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副市長が謝罪…最側近の不祥事に問われる「首長の資質」~そして、最後は”茶番”の会見?、「Mr.PO」の終わりの予兆か!!

  • 副市長が謝罪…最側近の不祥事に問われる「首長の資質」~そして、最後は”茶番”の会見?、「Mr.PO」の終わりの予兆か!!

 

 緊急事態宣言中に会食したとして、市民の間から批判の声が出ている花巻市の藤原忠雅・副市長が18日午後、緊急記者会見をし「市民に行動の制限を要請している中、軽はずみな行為をしたことを猛省したい」と謝罪した。上田東一市長も同席した。藤原副市長は「孫に食べさせてやりたいという思いだった」(そんな気持ちはどこのジジババにもあるだじゃ)と経緯を説明したが、自らの進退には触れなかった。上田市長は前日、“厳重注意”を口頭で伝えた。後日、自らの減給処分を含む正式な処分を検討することにしているが、「辞職」は求めないという。この日、コロナ感染者は全国で2万3917人の最多を更新し、県内でも47人と月別の最多となった。

 

 会見のテレビ中継を見ながら、「おやっ」と思った。これまでの見慣れた”謝罪風景“とちょっと、違うではないか。普通なら、組織のトップが中央に座し、まずは自らの「任命責任」や監督責任」の至らなさを真っ先に詫びるというのが定番だと思っていた。しかし今回、上田市長は脇に座って、まるで他人事風…”被害者然”といった面持ちなのである。さもありなん、と前日HP上に掲載された文章の一節を思い出した。「市民の方から通報があり、本日この事実を確認しました」―。“通報”という言葉にふと、いやな予感が走った。戦前の、そして現下のコロナ禍で横行している“密告”(例の自粛警察)という言葉が重なったからである。

 

 「戦時中の密告社会、チクリ市民、市長親衛隊、ゲシュタポ(ナチスドイツの秘密警察)」…。案の定、SNS上にはこんな時代がかったおどろおどろしい言葉が飛び交っていた。やむに已まれずに真実を告発するという勇気ある行為を暗に攻撃する響きが、この言葉は含み持っているという遠い記憶がよみがえったのである。「いやな予感」とはこのことである。”通報”という言葉に監視社会(ファシズム)の悪夢を思い出し、いまなお、行政トップの口から何のためらいもなく、この言葉が飛び出してくることにある不気味さを覚えたのだった。

 

 ところで、一関市議会は“会食”事件があった17日、NEC事業所跡地の取得について、6月通常会議に続いて、再度否決をした。駅前開発を目的とした予算で総額約19億円。勝部修市長はこの採決について「結果がすべてだ。私に対する不信任だと考えている」と語った。花巻市議会でも同様な動きがあった。上田市長は3月定例会に「JR花巻駅の自由通路(橋上化)」に関連する予算を計上したが、反対多数で否決された。その後、同じ案件を6月定例会に上程した際、上田市長の意を体する形で、各種団体に「実現要請」を促す、いわゆる“やらせ要請”の先頭に立ったのも藤原副市長だった。その“辣腕”ぶりはつとに知られ、市長の“用心棒”などと陰口をたたく市民も。「独裁者は自らの手を汚さない」というのは歴史の常。「Mr.PO」(上田市長)もまたしかり。

 

 議会側と敵対し続けている「Mr.PO」には勝部市長のような謙虚さがみじんも感じられない。その一方で、側近中の側近でもある副市長の動向さえ制御できない「パワハラ&ワンマン」体制(独裁市政)にもいよいよ、翳(かげ)りが見えてきたということなのかもしれない。「はだかの王様」…驕(おご)れる者は久しからず。

 

 

 

(写真は慎重な面持ちで謝罪する藤原副市長=8月18日午後、花巻市役所で。IBCテレビの画面から)

 

 

 

《追記ー1》~アッと驚く「Mr.PO」の他人行儀~稚戯(ちぎ)にも似た会見問答!?

