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「3・1」から「3・11」へ…記憶の架け橋を

  • 「3・1」から「3・11」へ…記憶の架け橋を

 

 「わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する」(外村大・東大大学院総合文化研究科教授による現代語訳)―。100年前(1919年)の今日3月1日、現在のソウル中心部にあるパコダ公園(当時、現タプコル公園)で、「独立万歳」(トンニプマンセ-)の声と共に冒頭の宣言文が高らかにうたい上げられた。「3・1」独立運動はこれをきっかけに朝鮮半島全土に広がった。この約2ケ月後の5月4日、今度は中国でのちに「五・四運動」と呼ばれる抗日運動が始まった。「1・9・1・9」は日本がアジアのナショナリズムと敵対することになる節目の年だった。

 

 さかのぼること約9年前の1910年、日本は当時の大韓帝国(韓国)を併合し、全土を植民地支配下に置いた。宣言文の中にこんな一節がある。「自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちは私たちの生きる権利をさまざまな形で奪った。…彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる」―。独立運動に参加した朝鮮人は約200万人。死者7509人、負傷者1万5850人を数え、4万6306人が逮捕された。この運動に呼応した10代の少女、柳寛順(ユ・グァンスン)は日本の憲兵隊に逮捕され、16歳の時に獄死した。「朝鮮のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた彼女は日本による植民地支配に抵抗した朝鮮民族のシンボルでもあった。

 

朝鮮総督府のもとで、天皇制イデオロギ-による苛烈な同化政策が推し進められ、こうした植民地支配は太平洋戦争で日本が敗北するまで35年間、続いた。そして、100年後の日本のいま―。「竹島」問題や元徴用工への賠償問題、元慰安婦をめぐる天皇陛下への謝罪要求、レ-ダ-照射問題、さらには北朝鮮による拉致問題…。ふたたび、朝鮮半島に対する憎悪が渦巻いているようである。「独立万歳」の声は遠い歴史の彼方にかき消され、「そんな歴史はそもそもなかった」という修正主義が闊歩(かっぽ)しているような錯覚さえ覚える。宣言文の中にはこんな一節も見える。「支配者はいいかげんなごまかしの統計数字(原文では「統計數字上ノ虚飾」)を持ち出して自分たちが行う支配が立派であるかのようにいっている」―。日本の支配を正当化するこの言説について、外村教授はこう述べている。

 

 「総督府の“開発政策”が朝鮮人にはありがたいものではないという意味だったのだろうが、100年後の日本人は、文字通りの『統計数字の虚飾』の問題に直面している。他民族を騙(だま)す支配者は自国民も騙す、チェック機能が働かなければそれは繰り返される、という教訓も読み取れるかもしれない」(2月22日付「週刊金曜日」)―。そういえば、「あった」ことを「なかった」ことに、それとは逆に「なかった」ことを「あった」ことにでっち上げる便法はこの国の支配層の伝統的な手法だったことにはたと思い当たる。そして、国民のほとんどがそのことに関心を向ける気配はない。

 

 「3・1」から「3・11」へ―。(2011年)3月11日、日本列島の東半分を襲った大震災から間もなく、丸8年を迎える。この日がたまたま、私の誕生日に当たっているというのも何か不思議な巡り合わせである。「この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐(あわ)れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ」と新聞記者の青木美希さんは自著『地図から消される街』のはじめにの中にこう書き、エピロ-グをこう結んでいる。「被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。あとには何もないまち。名前をなくすまち」(2月2日付当ブログ参照)

 

わが宰相のあの破廉恥(はれんち)な発言をまざまざと思い出す。大震災の2年後、安倍晋三首相は五輪招致をこんな風に呼びかけた。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」―。いわゆる「アンダ-コントロ-ル」発言である。

 

 わずか8年前の記憶にしてこうである。いわんや100年前は…。だからこそ、私は単なる語呂合わせではなく、「3・1」から「3・11」へと記憶の架け橋をかけたいと思う。100年前の「独立宣言」こそが被抑圧者の共通の渇望(かつぼう)にちがいないからである。そっと、こう口ずさんでみる。「わたしたちは、わたしたちの国である琉球国が独立国であること、また琉球人が自由な民であることを宣言する」―。県民投票の圧倒的な「民意」などまるで歯牙(しが)にもかけないかのように、沖縄の「辺野古」新基地建設が強行されている。朝鮮半島に対するかつての植民地支配の現在進行形が目の前に存在する。語呂合わせを言うなら、「19(征く)・19(征く)」の方がよっぽど、当たっている。征服者の「征」である。

 

 

(写真はユ・グァンスンを先頭にデモする民衆とそれに銃を向ける憲兵隊を描いたレリ-フ。一連の絵がタプコル公園に設置されている=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記-1》~沖縄の「民意」と地方議会の役割

 

 東京都に住む無職の男性(71)が朝日新聞「声欄」(2月27日付)に以下のような投書(要旨)を寄せていた。「例えば昨年末、東京都小金井市議会が、辺野古の建設工事の即時中止や普天間飛行場の運用停止、代替施設の必要性について国民的議論などを求める意見書を可決した。同じ地方自治体として本土の各地方議会がやるべきなのは、『辺野古新基地の強行建設反対』などと声を上げることではないか。まもなく統一地方選がある。身近な地方議員選の候補者に、辺野古新基地建設の是非について議論することを公約とするよう求めてはどうだろうか。私たちも『沖縄の民意を活(い)かせ』と意思表示する時だ」

 

 

《追記―2》~請願(陳情)権の行使

 

