HOME > ヒカリノミチ通信について

動乱の時代へ…白昼テロの衝撃!?

  • 動乱の時代へ…白昼テロの衝撃!?

 

 そのショッキングなニュ-スが飛び込んできたのは、今月24日の市議選に向けた、この日3回目の“辻立ち”(街頭での訴え)を終えた直後だった。この日も猛暑か続く8日、私は「『イ-ハト-ブ』の実現を目指す花巻有志の会」の設立代表人として、「いまこそ、郷土の詩人(宮沢)賢治のメッセ-ジを全世界に向けて発信する時ではないか」と汗だくになって絶叫していた。

 

 「安倍(晋三)元首相 銃撃される/心肺停止か 奈良で演説中/41歳男、殺人未遂容疑で逮捕」―。市中心部の住宅地での“辻立ち”を準備していた正午すぎ、手元のスマホがこの緊急ニュ-スを伝えた。一瞬、頭が真っ白になり、事態の重さに打ちのめされた。「たったいま、白昼テロという恐ろしいニュ-スに接しました」―マイクを握った私はまるで憑(つ)かれたように雄叫びを挙げていた。「賢治は『農民芸術概論綱要』の中で世界全体の平和を、そして詩『雨ニモマケズ』の中で弱者に寄り添うことの大切さを訴えました。まさに今回の事件はそのメッセ-ジの緊急性を示していると思います」…

 

 午後5時46分―。かたわらのテレビの速報が安倍元首相の死亡を伝えた。67歳の若さだった。脈絡のない混乱が頭を駆けめぐった。7波の襲来が確実なコロナ禍、戦火が拡大するウクライナ戦争、そして今回の凶行。世紀末、動乱…不吉な言葉がグルグルと去来した。今年の冬から始まった“選挙”の季節の移ろいを私は反芻(はんすう)していた。

 

 「有志の会」は今年1月の市長選の際、敗北した小原雅道・前花巻市議会議長を支援するための“勝手連”組織として、市議や震災被災者ら有志で結成された。会のスロ-ガン「銀河の郷、輝く未来へ」―を私はずっと、大事にしてきた。8回目のこの日最後の“辻立ち”を私はこう締めくくった。

 

 「さらば、おまかせ民主主義」、「叛逆老人は死なず」―。私は市議選に向けた決意の気持ちをこの二つに込めてきた。「この日のテロの報に接し、このスロ-ガンに込めた気持ちがますます、強くなってきました。他人まかせの政治や行政がどんな結果になるのか、そのことを思い知らされたように思います。だから、私はまだ死ぬわけにはいかないのです。隠居なんてしている暇はないんです」―。国の命運を決める参院選は2日後の10日、その1週間後には市議選の告示(24日投開票)が迫っている。

 

 

 

(写真は安倍元首相の凶行を伝える地元紙の号外とハンドマイクやノボリ、スポ-ツ飲料などの“辻立ち”必携の数々)

 

 

ホタルが乱舞するイ-ハト-ブの実現へ

  • ホタルが乱舞するイ-ハト-ブの実現へ

 

 「去年は12匹いたのに、今年はたったの2匹…」―。日出忠英さん(81)はこう言って、がっくり肩を落とした。日出さんは東日本大震災で故郷の宮城県気仙沼市を追われ、当市花巻に居を移した。移住後に妻を亡くし、いまは市中心部に建つ災害公営住宅に1人で暮らしている。私はホタルの発見者が日出さんだということよりも発見者の日出さんがあの震災の被災者であるということに胸を突かれた。

 

 「第2のふるさと」になるべく早く溶けこもうと、日出さんは健康管理を兼ねて近隣の散策を日課にしてきた。近くに大堰川という小川が流れている。造園家でもあるその目はつい、居住空間と自然環境とのバランスに向けられてしまう。ちょうど、猛暑に襲われた去年の今ごろ、川岸の水草の中で明滅を繰り返すホタルを見つけた。1匹、2匹、3匹…。数えると全部で12匹。「こんなまちなかに…」―。高鳴る胸を押さえながら、日出さんはこの大発見の一報を私に伝えてくれた。「元々の地元住民ではなく、新しいふるさとの宝物を見つけてくれたのが被災者の目だった」―このことに私の胸は逆に高鳴った。

