HOME > ヒカリノミチ通信について

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その4…「おらが駅舎」物語

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その4…「おらが駅舎」物語

 

 「あきらめるのはまだ早い。駄目か駄目じゃないか、やって見なければ分らない。花巻百年の大計のために、我われの子孫のためにもう一度やろうじゃないか」(渡辺勤著『新花巻駅物語り』―。昭和60年3月、念願の東北新幹線「新花巻駅」が全国初の全額地元負担の「請願駅」として開業した。現代版「百姓一揆」とも呼ばれた、その苦闘の足跡を辿った元開業医の渡辺さん(90歳=当時)の著書には「甚之助と万之助」という副題がついている。甚之助とは一揆の頭領―「東北新幹線問題対策市民会議」の議長を務めた小原甚之助、万之助とは開業時の市長、藤田万之助(いずれも故人)のことである。

 

 「花巻への停車ならず」―。昭和46年10月、新駅実現が夢と果てた瞬間、市民の間には落胆と怒りが爆発した。2人を先頭にした「官民」一体の誘致運動が巻き起こった。「まるで山賊か虎が住んでいるから、恐ろしくて花巻は通れないと、そんな仕打ちを国鉄にされたんじゃないのか」、「現代の政治というものは1人の英雄に頼るものではない。点と線の政治から面の政治、大衆動員の政治となっているのであります」…。「甚之助語録」の中には血気盛んな言葉がずらりと並んでいる。

 

 ある日、国鉄理事のネクタイをつかみ、語気鋭く迫る甚之助の姿があった。「俺たちの隣町の横川(省三)を知らないか。日露戦争の時、シベリア鉄道を爆破した男だ。あなたがそう云うなら、我われにも考えがある」、「何したど、もう一度云って見ろ。岩手135万県民を馬鹿にする気か」

 

 前述した横川省三は日露戦争の開戦時、密偵として旧満州に潜入。鉄道爆破を図ろうとしたが、ロシア軍に捕えられ、ハルビン郊外で銃殺刑に処せられた。鉄道の名前は正しくは東清鉄道で、爆破は未遂に終わったのだったが、その誤りはご愛嬌としても当時の熱気が伝わってくるエピソ-ドである。この迫力満点の“演技”に居並ぶ国鉄の役員連中もたじたじとなった。余談だが、日露戦争の激戦地、旅順攻略をめぐる攻防を描いた映画「二百三高地」(舛田利雄監督、1980年)はラマ僧に身を隠した2人の日本人が銃殺刑に処せられるシ-ンから始まる。その1人が横川である。

 

 総工費約42億円。県が三分の一を負担することになり、残りの約12億円は市民や団体から寄せられた寄付金だった。大将、参謀、行動隊長、主計、先鋒…。国鉄本社に乗り込む面々の何とも時代がかった肩書もまた甚之助流だった。“喧嘩陳情”と呼ばれたこの時の大将はもちろんこの人である。目抜き通りの市民会議事務所には壁一面にこんな檄文(げきぶん)が貼ってあった。

 

 「政治が曲げた路線なら/民意で正すが民主主義/我ら花巻市民団/今ぞ赤穂の義士のごと/まなじり決して起ちました」

 

 

 

 

(写真は「新花巻駅」の設置に至る経緯を記した石碑。時代がかった巻物風の形もなんともユ-モラスである=10月末、花巻市矢沢で

 

 

 

《追記》~隔世の感…「おらがまちの幸せ」はおらがトップの“気概”の持ち次第

 

 「所有者と解体業者との訴訟が生じるなど複雑な状況の中、がれきが放置された状態は腹立たしを感じる」とまるで“あさって”の答弁をした上田東一・現花巻市長は「市民の大切なお金であり、跡地を取得するのは困難」と続けた。12月8日付当ブログ「『花巻城址』残酷物語…猛毒PCBが所在不明に!?」に関連し、地元紙「岩手日日」(9日付)は上田市長のこんな言葉を伝えていた。わずか35年前に君臨した「おらがトップ」の赤穂浪士の“気概”とはまさに雲泥の差である。

 

緊急報告(号外編)―「花巻城址」残酷物語…猛毒「PCB」が所在不明に!?

  • 緊急報告(号外編)―「花巻城址」残酷物語…猛毒「PCB」が所在不明に!?