 「ご異議なしと認めます」。東京都文京区議会本会議で1日、選択的夫婦別姓制度について国会審議を求める意見書の提出を要望する請願が全会一致で採択された瞬間、なんだろう、不思議な爽快感があった。請願者はソフトウエア開発会社「サイボウズ」社長の青野慶久さんと、私(毎日新聞記者)。この意見書1通で国が動くなんて思ってはいない。でも、日本国憲法16条が定める「請願権」を生まれて初めて行使してみた体験を、私は無意味だとも思わない。【3月2日付「毎日新聞」電子版】

 

 

 

 

 

 

 

「寄り添う」という風景―地元2紙の社説から…注目される花巻市議会の対応

  • 「寄り添う」という風景―地元2紙の社説から…注目される花巻市議会の対応

 

 花巻市議会3月定例会に向けて提出した「『日米地位協定』の抜本見直しを求める」陳情(2月18日付当ブログ参照)が正式に受理され、3月8日午後1時半からに開催される総務常任委員会(鎌田幸也委員長ら9人)で審査される。私は参考人として、意見陳述する。沖縄県では1996年、「日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小」の賛否を問う県民投票が行われ、「賛成」が89・0%に上った。今回の「辺野古」新基地の埋め立てをめぐる賛否でも「反対」が72・15%を占めた。同市議会は3年前、同じ趣旨の請願を反対多数で否決した経緯がある。沖縄の過去2回の「民意」をどう受け止めるか―審査の行方が注目される。社説は以下の通り。

 

 

●果たして、この国は民主主義国家なのだろうか。「民主主義の皮をかぶった独裁国家」を疑いたくなる。辺野古新基地埋め立ての賛否を問う県民投票で、投票者の7割が「反対」の明確な意思を示した。しかし、政府は民意無視の姿勢を一向に変えようとはしていない。民主主義国家としてあり得ない対応だ。政府は埋め立て工事を即座に中止し、本当に米軍普天間飛行場の危険性除去につながる方策を提示し、米側と交渉すべきだ。日本の民主主義が問われている。
 

 一夜明けて、安倍晋三首相は「結果を真摯(しんし)に受け止める」と語ったものの「移設をこれ以上、先送りできない」と強行方針を変えなかった。これだけ反対が根強いのに、地元の意向を無視して一方的に建設を強行するのは、民主主義を押しつぶす行為だ。ロシアのプ-チン大統領が昨年末、「地元知事が反対しいるのに整備が進んでいる」と指摘したように、今後、国際的な批判も浴びよう。
 

 県民は辺野古新基地について、2度の県知事選や国政選挙などで繰り返しノ-を示してきた。今回は、新基地建設という一つの問題だけに絞った駄目押しの反対表明だ。県民投票の投票率は、昨年の県知事選の63・24%よりも低い52・48%だったにもかかわらず、反対票は玉城デニ-知事の得票数39万票余を大きく上回る43万票余に上った。共同通信社の出口調査では、辺野古移設を推進する自民党の支持層でも、反対の48%が賛成の40%を上回った。保守層の中にも辺野古移設に反対が根強いことが分かる。
 

 ところが、県民投票の結果を矮小化(わいしょうか)する動きが政治家や一部報道に出てきている。「有権者の半分しか投票していない」「有権者全体では反対は37%止まりだ」などの批判だ。投票率の低下は全国的な課題だ。衆院選で見ると、2017年53・68%、14年52・66%と戦後2番目と最低を記録した。50%未満の府県はそれぞれ4県、8県だった。これらの選挙で選ばれた政治家の資格も否定するのだろうか。それよりも、人物を選ぶ選挙でもないのに、有権者の52%が投票所に足を運んだという事実は重い。政治に参加する意思のある県民だ。その7割が突き付けた反対の民意を過小評価すべきではない。
 

 県民投票を2度も実施した都道府県がどこにあろう。民意を踏みにじり、間接民主制の政治が機能不全に陥っているからこそ、直接民主主義に頼らざるを得なかったのだ。安倍政権は問題の本質をそらし、辺野古移設か普天間固定化かの二者択一論にすり替えることに躍起だ。県民の民意がはっきりした以上、工事を中止し、新基地建設とは切り離して、最優先で普天間飛行場の運用停止に向けて対米交渉へ行動を起こすべきだ。今度こそは民意に向き合い、本気で危険性除去に取り組むことを強く求める(2月26日付「琉球新報」

 

 

●名護市の辺野古新基地建設に「ノ-」を明確に突き付けた県民投票から一夜明けた25日早朝。米軍キャンプ・シュワブゲ-ト前では警察が新基地に反対する市民を排除する中、ダンプカ-が次々とゲ-ト内に入り、土砂の搬入を繰り返した。海上でも辺野古側の土砂投入と大浦湾側の護岸造成工事が続いた。沖縄の民意を無視し、力ずくで押しつぶそうという安倍政権の強行一辺倒の姿勢である。とうてい納得できない。民主国家であるならば民意が示された以上、ひとまず工事を中止すべきだ。

 

 玉城デニ-知事は同日の県議会一般質問で安倍晋三首相に対し「埋め立てを認めない断固たる民意を受け止めてもらいたい。辺野古が唯一の方針を直ちに見直し、工事を中止してもらいたい」と求めた。県民投票の結果を踏まえた当然の要求である。玉城知事は今週にも予定している安倍首相との会談で、普天間飛行場の早期返還に向け対話に応じるよう強く求める考えだ。

 

 安倍首相は衆院予算委員会で「結果を真(しん)摯(し)に受け止め、基地負担の軽減に全力を尽くしていきたい」と答弁した。言葉とは裏腹に、辺野古の現場では強権を振るっており、県民を愚(ぐ)弄(ろう)するものだ。安倍首相は「もはや普天間返還の先送りは許されない」と、新基地建設を続行する考えも示した。辺野古にこだわり続けている結果、普天間の返還が遅れに遅れて先の見通しが立っていないのが現実ではないか。

