HOME > ヒカリノミチ通信について

賢治ゆかり…「跡地」今昔物語~「旧花農」跡地を文教地区に!!

  • 賢治ゆかり…「跡地」今昔物語~「旧花農」跡地を文教地区に!!

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」…。流れ落ちる涙をこぶしで拭いながら、”放歌高吟”する行列を私はまるで、天から降臨した尊きものに接するような面持ちで眺めていた。幼少時、私は旧花巻農学校近くの“農学校通り”に住んでいた。卒業式を終えた花農生たちは宮沢賢治が作詞したこの歌を大声で歌いながら、学び舎を去っていった。

 

 賢治は大正10(1921)年から4年余り、同校で教鞭を取った。当時、校歌を持たなかった生徒たちのために作ったのが冒頭の「花巻農学校精神歌」で、いまでは市民歌としても定着している。同校は昭和44(1969)年に閉鎖になり、現在地に移転した。当時の市長は「旧花農」跡地を宅地として分譲する計画を打ち出した。反対ののろしを上げたのは同窓会長で賢治研究者でもあった故照井謹二郎さんだった。「賢治の里にユネスコの火を灯そう」―。当時、花巻ユネスコ協会の立ち上げに尽力した同校教員の押切郁さん(93)らも加わり、「賢治ゆかりの地を文教地区」へという市民運動が燎原の火のように広がった。

 

 「10以上の各種団体が賛同してくれた。当時の趣意書は大事に取ってある」―。まだ、矍鑠(かくしゃく)たる押切さんはこう続けた。「新図書館の立地問題が迷走するのを見てもう、黙ってはおられなくなった。旧病院跡地も賢治ゆかりの地という意味では同じ。あの時の市民が一致団結した熱気を伝えたい。私にはもうあまり、時間が残されていないのよ」―。押切さんたちの粘り強い運動が実り、閉鎖から4年後に旧花農跡地は現花巻市立図書館と文化会館、それに「ぎんどろ公園」を併設した一大文教地区に生まれ変わった。

 

 「JR花巻駅前か旧花巻病院跡地か」―。あれから、ちょうど半世紀を迎えたいま、目の前ではどこに建てるかという“立地”論争が迷走の極を迎えている。「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」などの市民グル-プが旧病院跡地への立地を上田東一市長に対して要望するなどの新しい市民の動きも出てきた。押切さんが力を込めて言った。「私はもう、何時あの世に呼ばれたっておかしくない。だから毎日、手紙を書いたり、電話をしたり、時には出かけて行って直接、話をしたりと忙しいの。でもね、あの時の高揚した気持ちが背中を押してくれるんだよね」

 

 「イ-ハト-ブ高校」―。かつて、学校名をめぐってこんな“校名”論争があった。20年前の2003年、花巻農高と北上農高とが統合された際に起きたのがこの論争である。北上側のこの提案に対し、「やはり、賢治さんの息づかいが聞こえる今のままで…」と主張する花巻側に軍配が上がった。そしていま、「イ-ハト-ブ図書館」の建設を望む声が日増しにふえつづけている。100年ぶりに旧病院跡地の背後から霊峰・早池峰山がその雄姿を現したと思ったら、50年ぶりに移転するその移転先に急浮上したのがこの跡地…。それにしても「歴史は繰り返す」というのか、「歴史の縁(えにし)」の不思議に驚愕(きょうがく)さえ覚えてしまう。

 

 久しぶりに賢治が愛したぎんどろの木が植えられた「ぎんどろ公園」を散策した。「風の又三郎」の石像群や詩碑などが点在する園内で風雪に耐えた木塔に再会した。精神歌の一節が刻まれた野太い筆字が目に飛び込んできた。「我等は黒き土ニフシ/マコトノ草ノ種マケリ」―。その精神歌はこう閉じられる。「日ハ君臨シ カガヤキノ/太陽系ハ マヒルナリ/ケハシキタビノ ナカニシテ/ワレラヒカリノ ミチヲフム」。当ブログのタイトル「ヒカリノミチ通信」はその精神を大切にしたいという思いから、賢治さんから勝手に借用して命名したものである。

 

 

 

 

(写真は賢治が教鞭を取った時代の旧花巻農学校の玄関口。この桜の木は私の記憶にも残っている=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

議会の活性化を求めて…3月議会に陳情書を提出~”黒幕”、いまも暗躍!?