 

 「今日はお忙しい中、臨時記者会見にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。本日は、隣に立っております藤原副市長が、別居を含む家族と、市内の飲食店で、8月13日に会食をしたということ、それについてお詫び申し上げるために、開催させていただきました」―。花巻市の藤原忠雅・副市長の“会食”事件にかかる臨時記者会見の詳細が8月19日付のHP上に掲載された。上記の引用は「Mr.PO」(上田東一市長)が開会に先立って行った挨拶の冒頭部分である。

 

 トップとしての「任命・監督責任」について、どのような形で言及するのかと読み進んだが、結局は最後までこの種の謝罪会見の“肝(キモ)”であるその部分には触れずじまい。「お詫びはいいとしても、あんた自身の責任はどうなっているの!?」。一方の”事件”当事者は「孫を思う気持ちが…」とそのいかつい顔に似合わず、ひたすら同情を乞う哀願調!?「これじゃ、まるで秘書が秘書がとおんなじ。孫に会いたいのはあんただけじゃないよ」とテレビに向かって毒づいた。この手の連中を世間では「危機管理ゼロ人間」という。ともあれ、前代未聞の詐欺まがいの記者会見の模様をじっくりと御覧(ろう)じあれ。まさか、「減給○ケ月」などどいう”処分”で幕引きを図ろうなんてことはないだろうな…

 

 

《追記―2》~機能不全、ここまで!?「Mr.PO」の終わりの予兆か!!!

 

 「当市集団接種会場における新型コロナワクチンの12歳未満の児童への接種誤りがあったことについて、お知らせします」―。こんな記事が8月22日付の花巻市のHP上に掲載された。8月21日に実施したワクチンの優先接種で、対象が12歳以上とされているにもかかわらず、誤って11歳10か月の児童に接種したという内容。非常事態宣言下での副市長の“会食”事件はこんな形で末端までの機能不全をもたらしている。「Mr.PO」もいよいよ、断崖絶壁に追い込まれつつあるようだ。

 

 

《追記―3》~「節度欠く副市長ら13人会食」

 

 8月23日付岩手日報「声」欄に64歳のパートの男性が以下のような声を寄せた。関係者には胸に手を当てて読んで欲しい。「…同じ世代として思うのは子や孫に会いたくても、『我慢』という言葉に従うしかないという切ない思いです。このようなコロナ禍ではスマホの画面でお互いの姿を見ながらとりとめのない会話を交わし、どこでも買えるけど収穫した野菜、果物を宅急便に託します。こんなことでも親子の絆は確認できます。なぜ考えられなかったのでしょうか。自分は特別な人間との意識でもあるのかと疑ってしまうのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緊急事態宣言下、花巻市幹部が宴会か?SNS上で炎上!!!~急きょ、市長が謝罪へ

  • 緊急事態宣言下、花巻市幹部が宴会か?SNS上で炎上!!!~急きょ、市長が謝罪へ

 

 「焼肉屋さんに行ったら、行政トップクラスの方が帰省中の家族10人以上で飲食、会食していたのに呆れた。職員にはお盆会食禁止って通達出ているのに、三役は良いのか」―。花巻市内の女性が投稿した“目撃情報”がSNS上で炎上している。県は8月12日、独自の「岩手緊急事態宣言」を発令。不要不急の外出の自粛、都道府県をまたぐ不要不急の帰省や旅行などの原則中止・延期、親戚で集まっての法事やお墓参り、バ-ベキュ-などの中止や延期。やむを得ず、集まる場合であっても会食等を厳に控えること―を求めた。

 

 これを受け、上田東一市長も同日、「市民の皆様におかれましては、8月のこの時期はお盆休みや夏休みに入られている方も多いことと存じますが、ひとりひとりがあらためて感染拡大防止に取り組むようお願いします」とのメッセ-ジをHP上に公開したばかり。このSNS情報によると、会食が行われたのは翌13日のことらしい。この投稿が人を陥れるための“嫌がらせ”だとは思えない。市民の間の疑念を払しょくするためにも市側にはその真偽を明らかにする責任がある。「三役」というのが事実なら、たったの3人。そんなに手間はかからないはずである。永田町界隈でもこうした“不祥事”が相次いだが、謝罪して即処分という手際はさすがに早い。

 

 さ~て、どうなることやら…と思っていたら、さっそく市長名の謝罪文がHP上に掲載された。”懐刀“として重用してきた最側近も野放し状態…市政運営の機能不全が思わぬ形で噴出した格好になった。ということは、Mr.PO(パワハラ&ワンマン=上田市長)もいよいよ、末期ということか!?胸に手を当てて、よ~く、考えてほしい。あなた自身の監督責任が問われているということですよ。「弱り目に祟(たた)り目」!?