 

 信じられないのは沖縄基地負担軽減担当相を兼務する菅義偉官房長官である。「普天間飛行場の危険性除去、返還をどのようにするのか、知事から語られておらず、ぜひ考えを伺ってみたい」と述べた。そもそも普天間の危険性除去や返還で知事に代替案を出せというのがおかしい。政府の無為無策ぶりをさらけ出しているようなものだ。政府は「辺野古が唯一」の一点張り。それを見直す気がないのに、県に代替案を迫るのは暴論であり、どう喝である。

 

 仲井真弘多元知事と約束した普天間の5年以内運用停止も米側と交渉の形跡がないまま期限を迎え、県に責任転嫁している。仲井真氏は一時期「辺野古に固執するのではなく、もっと早く現実的に移設できる県外の場所を探すべきだ」と言っていた。なぜ県外では駄目なのか。説明責任をまったく果たしていない。

 

 普天間返還は当初、既存の米軍基地内にヘリポ-トを新設することが条件だった。紆余(うよ)曲折を経て似ても似つかぬ新基地に変貌した。負担軽減に逆行するのは明らかだ。返還合意当時の橋本龍太郎首相は地元の頭越しには進めないことを大原則にしていた。米軍基地は人権や自治権を大きく制約し住民にさまざまな負担を強いる。自治体や県の同意なしにはできない。新基地建設問題は県民投票によって新しいステ-ジに入った。政府は「辺野古唯一」の見直しを表明した上で、県との対話に臨むべきである(2月26日付「沖縄タイムス」)

 

 

(写真は県民投票から一夜明けた25日、米軍キャンプ・シュワブのゲ-ト前で抗議の男性を強制排除する機動隊員=25日午前、名護市辺野古で。琉球新報より)

 

 

沖縄の「民意」…問われる本土住民

  • 沖縄の「民意」…問われる本土住民

 

米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古沿岸部埋め立ての賛否を問う県民投票が24日投開票され、即日開票の結果、開票率100%で埋め立て「反対」の得票が有効投票総数の72・15%の43万4273票に達した。反対票は、県民投票条例で「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1を大きく上回る37・65%に上った。玉城デニ-知事は「新基地建設の阻止に改めて全身全霊をささげる」と述べ、政府に方針の見直しと普天間飛行場の一日も早い閉鎖・返還を求める考えを強調した。結果を通知するため近く上京する方向で調整している。一方、安倍晋三首相は、玉城知事が希望すれば週内にも会談に応じる方向で調整に入った。


 投票率は52・48%で半数を上回った。有効投票総数60万1888票のうち、埋め立て「賛成」は11万4033票で19・10%、「どちらでもない」は5万2682票で8・75%だった。県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、県民の意思にどう対応するかが焦点となる。1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は、知事選や国政選挙などに加え、新基地建設の賛否だけを直接問う県民投票でも、明確な反対の意思を示した。

 投票率は昨年9月に行われた県知事選の投票率63・24%を約10ポイント下回った。一方、埋め立てに「反対」票は知事選時に玉城知事が得票した39万6632票を上回った。今回の県民投票条例を直接請求した「辺野古」県民投票の会(元山仁士郎代表)は結果を受けて出した声明で「明確な反対の民意が示された今、問われるのは本土の人たち一人ひとりが当事者意識を持ち、国の安全保障と普天間飛行場の県外・国外移転について国民的議論を行うことだ」と強調した。その上で「政府は普天間の危険性除去(基地閉鎖・返還)を最優先に米国政府との交渉をやり直し、沖縄県内移設ではない方策を一刻も早く検討すべきだ」と提起した。

基地の整理縮小や日米地位協定見直しの是非を問うた96年の県民投票では賛成が89・09%に上り、有権者数の過半数(53・04%)に達した。投票率は59・53%だった(2月25日付「琉球新報」)

(写真は勝利を喜ぶ県民投票連絡会のメンバー=24日夜、那覇市内で。インターネット上に公開の写真から)

 

《追記―1》~「大弦小弦」(25日付「沖縄タイムス」コラム)

  名護市の投票所は小雨に包まれ、人影が少なかった。24日午後、県民投票で訪れた男性(57)は「静かすぎてびっくりです」と辺りを見回した。1997年の名護市民投票とは様変わりだ

 

あの時、投票所入り口は辺野古新基地建設に条件付き賛成と反対、両派の訴えで騒然としていた。何より、政府が全力で勝ちにきていた。防衛庁の職員が戸別訪問に回り、長官は自衛官に文書で集票を求めた

なぜ今回は静観し、「県民の理解」を求める絶好の機会を放棄したのか。菅義偉官房長官は「地方公共団体が条例に基づいて行うもの」と言うが、それは市民投票も同じだった

基地建設に合理性がなく、議論では勝ち目がない。政府がそう認めたに等しい。「不戦敗」に追い込んだこと自体、21年余りの間に県民が蓄えた力を示している

そして論戦が成立しない中でも過半数が足を運び、昨年の知事選を上回る反対の票を積み上げた。県民の意思は最終結論が出た

24日夜、反対を訴えてきた県民投票連絡会の名護支部。市民投票の時のはじけるような万歳はなく、穏やかに結果を喜び合った。参加者は「賛成派に勝った、万歳、ではない」「本当の相手は政府。県民が一緒になって向き合っていく」と語った。何度裏切られても諦めない、不条理に鍛えられてきた民主主義の言葉があった。(阿部岳)

 

 

《追記―2》~「金口木舌」(25日付「琉球新報」コラム)

 