 

 「猛毒のPCBが1年間も市街地に“不法”に放置されていた」―。こんなショッキングな事実が明るみに出た。花巻市議会12月定例会の一般質問(8日)で、本舘憲一議員(花巻クラブ)の質問に対し、上田東一市長がその事実を認めた。コロナ禍の脅威にさらされる中での今回の「PCB」騒動に市民の不安はさらに、高まっている。この件について、当局側は議会初日の今月4日に開催した議員説明会で「県とともに情報共有と状況把握に努めている」と話したが、“不法”放置の実態については言及しなかった。1年間にもわたって、この事実を公表してこなかったことについての「行政責任」も問われることになりそうだ。

 

 PCB(ポリ塩化ビフェニル)は電気絶縁性が強いため、変圧器やコンデンサなどに広く使用されてきたが、発がん性や皮ふ・内臓障害、ホルモン異常を引き起こすなどの毒性が強いのも特徴。1968(昭和43)年、米ぬか油の中に脱臭工程の熱媒体であるPCBなどが混入。いわゆる「カネミ油症」事件と呼ばれる集団中毒が発生し、患者数は約1万3千人にものぼった。このため、昭和47年には生産と使用中止などの行政指導を経て、昭和50年からは製造と輸入が原則、禁止とされた。当市における「PCB」問題の発生は実は6年前にさかのぼる。

 

 2014年12月、当市の中心部に位置する旧新興製作所跡地(城内・御田屋町)が「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)に基づいて、売却される計画が浮上した。同法は「公共用地」の確保を促すため、地元自治体への優先取得を定めている。当時の売買価格は100万円だったが、上田市長は当時、「社屋などの解体に多額の費用を要するうえ、利活用が不透明な物件に市民の税金を投入するわけにはいかない。むしろ、第三者が建物を解体し、有毒物質のアスベストを除去してもらえるなら、結果としてはその方が良い」として、取得を断念。翌年の1月、当該地は結局、宮城県内の不動産業者「(株)メノア-ス」の手に渡った。解体業者との金銭トラブルによる裁判沙汰や解体工事の突然の中断、相次ぐ強制競売…。以来、現在にまで続く“悪夢”のような「『花巻城址』残酷物語」はこの時に始まったと言ってよい。

 

 テレプリンタ-(印刷電信機)などの生産で海外にまで販路を広げた(株)新興製作所では往時、高濃度のPCBを触媒に使ったトランスやコンデンサなど28台が稼働していた。工場閉鎖に伴って、真っ先に問題になったのはこの種の有害物質の処理である。PCBやアスベストなど人体への影響が懸念される物質については「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法)や「ポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法」(PCB特措法)などによって、その保管や処理については厳しい規定がある

 

 たとえば、保管基準として、①保管場所周辺に囲いを設置すること、②見やすい個所に廃棄物の種類、管理者の氏名や連絡先などを記載した掲示板を設置すること、③飛散、流出、地下浸透、悪臭発散を防止するために必要な措置を講ずること、④ネズミの生息、蚊やハエなど害虫の発生を防止すること―などが細かく定められている。このほか少し古いデ-タになるが、環境省の資料(平成23年9月時点)によると、都道府県・政令市からの報告で平成20年度以降、PCBなど廃棄物に係わる漏洩(ちろう)や紛失、不適正処理、不法投棄などが合計358件発生したことが分かっている。このため、適正な保管をするために保管事業者に対し、行政側が立入検査することなどを義務づけている。

 

 当該地を取得した不動産業者が隣接する空店補(喫茶店跡)にPCB廃棄物を保管したのは2016年秋のこと。当時は建物の内部に「特別管理産業廃棄物・PCB廃棄保管場所」と書かれた貼り紙が張られ、「関係者以外立入禁止」の文字も見えた。今月4日開催の議員説明会で、当局側はその処分期限が「令和4年3月末」(最大延長期限は令和5年3月末)になっていることを明らかにしたが、その一方で周辺住民の間では今年になってから、内部が“もぬけの殻”になっているという噂が広がっていた。県南広域振興局花巻保健福祉環境センタ-(中部保健所)にその事情をただすと、驚くべき答えが返ってきた。

 

