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灯台下暗し(その10~とりあえずの「完」)…あぁ、“青春”残酷物語~ついに、高校生の”政治”利用も!!??

  • 灯台下暗し(その10~とりあえずの「完」)…あぁ、“青春”残酷物語~ついに、高校生の”政治”利用も!!??

 

 「青春って、一体なんだろうか」―。私は目の前の数字をまじまじと眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。「新花巻図書館の整備に関する市内学校等でのグル-プワ-ク」の結果として、市HPには「93vs25」という数字が並んでいた。市内6校の130人を対象とした新図書館の立地場所をめぐる意見集約で、93人が「駅前JR敷地」を希望したのに対し、「旧病院跡地」はわずか25人だったという告知である。一方、225人が参加した市民説明会ではその数字(発言実数)が「18vs32」と逆転していた。

 

 単なる世代間の相違だろうか。いや、私のまなうらには本来、夢を語り合う世代であるはずの“青春群像”をまるで、操り人形みたいに政治利用しようとするどす黒い悪意が見え隠れしていた。わが青春時代を風靡(ふうび)したある映画のシ-ンがそんな妄想を引き出したようだった。

 

 映画「青春残酷物語」(大島渚監督、1960年6月3日公開)は戦後最大の闘争と言われた「60安保」(日米安保条約改定反対)のさ中に産声を挙げた。当時、大学生だった私もこの闘争の渦中に身を置いていた。東大生だった女子学生が警察官との衝突で死亡したのは映画封切りのわずか10日後のことだった。デモ参加の合間をぬって、私も映画館にかけつけた。「若さゆえの奔放、怒りゆえの暴力、愛ゆえの破滅」…。女子高生と大学生との無軌道な愛の物語はデモに身を投じる私自身の気持ちと違和感なく、重なり合った。大島監督は当時、「日本のヌ-ベルバ-グ」(新しい風)ともてはやされていた。「政治の季節」を複眼でえぐり取るそのすごさに度肝を抜かれたことを覚えている。

 

 「駅に近くて、便利だから」、「駅は人が集まりやすいから」…。HPに目を移すと、駅前立地を希望する高校生たちの意見の多くはその利便性に集中していた。活字離れが進む若者世代の傾向としては無理からぬことかもしれない。「いまの若者は…」と切って捨てるのはいとも簡単である。現政権が進める「安保三文書」の改定に大方の国民が無関心を決め込む時代状況下ではなおさらである。しかし、この「無関心」の政治利用こそがこの国の伝統的な作法と言われてきた。「60年安保」の際、当時の岸信介首相はこう言ってのけた。「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』(サイレント・マジョリティ)の声が聞こえる」―

 

 「強い意見やビラ配りをする市民だけでなく、こうした人たちに気圧(けお)されて発言できなかった人もいたと聞いている。より幅広い意見を吸い上げたい」(12月5日付当ブログ参照)―。上田東一市長にとっての「サイレント・マジョリティ」とはさしずめ、高校生など若者世代を指すのであろう。高校生を対象にした「橋上化」バ-ジョン(11月24日付当ブログ「今度はアンケ-ト“捏造”疑惑」参照)がその第1弾だとすれば。今回は第2弾としての「図書館」バ-ジョンと言えそうである。

 

 無鉄砲でもある種の「権威」に叛逆する精神性…これこそが私たち世代の「青春」だった。「若さ(奔放)」と「怒り(暴力)」と「愛(破滅)」という混然一体の中にひそむ不変の青春性…。もし仮にこれが骨抜きにされているとしたら、高齢世代の私たちにもその責の一端があるはずである。図書館は「知のインフラ」とも呼ばれる。「グル-プワ-ク」の設問の中に「そもそも、図書館とは何か」という根源的な問いかけがなかったとすれば…逆に立地場所に特化した設問が先にありきだったすれば、それはもう若者世代に対する行政の裏切り行為…「政治利用」そのものである。いまの若者たちはもしかしたら、あの「青春残酷物語」よりもはるかに“残酷”な時代を生かされているのかもしれない。

 

 若者よ、政治の”人質”からの一日も早い自己解放を!!??老残の身のノスタルジ-ということを重々承知しつつも、人はすべからく”歴史”に謙虚でなければならないと思う。「過去」を帯びない「今」はない。

 

 

 

(写真は強烈なイメ-ジの映画ポスタ-。ほとばしる“青春”が伝わってくる=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~さようなら、照さん

 

 東日本大震災で母親と妻、一人娘を失った大槌町在住の白銀照男さんが亡くなった。享年73歳。震災以来、何度も肉親捜しに同行した。「数日前にがんが見つかり、すでに手遅れだった。(12月)21日に息を引き取りました」と息子さん。3人はまだ、行方不明のまま。「やっと、3人のもとに行けるね」と思うと少し、ホッとした。大切な人がまた、私を残して旅立ってしまった。合掌

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

灯台下暗し(その9)…コロナ禍の中の図書館”立地論争”!!??