 

 「それがねえ、今年はたったの2匹。周囲に街路灯が増えたせいかもしれません。ホタルは外部の光に敏感だから…」―。日出さんから落胆の連絡があった先月末、私はたまたま分子生物学者、福岡伸一さんの文章になる『月刊 たくさんのふしぎ―ホタルの光をつなぐもの』(絵・五十嵐大介、福音館書店)を手にしていた。末尾にこんな言葉が置かれていた。

 

 「私たち人類が地球に生まれたのは、ほんの20万年前。ホタルが生まれたのはなんと1億年前。途方もない時間をこえて、ホタルは命をつないできている。ホタルの光は、生きものがつながりあっている美しい証(あかし)のようなものだね。これまでもつながってきたし、これからもつながっていく。光の明滅は、一度も途切れたことがない。そして、わたしたちの命もその環(わ)の中のひとつだよ」―。私は日出さんと福岡さんから大きな勇気をもらったような気がした。

 

 「賢治の理想郷『イ-ハト-ブはなまき』」の再生はホタルが乱舞するまちづくりから」―。私は近づく市議選の辻立ち(街頭での訴え)のたびに、このスロ-ガンを絶叫している。そういえば、福岡さんは賢治の代表作『春と修羅』を引き合いに出して、こう書いている。「『春と修羅』には、コロナ禍におかれた私たちが文明社会の中の人間というものを捉えなおす上で非常に重要な言葉が書かれている。まず、冒頭で『わたくし』は『現象』だと言っている。これは『わたくし』という生命体が物質や物体ではなく『現象』である、それはつまり自然のものであるということ。ギリシャ語の『ピュシス』は『自然』を表す言葉で、賢治のこの言葉は本来、生命体はピュシスとしてあるのだということを語りかけているように思う」(『ポストコロナの生命哲学』)

 

 1億年も前から、そしてこれから先も永遠に光の明滅を繰り返すホタルの存在こそが「イ-ハト-ブはなまき」のシンボルにふさわしくはないか。まちのど真ん中で乱舞するホタルたち…賢治が「イ-ハト-ブ」と名付けた「ドリ-ムランド」(夢の国)の実現を目指して…

 

 

 

 

 

(写真はホタルの乱舞をイメ-ジする絵本のひとこま=『たくさんのふしぎ―ホタルの光をつなぐもの』から)

 

 

「PLAN75」~高齢化問題への視線…監督インタビュ-

  • 「PLAN75」~高齢化問題への視線…監督インタビュ-

 

 「75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を認め支援する制度、通称プラン75が今日の国会で可決されました。深刻さを増す高齢化問題への抜本的な対策を、政府に求める国民の声が高まっていました」―。6月18日付当ブログで紹介した映画「PLAN75」はこんな淡々としたラジオニュ-スで始まる。高齢化問題にずばり切り込んだこの映画の監督・早川千絵さん(45)がその背景などについて、インタビュ-で語っている(28日付「朝日新聞」)。今年のカンヌ映画祭でカメラド-ル(新人監督賞)の特別表彰を受けた早川さんの言葉の端々から「お年寄り」を無意識のうちに切り捨てる“姥捨て”社会の現実が浮かび上がってくる。足元の市議選で叫ばれている安直な”世代交代論”にもこの危うさが見え隠れする。以下にその語録の要旨を転載する。

 

 

 「(制度をつくる「政府」がだれ一人登場しないのは、なぜですか?)最初から一切、描かないと決めていました。新しい制度をどんな人がつくっているか、なかなか見えません。意見が反映されず、いつのまにか政府に密室で決められている感じ、反対したくても抗(あらが)いたくても、抗う相手の顔が見えない状況を表したかったのです」

 

 「子どものころ、長生きはいいことだとお年寄りを敬う気持ちを教えられてきたのにここ数年、メディアも介護やお金の不安を煽(あお)るばかり。その不安の矛先が政府ではなくお年寄りに向かい、若い世代との分断も感じています。対立を利用した制度でしょう。国全体の経済的負担を減らすプランの合意をとるために、老後の不安や人々の感情を逆手に取ったとも言えます」