 「1年ほど前の昨年12月ごろ、土地所有者(メノアース)から突然口頭での連絡があり、保管場所の立ち退きを求められたので、別の場所に移したとのことだった。大体の移管場所は推定できるが、まだ現認するまでには至っていない。早急に現地を確認したいが、当事者の体調不良やその後のコロナ禍の影響で今後の見通しは立っていない」―。肝心の監督官庁自体がPCBという有毒物質が事実上、野放し状態になっていることを認めたことになる。この日の質疑応答の中で上田市長は移管場所について、「新興跡地内に残されている上部平坦地(旧東公園)と下部平坦地の連絡通路だと聞いている」と答えた。県と市は将来的には「行政代執行」も視野に入れて対処したいとしているが、私はこの間の「行政の不作為」を指摘したい。

 

 カネミ油症事件の第一歩から取材した経験のある私の脳裏にはいまだに後遺症に苦しむ患者たちの苦悩の姿が刻まれている。それだけに「万が一」という言葉が去来する。「万が一、不法な状態に置かれた場所から、地震などの自然災害でPCBが漏れだしたり、不測の事態で外部に持ち出されたりして、市民に健康被害が及ぶようなことでも起きたら…」―

 

 この日の答弁で上田市長は本舘議員の同じような危惧に対し、「当該PCBは容器に密閉された状態になっており、カネミとは状況が違う。市民に直接被害が及ぶことは考えにくい。また一連の係争状態が終わったことを受け、債権者側が競売の手続きに入る可能性もある。しかし、当該地を改めて取得し、利活用するためにはざっと14億円以上の経費が見込まれる。従前の通り、取得する考えはない。“安物買い”(100万円)に手を出さなかった当初の判断はいまも間違っていないと考えている」と強調した。そうか、この人は「安物買いの銭失い」って、言いたかったんだ。”安物”を買わなかったそのツケがいま、回ってきているというのに…。

 

 解体工事の中断によって、ガレキが放置されたままになってもう4年以上の歳月が流れた。市中心部の景観を損ねたうえ、私たち市民は今度はPCBの恐怖におびえなければならない。政治家としての上田市長はこの「結果責任」について、どう考えているのだろうか。上田市政の“失政”は実は「新興跡地」の売却問題が公になった6年前のクリスマスのその日、2014年12月25日に幕が切って落とされたのだった。とんでもない「プレゼント」を押しつけられたのは他でもない私たち市民である。

 

 「世の中には(メノア-スのような)すごい会社があるもんだと思っている。本当に色んな人がいる、いないとは保証できない」―。「跡地」騒動について、上田市長はこの日、まるで「他人事」みたいにこう繰り返した。真の政治家とは、その“結果”についても責任を負うべきものではないのか。「『歯ボロボロ』『徐々に肌黒く』…カネミ油症2,3世の『叫び』アンケートに」―。たまたま同じこの日の長崎新聞はこんな見出しの記事を報じた。そこにはYSC(カネミ油症被害者支援センター)がまとめた、半世紀以上たった今もなお続く後遺症の恐怖が赤裸々に記されていた。

 

 

 

(写真はガレキの荒野と化した新興跡地。高濃度PCB廃棄物は解体途中の建物の残骸部分(左手中央部)の中に運び込まれているらしい=花巻市御田屋町で)

 

 

 

《追記》~この人の“危機”管理って…コロナ禍のかじ取り、大丈夫!?

 

 いま、目の前に広がる無惨な光景のよって来たるゆえんを一方的に「すごい会社」(メノア-ス)のせいにし、カネミ油症の悲劇を平然と「対岸の火事」として切って捨てる、この人・上田市長の“危機”管理は一体、どうなっているのか。こんな「すごい会社」の正体を見抜けなかった、その”節穴”ぶりの方が私にとっては、もっと「すごい」と感じてしまう。最大の被害者はこんな人に市政を委ねた私たち市民にちがいないのだが、こんな人を選んだ責任もまた「ブーメラン」(1992年制作の米国映画)のように、私自身を含めた私たち市民にはね返ってくる。おのれの不明を恥じ、忸怩(じくじ)たる思いが募る。そういえば、この日はあの泥沼の戦争に突入した”開戦記念日”であることを不意に思い出した。足元の市職員のコロナ感染が確認された。ふんどしを締め直して、危機管理に取り組んでほしいと切に願いたい。参考までに、上掲の新聞記事(12月8日付)を以下に転載する。

 

 