 

 ついでながら、このSNSにはこんな怒りの声も書き込まれている。「親類筋にお線香をあげに行っても、お茶も飲まずに失礼してきた。この方、おらを見て隠れようとした事がイラつく。因みに、おらだぢは30分で帰宅、もちろんノンアルです」

 

 

 今般、本市の藤原(忠雅)副市長が、令和3年8月13日に同居ではない子ども家族を含む家族10人以上で集まり、市内飲食店で会食を行っていたことについて、市民の方から通報があり、本日この事実を確認しました。8月12日に岩手県は独自の緊急事態宣言を発令し、その中で、不要不急の外出を自粛すること、また、親戚がやむを得ず集まる場合であっても、会食等を厳に控えるよう要請しており、花巻市としても市民の皆様にその旨をお願いしていたところであります。

 

 このような中での今般の子ども家族を含む家族との会食は、市民の皆様の信頼を損ねるものであり、市長から8月17日に藤原副市長に対し、厳重な注意を行いました。このたびのことを踏まえ、市職員の認識を徹底し、二度とこのようなことがないよう取り組んでまいりますとともに、市民の皆様に心よりお詫び申し上げます。

 

令和3年8月17日
花巻市長 上田 東一

 

 

 

(写真は県が発出した「緊急事態宣言」の遵守事項の一部=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記ー1》~列島全体で、モラル総崩れ!?

 

 足元で副市長”会食”事件が発覚したその日の昼、こんなニュースがマスコミ各社で報じられた。国の大親分もやってることだし…。下々をバカにした”愚民”政治があちこちにばっこしている。~「二階幹事長ら自民党・公明党の幹部5人が、東京都内の日本料理店で食事をともなう会談。政府が新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、食事は家族か4人までとするよう呼びかけている中、5人で食事をともなう会合を行ったことについて、出席者は『5人とも2回目のワクチン接種を終えており、広い個室で距離を置き、黙食をした』、『会食ではなく打ち合わせ』と説明している」ー

 

 こうシラを切っていた政治家たちも”世論”の反発を気にしたのか、慌てて「申し訳なかった」と頭を下げる始末。副市長よ、あんたも「大物」ぶっていたんじゃないの!?

 

 

《追記―2》~市幹部の“会食”事件、県内メディアも速報…Yahooニュースにも登場、大炎上の雲行き!?

 

 岩手県独自の緊急事態宣言で不要不急の外出自粛などが要請されている中、花巻市の藤原忠雅副市長が家族10人以上(実際には13人)で会食をしていたとして上田東一市長が陳謝しました。これは17日、花巻市が市のホ-ムペ-ジで発表したものです。藤原副市長は今月13日、同居家族以外の子どもなどを含む家族10人以上で集まり、市内の飲食店で会食をしました。市民から通報があり、市が事実を確認しました。
 

 現在出されている県の緊急事態宣言では、不要不急の外出自粛のほか、同居家族以外との会食などを控えるよう求めています。上田東一市長はホ-ムペ-ジを通じて「市民の信頼を損ねるものであり厳重な注意をした」とした上で、「市職員の認識を徹底し二度とこのようなことがないよう取り組む」と陳謝しました(IBCテレビの昼のニュ-スから)

 

 

 

 

 

「図書館法」秘話二題…山室民子と中井正一

  • 「図書館法」秘話二題…山室民子と中井正一

 

 「新花巻図書館」構想がまるで、羅針盤を失った難破船のように漂流を続けている。発端は昨年1月、Mr.PO(上田東一市長)が市民参画手続きなどを無視して、突然打ち出した「住宅付き図書館」の駅前立地という“青天の霹靂(へきれき)”だったが、基本計画を策定するため、有識者を集めたという「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」(委員20人)の議論がこれまた低劣を極めている。今年4月の結成以来、これまで4回の検討会議を開催しているが、「重箱の隅」をつつくだけで、「図書館とは何ぞや」という本質論にはほど遠い。このままでは座礁・沈没を待つのみといった体たらくである。

 