 

 「強い意識や興味があったわけではありません。社会の不寛容さが進むことへの憤りや危機感が映画の原動力でした。社会的弱者に対する風当たりは強くなり、だれもが年をとれば高齢者になる。多くの人が『自分事』として身近に感じられる高齢者を主人公にしました。(75歳になると「後期高齢者」と呼びますね。いまや私も気にせず使っていますが…)他人から『人生の終わり』と言われている気がして、嫌なネ-ミングだと思いました。でも、もう普通に社会に受け入れられているところをみると、プラン75もいつかきっと、普通に受け入れられそうです」

 

 「(この死の支援制度、「日本の未来を守りたいから」とPRします)高齢者の数を減らしたい、『高齢者はじゃま』と言っているようなもの。言葉を言い換えてあたかも良いものであるかのように印象を操作する。無神経な言葉や考え方は今の社会にもすでに存在していると思います」

 

 「(日本の未来を守るために、現実の社会では何が必要でしょうか)政府なら経済を守ることでしょうが、私が思うのは人々の人権や幸せ、尊厳を守ること。どの年代の人も幸せになる権利が軽視されています。他者への想像力でしょうか。私も人に迷惑をかけたくない思いが強くありましたが、一概に悪いことではないはず。映画をつくるなかで『迷惑をかけて当たり前』『困ったときはお互いさま』という考え方のほうが、生きやすい世の中になると思い始めました」

 

 

 

 

(写真は高齢者問題に一石を投じた「PLAN75」の早川監督=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

「高い壁を低くする」50音カルタ…”世代ミックス”こそが喫緊の課題!?

  • 「高い壁を低くする」50音カルタ…”世代ミックス”こそが喫緊の課題!?

 

 「みっともないから、おやめなさい」(4月1日付当ブログ)、「若い人に道を譲るのが年寄りの役割。花巻の恥をさらすのは止めてくれ」(5月7日付同)―。世代交代の逆風が吹き荒れる中、(あえて私がこう呼ぶ)“末期高齢者”(82歳)の選挙戦もあと1か月を残すのみとなった。こんな折しも私にとってまるで、救世主みたいな本に出会った。高齢精神医学の泰斗、精神科医の和田秀樹さんの『80歳の壁』である。「壁を超えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!」…。読み進むうちに元気がもりもり、出てきた。

 

 「82~83歳で急激に衰える人が目立ちますが、その人たちは大概、80歳になったのを機に、いろいろなことをやめてしまう人です。なんとなく家に引きこもっているうちに動けなくなってしまう人も結構多いのです。できることを自ら放棄し、何もできない体になってしまう。これって本当にもったいないことだと思いませんか?」―。和田先生はこう話し、「残存機能を残すヒント」を50音順にカルタ風に並べた試問を促している。さっそく、挑戦してみた。驚くなかれ、ほぼ全部クリアできているではないか。「選挙こそが長生きの秘訣!?年寄りの冷や水なんて、クソくらえ」…。1歳年上の冒険家、堀江謙一さん(83)がヨットによる単独無寄港の太平洋横断を成しとげたのは今月初め。世界最高齢の快挙である。同輩の皆さん、いや最近とみに思考の老化現象が顕著な若年世代の皆さまもどうぞ、お試しあれ。

 

 

