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「パワハラ」問題が、ふたたび市議会一般質問で俎上に…「沈黙は金なり」&「口は災いの元なり」!?

  • 「パワハラ」問題が、ふたたび市議会一般質問で俎上に…「沈黙は金なり」&「口は災いの元なり」!?

 

 「メンタル疾患が原因とされる休職者が急増している。市役所内のパワハラの実態はどうなっているのか」―。開会中の花巻市議会3月定例会の一般質問で3日、若柳良明議員(平和環境社民クラブ)がその実態や職場復帰者の状況、防止策などについて、ただした。上田東一市長は答弁の中で、「過去10年間で延べ64人(実数43人)がメンタル面の疾患で休職しており、令和2年度は2月末現在で12人と過去最高になっている。しかし、仕事の悩みや職場環境など複数の要因が考えられ、パワハラが直接の原因だと断定することは難しい」と説明した。

 

 若柳議員は1年前の3月定例会でもほぼ同じ趣旨の質問をした。当時、私の手元には上田市長自身の「パワハラ」問題を追及する“怪文書”や匿名のメ-ルなどが相次いで寄せられた。あれから1年がたつというのに、同議員はパワハラの筆頭格とも言える上田市長に対し、「何かあなた自身に身に覚えはないか」と矛先を向けることはなく、通りいっぺんの質問に終わった。上田市長が他人風情の涼しげな顔で答弁を締めくくったのは言うまでもない。議員の資質低下と“パワハラ”市長の面目だけが躍如した猿芝居をまた、見せつけられてしまった。

 

 1年前の“怪文書”について、私は当時複数の市職員やOBに内容の信憑生(しんぴょうせい)を確認したうえで、その要旨(原文のまま)を当ブログに掲載した。現場からの悲痛な訴えは「SOS」発信そのものだった。「喉元過ぎて、熱さを忘れる」という落とし穴はまらないため、以下に再録する。

 

 

 

(SOS)~その1

 

 このまま花巻市政が停滞するのは見過ごすことはできませんでしたので、現状について、上司や先輩方から聞いたこと、同僚と話したことをまとめて、報告いたします。極力自分の気持ちを抑え、客観的な事実に基づいたものとしておりますが、お知り合いの職員に確認していただけば間違いがないことを確認できるかと思います。また、職員の気持ちが暗くなっており、多くの職員が市役所や、市政の未来を不安視しています。さらに多忙による残業が多くなっており、私の周りでも体調不良を起こしたり、帰りが遅いことが家族関係が悪化の一因なったり、交通事故が発生しています。

 

《パワハラ》~単なる気分屋か

 

 その日の気分によることが大きいかもしれませんが、職員への理不尽で度を越した叱責が多く、市職員は疲弊しております。市長は「(公務員は)うそをつく」「ごまかす」「何もしない」等の理由から信用できないと公言しており、その考えが根底にあることから、様々な場面で、例えば市政懇談会で市民の方がいる前で部長を叱責したり、議会においても職員の遅滞が原因で、業務が進捗しないと答弁します。「使えね―」「うそをつくな」「ごまかすな」「市職員にまともなのはいねえな」などなど。朝早く市長決済のため出勤し、または総合支所から出向いて待っていても、そんな苦労はわからないから、(説明を聞かず)数秒で「見直してまた来い」と怒鳴り、追い返します。

 

 花巻市は新聞に掲載されるような不祥事が多いですが、市役所全体が、風通しのいい職場ではないので、不祥事を隠ぺいする体質に変わってきているように感じます。パワハラする人は、自分がパワハラしていることがわからないという、典型的な方です。おかげさまでパワハラによる休職者が増えており、また、将来の部課長になるべき逸材が、早期退職しています。多くの職員は、自分の身を守るために、市長室に行く場合は、ICレコ-ダ-で録音しています。

 

《朝令暮改状態》~物忘れか?

