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「見えない涙」と「涙ぐむ目」

  • 「見えない涙」と「涙ぐむ目」

 

 『見えない涙』というタイトルの詩集が知人から送られてきた。作者は敬愛する批評家で随筆家でもある若松英輔さん(51)である。「奥さまのご命日(7月29日)を控え、この詩集を送ります」という一筆が添えられてあった。26篇が収められた詩集のあとがきで、若松さんは宮沢賢治の詩「無声慟哭」(『春と修羅』所収)を取り上げ、その詩の内容についてというより、題名そのものに関して以下のように書いていた。

 

 「『慟』は『いたむ』と読む。それは『悼む』と同義だが、『慟』の文字の方が、心の揺れ動くさまがいっそうはっきりと示されている。『哭』は『犬』の文字があるように、人が獣のように哭(な)くことを指す。こうした行為に賢治は『無声』という言葉を重ねる。本来ならば、天地を揺るがすような声で哭くはずなのに、声が出ない。哭くことが極まったとき、人は声を失うというのである。同質の現象は声ばかりではなく、涙においても起こる。悲しみの極点に達したとき、目に見える涙は涸れ、その心を見えない涙が流れることがある。悲しみの底を生きている人はしばしば、声に出して哭かず、涙を見せず暮らしている」

 

 わが家からほど近い、北上川河畔に賢治が自耕したといわれる「下の畑」があり、その中央に「涙ぐむ目」という木製の標識が立っている。賢治は生前、8枚の花壇の設計図を残しており、そのひとつが「tearfuleye」(涙ぐむ目)である。設計原画ではひとみは黒色系のパンジ-、その周辺に青系のブラキコメ(姫コスモス)を配し、花壇の目尻と目頭に白い睡蓮(スイレン)の水がめを置いて、この花が開くと涙ぐむ目のように工夫が凝らされている。12年前、「下の畑」を管理する地元有志の手で模型が造られた。約130平方メ-トルの花壇には色とりどりの季節の花が絶えることがない。

 

 「下の畑」のわきに、賢治が農作業の疲れをいやすために腰を下ろしたと伝えられる大きな石がごろんと転がっている。私も散歩のたびにその石を拝借して、しばしの瞑想にふけることがある。梅雨の合間のある日、いただいた詩集を手に散策に出かけた。川面を渡る風が肌に心地よい。遠方の高台に見えるのが、賢治が農民芸術などを講義した羅須地人協会の跡地である。ふいに、「涙ぐむ目」から「見えない涙」のひとしずくがこぼれ落ちたように思った。たとえば、以下のような詩篇である。妻が旅立って、もうすぐ一年になる。「声に出して哭かず、涙を見せず暮らしている」―そんな自分の姿を私はいま、見ているのかもしれない。

 

《旧い友》

あたらしい友達で

日常をいっぱいにしてはならない

苦しいときも

じっと

かたわらにいてくれた

旧友の席がなくなってしまう

 

あたらしい言葉で

こころを一杯にしてはならない

困難なときも

ずっと

寄り添ってきた

旧(ふる)い言葉の居場所がなくなってしまう

 

言葉は

思いを伝える道具ではなく

共に生きる

命あるもの

 

だから人間は

試練があるとき

もっとも大切な何かを求めるように

たった一つの言葉を探す

 

たしかな光明をもとめ

わが身を賭して

伴侶となるべき一語を

希求する

 

 

《悲しさを語るな》

 

悲しさを語るな

悲しみを語れ

 

悲しさの度合いではなく

お前が背負った

世にただ一つの

悲しみを語れ

それだけが

還らぬ者への呼びかけになる

 

苦しさを語るな

苦しみを語れ

強き光を放つ

苦痛を語れ

その営みは

生きる意味の顕(あら)われとなる

 

愛を語るな

愛する人を語れ

お前よりも お前の魂に近い

その人を語れ

それは未知なる

お前自身を語ることになる

 

 

(写真は「下の畑」の中にある「涙ぐむ目」の花壇=花巻市桜町の北上川河畔で)

 