  • 議会の活性化を求めて…3月議会に陳情書を提出~”黒幕”、いまも暗躍!?

 

 「花巻市議会は、二元代表制のもと、市長とともに市民の信託を受けた市の代表機関である。議会は多人数による合議制の機関として、市長は独任制の機関として、それぞれの異なる特性を生かし、市民の意思を市政に的確に反映させるために競い、協力し合いながら、市としての最高の意思決定を導く共通の使命が課せられている。」―。東日本大震災前年の平成22年6月17日付で制定された「花巻市議会基本条例」は冒頭でその理念を高らかに謳いあげている。さらに、全7章(全27条)に及ぶその内容は憲法にも比せられる議会運営における「最高規範」(第3条)として、位置づけられている。

 

 たとえば、第12条には「文書での質問」という規定があり、こう定められている。「議員は、重要かつ緊急なものについて、閉会中に議長を経由して市長等に対し文書質問を行うことができるものとする」―。私事になるが、私は市議2期目の平成26(2014)年12月22日付で「文書質問」を提出。同25日付で上田東一市長から回答があり、内容はHP上にも公開された。いわゆる、今もなお尾を引く「旧新興跡地(花巻城址)」問題の幕開けである。

 

 いまを去る「10年一昔」の12月定例会が閉会したのは12月18日。その前日、旧新興製作所跡地の民間業者へ売却計画が浮上した。民間同士の取引という理由で、市側は譲渡先や価格などについて公開する気配はなかった。当該跡地をめぐっては前市政時代、図書館と子育て施設(こどもの城)を合築した複合施設の立地が計画された経緯があった。「重要かつ緊急」な案件だと判断した私は「公共用地として、取得する意思はあるか」と情報公開を求める文書質問をした。「春(3月議会)までは到底待てない。事態は風雲急を告げている」というのが当時の正直な気持ちだったように思う。

 

 そして、過日の議会報告会…、議会基本条例の生命線ともいえる「自由討議による合意形成」(第16条)や「委員会の適切な運営」(第18条)などがことごとく踏みにじられるのを目の当たりにした(2月4日付当ブログ「『イ-ハト-ブ議会』、ここに死す」参照)。市側の“専横”を許しているのはある意味で、二元代表制のもう一方の車輪である議会側ではないのか―。3月定例会に向け、切羽つまった思いで以下の陳情書(2月9日付)を藤原伸議長宛てに提出した。全文を掲載する。

 

 

 

 

件名 市政の重要課題について、議員相互間の議論を尽くすことを求める陳情

 

趣旨 「花巻市議会基本条例」(2010年6月17日)はその前文で「議会は主権者である市民の代表機関であることを常に自覚し、市民との関係、市長その他の執行機関との関係、議会の活動原則及び議員の活動原則等を定め、市民の信託に全力で応えていくことを決意し、議会の最高規範としてこの条例を制定する」と定めている。ところが、条例制定以来10年以上が経過したにもかかわらず、「最高規範」たる当該条例が十全に機能していないどころか、形骸化しているのではないかとさえ懸念される。よって、たとえば「自由討議」などの手法を通じて、議会がより活性化することを市民の一人として期待するものである。

 

理由 議会基本条例は「自由討議による合意形成」について、こう定めている。「議会は、本会議及び委員会における議案の審議及び審査にあたり結論を出す場合にあっては、合意形成に向けた自由討議等を通じて議員相互間の議論を尽くすよう努めるものとする」(第16条)

 

 一方、現下の喫緊の市政課題である「JR花巻駅の橋上化(東西自由通路)」と「新花巻図書館建設」についてはその手法や立地場所などに関し、市民を二分するような論戦が巻き起こっている。2月2日から3日間、市内12か所で開催された「市民と議会との懇談会」(議会報告会)においてもこの二大プロジェクトに対する意見が圧倒的に多かった。私自身、3会場に足を運び、「将来の花巻の行く末に大きな影響を及ぼす最重要案件である。合意形成に向けてまず、議員間で討議を尽くすべきではないか」と要求した。ところが、「橋上化」案件についてはすでに議会の会派間で「開催見送り」が決まり、「図書館」案件についてはその予定さえないことが明らかになった。

 