 

 事業がうまくいけば、「俺の言ったとおりだろ」と言い、うまくいかなければ、「なんで説明しないのか(説明はしたのに)」、「俺の言ったとおりにやれ(言ったとおりにしたのに)」と言っています。私も経験しましたが、自然体で、やる気のある職員のやる気をへし折るのが得意です。

 

 副市長、部課長は文句を言いながら、市長の指示で、業務指示は二転三転し、部下はさらに右往左往し、疲弊、疲労困憊状態です。私も数年前に市長に叱責され、それを副市長、部長や課長がいながらも、フォロ-がなく、ただ叱責されました。自分が失敗したならともかく、市長の指示どおりにしたのですが、結局市長の考えが変わっていただけです。私もそのようなことがあり、毎日が不安で、不眠になり、市長協議の朝には出社拒否したいが無理して出勤しましたが、でも結局うまくいかず、うつの状態になり、自殺も考えたこともありました。

 

 有能な職員が休職したり、退職している状況であり、職員全体が自分の仕事以外の面倒なことはやらない雰囲気となっています。北上市職員は優秀だと話をしていますが、花巻市職員も優秀だと思いますが、こんな職場風土では、いい仕事はできません。職員に会えば、早く異動したい、辞めるかなどと話をしており、正常ではないです(2020年3月4日付当ブログ「『ハラスメント』問題が市議会へ」

 

 

(SOS)~その2

 

 最新の記事を拝読させていただきました。職員の一人からの「SOS」を読ませていただき、私も花巻に生まれ、花巻市役所に働く一人として、市役所内の状況についてお伝えすべきかと思いご連絡しました。勇気を出し切れず、匿名でしかご連絡できないことが申し訳ないです。ただ、この話も、お知り合いの職員やOBの方に確認いただければ事実であると分かるはずです。もし必要ならブログでご紹介いただいても構いません。

 

 現在、職員の多くが、自信をなくし、仕事へのモチベ-ションも、将来の希望も失っている状況になっています。市長はよく「市役所の職員はレベルが低すぎる」、「小学生の算数もできない」、「馬鹿すぎる」、「民間企業ならクビだ」などと職員を罵ります。私自身、何度か直接同様のことを言われたことがありますし、市長室に入ったことのないような若手の職員も、議会検討会等の録音デ-タで、部長や課長がそのような罵られ方をしているのを聞いて「将来そんな風になるのなら役職に就きたくない」と言っています。

 

 また、市長の考えに沿わないものは、何を提案しても即否定されるだけなので、誰も新しいことを提案することはできない雰囲気になっています。(市長のおっしゃることに賛同して、機嫌を損ねないようにすることばかり考えています)。市長は「俺のようにはできないだろうけど、頭を使って考えろよ!」と言いますが、一方で「俺が言ったことだけやれ」とも怒鳴ります。結局は、自分が気に食わないことがあったら、その時々で都合よく怒鳴っているだけのように感じます。

 

 市長の言うことに対して反論しようとすると、ほとんど聞いてもらえないままに、何十倍にも否定の言葉で叩かれるので、黙っているしかありません。基本的に他人を見下していて、国や県と連携しているようにいつも話していますが、裏では国や県の方々のことも「程度が低い」とか「大したことない」と罵ることがあって、色々とご協力をいただいた国や県の方々のことを目の前で罵られても黙っているしかなかった自分がとても情けなく思います。

 

 また、市議会の議員の方々のことも「何も分かってない」とか「俺にはすぐにわかることでもどうせ理解できない」と言っているのも聞いたことがあります。それでも、議会は追従するばかりです。何年か前は、少なくとも今よりは仕事を楽しめていた部分があったように感じます。いまはただただ市長に怒鳴られないようにするためにはどうすればいいだろうとビクビクしています。

 

 市長が言うとおり、私たちは無能なのでしょうか。あと何年、こういう状況で働かなければならないのでしょうか。どうにもできないのでしょうか。最近は市役所を辞めたらどうなるだろうということばかり考えてしまいます。(一職員)

 

 

(SOS)~その3

 

 昨日、今日と増子さんのブログを見て勇気づけられた一職員です。匿名で投稿することをお許しください。自分も知りうることを伝えたいと思い、投稿しました。また、この内容についてもブログで取り上げてもらって構いません。