 当初、私もその設立にかかわった「新花巻図書館―まるごと市民会議」の広報誌「ビブリオはなまき」の創刊号(2021年5月24日)に「花巻ゆかりの『図書館事始め』」と題する文章を寄せた。当地出身の女性が「図書館法」制定に貢献したことを紹介する内容で、根本的な図書館論議を促したいという思いだった。最近、“中井美学”で知られる美学者で、国立国会図書館副館長を務めた社会運動家の中井正一が「図書館法の成立―燃えひろがる火は点じられた」という一文を残していることを知った。そういえば最近、心に沁みるような烈々たる言葉のほとばしりを聞いていないような気がする。戦後、同じ時代を生きた二人の先達の図書館にかけた思いを以下に転載する。

 

 本日(8月15日)、76回目の「敗戦」を迎えた。一方で、もうひとつのコロナ“敗戦”という言葉がもれ聞こえてくる。さ~て、新手の敗戦処理をどうするものやら!?

 

 

 

【花巻ゆかりの「図書館事始め」】~山室民子(1900―1981年)

 

 「この法律は、社会教育法(昭和24年6月)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もって国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする」―。「図書館法」(昭和25年4月)はその目的について、第1条でこう謳っている。さらに、同法の根拠となった社会教育法は「図書館及び博物館は、社会教育のための機関とする。図書館及び博物館に関し必要な事項は、別に法律をもつて定める」(第9条)と規定している。

 

 「新図書館」構想に揺れる昨今だが、この図書館法を最初に手掛けたのが実は当地花巻にゆかりの人物だということは地元でもほとんど知られていない。「昭和24年の初夏から25年にかけて、私は文部省(当時)社会教育施設課に勤務し、『図書館法』の立案や国会提出に関係した」―。『社会教育』(昭和29年=1954年)というタイトルの雑誌にこんな記述がある。

 

 筆者は女性初の視学官(教育行政官)として、文部省課長(教育施設課)の第1号に就任した山室民子。〝社会鍋〟で知られるキリスト教の慈善団体「救世軍」の創始者、山室軍平の妻で民子の母親でもある(旧姓)佐藤機恵子(1874~1916年)は花巻の素封家の長女として生まれた。〝廃娼運動〟など社会の慈善事業に取り組む両親の下に生まれた民子は東京女子大を卒業後、アメリカ・カリフォルニア大学に留学。その後、ロンドンにある救世軍士官学校に入学するなど両親の影響を強く受けた。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の下で進められる民主化政策に共鳴し、CIE(民間情報教育局)のすすめもあって、文部省入り。当時の高まる気持ちをこう綴っている。

 

 「私は文字通り、公僕である。日本は武装を解いた。今は文化を以て立つ外はなく、それにつけても教育の重要であることを思わざるを得ない。及ばずながら私が新生日本の教育のための一つの捨石ともなれば、幸せであり光栄である。若い人びとよ、私を踏んで伸び上がってくれ」(「夕刊みやこ」1946年9月)―。日本初の〝文化立法〟と言われた「図書館法」は私たちの先人のほとばしるような情熱が産み落としたものであることを忘れてはなるまい。

 

 

 

【図書館法の成立―燃えひろがる火は点じられた(要旨)】~中井正一(1900―1952年)

 

 この度の図書館法も、このしめやかではあるが、堂々と流れる大河の寂けさに似て、そのもつ政治力は、ゴ-ゴ-の声で通っている幾多の法案よりも、遙かに遙かに巨大な法案なのである。なるほど財的保障はあるかなきかにささやかである。しかし、一本の芽は、決して、ガラスのかけらではない。それは伸びゆく生ける芽である。百年の後には、しんしんと大空を摩す大樹となる、一本の芽である。私達はこころから、この法案の通過に和やかなる拍手を、遠い遠い文化の未来に向って送るものである。
 

 円らな眼、紅い頬の村々の少年と少女の手に、よい本が送られて、たがいにひっつきあって喰い入るように読みあっている姿を、確実な幻として描くことができることは、深い楽しさである。この少年達から、二十年後の世界が生まれ出るのである。私達に想像もつかない二十年後が生まれるのである。二十世紀を完成する世界人が出現するのである。
 

 ここでも、いつもありがちな自分だけよければよいという考え方は、何にもならず、かえって自分もまた駄目になってしまうことになるのである。宇治川の先陣のような、「抜駆けようというこころ」は、今の文化では色あせた鎧である。にもかかわらず、至るところに残っている悲しい日本の現実である。図書館法はこのこころに禍いされ、汚されてはならない。ひたむきな協力で、私達はこのこころを洗いすて、洗い清めなくてはならない。
 