 1996年は19歳だった。日米地位協定の見直しと基地整理縮小の是非を問う県民投票では、選挙権がないため投票できなかった。「1年早く生まれていたら」。意思表示をできなかった悔しさは今も消えない

 

名護市辺野古の新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票は投票率が50%を超え、結果は反対が賛成を大幅に上回った。県民は1票を投じ、それぞれの意思を再確認した
名護市の61歳の男性は1997年のヘリポート基地建設を問う市民投票では賛成だったが、今回は反対に投じた。「振興のため必要だと自分に言い聞かせてきたが、もう限界だ。沖縄への理不尽は何も変わらなかった」
辺野古の20歳の男性は県民投票の費用対効果に疑問を抱きつつ、「権利だから」と足を運んだ。「国と争っても補助金が減るだけだ。基地に悪いイメージもない。賛成に入れた」
名護市の投票所には車いすやタクシーで訪れた高齢者、入院患者を示すリストバンドを巻いた若い女性も1票を投じていた。取材に涙を浮かべ思いを語る男性もいた
名護市出身の元副知事、比嘉幹郎さん(88)は米統治時代、琉球列島米国土地収用委員会の通訳を務めるなど基地の変遷を見詰めた。「政府は沖縄を外交の道具として使ってきた。分裂を中央政府が喜ぶ」と指摘し、その脱却のため結束を呼び掛けた。分断は乗り越えられる。県民が票に託した願いだ。

 

 

《追記―3》~本土大手メディアの目

 

 世論調査に答えたものでも、街頭でアンケートに答えたものでもない。18歳以上の沖縄県民一人ひとりが投票所に足を運んで一票を投じたのが、今回の結果だ。1996年の県民投票は「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直し」がテーマで、賛成が89%を占め、有権者の過半数に達した。この時は前年に少女暴行事件があった。賛成票を投じやすいテーマでもあった。今回は、安倍政権が辺野古の海に土砂を投入し続ける中での県民投票だ。「工事は止まらないかもしれない」。多くの県民はそう考えながらも「意思表示をしなければ」と動いた。

 

 米軍普天間飛行場から辺野古まで直線距離は40キロ程度。辺野古に移っても、米軍機は沖縄の上空をこれまでと変わらず飛び回るうえ、子や孫の代まで使われると、沖縄の人たちは肌感覚でわかっている、だからこそ、23年ぶりの県民投票を、沖縄の歴史に残る重要な機会と受け止め、将来への責任を背負いながら「反対」に投票した人が多かったと思われる。「将来、子どもたちに『県民投票の時にお父さん、お母さんはどうしたの?』と聞かれたら、堂々と答えられるようにしたい」。取材で何度か聞いた言葉だ。

 

 県民投票実現に向けた署名集めから条例制定と改正、そして投票。沖縄は行動することによって、重い民意を示した。今度は、本土に住む人たちが、この歴史的な結果を受け止め、自分たちに何ができるか考える番だ」(2月25日付「朝日新聞」)

 

 

《追記―4》~現地では工事強行

 

【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、43万人を超える県民が埋め立て「反対」の民意を示した県民投票から一夜空けた25日、政府は工事作業を強行した。辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では市民約60人が座り込んだ。「これ以上、民意を無視するな。民主主義国家のやることか」と怒りの声を上げた。市民は早朝から、県民投票の結果を伝える新聞記事や「海を壊すな」と書かれたプラカードを走行する車に掲げた。午前9時半、基地内に建築資材を搬入する大型車がゲート前に到着すると、県警の機動隊員が市民を強制排除した。


 機動隊は「あなたも心の中では反対でしょう」と語り掛ける市民の声を遮るように次々と排除した。大型車の排出ガスが充満するなか、建築資材が基地内へと運び込まれた。沖縄防衛局は海上でも工事を強行した。辺野古崎突端部付近の「N4護岸」では被覆ブロックを積む作業が確認された。市民はカヌー9艇と抗議船を出して、民意を顧みない政府に憤りの声を上げた。抗議船船長の山口陽子さん(55)は「これだけ民意を反映しない政府とは一体何なのか。国民の1人として許せない。県民の叫びを聞いてほしい」と話した。【2月25日付「琉球新報」電子版】

 

 

 

 

 

 

 

「辺野古」新基地建設ノ-が多数(県民投票)…一方で、琉歌の響きが

  • 「辺野古」新基地建設ノ-が多数(県民投票)…一方で、琉歌の響きが

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、埋め立ての賛否を問う県民投票が24日実施され、3択のうち「反対」が「賛成」や「どちらでもない」を上回わり、「反対」が投票資格者総数(115万3591人、24日見込み)の4分の1に達することが確実となった。県民投票条例に基づいて、玉城(たまき)デニ-知事には結果の尊重義務が生じ、同知事は首相と米大統領に結果を通知する。

 

 沖縄で県民投票が実施されるのは、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理・縮小の賛否が問われた1996年以来、2回目。条例に基づく都道府県単位での実施はこの時が初めてで、「賛成」が投票総数の89・09%だった。私が提出した「日米地位協定」の抜本見直しの陳情に対し、花巻市議会が今回を含めた沖縄の民意にどう対応するかが注目される。

 

 

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われ、午後8時に締め切られた。琉球新報社が共同通信社、沖縄タイムス社と合同で実施した出口調査の集計結果や県が発表した投票率の推移などから、埋め立て「反対」の得票が県民投票条例で知事が「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1に当たる約29万票を上回ることが確実となった。

 県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、民主主義の手段で示された県民の意思にどう対応するかが焦点となる。1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は知事選など県内の主要選挙に加え、移設の賛否だけを直接問う県民投票で辺野古移設に反対する明確な意思を示した。