  • 灯台下暗し(その9)…コロナ禍の中の図書館”立地論争”!!??

 

 「人類はいま、コロナパンデミックという感染症の脅威の中に生きなければならない宿命を負わされてしまいました。ニュ-ノ-マル(新しい日常)が叫ばれる時代の中で、図書館の在り方も従来のようなまちの活性化やにぎわい創出の観点だけから論じることは、もはや不可能だと考えます」(2020年10月25日)―。私は2年前の夏から秋にかけて5回開催された「としょかんワ-クショップ」の最終回で、冒頭のような意見表明をした。あれから2年以上たったいま、コロナ禍は一層悪化の一途をたどりつつある。

 

 新花巻図書館の立地問題に議論が集中した市議会12月定例会が開会中の12月13日、岩手県は新型コロナウイルスへの1日の感染者数が過去最多の2515人に達したと発表。岩手医大附属病院の小笠原邦昭院長は「いまの状態からさらにひっ迫した時には本当に命が危なくなることを想像してもらいたい」と厳しい口調で呼びかけた。相前後し、当市でも上田東一市長や複数の議員らが相次いで感染し、厳しい議会運営を迫られた。そんな中、市側が立地場所の第一候補地に挙げたのがJR花巻駅前のスポ-ツ店敷地だった。

 

 「公共交通が整備された駅前こそが最適地。将来の世代を担う若者世代や駅利用者が集うことによって賑わいも創出され、駅周辺の活性化も加速される」―。マスク姿といういで立ちで駅前立地の正当性を力説する上田市長に激しい違和感を覚えた。「感染症の時代だからこそ、人の集積はなるべく避けるべきだという発想の転換が必要ではないのか。それこそが行政トップの使命ではないか」と毒づきたくさえなった。「緊急事態宣言」が発令された2年前、図書館プロデュ-スの達人として知られる岡本真さん(アカデミック・リソ-ス・ガイド代表)はこう語っていた。事態はまさに岡本さんの予想通りに進んでいる。

 

 「図書館の集客機能がまちづくりの文脈で評価・尊重されてきましたが、新型コロナの感染拡大を防ぐには、図書館においてもむやみに人を集められない、かつ長時間の滞在が好ましくない、さらに交流自体を大規模には行えないということになります。この10年ほど、大きな影響力をもってきた図書館による『賑わい』創出という考え方は曲がり角に来たと感じています。コロナの脅威がいつまで続くのかは、まだ誰にもわかりません。ですが、今後も発生が予測される新たな感染症の脅威を見込むと、公共施設の計画・整備・運営は一度ゼロベ-スから組み上げ直していく必要があるでしょう」(2020年7月10日付論考「新型コロナ後、『図書館×まちづくり』の在り方が問われる」)

 

 コロナ禍の中での“立地論争”のさ中、花巻城跡に隣接する旧総合花巻病院の建物群が撤去された結果、目の前に霊峰・早池峰山を遠望する眺望がこつ然と姿を現した。「いままで建物に遮られて見えなかったけど、この光景を目に入れてしまった以上、図書館はもうここしかない」―。まるで、“新名所”にでも様変わりしたみたいに「跡地」見物が後を絶たなくなった。新図書館をめぐる市民説明会で「病院跡地派」が32人と「駅前派」の18人を上回ったのもはけだし、自然の成り行きだったのであろう。予想だにしない出来事が突然起きる―「青天の霹靂」(せいてんのへきれき)とはこのことを言うのかもしれない。

 

 旧総合花巻病院の中庭に宮沢賢治が設計した花壇があった。「Fantasia of Beethoven」(ベ-ト-ベンの想い)と自らが名づけたこの花壇について、賢治はこう書いている。「けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇工作』)。病院跡地に隣接し、シニアが集う「まなび学園」は妹のトシが学び、のちに教鞭を取った花巻高等女学校(花巻南高校の前身)の建物である。そのトシは約100年前、世界中で猛威を振るった感染症(スペイン風邪)に罹患(りかん)し、それが原因で夭折(ようせつ)した。空耳であろうか…。銀河宇宙の彼方から、賢治の声が聞こえたような気がした。