 痛切な“叫び”が、アンケ-ト用紙の自由記述欄にびっしりと記されている。油症認定患者の子や孫ら「次世代」を対象としたカネミ油症被害者支援センタ-(YSC)の実態調査。病状、生活の苦しさや将来への不安、やり場のない怒り―。次世代被害者や親たちの過去と現在が、ありありと浮かび上がってくる。認定患者である親や祖父母らが主に回答。子や孫が直接答えていないのは、油症について知らされていないケ-スが多いことなどが要因だ。一方、親だからこそ知る子らの幼少期の病状や暮らしぶりが詳しく分かった。

 

<突然倒れる子>

 

 「母乳を与え始めた頃から徐々に肌が黒くなった」。認定患者の母親は、未認定の息子(21)の幼少期についてこう答えた。油症の主因ダイオキシン類は、汚染油を摂取した女性の胎盤や母乳を通じ、子に移行すると指摘されている。「子どもの頃は自宅でゴロゴロすることが多く、運動靴を履いたことがない。食が細い」。45歳男性の症状。調査対象者49人の多くに幼少期から「異変」があった。選択式の設問では17人が全身倦怠感を訴えた。47歳女性は「小学1年の時、学校から帰って玄関で倒れた。鼻血はしょっちゅう。骨の痛み。学校で走ると3日くらい休んだ」。突然倒れた例は他にも。幼少期の症状が、成人後も続くケ-スが少なくない。

 

<一面のにきび>

 

 「歯はボロボロでほとんどない」(45歳男性)、「小学校から現在まで常時歯科に通院。医者によると、その根が腐ってまた虫歯になる」(35歳女性)など、口の疾患も目立つ。子どもの頃に歯が生えない事例は4人。2014年以降、次世代被害者の先天性永久歯欠如を調べた医師や歯科医師は、「(一般的な)全国調査と比べても異常な出現頻度。ダイオキシン類が次世代や次々世代に及ぼす影響を示している可能性がある」と指摘する。認定患者に多く見られる皮膚疾患も次世代に現れている。25歳男性は「小学校高学年の頃からにきびが出始めたが、25歳になっても収まらず、背中一面や顔などに及んでいる」。色素沈着のいわゆる“黒い赤ちゃん”として生まれた人も複数いた。

 

<言葉にできず>

 

 51歳と46歳の姉弟は生まれつき目が見えず、姉は腸の疾患のため2歳で人工肛門を取り付けるなど重い障害があったが、いずれも油症認定されていない。「認定患者の姉と症状が似ている」(50歳女性)「親より症状が重い」(38歳女性)など、認定患者と似た症状が子どもにも多いとの指摘もある。子どもの側も、不安や苦しみを親に隠していたり、うまく伝えられなかったりしている現状がある。31歳女性はこうつづった。「子どもには、親が心配すると考えて言えない悩みや、言葉に出せない次世代特有のつらさがある」

 

 

 

 

 

 

号外―「まるごと市民会議」主催講演会「図書館と私」…コロナ禍での第一歩

  • 号外―「まるごと市民会議」主催講演会「図書館と私」…コロナ禍での第一歩

 

 「市民が一緒になって、図書館のあり方を根本から考え直そう」―。こんな呼びかけで発足した「新花巻図書館―まるごと市民会議」(菊池賞(ほまれ)・発起人代表)が主催する初めての講演会が「図書館と私」というタイトルで、6日午後2時半からZoomによる「オンライン」配信で行われた。当初は市内の公共施設での開催を予定していたが、コロナウイルスの感染拡大に伴って、施設の利用が制限されることになったため、急きょ“コロナ仕様”の手法に切り替えた。講演者は当市出身で発起人代表の菊池さん(55)。浦和高校を経て東京大学を卒業後、翻訳業のかたわら4年前から、ふるさと「イ-ハト-ブ」で高校生向けの学習塾を主宰している。

 

 「受験勉強のために通い始めた図書館だったが、気がついて見たら、私自身がそのとりこになっていた」―。自他ともに認める図書館の「ヘビ-ユ-ザ-」である菊池さんは首都圏の100か所近い“図書館漬け”の日々の半生を時折、ユ-モアと辛口を交えながら振り返り、こう口を開いた。「図書館って、まちづくりを考えるための入り口でもあると思う。中身をわきに置いて、箱モノを先行させるのは本末転倒。だから、いま行政側が図書館を語る際に常套句のように使っている立地適正化計画とか都市機能誘導区域などという言葉とは無縁の立ち位置で話を進めたい」。さらに、「図書館こそが人を造り、人を育てる」という体験談を詩人、三好達治の代表作「雪」を引き合いに出しながら、こう続けた。