 とくに、図書館の立地場所については市側が第一候補地に挙げている「駅前のJR用地」に対し、「旧花巻病院跡地」を希望する市民が日を追うごとに増え続け、過日の議会報告会でもそのことが示された。さらにこの二つの案件に関し、市側は「それぞれが別々の構想である」と主張する一方で、議会側の一般質問では「実はワンセットではないか」という”疑念“が浮上するなど市民の間に混乱を生じさせいる。市民の正常な判断を促すためにも「二元代表制」の一方を担う議会側に対し、可及的すみやかに「橋上化」案件と「図書館」案件について、議員相互間の議論を尽くすことを求めるものである。                  

 

 

 

 

(写真は議会基本条例をねじ曲げるような発言を繰り返し、参加者の質問封じの先導役を果たした照井省三議員(左から4人目の手ぶりの人、社民クラブ)=2月3日午後、湯本振興センタ-で)

 

 

 

 

《追記》~「パチンコ店をまちづくりの活性化へ」!?

 

 上掲ブログを書きながら、当時の議会のやり取りをまざまざと思い出した。市側が結局、「旧新興跡地」の取得を断念した背後で、上田市長の意を体する動きを見せたのも照井議員ら“社民”会派の議員だった。いまや瓦礫(がれき)の荒野と化した跡地だが、不動産業者の手に渡った直後はパチンコ店やホ-ムセンタ-の立地が計画されていた。照井議員は「パチンコ店をまちづくりの活性化へ」というアットと驚く持論を展開、市長の後援会幹部として丁々発止の活躍ぶりを見せた。その人がまったく変わらない姿で、目の前にいるではないか。Σ(・□・;)。そういえば、この人と言えば市長が強力に進める「駅橋上化」政策の旗振り役で、議会や市民の間では”やらせ要請”の陰の仕掛人という噂がもっぱらだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「議会報告会」顛末記…「イ-ハト-ブ議会」、ここに死す!?最後っ屁は「統一教会」がらみ~

  • 「議会報告会」顛末記…「イ-ハト-ブ議会」、ここに死す!?最後っ屁は「統一教会」がらみ~

 

 「駅前立地派の発言ゼロ」―。この数字にこっちの方がびっくりしてしまった。今月2日から3日間の日程で市内12か所の振興センタ-単位で行われた「市民と議会との懇談会」(議会報告会)が4日終わった。私は矢沢(2日、参加者20人)、湯本(3日、同10人)、花南(4日、同26人)の各振興センタ-に出向いたが、新花巻図書館の立地場所について、参加総数56人の発言者のほどんどが旧花巻病院跡地への立地を希望した一方、はっきりと駅前のJR用地への立地を主張した参加者はゼロだった。この種の選択肢で「ゼロ」という数字は統計学的に見てもほとんどあり得ない。さらに、市側は駅前立地の最大の理由に高校生を主体とした「若者世代」の利便性向上を挙げているが、皮肉なことに会場にその姿を見つけることはできなかった。

 

 「無理筋」とはこのことを指すのであろう。3年前の「賃貸住宅付き」図書館の駅前立地がとん挫して、この奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な構想は命脈を絶たれたと思っていたが、逆に今回の報告会の開催で市民の“本音”が一気に噴出したように感じた。その一方で、こうした草の根の動きにきちんと対応できていない議会側の機能不全も浮き彫りになった。議会基本条例(16条)に「自由討議による合意形成」という規定があり、こう定められている。「議会は、本会議及び委員会における議案の審議及び審査に当たり結論を出す場合にあっては、合意形成に向けた自由討議等を通じて、議員相互間の議論を尽くすよう努めるものとする」―

 

 「図書館問題や駅橋上化問題(東西自由通路)など市民を二分する論議が続く今こそ、自由討議の場を設定し、合意形成を目指すべきではないか」―。私は報告会の席上、再三にわたってこう要求したが、議会内部ではすでに、自由討議の必要性なしという会派同士の“合意”が成立していたことを初めて知った。まさに、市民に背を向ける自殺行為と言わざるを得ない。「ほかに質問をしたい地元の人もいるので…」―私の質問を執拗にさえぎろうとするあるベテラン議員の存在が気になった。図書館を所管する「文教福祉常任委員会」(定数9人)の委員長を務める照井省三議員(社民クラブ)である。市側の意を体する形で、橋上化の必要性を一貫してきた主張してきた議員として、つとに知られている。

 