 今回の県民投票は、一橋大大学院生の元山仁士郎氏を代表とする「辺野古」県民投票の会が約9万3千筆の署名を集めて昨年9月、県に県民投票条例の直接請求を行った。県議会は昨年10月、条例案を可決したが、市議会で県民投票経費の予算案が否決された沖縄市や宜野湾市などの5市長が選択肢への不満を示すなどして予算の原案執行を拒否した。その後、全県実施の声に押された県議会が賛否2択から3択に改正した条例案を賛成多数で可決、5市長は実施に転じた。【2月24日付「琉球新報」電子版】

 

 

(写真は「辺野古」新基地建設に伴う埋め立て工事ノーを伝える琉球新報の号外=24日付「琉球新報」電子版から)

 

 

 

《追記―1》~政府、困惑。しかし、方針は変えず

 

 政府は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡る県民投票が反対過半数の結果になったものの、移設推進方針を堅持する。ただ賛成を大きく上回る反対票の重みを踏まえ、県側へのさらに丁寧な説明に努める。安倍晋三首相は、玉城デニ-知事が希望すれば週内にも会談に応じる方向で調整に入った。普天間の危険性を除去するためにも「辺野古移設以外の解決策はない」(首相周辺)として、理解を求める考えだ。政府は従来、辺野古に移設すれば普天間飛行場の基地機能が縮小され、危険性や騒音被害も大幅に減ると訴えてきた。それでも理解は広がっておらず、官邸幹部は困惑する(2月24日付「共同通信」)

 

 

《追記―2》~県民投票のこの日、陛下在位30年式典で「琉歌」

 

 天皇陛下の在位30年を祝う政府主催の式典が24日、天皇、皇后両陛下を迎え、国立劇場(東京都千代田区)で開かれた。天皇を国民統合の象徴と定める現行憲法下で初めて即位された陛下は、あと2カ月あまりで退位する。あいさつでは「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、私を継いでいく人たちが、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と将来への期待を語った。
 

 式典では、沖縄県出身の歌手の三浦大知さんが、陛下が詠んだ琉歌(りゅうか)(沖縄の歌)に皇后さまが曲をつけた「歌声の響」を独唱するなどの記念演奏があった。戦中戦後の沖縄の苦難の歴史に関心を寄せてきた両陛下は演奏を見守り、拍手を送った。約1時間の式典が終わると、陛下は笑顔で手を振り、会場を後にした【2月24日付「毎日新聞」電子版、要旨】

 

 

《追記―3》~陛下作詞、皇后作曲「歌声の響き」

 

 「歌声の響き」は天皇陛下が皇太子の頃、名護市にあるハンセン病療養所「愛楽園」を訪れた際に「だんじょかれよし」(誠にめでたいの意)という船出を祝う沖縄民謡を聞いたのがきっかけとなり、の時のことを琉歌に詠み、それをもとに皇后陛下が作曲した楽曲。歌詞は以下の通り。

 

●「だんじよかれよしの歌声の響/見送る笑顔 目にど残る」(謹訳;私たちの旅の安全を願うだんじよかれよしの歌声がひびき、見送ってくれた人々の笑顔が、いつまでの目に残っています)

 

●「だんじょかれよしの歌や湧上がたん/ゆうな咲きゆる島 肝に残て」(謹訳;私たちが立ち去ろうとすると、だんじよかれよしの歌声が湧き上がりました。ゆうなの花が、美しく咲いている島の人々のことがいつまでも心に残っています)

 

 

 

 

 

「日米地位協定」の抜本見直しを陳情(花巻市議会)…本日、沖縄県民投票(~追記⑮)

  • 「日米地位協定」の抜本見直しを陳情(花巻市議会)…本日、沖縄県民投票(~追記⑮)

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画(新基地建設)をめぐり、名護市辺野古の埋め立ての是非を問う県民投票の投開票日(2月24日)が1週間後に迫るのを受け、私は18日に「日米地位協定」の抜本的な見直しを求める陳情書を花巻市議会へ提出した。沖縄における米軍基地の偏在によってもたらされる犯罪の数々。その根底に横たわるのがこの協定の「治外法権性」であり、そうした事態を許しているのは私たち本土側の「無知・無関心」である。なぜ、沖縄の人たちが県民を二分するような苦渋の選択を余儀なくされなければならないのか―。まず、本土の私たちに何がやれるのか…その第一歩になればと考えている。正式に受理されれば、今月28日開会の3月定例会で審議される。以下に陳情書の全文を掲載する。

 

 

 

【件名】 日米地位協定の抜本的な見直しについて

 

【趣旨】 沖縄県に米軍基地が偏在することによって引き起こされる米軍人・軍属らの刑事事件や騒音被害などを重く受け止め、米国側に「特権」を認める日米地位協定の抜本的な見直しを求めること

 

【理由】 日米地位協定は1960(昭和35)年、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(新安保条約)の締結に伴い、従来の日米行政協定に代わって双方で合意されました。しかし、公務中に犯罪を起こした場合、米国側の裁判権が優先される(第17条)などその不平等性が以前から指摘されてきました。日本政府は「運用の改善」を主張するにとどまっていますが、最近になって、地方自治体や地方議会の間で協定の抜本的な見直しを求める声が急速に広がりつつあります。

 

 たとえば、当花巻市議会もその一員である「全国市議会議長会」(813市区議長で構成)は2016(平成28)年5月、日米地位協定の抜本的な見直しを求める要望書を採択。この前年には「全国町村議長会」(928町村議長で構成)も同じ趣旨の特別決議を採択しています。さらに、2018(平成30)年7月には「全国知事会」が抜本見直しの提言書をまとめ、日米両政府に提出しました。提言書はこの中で「米軍基地は防衛に関する(いわゆる専管)事項であることは十分認識しつつも、各自治体住民の生活に直結する重要な問題である」と指摘、その必要性を訴えています。