 

 「太郎を眠らせ/太郎の屋根に雪ふりつむ―。この詩に出会った瞬間、ふるさと岩手の風景が目の前に広がった。雪がしんしんと降り積もる静かな世界がそこにあった。この詩こそが言葉というか、文学の世界へと私を導いてくれたのだと思う。幼い時の人生のひとつの転機だったかもしれない。長じてから遭遇した『OED』(オックスフォ-ド英語辞典)がいまにつながる翻訳家への道を開いてくれた。その大著は当時、住んでいた埼玉県下の市立図書館の開架式の書棚にひっそりと並べられていた。『オイ、引いてみろよ』と声をかけられたような気がした。そのボリュームに圧倒されながら、この図書館建設にゴ-サインを出したそのまちのトップの『気概』に心が震えた」―

 

 この日のオンライン講演会には33人が参加。菊池さんはこう訴えた。「私がこの会の立ち上げを思い立ったのは、市民の知恵を掘り起こし、それを結集して次世代に誇れる図書館をつくりたいという思いからだ。図書館こそが人生の交差点だと思う」ー。この言葉にうなずく参加者も多く、質疑応答も活発に行われた。新図書館建設部門を担当する当局側の市川清志・生涯学習部長も参加、「今後も市民の意見に耳を傾け、図書館の多様性を模索していきたい」と意気込みを語った。「まるごと市民会議」では今後、当局側の「新図書館」建設計画の動向を注視しながら、「図書館と私」のリレ―講演会や市民との討論会、理想の図書館像の提言などを進めていくことにしている。

 

 

 

(写真はオンライン講演会で「図書館と私」をテ-マに話す菊池さん=Zoom上の画面から)

忙中閑―映画「アイヌモシリ」とデボとコロナ神と…

  • 忙中閑―映画「アイヌモシリ」とデボとコロナ神と…

 

 アイヌ流儀で言えば、「人間の力の及ばない」―いわゆる“森羅万象”(しんらばんしょう)はすべてが「カムイ」(神)であり、いま世界中を震撼させている「新型コロナウイルス」もその例外ではない。私がこのパンデミック以来、「コロナ神」と呼びならわしてきたのは、この所以(ゆえん)である。しかし、この精神の大切さを教えてくれたのは、アイヌ青年の「デボ」だった。上映中の映画「アイヌモシリ」(福永壮志監督・脚本、2020年10月公開)のスクリ-ン上で、数十年ぶりにデボと相まみえた。

 

 タイトルの由来は「アイヌ」=「人間」、「モシリ」=「静かな大地」。北海道はかつて、アイヌの人々によって「人間の静かな大地」と呼ばれた。映画の舞台は阿寒湖畔のアイヌコタン(集落)。アイヌの血を引く14歳の少年カントが「イオマンテ」(熊の霊送り)の儀式を通して、次第に目覚めていく。熊の命を奪う代わりに、その霊を心を込めて熊の世界に送り返す。その最高神に君臨するのが「キムンカムイ」(熊)であり、カムイとのこうした往還こそが、アイヌ精神の真髄である。今年、還暦を迎えたデボはまさに「アイヌ」(人間)としての円熟味を増し、その迫真の演技に圧倒された。

 

 本名「秋辺日出男」に最初に出会ったのは、デボがまだ30代の初めころだった。熊の木彫りなどを並べるコタンの店の前は竹製のオリで囲まれ、「むやみに餌を与えないでください」という張り紙が張ってあった。のぞき込むと、デボそっくりの父親の今吉さん(故人)が「ケッケッ」とからかい笑いをして、オリをどけてくれた。アイヌ民族の融通無碍(ゆうずうむげ)なユ-モアとトンチを目の当たりにした思いがした。デボも負けてはいなかった。一緒に日本そば屋に入ったことがある。日本人離れした風貌のデボが「ヘ~イ、私ハシ、使えない。フォ-クをください」―。店員のキョトンとした表情が忘れられない。そんなデボが深刻な面持ちでこう語ったことがあった。

 