 

 これまで紹介された職員からの訴えは事実です。上田市長は、自分の思い通りに行かないと怒鳴り罵倒するのは日常茶飯事。日頃からコンプライアンスを声高に言っているにも関わらず、自らを律することはなく感情のままに職員を怒鳴り人格否定。部長、課長も市長の機嫌を損ねないよう立ち回るため、結果的に部下は見殺し状態となり、そして精神を病み休まざるを得なくなる。ただ、部長、課長も人間です。幾度となく罵倒され怒鳴られれば、保身の気持ちが優先となることも仕方ないとは思います。問題は、トップがそのような状況を作り出しているということです。

 

 正直なところ、以前の大石市長よりもいいと最初のうちは思っていました。選挙の際にも、上田市長へ一票を投じました。しかし、今では自分の不明さを悔やんでいます。別の職員の投稿にもありましたが、花巻市職員は決して無能ではありません。このままでは、有能な職員ほど状況を悲観し、やめていってしまいます。どうか一刻も早く、この地獄のような状況が変わる一助になればと、今回連絡いたしました。多くの職員が苦しんでいます。どうか助けてください。お願いします(2020年3月6日付当ブログ「相次ぐパワハラ情報」)

 

 

 

 

 

(写真は「パワハラ」問題を追及する若柳議員(3月3日午後、花巻市議会議場で。議会中継のパソコン画面から)

 

 

 

 

 

 

 

第3回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

  • 第3回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第3回オンライン講演会が28日(日)に開かれた。講師は当会議の発起人の一人である映像作家の澄川嘉彦さん(東和町在住)。市内外から19人が参加した。「図書館問題は図書館だけの問題ではない」と題するタイトルをシンボリックに表すエピソ-ドとして、澄川さんは「風倒木」という言葉を披露した。代表作のひとつにドキュメンタリ-映画「タイマグラばあちゃん」がある。滋賀県のある図書館で開かれた上映会の際、会場入り口にこの3文字が大書された横断幕が掲げられていた。「木は腐ることによって、次の世代を育てる。岩手の風土にぴったりのメッセージに感動した」と澄川さん。

 

 「図書館も風倒木であらねばならない」と講演の口火を切った澄川さんは自身が制作を手がけた「証言記録・東日本大震災『住民主導の集団移転―宮城県東松島市』」(2月14日NHK総合テレビで放映)を下敷きにしながら、話を進めた。「奇跡」とも言われた東松島市の集団移転は最初、行政側が仕掛ける形で始まり、最後は住民側が行政側の尻をたたくという理想的な「住民参加型」の震災復興として、注目されている。「そこには『住むのは私たち』という揺るぎない連帯感があった。ややもすれば、“ガス抜き”と受け取られかねない行政側の説明会を逆手に取り、住民側が自治を勝ち取った稀有な成功例。この裏には当時の市長が年間424回も地域に足を運び、住民の声に耳を傾けたという熱意もあった」―。澄川さんはこう語り、「若干、誤解を招きかねないが…」と続けた。

 

 「自分がバカだと思える行政マンほど優秀だと思う。住民意識の根底にはいろんな知恵が潜んでいることに気づかされるからだ。だから、行政側には逆にその意識を掘り起こす力量というか本気度が試される。図書館の問題も結局は同じこと。この講演会が行政と住民を結びつけるきっかけになってくれれば。あと、既成観念にとらわれないという点で言えば、宮沢賢治の関係図書は2次資料や映像記録、マンガ、翻訳本、研究書など100%の"賢治" 図書館を目指すとか…」

 

 第4回目の「図書館と私」シリ-ズのオンライン講演会は当市出身の童話作家で、最新作『岬のマヨイガ』の映画化や劇化などで注目されている柏葉幸子さんをお招きし、4月中の開催を予定している。なお、澄川さんの講演録画は「まるごと市民会議」のファイスブックで公開する。

 

 

 

(写真は資料に埋まった自室から講演する澄川さん=28日午後、パソコン画面から)

 

「老老」日記…「デンデラ野」残酷物語―食べ物の恨みは!?