 

 「イ-ハト-ブに図書館をつくるのなら、おらも大好きで何回も登った早池峰が見えるその場所に建ててほしいな。広々とした空間が広がるこの環境なら、トシもきっと喜ぶと思う。ついでに、ベ-ト-ベンの花壇も復元してもらえれば、よけいうれしな…」―。口を開けば「コロナ対策」を叫ぶその人が一方で「コロナ」に背を向ける…その無自覚ぶりというか、倒錯した”図書館像”はもはや悲惨を通り越して、”狂気の沙汰”としか言いようがない。

 

 

 

 

(写真は市側が新図書館の立地の第一候補に挙げたスポ-ツ店とその周辺=JR花巻駅前で)

 



 

灯台下暗し(その8)…数字の“マジシャン”が、その数字に逆襲される時!!??

  • 灯台下暗し(その8)…数字の“マジシャン”が、その数字に逆襲される時!!??

 

 「タダじゃ、ないんですよ」―。上田東一市長の発言に一瞬、虚を突かれた。花巻市議会9月定例会で複数の議員が新花巻図書館の立地場所について、旧総合花巻病院跡地の適否を問うた際にこの「タダ」発言が飛び出した。「そうか」と危うく合点しそうになって、ハタと気が付いた。この該当地はすでに市側と病院側の双方の間で有償譲渡の協定が締結済みだったことを思い出したのである。まるで、市有地として購入するためには「新たな支出」が要請されるような口ぶり…これって、もう立派な詐欺行為ではないのか。実はこの発言には巧妙な“伏線”が用意されていた。

 

 「駅前のスポ-ツ用品店の土地を購入する経費や整備事業費がわからないと比較検討ができないのではないかという趣旨の意見の方も9名、旧総合花巻病院跡地を希望するが、事業費の比較検討が必要ではないかという意見の方が2名あったところであります」―。上田市長は定例会初日(12月2日)の行政報告で、市民説明会における新図書館の立地場所の集約について、「病院跡地が32人、市側が第1候補に挙げる駅前スポ-ツ店敷地が18人だった」としたうえで、土地購入に関してはその後の一般質問の中で「病院跡地の取得には約3億円が見込まれるが、スポ-ツ店敷地の場合は1億5千万円から2億円程度と試算されている」と具体的な数字を示した。これこそが、上田市長の得意技―「数字による目くらまし」手法である。この“落とし穴”にはまらないためにここで、きちんとおさらいをしておきたい。

 

 「総合花巻病院の移転整備に関する協定」(平成29年3月6日付)には病院跡地の取り扱いについて、以下のように定めている。

 

●「乙(公益財団法人総合花巻病院)は新病院開業後、現在の病院跡地内の建物、施設すべてを解体撤去し更地にした上で、甲(花巻市)に譲渡する」(4項の4)

●「土地価格は不動産鑑定評価し、当該評価額を基準に甲と乙とが協議して決定する」(4項の5)

 

 つまりはこういうことである。病院跡地についてはその譲渡価格の多寡(たか)にかかわらず、すでに市側が購入することが双方で合意しているということである。逆に言えば、購入を拒否した場合は、契約不履行も成立するという民法上の協定が締結済みということを忘れてはならない。一方のスポ-ツ店敷地はまさに新規購入の物件に相当し、これこそが「新たな支出」(税金のムダ使い)に当たるというべきである。伊藤盛幸議員(はなまき市民クラブ)が一般質問の中で「すでに市有地化が決まっている病院跡への立地を決断すべきではないか」と迫ったのはけだし、正論である。

 

 「数字(1・5億vs3億)だけ見れば、やはり駅前立地も選択肢として残るのでは…」―。一方で、市民だけではなく議員の中にもこんな考え方がいまだに根強いらしい。そもそもが比較対照が成立しない数字による“目くらまし”…術中にはまるとはこのことではないか。当ブログで何度も指摘してきたように、ここでも”民意”(市民の声)が恣意的に作られていく数字のからくりが浮き彫りになっている。

 

 ところで、数字の“マジシャン”を気取ってきた上田市長が今度はその数字の逆襲を受ける羽目に陥っている。病院跡地への立地を希望する「32人」…さすがのマジシャンもこの数字をないがしろにはできまい。以下の発言にその手の内が透けて見えてくる。「強い意見やビラ配りをする市民だけでなく、こうした人たちに気圧(けお)されて(駅前立地を希望しながら)発言できなかった人もいたと聞いている。より幅広い意見を吸い上げたい」(12月5日付当ブログ)―。この人が今後、どんな手法を繰り出すのか、その一挙手一投足からいや増し、目が離せなくなってきた。記憶に新しいところでは11月24日付当ブログ「今度はアンケート”捏造”疑惑」を参照していただきたい。