 議会側の「新花巻図書館整備特別委員会」(伊藤盛幸委員長、全議員で構成)は令和2年12月定例会で、「立地場所は市有地とする」など3項目の委員長報告を市側に伝えて解散した。以来、2年以上が経過する間に旧花巻病院跡地が急浮上するなど“立地環境”に大きな変化があったにもかかわらず、文教福祉常任委は一度も開催されていない。「請願や陳情など図書館関連の案件もなかった。だから、開催の必要性もなかった」と照井議員は強弁した。ちなみに、議会基本条例はこう定めている。「委員会は、社会経済情勢等により、新たに生じる行政課題に適切かつ迅速に対応するため、委員会の調査研究活動を充実強化するものとする」(18条)―。この人にとっては、議会の“憲法”といわれる議会基本条例も屁のカッパなのかもしれない。

 

 「上田東一後援会事務局長」―。照井議員のもうひとつの肩書である。報告会で私はその真偽についてただした。「個人情報に関わることなので、答弁は控えたい」と言い、同席した議員も同調した。報告会の終了後、本人はその事実を認めたが「法的にも何ら問題ではない」と平然と言ってのけた。果たして、そうであろうか。

 

 議会と当局(市長)とは互いに監視し合う独任制の機関としての「二元代表制」と呼ばれ、議員は“公僕”たる矜持(きょうじ)を持さなければならない。「監視する側」が「監視される側」の後援会幹部―という”天地”をひっくり返えすような「驚天動地」(きょうてんどうち)は法以前にもはや、“不道徳”そのものではないのか。つまり「道理」にもとるとは、このことを言うのではないのか。強権支配をほしいままにする上田市長の”代弁者”たるこの議員が、一方で革新を標榜する「社民党」に在籍しているということに至ってはもうミステリーを超え、何かざわッとする不気味さすら覚える。

 

 

 今月24日には予算審議を含む3月定例会が始まる。議員諸賢の奮起を期待したい。新花巻図書館とJR花巻駅の橋上化(東西自由通路」という二大プロジェクトのあり方について、どんな”二元”攻防戦が繰り広げられるのか…今から楽しみである。

 

 

 

(写真は熱気がこもった意見交換が行われた議会報告会=2月4日午前、花巻市南城の花南振興センタ-で)

 

 

《追記》~旧統一教会と市議とのつながりについての調査要求

 

 議会報告会最終日の4日、元首相のテロにまで発展した「旧統一教会」と当市議会議員との“接点”の有無についての調査を申し入れ、前向きに取り組むという回答を得た。「自民地方議員/教団側と密接」(2月5日付「朝日新聞」)という見出しで、地方議員と旧教団側や友好団体との結びつきが伝えられるなどその余波は止まるところを知らない。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)花巻家庭教会が所在する当市でも昨年夏の参議院選挙とそれに続く市議選直後から接点”疑惑”がくすぶり、現に地元選出の県議が自らの接点を認めている。この件に関しては、盛岡市議会が昨年11月に自主的な調査を実施し、38人の議員のうち4人が市議選への応援依頼などの接点があったことを回答している。

 

 

 

 

 

 

『荒地の家族』と早池峰信仰~そして、図書館”立地論争”と…

  • 『荒地の家族』と早池峰信仰~そして、図書館”立地論争”と…

 

 「仙台南署管内の(若林区)荒浜1,2丁目で、200~300の遺体が発見されている」―。東日本大震災が発生した2011年3月11日午後10時16分、宮城県警が発出した参考情報(第68報)は直後にその数字の誤りは修正されたものの、想像を絶する被害の甚大さを予感させるに十分な急報だった。私自身の「3・11」の記憶もこのおどろおどろしい数字と切り離すことができないまま、いまに至っている。

 

 死別、離別、自死、邂逅(かいこう)…。第168回芥川賞を受賞した『荒地の家族』(佐藤厚志著)はこの荒浜地区を舞台にした物語である。「人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく」―。あの大災厄からまもなく12年、ある造園家がその地をさまよい歩いた末にたどり着いた境地に粛然たる気持ちになった。こんなくだりがある。「白い要塞のように聳え、海から人を守っているのでなく、人から海を守っているように見える防潮堤に向かって祐治(主人公)は歩いた。…用途のないこの場所に植物の興亡だけがあった。住宅は建たない。畑にしては海に近すぎる。人の手で均一にされた風景であるのに人を寄せつけない。忘れられた空間を海からの冷たい風だけが吹き抜ける」