映画「新聞記者」…今昔物語

  • 映画「新聞記者」…今昔物語

 

 「この一件については、あまり深入りしない方が身のためですよ」―。スクリ-ンの向こう側から、妙にくぐもった陰湿な声が聞こえてくるような錯覚に陥った。いま評判の映画「新聞記者」(藤井道人監督:脚本、シム・ウンギョン:松坂桃李同時主演)を見ていた時である。その声を電話口で聞いたのはもう、40年近くも前のことである。当時、私は政治資金などを通じて、政界に隠然たる影響力を持つある黒幕を追っていた。あらゆる伝手(つて)を使ってやっと面会にこぎつけた直後から、帰宅を見計らうようにベルが鳴るようになった。最初は何となく不気味だったが、やがて電話の主が「内調」(内閣情報調査室)だということが判明した。

 

 この国に新聞記者は必要なのか―。映画「新聞記者」は国家権力の闇に迫ろうとする女性記者・吉岡エリカ(シム)と、政権に不都合なニュ-スをコントロ-ル(情報操作)する任務を与えられた、内調勤務のエリ-ト官僚・杉原拓海(松坂)との壮絶な闘いと葛藤を描いている。モリカケ疑惑や沖縄の辺野古新基地建設などをめぐる官邸記者会見で鋭い質問を浴びせ続ける、東京新聞記者・望月衣塑子さんの同名の著書が原作となっている。「『リアル』を撃ち抜く衝撃の『フィクション』/現代社会にリンクする社会派エンタテインメント」とパンフレットにはある。

 

ある夜、東都新聞社に「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名FAXで届けられる。表紙には謎めいた羊の絵が描かれている。内部によるリ-クなのか、あるいは誤報を誘発するための罠か?内閣官房VS女性記者という構図は否応なしに「権力とメディア」、「組織と個人」という現在進行形のせめぎ合いにオ-バ-ラップしていく。外務省時代の上司がビルの屋上から投身自殺したことによって、杉原は内閣に対する不信感を募らせていく。そして、上司の通夜が行われた日、吉岡と杉原は偶然言葉を交わすことになる。2人の人生が交差する先に、官邸が強引に進めようとする驚愕(きょうがく)の計画が浮かび上がってくる……。まさしく「いま現在」を照射する緊迫の場面である。

 

「集団の中にいると忖度(そんたく)してみんなの空気を読んで、自分の信念を曲げていくこともある。いまの日本の特に僕たちの世代はそういうことがめちゃめちゃうまいと思っていますが、それを打破したかった。個人個人が自分たちの人生をどう変えていくかということを真剣に考えてほしいと思います」(6月28日付「週刊金曜日」)―。藤井監督はインタビュ-でこう答えている。臨場感のある場面展開に引き込まれながら、私は別の感慨にふけっていた。「疑似体験を持つ自分にとっては、内調に嗅ぎつけられることこそが新聞記者としての誇りだった。時として、そのネタは政権を揺るがす事態に発展する可能性を秘めていた。会社全体としても決然と権力に立ち向かっていた。それが今では、マスメディア自体が権力に迎合しているのではないのか」―。

 

新聞記者の醍醐味(だいごみ)は何といってもルポルタ-ジュの執筆である。いろんな現場に身を置き、そこに住む人々の声にただひたすら耳を傾け、風土のたたずまいに包まれる。やがて、七転八倒する自分が立ち現れる。ペンがひとりでに動き出す。真剣勝負の一瞬である。その「ルポ」欄が最近の新聞からほとんど姿を消してしまった。わが古巣も例外ではない。私は物心がついて以来、続けてきた「朝日新聞」の購読を、この7月から止めた。「世界の報道の自由度ランキング」(国境なき記者団)によると、日本は2016年から2年連続で72位とG7各国の中で最下位に転落した。この映画はこうした状況の中で、産声をあげた。エグゼクティブプロデューサーの河村光庸さんはパンフなどで、こう述べている。

 

