。

 

 「(上田)市長はどうも部下を信じていないように見える。部長レベルの権限を飛び越え、トップダウンが横行している。ということは、市民も信用していないということにもつながる。この方はそもそも図書館問題を口にする見識さえ持ち合わせていないと言わざるを得ない。市長がお題目みたいに唱える『立地適正化計画』から図書館構想を除外し、すべてを白紙に戻して、出直すべきではないか。プロジェクトチームに名を連ねる二人の副市長の姿かたちは見たことさえない」―。辛口の市政批判を受けて、私は最後にこう発言した。

 

 「今日の議論を聞き、遠い道のりだったとは思うがやっと、本当の意味での“図書館”論議のスタ-ト台に立ったような気がする。まさか、わずか10人余りの市民参加をもって、市民全体の意見集約ができたという既成事実化はあるまいし、あってはならない。今回のオンライン会議の反省点も踏まえ、若い世代や子育て世代が集まる場所などに直接出向いて、耳を傾けるなど今後とも幅広い市民の意見を集めるべきだ。その意味で『1月31日』というこの日を“図書館元年”の節目として、記憶にとどめたい」

 

 

 

(写真は時の人-市川部長も時折、苦渋の表情を見せた=1月31日午前、自室のパソコン画面から)

 

 

 

《追記》~牧野講演会の動画を公開

 

 1月24日に開催した「新花巻図書館ーまるごと市民会議」主催の第2回「図書館と私」シリーズのオンライン講演が機器の不具合から一部音声が乱れたことを改めてお詫び申し上げます。再収録した動画を「まるごと市民会議」のフェイスブック上で公開中です。講師は当会発起人のひとりで、絵本専門士の牧野幹さん。多くの人の視聴をお待ちしております。

たったの11人…オンライン「新図書館意見交換会」

  • たったの11人…オンライン「新図書館意見交換会」

 

 「このテレワ-ク時代にたったの11人とは!?」―。コロナ禍で延期になっていた新花巻図書館に関する市民との意見交換会がオンライン形式で28日から始まった。ところが、午後6時半からのこの日の会議への参加者はわずか11人。しかも、WC(ワ-クショップ)などで顔なじみの“常連”がほとんどで、百年の計とも言われる「未来の図書館」への無関心ぶりが浮き彫りになった。意見交換会はこの後、31日(日)と2月6日(土)の2回予定されており、多くの人の参加が待たれる(いずれも午前10時から正午まで)

 

 市川清志・生涯学習部長の経過説明の後の質疑応答で、私は住宅付き図書館の駅前立地という市側の構想について、「場所の論議は残されているが、住宅付きという条件は白紙撤回されたという認識で良いのか」と念を押したのに対し、市川部長は「その通りだ」と答えた。その上に立って、私は①WSでのアンケ-ト調査でも「住宅付き」に賛成する人はひとりもいなかった。図書館のようなビッグプロジェクトを政策立案する際、最も重視されなければならないのが市民感覚。市民に一番近い現場職員が市民目線に鈍感ではなかったか、②この構想が打ち出された昨年はコロナ禍に振りまわされた1年だった。その中で、中心市街地活性化や定住促進などまちなかの「賑わい」創出に主眼を置いた当該構想自体が変更を迫られたのではないか。そうした観点からの議論は部内でなされたのか―などについてただした。(「上田」(東一市長)強権支配(=つまりはパワハラ)に屈したのか、と聞きたかったのが本音だったのだが、何となく第一線の苦渋を思いぱかって、言葉を飲み込んだ)

 

 これに対し、市川部長は言葉を選びながら、こう答えた。「市民の感覚を予想できなかったという指摘は謙虚に受け止めたい。ただ、当時は人口減少問題が喫緊の中で、賑わい創出も将来のまちづくりを考えるうえで避けては通ることのできない課題だった。しかし、現下のコロナ禍の中では従来の図書館のあり方が再検討を迫られているのも事実。今後の計画づくりではデジタル化の模索などを積極的に進めていきたい」―。

 

 それにしても、地球規模でのアクセスが可能な文明の利器を手に入れたにしては「11人」とは余りにも少な過ぎはしないか。私にとってのこの日の最大の謎は実は、この数字であった。コロナ神の”悪だくみ”なのか、この世の民人は上から下まで右から左まで、みんな催眠術にでもかかったみたいに「思考停止」に陥っているんじゃないのかなぁ。いや~、他人ごとじゃなくって……

 

 

 

(写真は質疑応答に臨んだ市川部長。パソコンの右端には11人の参加者の名前が淋しく並んでいた=1月28日午後8時ごろ、自室のパソコン画面から)

 

第2回「図書館と私」オンライン講演会…不具合をお詫び

  • 第2回「図書館と私」オンライン講演会…不具合をお詫び

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第2回「図書館と私」オンライン講演会が24日開かれ、当会発起人のひとりで、絵本専門士の牧野幹さん(66)が「本からのおくりもの」と題して豊富な読書体験や読み聞かせの実践を通じた“図書館論”を披露した。

 

 ところが…。「幼少時、『青い鳥』(メ-テルリンク)や『8人のいとこ』(オルコット)などに夢中になり、想像と妄想の世界をさまよい歩いた。最初に本屋で買った本は全5巻の『少年少女のための次郎物語』。あの時の感動は」―と順調に滑り出した講演の音声が約10分後に突然、聞こえなくなるというアクシデントに見舞われた。その後、修復を試みたが、最後まで音声が乱れてしまった。思わぬ形で文明の利器の危うさを思い知らされた。オンライン参加ややサテライト会場「賢治の広場」に集まっていただいた30数人の皆さまに今回の不具合をお詫びします。

 

 牧野さんは花巻市生まれ。岩手大学教育学部を卒業後、県内の小学校に勤務。退職後、平成27年に読書推進団体「こども広場・マグノリア」を設立。翌年、絵本専門士として認定された。現在、県内を中心に子どもから高齢者まで幅広い年代を対象に読み聞かせや絵本の紹介する一方、「賢治の広場」を中心に賢治作品を織り込んだおはなし会を3カ月ごとに開催している。こうした「読書人生」の後半部分を十分にお伝えできなかったため、講演内容を別の形で告知したいと考えます。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます(文責:「まるごと市民会議」事務局長、増子義久)

 

 「禍福は糾(あざな)える縄の如し」―。ズルシャモ(ずる賢い私のこと)はこんな時、実はこの言葉を反芻し、一切反省しないことにしている。逆にコロナの“正体”を知る良い機会になったかも……。人間界をこれほどまでに翻弄するGOD(神)とは!?

 

 

 

(写真はオンラインで講演する牧野さん。ぐいぐいと引き込まれて行ったのだったが…=パソコンの画面から)