 

 こんな荒漠たる光景がふいに、忘れかけていた記憶を呼び戻したようだった。私は震災直後から大槌町を中心とした三陸沿岸の被災地の支援活動に奔走した。夢遊病者のように瓦礫(がれき)の荒地を彷徨(ほうこう)するひげ面の男がいた。母親と妻、一人娘を津波にさらわれた白銀照男さんの痛苦が小説の主人公「祐治」の姿に重なった。その照さんは昨年12月21日に病没した。享年73歳。3人の行方はわからないままだった。「もう待ちきれなくなって、自分の方から会いに行ったんだな」と私はそう自分を納得させた。

 

 三陸の漁師たちが当時、避難所の中で「山談義」に花を咲かせる理由が最初はさっぱり、理解できなかった。ある時、照さんが「漁師にとっては山こそがいのちなのさ」とヒントを与えてくれた。そういえば、三陸沿岸一帯には海上安全と大漁を祈願する「早池峰講中」の石碑があちこちにあったことを思い出した。自らの持ち船に「第8早池峰丸」と命名した大槌町のある老漁師はタウン誌「パハヤニチカ10号」(2000年10月号)にこんなエピソ-ドを語り残している。「山立て」という言葉をこの時、初めて知った。

 

 「朝見ると、大したきれいにみえる。涙がこぼれるぐれえ立派な山だ。沖に出ると、先ず船の高いところへ上がって山(早池峰山)を見るわけだ。このあたりでは(「山立て」のことを)“山かんぞう”といった。それから縄(はえ縄)をぶつわけだ。船の居場所で山の形が違う。船の中では毎朝、ご飯釜のフタにご飯をのせ『早池峰さん』と口で三回唱えるのが欠かせない儀式だった。魚を獲るなら、山を取れということさ」―

 

 新花巻図書館の“立地論争”の渦中のさ中、その霊峰・早池峰山がいま、私たちの目の前に神々しいばかりの雄姿を見せている。白雪をいただいて、キラキラと輝く山容は息をのむほどの美しさである。漁師だけではなく、内陸の私たちにとってもこの山は行く手を指し示す道しるべ―航路をまちがえないための“羅針盤”のような存在である。いま、旧花巻病院跡地から遠望するこの景観の地こそが、図書館立地の最適地だという声が市民の間に高まっている。

 

 古来、日本人には死んだ人の霊は山に宿るという信仰(山霊)がある。照さんが旅立って1か月が過ぎた。霊峰に導かれたその霊はもう3人の肉親との再会を果たし、水入らずの一家だんらんを楽しんでいるにちがいない。止むことのない渇(かわ)きと痛み(本文から)を抱え続ける「荒地の家族」たちは、これから先もあの大災厄の記憶とともに生き続けなければならない。私たちはその記憶の風化にいかに抗(あらが)うことができるのだろうか…。「イーハトーブ」(宮沢賢治が名づけた「夢の国」=理想郷)に住まう私たちはいま、受難者に寄り添うというあの”賢治精神”ときちんと向き合うべき時を生きているのかもしれない。

 

 

 

 

(写真は仙台市内の書店に勤める佐藤さんの受賞作)

 

 

 

《注》~議会報告会がスタート

 

 「市民と議会との懇談会」(議会報告会)が2日から3日間の日程で、市内12か所の振興センタ-単位で始まった。議長を除く25人の議員が4班に分かれ、議会活動などの報告をする、新花巻図書館やJR花巻駅橋上化(東西自由通路)の二大プロジェクトに市民の関心が高まっており、意見交換の内容が注目される。当ブログでは全日程が終わり次第、その詳細をお伝えします。

 

 

 

 

「1・29」事変から丸3年…“悪夢”はこの日から始まった?!

  • 「1・29」事変から丸3年…“悪夢”はこの日から始まった?!