「民主主義を踏みにじるような官邸の横暴、忖度に走る官僚たち、それを平然と見過ごす一部を除くテレビの報道メディア。最後の砦である新聞メディアでさえ、現政権の分断政策が功を奏し、『権力の監視役』たる役割が薄まっている。集団の同調圧力の中で、今後個人としてどう生きていくのかという映画を目指した」

 

 

 

(写真は映画「新聞記者」のポスタ-から=インタ-ネット上に公開の資料から)

 

 

 

 

アジサイとスギナとカエルとヘビ…

  • アジサイとスギナとカエルとヘビ…

 

 玄関先と庭のアジサイ(紫陽花)が咲いた。亡き妻が愛したガクアジサイである。一周忌(7月29日)を前に今月初め、荒れ放題だった草取りをシルバ-人材センタ-に依頼。花を縁取る額縁のような見事な咲きっぷりに見とれていたのもつかの間…「難防除雑草」と忌み嫌われるスギナがアジサイの足元に襲いかかろうとしているではないか。地下茎を伸ばして繁茂し、草花の大敵である。さて、腰をかがめて引き抜こうとするも、途中でプツンと切れてしまい、その先はまるで地下をはいめぐるヘビのよう。近くのため池から、カエルの大合唱が聞こえてきた。こうなったらもう、「蛙の詩人」と呼ばれた草野心平さん(1903~1988年)に登場してもらうしかない。

 

 るるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」(「春殖」)―。ひらがなの「る」だけを20個並べた不思議な詩がある。オノマトペ(擬音・擬態語)の天才と言われた心平さんの詩集『第百階級』は収録された45編すべてがカエルをテ-マにしている。そのひとつ「号外」はヘビににらまれ通しのカエルがその死に歓喜する詩である。虐げられた階級に位置づけられるカエルたちが抑圧者たるヘビの死を喜んでいる光景が目に浮かんでくる。私にはカエルの鳴き声は「ぐわっ、ぐわっ」としか聞こえないが、心平さんの手にかかると、こんな風に変奏する。「ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ」という異様なオノマトペがカエルの喜びの強烈さをよく伝えている―と解説にはある。
 

 界隈でいちばん獰猛な縞蛇が殺された
 田から田へ号外がつたはって
 みんなの背中はよろこびに盛り上がった

 ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ
 ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ
 ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ

 ぬか雨の苗代に
 蛾がふるへてゐる

 ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ
 ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ
 ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ

 

 さて、ヘビならぬ我がガクアジサイの仇敵のスギナといえば、梅雨がもらす慈雨を思いっきり吸い込んで、日に日に勢いを増すばかり。老残の身との戦いはどう見てもスギナの方に分がありそうである。妻が旅立った昨年の夏も紫陽花は見事な花を咲かせていた。あと1か月余り、ほとんど“勝ち目”のない、スギナとのいたちごっこを私は続けなければならない。そんな時の応援歌こそがカエルたちの雄たけびである。「ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ」―。梅雨空の下のハ-モニ-は心地よくもある。

 

 そういえば、宮沢賢治の『春と修羅』に共鳴した心平さんは生前の賢治とは会う機会には恵まれなかったが、その作品のすばらしさを世に紹介し続け、最初の全集(文圃堂版『宮澤賢治全集』)の刊行に尽力した。忘れかけていた、そんなこともカエルたちは思い出させてくれた。

 

 

(写真はガクアジサイの見事な競演。梅雨空に一番似合う、と亡き妻は言っていた=6月27日、花巻市桜町の自宅で)

 

 

《追記》~カエル塾

 

 6月28日付朝日新聞の「ひと」欄を見てびっくり。「カエル塾」の塾長を名乗る宮城県気仙沼市・唐桑半島の馬場国昭さん(74)のことが紹介されていたからである。辛うじて東日本大震災から生き延びた、自称「唐桑の不良おやじ」の馬場さんは学生たちに震災体験や波乱万丈の人生体験を語り続ける。塾生はのべ1万人。カエルのぬいぐるみを拾った学生がこう名づけた。この空間からもカエルたちの雄たけびが聞こえてくるようである。恋に悩む女性に対しては「思い詰めるな。スペアの男を作れ」―。それにしても、“カエル談議”がこんな風にして相まみえる、とは!?