  • 「老老」日記…「デンデラ野」残酷物語―食べ物の恨みは!?

 

 

 「食べ物の恨みは恐ろしい」―。げに「そのこと」を実感させられる日々である。ここに掲げたメニュ-は私の活力の源(みなもと)になっているある日の朝食。ただし、場所は外食先。「じじ・ばばが楽しく働く/じじ・ばば・若者・子供が楽しく集う/安全・安心の地場のものを食べる、そんなカフェです」…ホンワカとした宣伝文に誘われて、テ-ブルに着いた。運ばれてきたお膳を見て、感動に胸が高まった。生野菜つきハムエッグに焼き魚、納豆に煮物の小鉢と漬物。味噌汁が香ばしいにおいを漂わせ、湯気を立てている。ホッカホカのご飯は2杯までお代わりOKで、お値段はたったの350円なり。

 

 大げさに聞こえるかもしれない、この〝感動”物語の裏には実は「恨み節」がある。2年半前、妻に先立たれた私はコロナ禍の追い打ちでついに、独居自炊の生活を断念。昨年夏に現在のサ高住(サ-ビス付き高齢者向け住宅)に転居した。同じ花巻市内という地の利に加え、なんといっても「3食付き」という条件に飛びついた、はずだったが…。「これで残り少ない余生も有意義に過ごせるのではないか」という夢ははかなくも潰(つい)え去った。まるでお通夜のような食事風景と何よりも目の前に置かれた食べ物の品ぞろえに心底、「ゾッ」とした。たとえば、コメント欄に掲載した1月28日提供の朝食の写真をご覧いただきたい。枝豆のふわふわ豆腐、マヨ和え、味つけ湯葉、あっさり高菜にご飯とみそ汁で、こっちは500円なり。

 

 入居時の「食事サ-ビス契約書」には1日3食の食事提供を受ける対価として、月額48,600円(うち、消費税3,600円。朝食500円、昼食400円、夕食600円)を支払うことが定められ、当然のことながら、私自身もこれに同意している。さらに食事内容も“湯煎料理”というレトルトの食材を使用するという説明も事前にあった。まあ、これも老人向けの“健康食”かも知れないと甘んじることにしたが、べじょべじょに溶けそうなオヒタシや種類は違っても味つけは変わらない魚や肉の3食攻勢にさすがに辟易(へきえき)するようになった。「あったかいご飯とみそ汁、それに漬物の切れ端さえあれば、それで十分だ」―。戦時下の窮乏期に育った私はふいに、母親の言葉を思い出して合点した。「そうだ、ここに欠けているのは愛と心なのだ」と―

 

 そんな悶々としたある日、冒頭のホンワカカフェを見つけた。施設から車で5分ほどの近さである。契約通りの食費を払いつつ、私は2月から朝と昼をこの店で取るようにした。食事の中身や値段をことさら、言い募ろうという気持ちはさらさらない。だがその一方で、私はこの店で“干天の慈雨”をのどを鳴らしながら、飲みほしたような気持になったのも事実だった。「食こそが人権のかなめ」(食の民主主義)という言葉がある。施設側に言わせれば、私の自己都合(つまりは我がまま)と言いたいのであろうが、私にとっては自己防衛のための止むを得ざる選択である。

 

 今月13日午後11時08分、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震発生(当地は震度4)。泊まり勤務の男性アルバイトと声をかけ合いながら、入居者の安否を確認した。90歳前後の高齢の女性たちはベットの上で恐怖におびえていた。私が普段から声掛けをしている88歳のYばあちゃんが翌日、パジャマ姿のまま、廊下を這いまわっているのに出くわした。うめくように言った。「地震がおっかなくて。おら、いつも一人ぽっちだ。食事も残せば怒られると思って、無理くり腹に押しこんでいる。おらはもう、ここから逃げ出したくなった」―

 