 

 「広範の非常事態や騒乱のこと。『事件』よりも規模が大きい。宣戦布告なしの戦争状態や、小規模・短期間の国家間紛争にも用いられる」―。ウキペディアは「事変」について、こう説明している。このような意味で、3年前の2020年1月29日はまさに「1・29」事変と呼ぶにふさわしい節目の日だった。この日、「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という事業計画が何の前触れもなく、天から降ってきた。50年間の定期借地権を設定した上で、テナントも合築するという”サプライズ”だった。上田東一市長の名前を拝借して「上田私案」と名づけた“悪夢”の始まりである。

 

 市民にとってはまさに「宣戦布告なき戦争」―このイ-ハト-ブ“図書館戦争”が勃発したちょうど2週間前には日本で初めて、コロナウイルスへの感染者が確認された。以来まる3年、まるでこのパンデミックに足並みをそろえるように足元の戦争は泥沼化の様相を呈しつつある。一体、何がそうさせたのか。宣戦布告どころか、さらに驚天動地(きょうてんどうち)の出来事が日本の首都のど真ん中、首相官邸で起きていた。

 

 「JR花巻駅前のJR用地を活用した新図書館整備事業。図書館と民間賃貸住宅を合築し、図書館に住むという新しいライフスタイルを花巻市民に提供する…」―。“上田私案”が公表される1カ月余り前の2019年12月、首相肝いりの「第21回 まち・ひと・しごと創生会議」が開かれ、紫波町で「民間主導の地域経営・公民連携事業」(「オガ-ル」)を展開する同社社長の岡崎正信さんがひとつの事例発表をした。寝耳に水の議会や市民の間から「地元軽視もはなはだしい」と批判が相次いだが、上田市長は議会答弁でこう言ってのけた。「個人の立場での発表であり、市として関与したわけではない。ただ今後、国の有利な融資を受けるためにも花巻の考えを伝えてくれたのは良かったと思っている。こうした大きな事業を進めるためにはこの種の同時並行的な手続きが必須である」

 

 行政開示文書によれば、岡崎さんが当市の図書館問題に関わったのは、事例発表に先立つ2019年4月24日。JR盛岡支社で行われた「新花巻図書館整備事業スキ-ムに係る協議」に初めて、アドバイザ-として参加。市側がJR側に対し「駅前に複合図書館を建設する場合の案を検討。岡崎氏にアドバイスをいただくのでよろしくお願いしたい」と伝えている。この時の協議には市側から関係3部長を含む9人の大所帯で臨んでおり、岡崎さんへの“丸投げ”は事実上、この日の協議で固まったと言える。

 

 「そもそも図書館というのは、非採算で、しかも維持費の高い公共事業です。だから町の財政が危うくなったときには真っ先に閉鎖が検討される。だからこそ、『稼ぐ』という発想を持って取り組まなくてはいけないんです」(日経メルマガ「新・公民連携最前戦―PPPまちづくり」2015年2月18付)―。人口3万4千人弱の町の駅前施設に年間80万人超の人が集まる「オガ-ルプロジェクト」を成功させた岡崎さんの持論がここにある。しかし、とくに図書館などの文化施設はその地の歴史や風土と密接不可分であることを教えてくたのは、他ならない当市の立地環境の変化だった。昨年秋、旧花巻病院跡地に約100年ぶりに霊峰・早池峰がその雄姿を見せた。「賢治ゆかりのこの地に新図書館を」という声が市民の間に澎湃(ほうはい)と巻き起こった。

 

 「駅前に賃貸住宅も併設する図書館複合施設を建設することは、市街地の人口密度を保ちつつ、市内の複数の拠点を公共交通でつなぐ『コンパクト・プラス・ネットワ-ク』構想の具体的な取り組みの一つです。複合施設の上層部に若者から高齢者まで対応できる様々なタイプの賃貸住宅を整備します。持続可能な街の都市形成に向けて、健康で快適な都市型生活環境を提供し、子育て世代など若年層にも魅力的なまちをつくります…」―。3年前、上田市長は胸を張ってこう述べた。その後、”稼ぐ”対象であったはずの「賃貸住宅&定期借地権」案は撤回され、このスローガンもすっかり色あせてしまったが、市側にはいまだに「駅前立地」の旗を降ろす気配はない。

 

 「駅前か病院跡地か」―。この問いかけは「図書館とは何ぞや」という、いわば“理念”論争の始まりでもある。「空白」のこの3年間を無駄にしないためにも、いや、だからこそと言うべきかもしれない。私たちは「1・29」事変への往還をこれからも繰り返さなくてはならないのだと思う。

 

 

 

 

(写真はイ-ハト-ブ“図書館戦争”のきっかけとなった岡崎さんの事例発表のパワ-ポイント=インタ-ネット上に公開の総務省のHPから。再掲)