 「(アイヌという)この言葉がマスコミなどによって増幅される結果、今でもまるで自然と一体となって暮らしているかのような美化されたアイヌ像が一人歩きしている。それが重荷になり、『アイヌ』から逃げ出してしまったり、逆にアイヌ自身がその言葉に酔ってしまう。普通にメシを食べ、時には酒を飲んで寝るという日常生活全体が、私にとってのアイヌ文化だ。この日常の中からアイヌの伝統的な精神を少しずつ、身につけたいと思っている」―。物見遊山でコタンを訪れる日本人に向かって、デボはこう言うのを忘れなかった。「ところでお客さん、チョンマゲと刀はどうしたんですか」

 

 奥深い森の中で、秘かに「イオマンテ」の生贄(いけにえ)に供するための小熊を飼育するデボ。最初はその残虐性についていけないカントも無意識のうちにアイヌの精神世界へと導かれていく。止めを刺すための矢を射る瞬間、デボの表情に何か「祈り」にも通じる“啓示”みたいなものを感じた。この映画は第19回「トライベッカ映画祭」(ニュ-ヨ-ク)で、国際コンペティション部門「審査員特別賞」を受賞した。クリント・イ-ストウッド監督・主演の映画「許されざる者」(1992年)のリメイク版(李相日監督、2013年)で、デボはアイヌの青年役を演じている。「おめでとう」を伝えると、電話口でこんなことを口にした。

 

 「オレも実はコロナ禍とこの映画の上映が重なったことに不思議な巡り合わせを感じている。コロナを追い出すのではなく、あんまり人間を怖がらせないで、早く神の国へお帰りください。毎日、こう祈っているんだよ」―。アイヌ語のこんなフレーズが映画のシ-ンの中で目に飛び込んだ。「カント/オロワ/ヤク/サク/ノ/アランケプ/シネプ/カ/イサム」…「天から役目なしに降ろされた物はひとつもない」という意味だという。ちなみに、今回のコロナウイルスのような”疫病”のことをアイヌ語では「パヨカカムイ」(徘徊する神)と呼ぶ。「病気の神にもちゃんと役目があるのさ」―。こう教えてくれたのはデボの父親である故今吉エカシ(長老)だった。自慢のヒゲをさすりながら、ニヤニヤしていたエカシの表情がまだ、まぶたに残っている。読んで字のごとく、この神は今日も世界中をまたにかけて休むことを知らない。

 

《注》~映画の中には実際の殺傷の場面はない。

 

 

 

(写真はトリカブトの毒を塗った矢を放ち、最後の止めを刺す「デボ」。神々らしさすら感じた=映画「アイヌモシリ」のシ-ンから)

 

 

 

《追記》~講演会「図書館と私」(11月12日付当ブログ掲載)へどうぞ(Zoom受信のご案内)

 

【参加方法】
xinhuajuantushuguanm@gmail.com宛に、
表題:「講演会参加」
本文:①氏名②居住地域(例:花巻市本館)③年齢・性別 (③は任意)
を記入したメールを送信してください。
12月2日以降に折り返し招待メールをお送りします。メール記載のURLをクリックすればご参加になれます。

 

 

 

 

 

号外―”ウエダパンデミック”、ついに暴走…議会主催の会議内容をHPに公表、しかも一部に“改ざん”疑惑も!?

  • 号外―”ウエダパンデミック”、ついに暴走…議会主催の会議内容をHPに公表、しかも一部に“改ざん”疑惑も!?

 

 「『議会の議員』と『市長』を市民が直接選挙で選ぶ制度のことで、どちらも市民の代表であることから、議会と市長は対等の機関として、お互いに抑制、協力することで緊張感を保ちながら自治体の運営に取り組む制度のことです」(「花巻市議会基本条例=平成22年6月;逐条解説」)―。当市の議会基本条例は自治体運営の原点とも言われる「二元代表制」について、こう定めている。ところが、わがふるさと「イ-ハト-ブ」ではいま、この精神を踏みにじるような事態が起きている。“ウエダパンデミック”はついに暴走化の気配を見せ、それに歯止めをかけることができない議会側の弱体化の狭間(はざま)の中で、市民は寄る辺のない荒野に投げ出されたような心持ちになっている。

 