 「去るも地獄、残るも地獄」…“人質”という嫌な言葉が口からこぼれた。コロナ禍に翻弄される老人コミュニティの闇を見せつけられる思いがした。人生の最後になるであろう〝人権“闘争への宣戦布告をモグモグつぶやいている自分に一瞬、ぎくりとした。と同時に、それに向かって踏み出すであろう、もう一人の自分も予感していた。「たったひとりの人権も守れないお前の人生とは一体、何だったのか」と。人権を「侵害する側」と「侵害される側」との境界線が“不分明”の時代を、私たちは生かされているのかもしれない。それはあたかも「人間」の「幽霊化」(正体不明のおばけ)のようにさえ見える。さ~て、窮鼠は(きゅうそ)は猫を噛むのかどうか……

 

 2月20日に命日を迎えた『蟹工船』の筆者、小林多喜二の生涯を描いた故・井上ひさしさんの戯曲「組曲虐殺」のセリフの一節を朝日新聞のコラム「日曜に想う」(2月21日付)が紹介していた。「絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる」―。まわりを見回すと、まこと「悪いやつら」が我がもの顔で闊歩(かっぽ)している。

 

 

 

 

(写真は心がこもった手づくりの朝定食=花巻市内のカフェで)

 

第3回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

  • 第3回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第3回オンライン講演会が今月28日(日)に開かれる。講師は当会議の発起人の一人である映像作家の澄川嘉彦さん(東和町在住)。演題は「図書館問題は図書館だけの問題ではない」。講演会は午後2時スタ-トで、質疑応答にも応じる。15日付の広報「はなまき」やまるごと市民会議のフェイスブックで案内している。

 

 澄川さんがプロデュ-サ-として制作した「証言記録・東日本大震災『住民主導の集団移転―宮城県東松島市』」が「3・11」10年周年を前にした今月14日、NHK総合テレビで放映され、多くの注目を浴びた。この町の震災復興について、澄川さんは「避難所に満ちていたあの助けあいの気持ちをそのまま復興につなげた」―稀有な成功例として紹介。「何より大切なのが、顔をつきあわせての話し合い。これをサボってはダメだった。面倒くさいことほど真実に近い。震災復興も図書館づくりも根っこは同じ。他人事ではなく、『住むのは私たち』という意識が大切」と話している。住民参画のまちづくりの実例を踏まえた講演が期待される。多くの皆さんの参加をお待ちします。

 

 

「新花巻図書館―まるごと市民会議」設立趣意書

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメ-ジさえ描くことができませんでした。やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワ-クショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。     

 

2020年10月25日 

 呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「老老」日記…マヨイガとデンデラ野の狭間にて―東日本大震災から丸10年

  • 「老老」日記…マヨイガとデンデラ野の狭間にて―東日本大震災から丸10年

 

 「あの津波の日,わたしたちは『そこ』にいた。そして、岬の古い家(マヨイガ)で家族のように暮らしはじめた」―。東日本大震災(3・11)から丸10年を目の前にした2月初旬、被災地再生の物語ともいえる演劇「岬のマヨイガ」(脚本・演出、詩森ろば)を盛岡劇場で観た。原作は当地・花巻出身の童話作家、柏葉幸子さん(67)の同名の作品で、野間児童文芸賞の受賞作。鑑賞しながら、不思議な既視感にとらわれた。コロナ禍の中でバラバラになった人間関係をもう一度、結(ゆ)い直そうという記憶の磁場みたいなものを感じたからだろうか。

 

 あの日―。父母を交通事故で失い、言葉を話せなくなった少女「ひより」と、夫の暴力に耐えかね、東京から逃れてきた「ゆい」、それに遠野生まれの86歳のおばあちゃん「キワ」の3人はそれぞれの事情で沿岸にある岬の駅「狐崎」に降り立った。大震災に見舞われたのはまさにその時である。中学校の体育館に避難したふたりは、身元を問われて困惑してしまう。帰れる家も帰りたい家もないからである。救いの手を差し伸べたのがキワばあちゃんだった。血のつながらない3人の不思議な共同生活が岬の突端にあった大きな古い家で始まった。津波を引き起こしたのはどうもウミヘビの仕業らしい。女優、竹下景子が演じるキワばあちゃんの出番である。