 そして、この法案の周囲に、温かい文化を愛するこころを集めなければならない。一隅を照らす光のように、一つの火が他の火に呼びかけるように、次々に燃えひろがる火でなくてはならない。燈台が照らしているようなこころもちでは、それは運動ではない。一つの小さな小さな火が、一つの小さな火に燃えうつり、点々として燃えひろがる火でなくてはならない。それはやがて燃えに燃え、広がりに広がる焔となるのである。これこそは、無限に広がり無限に燃えつづけるものである。それが消えるものであるが故に、燃えていることが美しく、また大切でもあるのである。

 

 図書館法案は、人々が気がつかない程の無限の数字を、新たな歴史を胎んで、今議会を通過したというべきであろう。これを継ぐものは、正しく地を継ぐものとして、重い重い責任を課せられたというべきである。  (底本『論理とその実践―組織論から図書館像へ』=昭和47年、てんびん社刊。青空文庫所収)

 

 

 

(写真はありし日の山室民子=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

”平和”五輪の閉幕と「星めぐりの歌」…イ-ハト-ブは一体、どこへ!?

  • ”平和”五輪の閉幕と「星めぐりの歌」…イ-ハト-ブは一体、どこへ!?

 

 「不吉な予感が的中した」―。東京五輪の閉会式のクライマックスシ-ンに女優の大竹しのぶさんが登場。郷土の詩人で童話作家の宮沢賢治が作詞作曲した「星めぐりの歌」を少年少女たちと一緒に歌う場面を見ながら、何かざわッとしたものを感じた。「あかいめだまのさそり/ひろげた鷲(わし)のつばさ」…。「次世代への継承と平和への祈り」を込めたという意図が今回の祝祭のフィナ-レに果たして、ふさわしいものだったのか。毎日、“時報”代わりにこの歌を聞かされている花巻市民のひとりとして、「時代」に利用されてきた賢治の危うさを嗅ぎ取ったからである。

 

 私はコロナ禍の中で強行された今回の“五輪狂騒曲”について、前回の当ブログで「戦争は平和である」というオ-ウェル流の逆説(二重語法)を援用しながら、その全体主義化の危険性を指摘したつもりである。実は足元でもその兆候を感じていた。地元出身の五輪選手がまるで先の大戦で出征兵士が戦場に送り出されるような時代がかった光景にまず、胸騒ぎを覚えた。やがて、その選手を激励する懸垂幕が市庁舎に吊るされ、そして競技終了後に「応援ありがとうございました」と市のHP上に掲載されるに至って、私は「待てよ。これって例の大政翼賛会の現代版ではないのか」と背中に戦慄が走るのを感じた。

 

 賢治の詩「雨ニモマケズ…」はその作品の中でも一番、人口に膾炙(かいしゃ)した詩編である。しかし、この詩が昭和17年、戦争遂行のために組織された「大政翼賛会」の編集になる『詩歌翼賛』の中に収録され、当時の農村労働力の収奪に利用されたという事実はあまり知られていない。また、戦後の学制改革に伴い、中学用の国語の教科書に採用する際には「1日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ、野菜ヲタベ」という部分が「玄米三合」に書き換えられた。戦後の食糧難の中で「耐乏生活」を強いるためのスロ-ガンとして、喧伝されたのだったが、広島原爆の悲惨を描いた井伏鱒二の代表作『黒い雨』(最近の「黒い雨」裁判で勝訴)にこんなくだりがある。「1日に四合というのを、三合と書きかえるのは、曲学阿世の徒のすることです」

 

 没後88年―。まさか亡霊のような形でおのれがよみがえったことに賢治自身が面食らっているのではないか。ただ、「時代」に利用されやすいということは同時にその作品自体が持ち合わせる弱さでもある。星座を指さしながら、可憐な歌声を披露する少年少女たちの姿を見ながら、私は賢治の有名な警句―「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要序論』を思い出していた。銀河宇宙という広大無辺の世界こそが賢治作品が躍動する舞台にふさわしい。と同時に、この言葉は一歩間違えば「個」を「全体」へと誘導しかねない“諸刃の剣”でもある。私が敬愛する地元の詩人に「この広さなら」と題する詩がある。

 

 