 

 現在、こうした動きを受け、全国の7道県36市町村で見直しを求める意見書が相次いで可決され、岩手県議会も昨年12月定例会で「本県においても本年、日米合同委員会(運用を協議する日米の実務者会議)の合意に沿わない米軍機の低空飛行訓練が実施され、県民に大きな不安を与えている」などとして、衆参両院議長や内閣総理大臣ら関係大臣に全国知事会の意向に沿う形の意見書を提出しています。

 

 この件については、2016(平成28)年6月9日付で私が紹介議員となって、同趣旨の請願書が当花巻市議会に提出された経緯があります。しかし、「趣旨には賛同できるが、外交問題は権限外」「花巻市民の公益に資する請願とはいえない」「岩手県には米軍基地はなく、その点で地位協定との接点はない」―などの理由で賛成多数で否決され、現在に至っています。

 

 沖縄県にはわずか0・6%の国土面積に米軍基地の約70%が集中しています。この基地偏重の実態は逆にいえば「国民全体の安全を担保する役割の大半が沖縄に押し付けられている」ということを意味しています。残念ながら、当花巻市議会の対応はこうした沖縄の現実に背を向けるものだと言わざるを得ません。

 

 当市は宮沢賢治の精神をまちづくりの基本にすえ、将来都市像として「イ-ハト-ブはなまき」の実現を掲げています。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という賢治のメッセ-ジや詩「雨ニモマケズ」の中で繰り返される「行ッテ」精神はそのまま、沖縄に寄り添うことの大切さを教えているのではないでしょうか。基地を一方的に押し付けられてきた沖縄の受難の歴史を「他人事」として、切り捨てるのではなく、一日も早く日米地位協定の抜本的な見直しをするよう、政府及び関係機関に意見書を提出していただきたく、ここに陳情します。

 

 

 

(辺野古の「新基地建設」現場では連日のように抗議のカヌ-船とそれを排除する作業船や海上保安部との衝突が繰り返されている=沖縄県名護市の大浦湾で、インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~目的と手段

 

 朝日新聞のコラム「日曜に想(おも)う」(2月17日付)の筆者は「人間を目的として尊重し、単なる手段として利用してはならない」という哲学者、カントの言葉を引用し、歴代の沖縄県知事の無念の思いを紹介している。

 

●「沖縄が歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除し(中略)新しい県づくりに全力を挙げる」(初代の故屋良朝苗氏)

●「沖縄は手段あるいは政治的質草にされ、利用され続けてきた」(故大田昌秀氏)

●「われわれがどう話しても大きな力が押しつぶして、通り過ぎていく。国家の品格を信じられなくなるくらいさみしいことはない」(故翁長雄志氏)

 

 

《追記―2》~係争委、沖縄県の申し出を却下

 

 【東京】沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡る国交相による埋め立て承認撤回の執行停止処分に関し、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会(係争委)」(委員長・富越和厚公害等調整委員会顧問)は18日の第4回会合で、処分を「国の違法な関与」とした県の審査申し出を却下すると決めた。委員会は審査対象となる「国の関与」に該当しないと判断した。近く県に決定を通知する。

 

 県は昨年8月の埋め立て承認撤回に対し、沖縄防衛局が「私人の立場」で、国民の権利利益救済を目的とする行政不服審査法(行審法)に基づき国交相に執行停止を申し立てたことから、「適格性を欠く」と指摘。それにもかかわらず、国交相が執行停止を決めたことから「国の関与は違法」として、係争委に審査を申し出ていた。国は、地方自治法で執行停止処分は係争委の審査の対象とならないと訴えており、係争委の審査の対象となるかどうかが焦点となっていた。富越委員長は会合後の記者会見で、却下の理由を「沖縄県の申し出は不適法」と述べた(18日付「沖縄タイムス」電子版)

 

 

《追記―3》~闘いの原点

 

 「米兵が女子児童乱暴/3人がかりでら致」―作家の目取真俊さんは1995年9月に発生した戦慄すべき事件の第一報を伝えた地元紙の記事を自らのブログ「海鳴りの島から」(2月18日付)に転載、こう記している(要約)

 

 「辺野古新基地建設をめぐる問題は、すべてこの事件から始まった。私たちは忘れてはいけない。あの時、沖縄の大人たちは、一人の子どもを守れなかったことを恥じ、二度とこのような犠牲を生み出してはいけない、と反省し、誓ったのだ。そして、諸悪の根源である軍事基地の撤去を実現するために努力することを決意したのだ。新たな基地をどこに造るかなど、想像すらしなかった。いま私たちが県民投票をやらざるを得ないのは、23年前に起こった事件の反省を生かしきれず、あの時の決意を実現しきれなかったことの結果でもある。事件が起こった沖縄島北部東海岸に、新たな基地を造る。そういう理不尽なことを許していいのか。県民投票に行く前に、一人でも多くの人が当時の記事を読んで、辺野古新基地問題の原点に何があったかを考えてほしい」

 

 

《追記―4》~「都合のいい愛」と「暴力の構図」

 

 「政府は沖縄の声を聴く耳をもたず、多くの国民も基地問題について見て見ぬふりをしている。黙って癒しを提供してくれていればいいという意識なのでしょうか。土砂投入の日、私が辺野古でみたのは、都合のいい形で沖縄を愛そうとする、日本の暴力の構図でもあります」(2月19日付「朝日新聞」、『裸足で逃げる』などの著書がある上間陽子・琉球大学教授)。そういえば、岸政彦・龍谷大学教授も同じことを「沖縄を愛するという形で、差別している」と発言したことがある。