 「令和2年11月12日に開催された、市議会新花巻図書館整備特別委員会において市が行った発言を委員からの質問要旨とともにお知らせします」―。こんな長ったらしいタイトルの記事が25日付の市HPに掲載された。「議会にしては随分と手際が良いではないか」と一瞬、思った。読み進むうちに頭に血が上った。こう記されていた。「午後1時30分から3時22分まで開催された、市議会新花巻図書館整備特別委員会の質疑応答において、市が行った発言を委員からの質問要旨とともに、次の通りお知らせいたします。なお、委員の質問についてはその要旨のみを掲載しております。また、この質疑応答要旨は正式な議事録ではありません」―

 

 議会事務局側に経緯を問いただすと、こんな返事が返ってきた。「当局側から市HPに掲載したい旨の申し出があり、議長の了解を得た上で許可した。市議会のHPには本会議や予算・決算委員会の会議録は掲載されるが、特別委員会についてはこれまでも掲載した例はない」。質問者の氏名は匿名とされ、その内容はほんの要旨のみ。HP上には上田市長や当局側の答弁が延々と15ペ-ジにわたって掲載されていた。当局側の都合のいい部分のオンパレ-ドで、「住宅付き図書館」構想の撤回めぐるこの時の会議の全貌は市民の目に触れることがないまま、闇に葬られることになりかねない。さらに読み進むうちに今度は目が点になった。

 

 私はこの時の「撤回」発言に関連して、11月20日付の当ブログに以下のような記事をアップした。「(新図書館の整備委託で)大変、お世話になった岡崎さん(紫波町の『オガ-ル・プロジェクト』の岡崎正信社長)に対し、議会側や一部の市民の間で、個人攻撃があったと聞いている。この場を借りて、岡崎さんに謝罪したい」―。私はまじまじと上田市長の顔を見つめ直した。岡崎さんは新花巻図書館構想の土台となった「住宅付き」図書館(いわゆる“上田私案”)について、市民や議会側の頭越しにいきなり、首相直属の「まち・ひと・しごと創生会議」で公表するという“越権行為”を犯し、私も議会側もそのことの非をただしたのだった。この“信義”違反を黙認した上田市長が頭を下げるべきはまず、市民や議会側に対してではなかったのか」――

 

 今回の市HPの文面にはこうあった。「岡崎さんには大変迷惑をかけた。岡崎さんに対する個人的な攻撃もあったように聞いていますけれども、そういうことも含めて、岡崎さんには大変迷惑をかけたということについては陳謝申し上げたと」―。「おやっ」と思い、議会事務局側に録音デ-タの確認を求めた。「議会の中で、岡崎さんに対する個人的な攻撃もあったように聞いていますけれども、議会か市民か知りませんが、けれども…」という部分がそっくり削除され、肝心の「議会」と「市民」という2文字が消えてしまっていることが判明した。己に都合の悪い記述はなかったことにする。結果として、私のブログ記事もねつ造だとデッチ上げようという底意も見え隠れする。とにかく、この人は質(たち)が悪るすぎる。

 

 これを称して、永田町界隈(かいわい)で流行(はや)った“公文書の改ざん”というのだろう。自治体の最高規範である「二元代表制」を足蹴(あしげ)にするような双方のあり方に、市民たちの絶望も極限に達しつつある。この際、議会側には質疑応答を含めた、改ざん前の会議録全文を市議会HPに掲載することを要求。その結果、近く掲載の方向で調整に入ったことが明らかになった。

 

 

 

(写真は26日開催の臨時会で答弁する上田市長=インターネット上の中継画面から、花巻市議会議場で)

 

 

《追記ー1》~ナゾだらけの”契約関係”

 

 花巻市と「オガール」との委託関係について、文書開示請求をした結果、”特命随意契約”になっていることがわかった。この件については以前、「流石(さすが)、パワハラ・強権・議会軽視・市民無視の”裸の王様”」と上田市長を痛烈に批判した差出人不明の”怪文書”が私の元に届けられた。内容に正当性があると判断し、今年3月9日付の当ブログに「上田流『謎の随意契約』の真実は」と題して掲載した。こちらも参考にしていただければと思う。

 

 

 

《追記ー2》~講演会「図書館と私」(11月12日付当ブログ掲載)へどうぞ(Zoom受信のご案内)

 

【参加方法】
xinhuajuantushuguanm@gmail.com宛に、
表題:「講演会参加」
本文:①氏名②居住地域(例:花巻市本館)③年齢・性別 (③は任意)
を記入したメールを送信してください。
12月2日以降に折り返し招待メールをお送りします。メール記載のURLをクリックすればご参加になれます。