 

 「遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻(まぼろし)の家を見せるからです」(口語訳『遠野物語』:柳田國男著、後藤総一郎監修)―。「岬のマヨイガ」を舞台としたウミヘビ退治の合戦の始まりである。キワばあちゃんの神通力で近郷近在のカッパたちがおっとり刀で駆けつけたかと思えば、老いて“妖怪”に変身したオオカミや猿などの「ふったち(経立)」たちも縦横無尽に活躍する。遠い記憶の総動員…。舞台にくぎ付けになっているうちに、もうひとつの物語がよみがえった。

 

 111話の「ダンノハナと蓮台野(れんだいの)」と題する小話にはこうある。「昔は、60歳をこえた老人はみんな、この蓮台野に追(お)ってやるならわしがありました。追われた老人も、むだに死んでしまうわけにはいきませんから、日中は里に降りて、農作業などをして暮らしを立てていました。そのために、いまでも山口、土淵のあたりでは、朝、田畑に働きに出ることを『ハカダチ』といい、夕方になって、野良(のら)から帰ることを『ハカアガリ』というそうです」(同上)

 

 私がいま、入居している「サ高住」(サ-ビス付き高齢者向け住宅)がさしずめ、この蓮台野に相当するのかもしれない。当年80歳の私のように死ぬまでに若干、間があるような“元気老人”のつかの間の「生けれる場所」である。そう思って、あたりを見回してみたら…。あれっ!「ハカダチ」の気配はほとんどないではないか。111話の注釈にこんなことが書いてある。「境の神を祭る塚のある小高い丘をダンノハナ(共同墓地)といい、それと向かい合う場所に蓮台野があります。デンデラ野と呼ばれる姥捨(うばすて)の地でした」―。施設の中はし~んと静まり返り、高齢の入居者の多くは食事以外は自室にこもりがちである。「もしや、ここは現代のデンデラ野ではないのか」―そう思うと、背筋にゾッと寒気が走った。

 

 「あの震災から10年。やっと、たちあがり一歩二歩と歩き出したのに、このコロナです。今は立ち止まってますが、必ず次の1歩を力強く踏み出したい。踏み出せると信じています。そして、『岬のマヨイガ』のお芝居が、その力になるだろうと確信しております」―。柏葉さんは今回の舞台化にこんなメッセ-ジを寄せている。さて、この私はといえば、「マヨイガ」と「デンデラ野」の間を行ったり来たりする苦悶の日々である。マスコミは連日、高齢者のコロナ死を伝えている。

 

 なお、柏葉さんには今年4月、「新花巻図書館―まるごと市民会議」が主催する「図書館と私」シリ-ズのオンライン講演会に講師としてお招きする予定である。ご期待ください。

 

 

 

(写真は舞台狭しと躍動するカッパたち=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~証言記録・東日本大震災「住民主導の集団移転―宮城県東松島市」

 

 「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催のオンライン講演会「私と図書館」シリーズの3人目の講師である映像作家、澄川嘉彦さんが制作した表題のドキュメンタリー映像が14日(日)午前10時5分からNHKの総合テレビで放映される。澄川さんは「『住むのは私たち』という点では震災復興も図書館づくりも根っこは同じ」と話している。オンライン講演会は2月28日(日)午後2時から。15日付広報「はなまき」や「まるごと市民会議」のフェイスブックで案内している。

 

 

《追記ー2》~なんという因果!?

 

 澄川作品が放映される前日の深夜、福島県沖を震源とする最大震度6強の大地震が発生した。「3・11」の余震とみられる。10年前の記憶を呼び戻そうとするかのような”神意”さえ感じる。それにしても、なんという因果か――。地震報道のため、放映は少し遅れて始まった。東松島市の復興の足取りを伝える画面上には今回の地震の負傷者など被害状況のテロップが流れ続けていた。