 

 

 

 

(写真は解体前の花巻病院。建物が撤去された眼前に現れたのはまさに「文教地区」にふさわしい光景だった=花巻市花城町で、インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~「タダ」発言のなぞ解き

 

 「タダ」発言のからくりを整理しようと思い、市長答弁の録画を聞き直してみた。「仮に病院跡地の譲渡金額が3億円だとして…、いや立地候補地の駅前スポ-ツ店の敷地の金額もまだ決まっていませんが、いずれにせよ(病院跡地に比べて)はるかに安い」と述べたあと、こう続けた。「たとえば、市が独自にその土地(病院跡地)を他の目的に使おうとした場合、(そこに図書館が建っていれば)新たに土地を求めなければならない。そうすればまた、金がかかってしまう。だから、タダではないと言ったんです。将来的には民間活用(譲渡)ということもあり得る」―。お得意の数字をちらつかせながら、図書館の病院跡地への立地へ「NO」サイン(予防線)を出したというのがミエミエ。それにしても、いかにもこの人らしい、なかなか手の込んだ“詭弁”ではないか。


 


 

「えっ、西南道の駅も」…上田流「駅前活性化」の拡大解釈!!??

  • 「えっ、西南道の駅も」…上田流「駅前活性化」の拡大解釈!!??

 

 「たとえば、2年前に開店した道の駅『はなまき西南』なども含め、まちの活性化については全体的な相乗効果が欠かせない」―。花巻市議会12月定例会の一般質問で、本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)が懸案の「JR花巻駅(東西自由通路)」整備について、「最近、橋上化だけでは活性化は難しいと認識が後退したように見える」とただした際の上田東一市長の答弁である。市郊外に位置する道の駅を地盤に持つ本舘議員はこの恩着せがましい発言に「質問内容に関係ないではないか」と怒りをあらわにしたが、私は「ついに“永田町病”がここまできたか」と宙を仰いだ。

 

 「ご飯論法(ごはんろんぽう)」―。一時、永田町界隈でこんな“論点ずらし”が流行(はや)った。「朝ご飯は食べたか」という質問に対し、パンを食べたにもかかわらず「ご飯(白米)は食べていない」と答えるように、質問者の意図をあえて曲解し、論点をはぐらかす手法である。さて、上田市長の得意技の「ご飯論法」とは―

 

 総合花巻病院の移転整備や中央広場、子育て世帯向け賃貸住宅、災害公営住宅、中心部での道路整備…。「全国で3番目に策定」が自慢の上田市長はその「立地適正化計画」を振りかざしてこう力説した。「橋上化と図書館をのぞいてほどんどの計画が実現しており、この実績がまち全体の底上げを支えている。活性化とはそういうものだ」―

 

 「ウソだろ」と思わず、眉につばを付けた。当初、病院の移転整備に伴って、年間80万人の誘客効果があると喧伝されたが、このスロ-ガンはいつの間にか計画書から姿を消してしまった。計画段階であった多目的ホール(234席)なんて、どこを探してもありゃしないじゃないか。その一方で、ふだんから人気(ひとけ)が少ない中央広場では「ヒカルヒロバ2022」と銘打ったイルミネ-ションの飾り付けが今月3日から始まった。全国的に節電が呼びかけられているさ中、この倒錯した景色だけが闇夜に不気味に浮かんでいる。

 

 「最後の大プロジェクトである橋上化と図書館について、この二つは別物の計画だとことあるごとに述べているが、市民感覚としてはワンセットの方が駅前活性化には効果があると思う」―。本舘議員がこう追い打ちをかけると、上田市長は「たしかに一緒の方が活性化にはつながると思う。ただ、立地場所については駅前と花巻病院跡地に市民の意見が分かれており、今の段階で一方的に決めることはできない。今後の若者の動向次第ではワンセットで進めることもあり得る」とチラリと本音をもらした。

 

 「橋上化と西南道の駅と」―。上田市長が「ご飯論法」を持ち出してまで「無理」を押し通そうという底意が見え隠れする。「絵に描いたモチ」(絵空事)になることを一番、恐れているのは他ならない行政トップの上田市長であるからである。「若者総動員計画」―。今年のイ-ハ-トブの流行語大賞には市長好みの「若者世代」が受賞すること、請(う)け合いである。