(あ)~歩き続けよう。歩かないと歩けなくなる

(い)~イライラしたら深呼吸。水や美味しいものも効果的

(う)~運動はきつくない程度に

(え)~エアコンつけて水を飲み、猛暑から命を守れ

(お)~おむつを恥じるな。行動を広げる味方です

(か)~噛めば噛むほどに、体と脳はイキイキする

(き)~記憶力は年齢ではなく、使わないから落ちる

(く)~薬を見直そう。我慢して飲む必要はない

(け)~血圧、血糖値は下げなくていい

(こ)~孤独は寂しいことではない。気楽な時間を楽しもう

(さ)~サボることは恥ではない。我慢して続けなくていい

(し)~自動車の運転免許は返納しなくていい

(す)~好きなことをする。嫌なことはしない

(せ)~性的な欲もあって当然。恥ずかしがらなくていい

(そ)~外に出よう。引きこもると脳は暗くなる

(た)~食べたいものは食べてよし。小太りくらいでちょうどいい

(ち)~「ちょっとずつ」こまめにやるのがちょうどいい

(つ)~つき合いを見直す。嫌なやつとはつき合うな

(て)~テレビを捨てよ、町に出よう

(と)~闘病より共病。「在宅看取り」の選択もあり

(な)~「なんとかなるさ」は幸齢者の魔法の言葉

(に)~肉を食べよう。しかも安い赤身がいい

(ぬ)~ぬるめの湯、浸かる時間は10分以内

(ね)~眠れなかったら寝なくていい

(の)~脳トレよりも、楽しいことが脳にはいい

(は)~話したいことは遠慮せず。話せば気分も晴れてくる

(ひ)~病院は「かかりつけ医」を決めておく

(ふ)~不良高年でいい。いい人を演じると健康不良になる

(へ)~変節を恐れるな。朝令暮改は大いに結構

(ほ)~ボケるのは、悪いことばかりじゃない

(ま)~学びをやめたら年老いる。行動は学びの先生だ

(み)~見栄を張らない。あるもので生きる

(む)~無邪気になれるのは老いの特権

(め)~面倒なことほど、じつに面白い

(も)~もっと光を。脳は光でご機嫌になる

(や)~役に立つことをする。自分の経験を生かせばいい

(ゆ)~ゆっくりと今日を生きる。終わりは決めない

(よ)~欲望は長生きの源。枯れて生きるなんて百年早い

(ら)~楽天主義は幸齢者にこそ必要

(り)~「リラックスの呼吸」で老い退治

(る)~ル-ルは自分で決めていい

(れ)~「レットイットビ-」で生きる

(ろ)~老化より朗化。これが愛される理由

(わ)~笑う門には福来る

 

 

 

 

(写真は高齢者の間で人気の『80歳の壁』。『70歳が老化の分かれ道』、『バカとは何か』など著書多数)

映画「PLAN(プラン)75」…現代の“楢山節考”!?~訃報、森崎和江さん

  • 映画「PLAN(プラン)75」…現代の“楢山節考”!?~訃報、森崎和江さん

 

 「いままさに目の前で起きている現実。現代の“姥捨て伝説”ではないのか」―。第75回カンヌ国際映画祭で新人監督賞に該当する特別表彰(スペシャル・メンション)を受賞した「プラン75」(早川千絵脚本・監督)を見ながら、私は約40年前に同じ映画祭で最高賞のパルムド-ルに輝いた「楢山節考」(原作・深沢七郎)をまなうらに重ねていた。「生死の判別が国家の手にゆだねられる」―そんな悪夢がひたひたと足元に忍び寄ってくる予感に気圧(けお)されながら…

 

 “姥捨て伝説”はかつて、日本の各地にあった。いわゆる、食い扶持を減らすための棄老策で、たとえば『遠野物語』(111話)にはこんな話が採録されている。「山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺及火渡、青笹の字中沢並に土渕村の字土淵に、ともにダンノハナと云ふ地名あり。その近傍に之と相対して必ず連台野(れんだいの)と云ふ地あり。昔は六十を超えたる老人はすべて此連台野へ追ひ遣るの習(ならい)ありき。老人は徒に死んで了(しま)ふこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊(ぬら)したり。その為に今も山口土淵辺にては朝(あした)に野らに出づるをハカダチと云ひ、夕方野らより帰ることをハカアガリと云ふと云へり」

 

 少子高齢化が急速に進む日本。国はこの解決策として、75歳以上の高齢者に自らの生死を選ぶ権利を与え、それを支援する「プラン75」を制定する。「生きていることが罪ですか」―。この映画は人間存在の根本にぐいぐいと迫っていく。後期高齢者(75歳)の主人公「桃子」さんの軽やかな老後を描いて、芥川賞(『おらおらでひとりいぐも』)を受賞した遠野出身の若竹千佐子さんはこの映画に敏感に反応し、こう話している。

 