 

 

《追記―5》~日米地位協定の改定、国民運動に

 

 神奈川県在住の男性(82)は朝日新聞「声欄」(2月19日付)に次のような文章を寄せた(要約)。「沖縄の方々が願うのは過重な基地負担の軽減だが、その負担をさらに過酷にしているのが在日米軍に様々な特権を認める日米地位協定だ。昨年夏には全国知事会が地位協定の抜本的な見直しを提言し、公明党や国民民主党も改定案をまとめた。地位協定について関係機関に法律学者やメディア等も加えて検討協議を進めるべきだ。七十有余年の占領状態からの脱却を目指す国民運動に発展させることを、強く望むものである」

 

 

《追記―6》~公明党も改定反対から急きょ、方針転換

 

 公明党の遠山清彦衆院議員と、かわの義博参院議員(参院選予定候補=比例区)は1月に訪米し、党「沖縄21世紀委員会」の日米地位協定検討ワ-キングチーム(WT=遠山座長)がまとめた日米地位協定見直しの提言を米政府に申し入れた。公明党は2018年2月、日米地位協定に関する議論を本格化させるため、「沖縄21世紀委員会」にWTを設置。同委員会の井上義久委員長(現・副代表)は、「沖縄県民の思いを真正面から受け止めていく」「運用実態などを検証し、協定のあるべき姿を議論する」と訴えた。

 

国土面積の約0・6%しかない沖縄県には、全国の米軍専用施設面積の約70%もの広大な米軍基地がある。米軍人・軍属による事件や航空機墜落事故などが後を絶たない。日米地位協定は、公務執行中の米兵の犯罪に関する第1次裁判権を米側に与え、日本側に裁判権のある公務外の米兵の犯罪でも日本側が起訴するまで容疑者の身柄引き渡しができないと定める。米軍基地の管理権も米軍にあり、米軍機事故でも、米側の合意なしに警察は現場に入れない。こうしたことが基地に関する沖縄県民の負担感を増している。

 

WT初会合で遠山座長は、地位協定のあり方について「変えるべきところは変える」と強調。その後、5項目の提言をまとめ8月3日に政府へ申し入れた。菅義偉官房長官は「具体的提案を踏まえ努力をさらに強めたい」と答えた(2月19日付「公明新聞」電子版)

 

 

《追記―7》~共産党本部と地元議員との気の遠くなるような乖離

 

 日米地位協定の抜本見直しを求める「6・9」請願(上記「陳情書」参照)など沖縄の米軍基地問題に対し、同党所属の花巻市議(当時2人)はほとんど無知蒙昧ぶりをさらけ出してきたが、最近になって党本部との認識のギャップがますます、顕著になってきた。同じ「革新」を標榜する会派「平和環境社民クラブ」(社民党系)もまさに同類項。この問題に関心を持つ市民の間からは「イ-ハ-ト-ブ議会(花巻市議会)の七不思議」との声も。参考までに共産党本部の見解を以下に掲載する(要約)

 

 

 日米地位協定は、米軍に基地の排他的管理権を与え、日本側の立ち入り権を明記していません。これに対し、NATO(北大西洋条約機構)加盟のドイツやイタリアでは、基地への立ち入り権が明記されています。日本はあまりにも立ち遅れています。しかし、日米安保条約によって日本が米軍に「基地提供義務」を負うことと、米軍が基地を自由使用し、日本側の立ち入りも認めないということとは全く別の問題です。問われているのは、日米地位協定による日本の主権の侵害を放置していいかどうかです。

 

 日本が米国と主権国家同士の対等・平等な関係を結べず、対米従属の下に置かれていることを異常と思わない首相や外相に政治は任せられません。日米地位協定の改定は独立した主権国家として当たり前の要求です。政府に抜本改定を迫る世論と運動を大きく広げる時です(2018年11月13日付「しんぶん赤旗」)

 

 

《追記―8》~震災を経験して知った、沖縄の痛み

 

 上記「6・9」請願を提出した花巻市在住の日出忠英さん(当時74)は参考人陳述でこう述べた。「東日本大震災の際、宮城県気仙沼市で被災したが、みんなに支えられて頑張って来れたと思っている。あの震災を経験しなかったら、自分自身、沖縄の現実に目を向けることもなかったのではないか。現在は当花巻市に居を移し、(宮沢)賢治精神の大切さをかみしめている。沖縄の悲劇は他人事ではない。もう見て見ぬふりはやめたい」(2016年6月24日開催の総務常任委員会で)

 

 

《追記―9》~作家の故橋本治さんの遺言状

 

 先日亡くなった作家で活発な評論活動でも知られた橋本治さんは1996年9月8日の県民投票の前日、沖縄にいた。その時のことを雑誌に載せた評論「基地とようかん」で書き残している

 

「法的拘束力があろうとなかろうと『われわれの問題はわれわれで決める』という、そういう新しい時代がやっと始まった」と橋本さんは記した。この一文に接し、初の県民投票を前にした当時の高揚感を思い出す
那覇市のパレットくもじ前の広場だった。読谷村にあった楚辺通信施設を模した「小象のオリ」を据えて高校生らの模擬投票をやった。沖縄の将来を自らが決めるという意思表明だ
同じ広場で17日夜、若者が開いた音楽祭をのぞいた。ラップに乗せた「ニイ・テン・ニイ・ヨン県民投票に行こう 沖縄のことを考えよう」というメッセ-ジが心に響いた。新しい世代の登場を実感した。一つの変化だ
県内政党の対応は揺れた。96年の県民投票では棄権呼び掛けまで飛び出した自民党県連は今回、自主投票で臨む。「われわれの問題はわれわれで決める」という潮流から取り残されないか
国の態度も変わらない。橋本さんは「言ってみれば、『国』というものは、沖縄とアメリカが直接取り引きできないようにしているブロ-カ-なんですね」と看破した。今の政府にも当てはまる。新しい時代は始まらないのか(2月20日付「琉球新報」コラム「金口木舌」より)