 

 

 



 

沖縄慰霊の日…平和の詩「本当の幸せ」

  • 沖縄慰霊の日…平和の詩「本当の幸せ」

 

 沖縄は23日、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から74年目の「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった平和祈念公園(糸満市摩文仁)では沖縄全戦没者の追悼式が行われ、恒例の平和の詩の朗読が会場に響いた。ちょうど10日前の今月13日、花巻市議会6月定例会に提出していた「辺野古・普天間」問題に関する陳情(同日付当ブログ参照)が議員全員の反対で否決されたばかり。この日の朗読詩は糸満市立兼城小6年、山内玲奈さんの「本当の幸せ」―。昭和から平成、令和と流れる時代の中で、「戦争の悲惨さだけでなく、身近な幸せの尊さ」を力いっぱい、訴えた。

 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。「本当の幸せ」を希求し続けたのは他でもない、当地・花巻が生んだ詩人の宮沢賢治である。賢治はこうも言う。「人間は他人のことを思いやって行動し、よい結果を得たときに、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づく本当の『幸せ』なのである」(『銀河鉄道の夜』)―。賢治の理想郷(イ-ハ-ト-ブ)の実現をスロ-ガンに掲げる議員諸賢は山内さんの詩をどう受け止めたのだろうか。米軍普天間基地の移設先とされる「辺野古新基地」(名護市辺野古)の建設現場では連日、埋め立て用の土砂投入が続けられている。以下に「本当の幸せ」の全文を転載する。

 

 

 

青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか

緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか

青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか

平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が七十四年前

 

何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように

お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ

「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある

令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも

 

 

(写真は「本当の幸せ」を朗読する山内さん=6月23日午後、糸満市の平和祈念公園で。NHKテレビから)

 

危うし“戦跡”―道路補修で消滅の危機

  • 危うし“戦跡”―道路補修で消滅の危機

 

 花巻空襲の唯一の“戦跡”と言われる「花川橋」の爆撃跡が市が発注した橋の補修工事で、その痕跡が消される寸前に市民の通報で難を逃れる見通しになった。その一方で、戦争の記憶を伝える公共物の認識が市側になかったことについて、市民の間からは「もう少し、慎重に対応してほしい」という声が挙がっている。

 

 74年前の1945年8月10日、花巻市街地は米軍による爆弾投下や機銃掃射の攻撃を受け、死者42人、負傷者約150人という大きな被害を受けた。花川橋周辺にも500ポンド爆弾が落とされ、その破片が橋の欄干にぶつかり、一部を破損した。花巻市役所の近くにあるこの橋(市道吹張・花城町線)は昭和9年に造られ、長さは18㍍、巾5㍍の鉄筋コンクリ-ト製。全体的に劣化が進み、コンクリ-トの欠損分の修復工事が9月9日の完成に向け、今年3月下旬から始められた。

 

 鉄筋がむき出しになった攻撃跡の欄干には工事個所を示す印がつけられ、予定通りに工事が進めば、この記憶の証しは永遠に消滅する運命にあった。このことに気が付いた市民のひとりが「岩手・戦争を記録する会」事務局長の加藤昭雄さんに連絡。今月中旬になって加藤さんらと市側が対応を話し合った。『花巻が燃えた日』などの著作がある加藤さんは「戦後70年以上がたち、あの空襲の記憶を伝える戦跡はこの橋ぐらいしか残っていない。ぜひ、残す方向で工事方法を再検討し、できれば案内板も設置してほしい」と話している。

 

 市建設部土木課では「劣化補修と保存を両立できる方法があるかどうか、専門家とも相談して今月中には結論を出したい」と話しているが、むき出しの鉄筋を現状のまま残すのはかなり難しい、と実際に工事に当たっている業者は頭を抱えている。また、市民の間からは「市の取り組みとして、改めて戦跡調査をすべきではないか」という意見も出ている。

 

 

(写真は鉄筋がむき出しになり、欄干の一部が破壊された花川橋=花巻市花城町で)