世界がひとつになるにつれて

ひとりで決めることは

隣の人を殺すことになり

みんなで決めることは

ひとりひとりを殺すことになり

それだから

愛に満ちた世界を求めることは

愚かなことになってしまったのだ

……

一滴の滴にも宇宙(コスモス)がある

抱え込める世界はせいぜい

雑木林や沼のちっぽけな広さなのだ

この広さなら隅々まで見渡して

ひとりも殺さずに決めることができる

 

 

 閉会式を横目でチラチラ眺めながら、私は「生と死」ということを考え続けた。そして、思った。「この祝祭はコロナ禍をおおい隠すために仕組まれた、“五輪ファシズム”ではなかったのか」―と。賢治はわが郷土を「イ-ハト-ブ」と名づけ、代表作『注文の多い料理店』(広告チラシ)にこう書いた。「イ-ハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパ-ンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリ-ムランドとしての日本岩手県である」―

 

 「賢治を利用するのはもう、やめにしてほしい」と遅ればせながらの賢治ファンである私は心からそう願わずにはいられない。37歳での夭逝(ようせい)はやはり、早すぎはしなかったか。約100年前、全世界を恐怖のどん底に陥れたスペイン風邪…実は賢治の妹トシもこの感染症に罹患したと言われる。遠く時を隔ててもなお、”時代”に翻弄(ほんろう)される賢治が銀河の彼方で目を白黒させている姿が目に浮かんでくる。何とも皮肉なことにいま、この「夢の国」に君臨するのは「Mr.PO」(パワハラ&ワンマン)とも称される”独裁者”である。「イーハトーブ」がファシスト国家に取って代わられると考えるのは果たして、悲観主義者の杞憂(きゆう)にすぎないのだろうか。

 

 

 

(写真は聖火が消されるクライマックスに登場した「星めぐりの歌」=8月8日夜、オリンピックの閉会式が行われた国立競技場で=インタ-ネット上に公開された写真から)

 

 

 

 

《追記》~「だまされる側」の責任

 

 前回の当ブログで映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」を引用したが、その前段に「だまされる側」の責任に言及した部分がある。今回の“五輪狂騒曲”における「戦争から平和」へのベクトルと余りにも似通っているので、その部分を以下に転載する。

 

 「さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなってくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない」

 

 「すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かったにちがいないのである。しかもそれは、『だまし』の専門家と『だまされ』の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う」

 

『きみが死んだあとで』…“戦争”と“平和”の狭間にて、そして「兵どもが夢の跡」

  • 『きみが死んだあとで』…“戦争”と“平和”の狭間にて、そして「兵どもが夢の跡」

 

 「戦争は平和である」(WAR-IS-PEACE)―。“五輪狂騒曲”を横目で見ていたら、ふいに英国の作家、ジョ-ジ・オ-ウェルが代表作『1984』の中で暗示したダブルスピ-ク(二重語法)の光景が二重写しになった。コロナ“戦争”が拡大の一途をたどる中、復興をかなぐり捨てて強行された“平和”の祭典・東京五輪がやっと閉幕した。矛盾した二つの意味を同時に表現し、国家の意図通りに世論を操作するこの語法…そう、オ-ウェルが全体主義を予言した近未来のディストピア小説が不幸にも目の前で現出するという歴史的な瞬間を私たちは忘れてはなるまい。

 

 「18歳のきみが死んだあとで、彼らはいかに生きたか。きみの存在は、彼らをいかに生きさせたか。ある時代に激しい青春を送った彼ら=団塊の世代の『記憶』の井戸を掘る旅…」―。ドキュメンタリ-映画「きみが死んだあとで」(2021年4月公開)は映画監督、代島治彦さん(63)さんのこんな思いが結集した作品である。54年前の1967年10月8日、ベトナム反戦を訴えるデモの中で、当時京都大学1年生だった山崎博昭さんが機動隊とのもみ合いの末に命を落とした。芥川賞作家の三田誠広や詩人の佐々木幹朗、物理学者で元東大全共闘議長の山本義隆…。山崎さんが在籍した大阪府立大手前高校の同窓や先輩など14人にインタビュ-を重ねた。今年4月に上下巻3時間20分の映画にまとめ、その後に同じタイトルで書籍化された。

 