 「慄然とした。これは現代の『楢山節考』だ。あながちないとは言い切れない世界。人がモノ化している。人の情や思いやりよりも、まず損得。貧困化、高齢化で生産性のない老人は死を選ぶことも可能ですという。ここでも自己責任が幅を利かせている。非正規化、孤立、貧困、今、問題はいっぱい。いいかげん立ち上がって、人の尊厳を取り戻す戦いを始めないと大変なことになると、改めて思った」

 

 「ハカダチ」と「ハカアガリ」―。遠野物語の世界には死に至るまでの間、老い先の短い老人たちにも“働き口”を与えるという人間的なあたたかみがあった。しかし、「プラン75」には高齢者を死へと誘導する露骨なたくらみ(国家意志)が透けて見えてくるだけである。

 

 そういえば、今年1月の花巻市長選で3選を果たした上田東一市長の公約は「子ども達の未来/はなまきの未来を創る」―だった。そして、乱戦気味になりつつある今夏の市議選(26の定数に対し、31人が出馬予定)では「世代交代」を声高に主張する若手も散見される。この主張自体は正論であるが、コインの片方しか見ない偏頗(へんぱ)な考えだともいえる。「2025年問題」(超高齢化社会)への視点がすっぽりと抜け落ちているからである。

 

 主演の倍賞千恵子さんは現在80歳で、私とわずか2歳しか違わない。この名女優が体を張って、国の不条理と闘う姿に勇気と元気をもらった。ありがとう、同輩のチコちゃんよ!?関係諸氏にはぜひとも「現代版」楢山節考の評価が高いこの映画を鑑賞してもらいたいものである。高齢化するノ-ベル賞受賞者を支えるのは周囲を固める若手研究者の軍団である。社会が正常に機能するためにはこうした「若さ」と「老い」の”世代ミックス”こそが肝要なのである。

 

 いったんはプランを申請したものの「強制された死」を拒否した角谷ミチ(倍賞)は結局、自らの意志で(自)死を選択する(画面にはその場面は出てこないが、私にはそう思えた)。人間の「生と死」の線引きはあらゆる他者から自由であらなければならない。私はこの映画から、そのことの大切さを学んだような気がする。不肖、”叛逆老人”もその自由を貴(たっと)んでいるが故にそう簡単に死ぬわけにはいかない。

 

 

 

 

 

(写真は高齢者の尊厳を見事に演じた倍賞千恵子さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記》~「生」を生き切った詩人の森崎さんが逝去

 

 「相手の目をじっと見つめ、口からこぼれ落ちる言葉を一つひとつ、耳に聞き取るのよ。それがとっても大事」―。筑豊や大牟田の炭鉱地帯の取材に随行してくれた森崎さんはさりげない口調で、ルポの心得を指し示してくれた。私自身の記者としての原点はここにある。スランプのたびの相談相手として、いつでもニコニコ応対してくれた。未熟な記者の卵が心配だったのだろうか、東北の転勤先にまで泊りがけで足を運んでくれた。ある時、福岡・宗像のご自宅で大皿に盛られたフグをご馳走になったことがある。あんな美味しいフグを口にしたことはあれ以来ない。私はいま、夏の市議選に向けたまっただ中にいる。「相手の目を…」―。あの時の言葉を反芻しながら、全力疾走しようと思う。「森崎さん、あの時の記者の卵はいっぱしの叛逆老人に成長しましたよ。ありがとうございました」。合掌

 

 

 詩人でノンフィクション作家の森崎和江(もりさき・かずえ)さんが15日、急性呼吸不全で死去した。95歳だった。葬儀は18日に近親者で営んだ。旧朝鮮・大邱府生まれ。敗戦直前に17歳で単身日本に帰国した。旧福岡県立女子専門学校(現・福岡女子大)卒業。詩誌「母音」の同人を経て1958年、谷川雁、上野英信らと「サークル村」を創刊した。同誌には石牟礼道子も参加した。女性の交流誌「無名通信」を主宰した。植民地時代の朝鮮で育ち、閉山で荒れる筑豊で生活した経験から、搾取・差別される人たちの視点を重視。独自の文化論やエロス論を展開し続けた。女性炭鉱員からの聞き書き「まっくら」や「からゆきさん」「闘いとエロス」などを発表した(6月19日付「朝日新聞」)