 

 

 

 

(写真は資料に目を落としながら、質問する本舘議員=12月7日午前、花巻市議会議場で)

 

 

 

《追記》~「市民による辛口採点大会」へのご案内

 

 12月5日から7日まで行われた花巻市議会12月定例会の一般質問を対象にした「市民による辛口採点大会」(「花巻市民の権利を守る会」主催)への入場は下記から。フォ-ムの開設は2月5日午前10時から同15日正午まで。質問一覧は11月29日付当ブログを参照ください。

 

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd0f2cDUoUNvFtxMwIqrFw230OZoYXCJwnSdph9mHAu8wBKog/viewform?usp=pp_url

 

 

“立地論争”(後編)…イ-ハト-ブ“図書館戦争”攻防記!!??

  • “立地論争”(後編)…イ-ハト-ブ“図書館戦争”攻防記!!??

 

 「看過できない重大発言だ。世代間の分断を促しかねない。取り消しを要求したい」―。6日開催の花巻市議会9月定例会の一般質問の場に緊張が走った。発端は新花巻図書館の立地場所にからんだ鹿討康弘議員(はなまき市民クラブ)の質疑応答。上田東一市長が立地の第1候補地としたJR花巻駅前について、「高齢者のためだけの図書館で良いのか。それなら今の図書館で十分。若い人は圧倒的に駅前を希望している」―。議会のライブ中継に見入っていた私が「ついに、本音がポロリか」と思った瞬間、上田市長があわてた様子で手を挙げた。

 

 「私も現在、68歳の老齢世代。だからこそ、将来を見すえて若者を含めたあらゆる世代に開放された図書館を目指したいと思っている。言葉が足りなかったとしたら、訂正したい」―。とってつけたような取り繕い…「語るに落ちるとはこのこと」と眉につばを付けようとしたら、続いて質問に立った櫻井肇議員(共産党花巻市議団)がこの問題発言を引き取った。「不愉快だ」と檄する櫻井議員に対し、上田市長はこう言い放った。「分断だとは決して、思っていない。逆に全世代に開かれた図書館こそが…。表現が不適切だとしたら、お詫びをしたいが、取り消す必要はない」

 

 「なぜ、若者なら駅前なのか。高校生を対象にした説明会がまだ、終わっていない段階でなぜ、若者に特化した議論ができるのか」―。私は図書館問題の核心から外れた、質疑応答の当事者双方のこの不毛な論議にイライラしていた。いわゆる、統計学上の原則を無視した「アンケ-ト“捏造”疑惑」(11月24日付当ブログ)…恣意的に作為された“民意”の実相に怖気(おぞけ)が走っていたからである。土台、仮に駅を利用する高校生に限ってみても日中は学校で授業を受けているではないか。活字離れが進んでいる若者世代を引き寄せるための図書館論議こそが急がれるべきではないのか。

 

 「JR花巻駅橋上化の見返りにJR側が土地譲渡交渉のテ-ブルにつく」―いわゆる「橋上化と図書館」のワンセット“疑惑”がまたぞろ、頭をもたげてくるゆえんである。その辺の”闇”の部分に切り込んで欲しいと期待したが、質問者はいずれも「木を見て、森を見ず」ーのレベルに終わった。一方で、「万が一、土地交渉が不調に終わった場合はどうなるのか」という櫻井議員の質問に対し、上田市長は苦渋の色を浮かばせながら、こう答えた。「そうなった時には花巻病院跡地になると思う」。少しづつ、素顔が見えてきた。イ-ハト-ブ“図書館戦争”の攻防から目を離せなくなってきた。

 

 「本来、図書館とはどうあるべきなのか。箱物や場所よりも、まずその理念を最優先させるべきではないか」…私のイライラの根っ子にはこの逆さまな議論へのいら立ちがずっと、巣食っている。

 

 

 

(写真は資料を示しながら、“防戦”一方の上田市長=12月6日午後、花巻市議会議場で)

 

 

 

《追記》~「市民による辛口採点大会」へのご案内

 

 12月5日から7日まで、行われる花巻市議会12月定例会の一般質問を対象にした「市民による辛口採点大会」(「花巻市民の権利を守る会」主催)への入場は下記から。フォ-ムの開設は2月5日午前10時から同15日正午まで。質問一覧は11月29日付当ブログを参照ください。

 

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd0f2cDUoUNvFtxMwIqrFw230OZoYXCJwnSdph9mHAu8wBKog/viewform?usp=pp_url