 「戦争から平和へ」―。まるで何事もなかったように不気味な静けさの中で進行する時代の変貌のただ中にあって、代島さんはなぜ、記憶の忘却に抗(あらが)ってまで、その記憶を再生しようとしたのか。私はオリンピックの喧騒に耳をふさぎながら、満を持すような気持ちで400ペ-ジを超す大著を開いた。もう30年近くも前になるが、代島さんが総合プロデュ-サ-を務めた第1作は沖縄戦の悲劇を下敷きにしたオムニバス映画「パイナップル・ツア-ズ」(1992年)。沖縄の離島を舞台に繰り広げられる珍騒動をコミカルに描いた内容で、日本映画監督協会新人賞を受賞した。旧知の仲だった私は制作に同行取材し、チョイ役ながら“出演”の栄誉にも浴した。しかし以来、ずっと音信が途絶えたままだった。

 

 「古い『記憶』をちゃんと埋葬する。埋葬された過去の『記憶』の土壌から未来の『記憶』の種子ができて、古い『記憶』が新しい『記憶』に新陳代謝する」―。『きみが死んだあとで』(晶文社)はこんな書き出しで始まっていた。「記憶を忘却の彼方に打ち捨てるのではなく、ねんごろに『埋葬』する」…「パイナップル・ツア-ズ」を貫いた精神こそが映画つくりの原点であったことを改めて思い知らされた。14人の青春を追いながら、文中には代島さんの個人史「ぼくの話」8話が挿入されている。私はむしろ、「歴史の記憶」に同伴する覚え書き風なこのメモに興味を引かれた。たとえば、こんな「ぼくの話」―

 

 「『きみが死んだあとで』は「記憶」たどる映画である。「記憶」を「記録」すると、それは「記憶」ではなく「記録」になってしまうのだろうか。僕は「憶」を大事にしたい。「憶」=①おぼえる。忘れない。②おもう。おもいだす。③おしはかる。「記録映画」ではなく「記憶映画」。人生とは「記憶」そのものである、と言い切ってしまってもいい」(第2話)、「もしもぼくが団塊の世代に生まれたとしたら、どんな青春を送っただろうか。もしもぼくが1967年10月8日に羽田・弁天橋で死んだ18歳の若者の友だちだったとしたら、どんな人生を歩んだだろうか」(第4話、映画冒頭の字幕)

 

 映画の冒頭、雨の中で山崎さんの遺影を顔面に掲げた代島さんの姿がクロ-ズアップされる。「記憶の新陳代謝」を繰り返してきた、いまなお18歳のままの代島さんと故人となった山崎さんがまるで一心同体然として、そこに立っていた。そういえば、代島さんは「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(『ノルウエイの森』)という同世代の作家、村上春樹のこの言葉を座右の銘にしていると、本のどこかに書いていた。

 

 6日(広島原爆)・9日(長崎原爆)・15日(敗戦)…また、「記憶と祈り」の8月がめぐってきた。コロナ禍の中での“五輪狂騒曲”の陰にかすんで、その輪郭はまるで漂白されたかのように定かではない。足元ではコロナ感染者が日々、最多を更新し続け、永田町界隈からは「コロナの政治利用」などという不届きなつぶやきがもれ聞こえてくる。戦前、知性派の映画監督として知られた伊丹万作のあの有名な檄「戦争責任者の問題」(昭和21年8月)の一節が耳の奥で激しくこだました。

 

 「つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。…『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」

 

 

 

(写真は映画のポスタ-を掲げる代島さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~あぁ、あぁ…!?

 

 広島への原爆投下から76年を迎えた8月6日、わが宰相・菅義偉首相が平和祈念式典でのあいさつの中で、棒読み原稿の一部を読み飛ばしたうえ、原爆を「ゲンパツ」と言い間違い、慌てて訂正するという”事件”が発生した。「その程度の輩(やから)にだまされる。そう、だまされるお前らの方が大バカもんだよ」―。草葉の陰から伊丹万作の叱声が聞こえてきた。以下にその顛末原稿(カッコ内の赤字部分が読み飛ばし個所。まるで意味不明)。被爆国日本からの重要なメッセ-ジをスル-してしまうなんて、あぁ、もう本当に「スカ、スカ」…

 

 「『ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない(世界の実現に向けて力を尽くします』と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく)核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」ー。この日、広島市など地元関係者は五輪選手などへの黙とうを呼びかけたにもかかわらず、IOC(国際オリンピック委員会)はこれを拒否、“平和”の祭典の正体をさらけ出した。同じ穴のムジナ…