 

 

《追記―10》~ジャ-ナリストの故むのたけじさんの遺言状

 

「戦後に満州から引き揚げてきた人が『日本の満州化が進んでいる』と言ったそうですが、私もその通りだと思いますね。満州は中国の東北部です。そこに日本が満州国という傀儡(かいらい)国家をつくった。その国と日本は『日満議定書』を結んだ。共同防衛の条約です。どうです。日米地位協定の日本とアメリカの関係と似ていませんか。この協定の先に、沖縄が抱えるさまざまな問題があり、アメリカの戦争に日本も参加できるように解釈する憲法問題があるわけです」(2016年7月1日付「朝日新聞」岩手版コラム「再思三考」より)

 

 

《追記―11》~協定の見直しを認める意見書

 

大阪府吹田市議会は昨年12月定例会で、日米地位協定の見直しを求める意見書を可決し、内閣総理大臣など関係方面に提出した。意見書の全文は以下の通り。

 

 

 我が国には、日米安全保障条約に基づく日米地位協定によって、全国に130施設の米軍基地がある。そのうち、52施設は九州・沖縄地方に所在しており、航空機騒音、米軍人等による事件・事故、 環境問題等により、基地所在自治体に過大な負担を強いている側面 がある。日米地位協定は締結以来、一度も改定されておらず、補足協定等により運用改善が図られているものの、国内法の適用や自治体の基地立入権もない。航空法や環境法令などの国内法があるにもかかわらず、自由に訓練等ができる特権を与えている我が国は、他国と比 べても厳しい状況にある。

 

また、本年7月には、全国知事会も、日米地位協定を抜本的に見直すこと等を盛り込んだ米軍基地負担に関する提言を決議するなど、地方から改善を求める声が上がっている。よって、本市議会は政府及び国会に対し、日米地位協定を抜本的 に見直すことを強く要望する。以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

 

 

追記―12》~「逃げ出したい」

 

 「私は逃げ出したい気持ちです。市長として発議した2006年の住民投票で9割近くの人が『反対』の意思を示したのに、民意をいかせず、逆の結果を招いてしまったからです。私がやりたかったのは、国との対話です。住民投票の民意を踏まえて、こちらは住民の生活を守る観点からモノを言う。政府は、安全保障や外交を担う立場から話をする。しかし、国は対話ではなく、市庁舎建設の補助金凍結という前代未聞の手段に出ました。『アメとムチ』で、国には逆らえないという気持ちが市民に広がりました」

 

 「政府は沖縄県民投票の結果にかかわらず、辺野古の基地建設を進めるでしょう。それは民意を無視するという大きなリスクを私たちの政府が負うことを意味します。政治家がよって立つ基盤を崩してしまいかねませんが、政府はそのことに気づいていないのでしょうか」(2月21日付「朝日新聞」掲載=米軍岩国基地への空母艦載機の移駐の是非を問うた住民投票を発議した元岩国市長の井原勝介さん。要約)

 

 

《追記―13》~砂上の楼閣

 

 「地盤改良/砂杭7・7万本必要」「軟弱層/最深は水面下90㍍」―2月22日付の「朝日新聞」は一面トップで「辺野古」新基地建設をめぐる国の変更計画を大々的に報じた。沖縄県は「地盤改良自体に途方もない年数を要する」として、建設工事の中止を求めているが、国は「一般的で施工実績が豊富な工法で、対応は可能」(菅義偉官房長官)と強行突破の構えを崩していない。「普天間飛行場の危険防止のための移設」と国は言うが、危険防止を遅らせているのは一体、どっちの方なのか。

 

 

《追記―14》~違った世界の出現

 

 【東京】第160回芥川賞・直木賞(主催・日本文学振興会)の贈呈式が21日、都内のホテルで行われ、沖縄の戦後史を描いた小説「宝島」を書いた真藤順丈さん(41)に直木賞が贈られた(1月11日付当ブログ参照)。真藤さんは受賞スピ-チで、名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票に触れ「賛成か反対のいずれかに明確な声を上げてもらいたい。もし、示された民意と正反対の施策が進められてしまったとしても、(県民投票の)以前と以後では違う世界が待っていると思っている」と述べ、県民にエ-ルを送った。

 

 今後の創作活動については、米軍基地から物資を奪い「戦果アギヤ-」と呼ばれた若者たちになぞらえ、「小説が“降りてくる”のを待つのではなく、つかみ取りにいくような書き手でありたい。次世代の作家の肥やしになっていければ、こんなにうれしいことはない」と話した(2月22日付「沖縄タイムス」)

 

 

《追記―15》~異化の爆発

 

 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての是非を問う県民投票について芥川賞作家の大城立裕氏(93)=那覇市=は「県民は歴史的な大成長を遂げたと感じる」との見方を示した。かつて日本へ「同化」しようともがいた時期もあった県民が「異化」に意識が変容し「政府に対し県民投票という大げんかを売るまで成長した」と語った。本土に対する劣等感から来る同化志向に対し独自のアイデンティティ-を求めるのが「異化」だとし、日本政府による構造的差別を前に、辺野古での新基地建設への抵抗運動は「異化の爆発だ」と指摘した。

 

 薩摩の侵攻、琉球処分、戦前の皇民化教育、米統治下からの日本復帰など、本土の間で同化と異化に揺れてきた県民。「大成長」を遂げた県民の今後に大城氏は注目している(2月22日付「琉球新報」)